第7話 姫君と二人きり

 確かに鍛冶場には魔剣を隠していた。所有者の魔力だけを格段に倍増させる魔剣の製法技術は極秘としているが、もう失われた秘法として歴史に隠されている。今もその製法を知りたい人間はいるだろう。


 それにしても、事情も言わず俺の住処を破壊するなんて、アーネスは俺に何か恨みでもあるんじゃないのか? 俺の心を折りに来てたよな?


 夕刻が近く。俺は今、テラスのある広い部屋でマドリアス王子に扮して本を読みながら客人を待っている。


 白いレースのカーテンがオレンジ色に染まり、庭園からの風に優しく揺れている。渡された本は難し過ぎるし眠気を誘う。


 アーネスとマドリアスがテラスに隠れて、俺の幻術がどこまで通用するかその目で確認したいらしい。しかも相手は帝国から来た姫君で、次期王妃を望まれるマドリアスの婚約者だという。


 魔力を模して化ける俺の幻影魔法はかなり精度が高い。これ、俺の先祖からの特殊能力で、魔剣を作るのにもこの能力が応用されている。ただし、本人の振りをするのはただの小芝居だ。


 リリーンと、ベルが鳴り客人が通された。


「ユーネイア様がお越しです」


 そうマドリアスの家来がユーネイア姫を部屋を通すと、部屋は二人きりとなった。


 ユーネイア姫は、ウェーブの柔らかい髪を腰まで流して優雅に一礼すると、花のかんばせは恥じらいを見せながらサイの扮するマドリアスへと歩みを進めた。


 マドリアスの振りをしたサイは席を立ち、自分の隣の席へユーネイアの手を引いてをエスコートした。


「待ちわびたよ、今日も一段と……花のように美しいね、ユーネイア」


 歯が浮く様な台詞余裕を無理矢理貼り付け、甘い眼差しをユーネイアに向ける。ユーネイアは恥ずかしそうに頬を桃色に染めて頷いた。


 ——メチャクチャ可愛いな!同じ姫君でも、アーネスとは段違いに違うな。


 絶世の美男子を前にすると女はこんなにも愛らしくなるのかとも思いながら、サイは芝居を続けた。


「今日は、何の用事だったかな? 」


 思わせぶりでとぼけた振りが一番楽だと、サイはアドリブを交えた。今日は二人きりと約束を取り次いである。


「……今日は、マドリアス様に焼き菓子を焼いてきましたの」


 そう言ってユーネイアは手に持った籠をテーブルに置くと、上に被せた布を外した。葡萄酒と焼き菓子が現れて、二人の間に焼きたての香ばしい匂いが立ち込めた。


 ——美味そうだ!


 サイは思わず庶民丸出しに食いつきそうになるのを抑えた。さっきまで眠気に襲われかけていたが、焼き菓子の匂いで目が覚めた。


 ええっと、こういう時マドリアス王子ならどんな風にいただくのか……いや、今の俺、完全にユーネイア姫と焼き菓子にロックオン仕掛けてるよな? 落ち着け……


「とても美味しそうだね。貴女が焼いてくれたお菓子をいただけるなんて、とても幸福だよ」


 愛らしい姫君には幾らでも軟派な台詞が出てくるなと、サイは思う。ユーネイアも満更ではないといった具合で頬を赤く染めている。美男子マスク効果は絶大だった。


 ニッコリとユーネイアに笑顔を向け、籠から一切れの焼き菓子を摘むとサイは頬張った。焼き菓子に染みたリキュール、砕かれたナッツが噛むほどに甘美だ。


 ——このリキュールは何だろう? これはどんなものか教えてもらいたい。この焼き菓子は真似して作ってみたいな。


「マドリアス様……今日は毒味をなさらないのですか? 」


 ためらいがちな声でユーネイアが尋ねた。


 そうだった。王位継承の立場にある者は常に命を狙われているのだった。油断もしていたが、そういう話は聞いていなかった。


 苦笑いを押し殺し、サイは答えた。


「今日は、二人っきりという話だっただろう? 二人の間には要らないんじゃないかな? 」


 濃いリキュールが効いてか調子が良い。サイは誤魔化すように籠から葡萄酒と二つのグラスを取り出し、葡萄酒の栓に手を回した。


 毒が仕込まれてるのか考えると恐怖だが、今は目の前の……この可愛らしい姫君に優しさを振りまきたい。


「マドリアス様……」


「うん? 」


 葡萄酒を二つのグラスに注ぎ、ユーネイアに目を向けると、二つの愛らしい瞳が涙ぐんでいる。


「そんな風に仰られて……私を信用なさって下さるなんて……」


 ハラハラと涙を零すユーネイアにサイは慌てて席を立ち、ユーネイアの座る側に駆け寄った。


「ユーネイア、どうした? 」


 ——こんな時マドリアス王子ならどうするべきなのか!?


 サイは中腰になって、ユーネイアの頬に流れる涙をハンカチで吸い取ると、ユーネイアの手に指を重ねた。


 ——アドリブが過ぎたか!?


 と、焦りながらも、何やら瞼がトロンとしてきた。ユーネイアの愛おしさに胸が苦しくなり鼓動が高鳴る。


「……私、焼き菓子に媚薬を染み込ませてしまいましたの。二人きりとのお約束で舞い上がって……魔が差したのですわ。魔星の谷へと旅立つ前に、マドリアス様と……私……」


 ——媚薬? もしかしてあのリキュール?


 ジッとユーネイアがサイに上目遣いをする。熱を帯びて見つめ合う二人の顔がゆっくりと距離を縮めていく……


「お待ちください、ユーネイア様!! 」


 テラスからアーネスが部屋に飛び込んで、抱き寄せあった二人をひっぺがすと、すぐさまマドリアスもユーネイアの身体を背中から抱き支えた。


 サイはひっぺがされた勢いで強かに尻餅をついた。

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