青年編

青年編 第1話 妹の誕生


 20xx年5月21日、深夜2時。俺の家から歩いて15分くらいの距離にあるよもぎ産婦人科にて。

 

 出産時期を控えて、入院していた母さんに突然異変が——————


「あぁぁぁぁ! いたぁぁぁぁあい!」


 女性の悲痛の叫びが暗い夜を引き裂くように院内に響き渡る。

 絶叫を聞きつけた看護婦さんたちが素早く、声の発生源に駆け出していく。

 絶叫はただ一度きりのものではなく、看護婦が近づくにつれ、絶叫は大きくなって聞こえてくる。



「あかりさん! 大丈夫です! ここから頑張りどころですよ!」


「…………ぁぁぁあい」


 

 宿直していた産婦人科の看護婦さんが母さんを励まし、痛みにも負けないように必死に元気付けている。


 母さんに熾烈な激痛を与える物の正体は、そう、陣痛。母さんは妊娠10ヶ月にしてようやくこの時を迎えたのである。

 定期的にくる痛みに母さんは絶叫しながら、再度看護婦さんに励まされている。

 宿直の看護婦たちがすぐさま分娩室の用意に取り掛かる。

 その際に親族である俺たちの元へと深夜であるが、連絡がかかってきて、深夜の電話に起こされて機嫌の悪かったのだが、父さんに母さんの状況を教えられた俺は母さんの事態を察して、パジャマのままそして上には薄手のパーカーを一枚着込んで、父さんと一緒に母さんが今いる、よもぎ産婦人科へと向かった。

 

 俺と父さんは全力で深夜の町を全力で駆け抜けたために連絡が来てから5分でよもぎ産婦人科へと到着した。


 これなら救急隊員にもなれそうだと俺は思ったのだが、そんなことよりも今は母さんの様子が心配であったので、看護婦さんに案内されるまま、母さんがいるという分娩室へと移動した。


 分娩室へと向かって見た母さんの様子はというと、痛みに耐えるながらも呼吸を止めることなく必死な様子だった。


「あかり!」

「お母さん!」


 

 ヒッ! ヒッ! フーー!

 ヒッ! ヒッ! フーー!


 看護婦さんがいう事には、赤ちゃんを産むときに母体には激痛が襲う、それに伴い、母体の呼吸が乱れてしまう。そうなってしまうと、赤ちゃんに十分な酸素が送らなくなってしまい、出産の成功率を下げてしまう。だからこそ、出産の際にはこのような呼吸法を使用するらしい。


 ヒッ! ヒッ! フーー!

 ヒッ! ヒッ! フーー!


 激痛に耐え、呼吸を続ける母さんの体は汗でグッチャリと濡れていて、その痛みの苛烈さが子供の俺にもしっかりと伝わってきた。

 母さんは俺と父さんの呼びかけにも気付くことがないくらいに必死な様子だった。

 母さんの隣に控えていた看護婦さんが俺たちが来たことを知らせてくれたおかげでようやくこちらの存在に気付いた。



「……あら……こんな夜中なのに来てくれたのね……ありがとう」


 母さんには相当な痛みを感じているのにも関わらず、そんな様子を俺には見せないようにか、いつもの優しく温かい、大好きな笑顔を俺に向けてくれていた。

 母さんの声はいつもよりも弱々しくて、震えていて、さらに痛みの苛烈さを俺に教えてくれていた。


 母さんの隣にいた看護婦さんたちが俺たちに声をかける。


「出産の準備は整いました。ですから、お母様の隣に座ってお母様を励ましてくださいますか?」


「はい。もちろんです。妻をよろしくお願いします!」

 父さんの顔はいつもよりも真剣な様子で、こういうところで男らしさだったり、頼もしさを感じるところが少しだけだが、かっこいいと思う。俺もそんな父さんに見習って


「うん! あっくんも、おかあさんを応援する!」

 

 俺と父さんの言葉を聞いた看護婦さんが隣を譲ってくれた。


「じゃあそれでは————」


 

 母さんの体に陣痛という名の激痛が襲ってから、しばらくして母さんの容態と出産の準備が整った。

 そして、ここからさらに母さんと激しい痛みとの闘いが始まるのであった。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


 母さんの絶叫が分娩室を越えて、外の空を割れんばかり広がっていく。

 絶叫と呼吸が両者入り混じった様子で。


 フーー! ウゥゥーン!

 フーー! ウゥゥーン!


 母さんは激痛に耐え、汗を先程以上にドバドバと湧き出させてた。母さんは苦痛に耐えて、白色のタオルを口で強く噛みしめて、精一杯の力をお腹に込めて赤ちゃんを産もうとしている。


「ぅぅぅぅぅぅううう!」


 男である俺と父さんは母さんの痛みを0.1%も分けてもらうことは出来ず、母さんのことを応援することしかできない。


「おかあさん! 頑張って!」

「あかり! 頑張れ!」


 母さんの右手は俺の手を強く握っていて、母さんが力む度にその力が俺の手元に伝わってくる。

 そして母さんの反対側の手はというと父さんにそっと優しく握られている。

 ——————なんてことはなく父さんの手はどこか寂しげな様子。



 一度は母さんの手を握ろうとした父さんであったのだが、母さんにあえなく手で払われてしまったために、これ以上何もできないのだろう。


 まぁ、力んでいる時に、不安定なものに捕まるなんて馬鹿なことはしないよね……

 俺の場合は例外なのかもしれないけど。


 父さん、どんまい……



「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううう!」


 フーー! ウゥゥーン!

 フーー! ウゥゥーン!


 母さんはさらに痛みに耐えながらも赤ちゃんを産もうと必死に力む。俺と父さんもその度にささやかでも気持ちという力を母さんに精一杯に送り込む。


「頭がでできましたよ! あと少しですよ〜!」

 

 看護婦さんが喜色を含んだ声で俺たちに告げる。

 頭が出てきたことは母さんの足側にいる看護婦さんにしかわからない。

 でも、赤ちゃんが頭からでできたことはまず安心すべきなところだ。

 足から出た場合はシーザーと同様に帝王切開という可能性もあっただろう。


 俺は母さんに最後にありったけの気持ちのパワーを送り込む。と同時に父さんも。


「おかあさん! あと少し! 頑張って!」

「あかり! 頑張————」


「ぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあ!」



 父さんの言葉は母さんの絶叫により簡単に掻き消された。

 流石に可哀想じゃん……

 父さんには最後までちゃんと言わせてあげようよ。


 フーー! ウゥゥーン!


「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううう!」


 最後の力を振り絞るが如く、母さんは強くタオルを噛みしめて、腹部に力を込めた。


 とすると。




「オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁぁぁぁぁぁ。オギャャァぁ」


 今度はお母さんの絶叫とは違う、少しばかり甲高くも元気のある叫びが院内を駆け巡った。


 その瞬間、母さんは先程まで力を込めていた真っ赤な顔がいつもの綺麗な色へと戻っていた。安堵のためなのかだいぶぐったりとした様子だった。


「………………」


「おめでとうございます! 元気な女の子ですよ!」


 元気に生まれてくれた赤ちゃんをそっとお湯で洗って優しくタオルを巻いてくれた看護婦さんが母さんの頑張りを労うような言葉をかけ、母さんに赤ちゃんを差し出した。


「………………はい。ありがとうございました……」



 母さんは出産の激痛を耐え抜き、元気に産まれてきた娘を優しく抱き抱え、疲れていた体にようやく感動が押し寄せてきたのか、涙をハラハラと流した。


「元気に産まれてくれてありがとう……」


 母さんはまだ目も開いていない赤ちゃんを聖母のようにそっと優しく撫でていた。

 そんな様子に俺もなんだか熱い何かが胸にこみ上げてきた。


 「あなたの名前はのぞみよ。希望の希ののぞみよ」


 そう。この娘の名前は前の人生と同じ希。

 って、それ。父さんが言いたかったやつじゃない!?


 自分のセリフを奪われてしまった父さんはというと、


「…………あかり、ありがとう」


 

 無事に娘を産んでくれた母さんに優しく声をかけてあげていた。

 父さんもそんなことで落ち込むような器の小さい男ではない。


 父さんは優しく母さんを抱こうと思ったのだが……

 母さんの鋭い眼光によって、抱擁を阻まれてしまって、両手が寂しい様子で後ろにうでを隠してしまった。


 母さんは今は娘に夢中なようだ。父さんなんかは後回し。そんな感じだ……

 父さんドンマイ……


 俺もよく頑張ったお母さんに元気よく言葉を掛ける。頑張った人には優しくこういうべきだ。


「おかあさん! よくがんばりました!」


 苦痛にも耐え抜き、一生懸命に無事に妹を産んでくれた母さんの頑張りを自分の持つ最大限の魅力的かつ無邪気な笑顔で労う。



「あっくん……ありがとうね……ほらこのをみて! あっくんの妹になるんだよ!」



「うん! 可愛いね! あっくんこの子のかっこいいお兄ちゃんになるね!」



「うん! あっくんならなれるわよ!」



 俺は再度産まれたばかりの小さな妹を見て、


「のぞみ! 僕は希のたった一人のお兄ちゃんだよ! のぞみのかっこいいお兄ちゃんになれるように頑張るね!」


 俺は母さんに抱かれたままの希を優しく指で頬っぺたを撫でてやる。



「……………オギャャァ」


 俺の言葉に反応したのか、短く泣き声を上げた。



 こうして、俺の妹がこの世に無事に誕生した。

 名前はのぞみ。希望の希と書いて希。その名前の由来は…………父さんの希望。


 父さんの希望となるのかはまだわからないのだが。

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