18.教授に呼び出された日の話

 神の化身こと僕、イーサン=アンセットが目を覚ますと、視界を水平に流れてゆく荒れた杉林が広がっていた。


 当然、こんなものは見慣れた寝床の景色ではないけれど、今の状況自体はすぐに掴める。

 ここは乗り合いバスの最後部座席、窓際。僕は目的地に向けて、この山道を進んでいる所だ。学園都市エデュケイアの中心地にあるチュイエレオル大学から電車で四時間、そこからバスで二時間先にある、ルルド村。それが今回の旅の目的地だった。舗装の甘い道路を走るバスの揺れは、存外に心地よく、僕は眠ってしまっていたのだろう。


「おや。お目覚めですか、アンセット先生」


 身体を起こした僕に、旅の同行者が気付いたようだ。

 先生は貴方でしょ、という返答は、最初の三回を笑いながら流されたので、諦めた。


「すみません、眠ってしまって。あとどれくらいで付きますか?」

「いえ、お気になさらず結構。バスは残り五分程、それから徒歩で三十分程ですな」


 同行者は厚い銀縁の眼鏡を軽く持ち上げて外し、時計を見てそう答えた。


 魔系学部に関しては国内最高学府として名高い、国立チュイエレオル大学。

 その魔法学部魔法学科で教授職を務める魔法学者、サミュエル=ヒンクストン教授。

 世界的な魔法学の権威ということで、テレビ出演や著作も多数。その名は魔法学関係の書籍には勿論、御存命中ながら、歴史の教科書にさえ載せられている。


 先日、神の化身として出演したあるテレビ番組で僕と教授は知り合い、その縁で今回の旅への同行を持ちかけられたのだ。


 この旅の目的は何で、何故僕がそんな人と二人旅をしているのか。話は一週間前に遡る。


***


 学校が夏休みに入った僕は、祭りにプールに布教活動にと、忙しい日々を送っていた。

 その中でも、神の化身としての僕の第一目的は、信者獲得のための布教活動という事になっている……が、その成果はあまり芳しくない。というか、そっち経由での信者増加は、ゼロだ。

 マネージャーの提案により、既に真実の神の信徒である天与聖典バイブル教徒に狙いを定め、教会巡りをしてみたりもするのだけれど、大抵は苦笑いでポケット聖典だけ渡されて追い返されるか、酷い時には罵倒されて門前払い。

 既得権益に群がり、己の利の為に真実の神を疑い、神の化身に石を投げる偽りの信者共は、死後、地獄にて粗く削られた杭に縛り付けられ、自らの罪と同じだけ重さの石を、自らの罪と同じ数だけ投げられて、喉が裂けるほど許しの言葉を叫べども誰からも救いの手を差し伸べられることなく、魂が朽ち果てるまで贖罪を続けるのだ。


 って何だよ! 久々に転生の時に植えつけられた謎記憶が思い起こされたな! 一年ぶりくらいだからびっくりしたよ! しかも内容が相変わらず怖いわ!


 そりゃあさ、神の化身に対してこの仕打ちは何だ、と憤慨するべきシーンなのかも知れないけれどさ。

 でも、教会の人達の気持ちもわかるよ。僕の世間での認識っていうと、「オカルトな占いで暴利をむさぼる悪徳業者」だとか、「超臭い缶詰のにおいを防いだ強力消臭剤人間」のどっちかでしょ。

 そんなもんに、自分とこの神の化身だって名乗られたら、そりゃ気分悪いわな。

 冒涜だよ、冒涜。


 マネージャー兼幼馴染であるところのレインは「おっかしいわね、いけそうな気がしたんだけど……」なんて言ってたけど、この世界での布教の難しさは、僕が一番よく知ってるんだよ。 


 そんな風に過ごしながら、夏休みが始まって一週間も経った頃だ。

 僕の携帯念話機に、見慣れない番号からの念話がかかってきた。

 市外局番は学園都市エデュケイアからとなっている。学園都市に知り合いなんていないし、この番号は布教用の番号でもないし、また個人情報が流出したのかな、受話ボタンを押す。


「ああ、繋がった。私です。ヒンクストンですよ」


 聞きなれないお爺ちゃんの声に、僕は慌てて脳内のアドレス帳を繰り始める。

 何だかしっかりした感じのお爺ちゃんだ。声色には、割と親しげな雰囲気がある。

 でも、僕の祖父ではない。父方の祖父は霊廟都市グレイバラで眠っているはずだし、母方の祖父は港湾都市ポートピアで悠々自適な家賃収入生活を送っている。そして苗字もヒンクストンじゃない。


 あと、僕の知り合いでのお爺ちゃんというと、いつも近所のバス停でベンチに腰掛けているお爺さんと、犬の散歩中に挨拶をするお爺さんと、学校の校長先生くらいかな。でも、三人ともこんなにハキハキ喋る人じゃないし。


「ああ、どうも、ヒンクストンさん」


 僕は結論を棚上げしたまま返事をした。


「先生、私が誰だかお分かりじゃないでしょう」


 即座にバレた


 いや、でも先生って何だろう。僕は教師でも医者でも、三味線の家元でも、代議士でもないのだけれど。


「どなたかとお間違えじゃありませんか?」

「いえ、イーサン=アンセット先生ですよね? 神の化身の」

「はい、神の化身ですけど……」


 どうも、僕は僕であってるらしい。

 となると、占いのお客さんかな? だったらどうして個人用の番号に。


 眉根を寄せて、どう返すべきかと考えていると、苦笑と共に念話相手がこう名乗った。


「先日テレビで御一緒させて頂いた、魔法学者の者ですよ」

「ああ!」


 思わず大声で納得の感嘆詞を返してしまい、しまった、と口を押さえる。

 相手は一流大学の一流学部、一流学科の一流教授である。

 対して、僕は前世でも二流大学の三流学部である文学部人文学科に通う一般学生でしかなかった人間だ。テレビでの教授はパネラー陣の一人でしかなかったけれど、一対一だとそうもいかないのだ。権威ほど恐ろしいものはない。


「す、すいません、番号の登録がされてなかったみたいで!」

「いえ、これは研究室の念話機からかけていますので、以前交換させて頂いた番号とは別物ですよ」


 なんということだ。

 一流大学の一流学部一流学科にある、一流教授の一流研究室からの念話である。

 耳元で何かカタカタと音が鳴るのを感じ、目を向ける。手が震えていた。


 僕は言葉を失った。


「先生、実は先生に折り入ってご相談があるのですが」

「え、あ、はい、何なりとお申し付けください!」

「はっはっは、そう言って頂けるとありがたいですな」


 で……ですな、って言った! すごい! 偉そう! いい意味で!!


「実はですね、先生。お願いというのは、宗教関係のお話なのですよ」


 ん、と理性が戻ってくる。


「宗教ですか?」

「はい。“女神の涙”という宗教をご存知でしょうか」

「“女神の涙”っていうと、カルト教団の?」


 “女神の涙”。何十年だか前に、井戸に毒を流すテロを行ったとかいうカルト教団で、今でも細々と続いているらしい。

 最近ではアニメやゲームなんかのサブカルチャーで、敵対組織だとか、悪の黒幕だとか、魔法少女の一人のバックボーンだとか、そういうので有名なんじゃないかな。女神の涙の教団シンボルが入ったTシャツとか、見るところでは結構見るし。


「カルト教団。今は過去のような犯罪行為には手を付けていないと聞きますが、確かに、真なる神の化身であるアンセット先生から見れば、あんなものはカルトでしょうな」


 はっはっは、と笑う教授。

 ううん。信仰してくれるのはありがたいんだけど、僕は何かしら、ツッコミを入れるべきなんだろうか。


「で、その“女神の涙”がどうしたんです?」


 悩んだ結果、そのまま話の先を促すことにした。


「実は、私のゼミの院生が、その総本山の一つの近くにある村の出身でしてね」


 そういって、教授は事の次第の説明を始めた。



 宗教法人・女神の涙。歴史だけなら千年近くを持つ、老舗の教団だ。

 魔法分類学がまだ未成熟で、毒属性が複合属性ではなく、単属性であると考えられていた時代。天与聖典バイブル上の六精霊のいずれにも当てはまらない、毒を操る属性は、他の複合属性と共に「悪魔の属性」と呼ばれ、その持ち主は悪魔の生まれ変わりとして忌み嫌われていた。

 悪魔なんて天与聖典のどこにも書かれていないし、完全に後世の人間の創作なんだけど、魔法学も発展しておらず、聖典信仰も中途半端にボヤけて薄れていた時代である。複合属性の持ち主は、地域や時代によっては、魔女狩り紛いの迫害を受けていたらしい。


 そんな中、天与聖典教の熱心な信者であった毒属性の女性を中心にまとまった集団が、時代を経て、彼女を女神と抱く教団となった。それが宗教法人・女神の涙の前進となる。

 “女神の涙”は、毒属性所持者やその家族が中心となってその規模を広げて行ったが、同時に、その独自の医術を喧伝し、医療集団としても知られていった。

 それは、初代教祖であった女神の生み出す薬が万病を癒したという伝承を後世の教祖が再現したもので、「毒による治療」であったらしい。超超低濃度に薄めた毒を飲ませることにより、人体の抵抗力を活性化させ、治癒を促進する。医学、及び物理学の発達した現在では、そのような治療には全く効果がないとされているらしいのだけれど、プラシーボっていうのかな、実際それで良くなったっていう人もいるんだそうだ。


 魔法分類学の発展で、毒属性が地属性と火属性の複合属性だとわかってからは、徐々に毒属性への迫害も減り、教団の持つ意義も薄れ、“女神の涙”は徐々に力を失っていった。

 その衰退の決定的な起点となったのが、先々代教祖の頃に起こった、例のテロ事件だ。


 ごくストレートに「女神の教団事件」と呼ばれるそのテロ事件は、一教団員の「善意」によるものであったと記録されている。

 ある地方都市で大規模な伝染病が流行った時、その都市の井戸という井戸、そして上流の水源に、教団員が猛毒を流した。実行犯の供述によれば、それは治療のためであったという。

 都市では伝染病での被害以上の中毒死者が発生し、身体の弱い者から死に至らしめる毒の効果により、結果として伝染病自体は収まった。

 世界中の教団事務所には一斉に公権による摘発が入る。大衆からもカルト教団として、その過去にも等しい迫害を受けるようになり、信者の多くは教団を捨てた。

 それでもなお、難病を抱えた人々が最後に縋る場として、著名人も含め、「大手新興宗教」程度の規模で現存している。


「その教団が最近総本山を移したのが、ルルド村という山奥の小さな村の近くでしてね」

「はぁ」

「うちのゼミの、その名もユリアン=ルルドという青年が、その村の村長の令息なのですよ」

「あー、もめますよね。宗教団体と地元って」


 僕の前世の実家の近所にも、数年前にテロ事件を起こしたカルト教団が引っ越してきたことがあった。

 駅前には追放の垂れ幕がはためき、新総本山となったビルには石が投げ込まれ、連日デモと教団員が喧々諤々の争いをしていた記憶がある。


「そうなのですよ。ルルド君の御実家はお父さんはルルドの村長で、随分熱心に追放運動へ参加しているということでしてね」

「頑張ってるんですね」


 僕は我ながら何の価値もないと感じられる相槌を打つ。


「そう、それで、夏季休暇で帰るのが億劫だということでしてね」

「なら今年はずっと下宿にいる感じなんですか?」

「いや、そうも行かないのです。そのルルド君が、実家からの状況報告に揺さぶられて、研究にもまともに手が付かない状況なのですよ」

「大変ですねぇ」


 まぁ、酷い相槌だとは思う。


 で、これ何の話なの。


「それではいかんということで、問題を根本から解決してはどうかと、私が提案したのですよ」


 ああ、そういう。


「それで、僕にその教団をどうにかできないかと」

「さすが先生、話が早いですな」


 はっはっは、と笑われましても、うーん、宗教なら僕に投げとけって、どういう対応だよ。


「宗教関係なら、教授の所の文学部にも、宗教学科とかないんですか?」

「文学部には哲学科がありますな。うちで言うなら宗教関係はそこが専門なのですが、まあ、連中に頼むのでは、花屋に葬式を任せるようなものですな」


 まぁ、折角偉い人が僕なんかに頼ってくれたわけで、それを無碍に断るのも忍びないような気は、しないでもない。

 それから、ルルド村の大体の場所や、もし行くとしたらの日程などを聞いた後、少し考えさせて貰うようお願いして、念話を切った。



 翌日、マネージャーのレインにその旨を相談した所、彼女はこんなことを言い出した。


「“女神の涙”……なるほどね! 弱小教団なら、本家の天与聖典バイブル教よりチョロいかも!」


 そのくせ、自分は用事があるから行けないとか言うのである。


 そうして僕は教授と二人、ルルド村への三泊四日の旅に出ることとなった。


***


 バスが終点に到着する。

 乗客は僕達二人だけで、降りるとすぐにバスは引き返していく。

 時刻表を見るとこのバスが最終だったらしい。辺りは夏だというのに結構暗い。


「お疲れ様です」


 バス停の奥には二十代前半くらいの若者が立っていた。


「やぁ、お迎えありがとう」


 教授はスーツケースを持っていない方の手を上げて挨拶する。

 この人が一流大学の一流学部の一流学科の院生の人か。

 すごい頭が良さそうだ、なんて、すごい頭の悪そうな感想が浮かんだ。


「ルルド君、こちらが神の化身のイーサン=アンセット先生。先生、こちらがユリアン=ルルド君です」

「初めまして。宗教なんて全然興味のなかった教授がここまで心酔するなんて、どんな方かと思ってましたけど」


 ルルドさんが苦笑する。僕も同じような笑いが出た。


「初めまして、ルルドさん。神の化身です」


 まぁ、酷い自己紹介だとは思った。


「こんな山奥までわざわざ、ようこそおいで下さいました」


 それを苦笑いだけで済ませてくれるルルドさんは、非常によく出来た人間だと思う。

 やっぱり本物のエリートは違うよね。



 それから山道を徒歩で三十分。

 すっかり辺りが暗くなり、車輪のついたスーツケースの恩恵にも預かれず、教授などは息も絶え絶えになった所で――僕らはようやく、ルルド村に到着した。

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