フロリアーナのはなし ④
いつもフロリアーナが一人で戻ってくるので、ハリーはまだノエルに会ったことがなかった。
だが一、二度、茂みや木の陰に隠れる後ろ姿を見たことがある。
聞いたとおり、黒いローブで全身をくるみ、小柄なフロリアーナより身長が低い。
アルフォンスやオリバーにも尋ねたが、心当たりはないと言われてしまった。
フロリアーナの名前をしっかり呼べない年齢の幼い子だから、自分の名前も本名ではなく愛称かもしれない。それならば「ノエル」で調べても出てこないだろう。
あんなに小さい子が勝手に、しかも何度も王城に入れるわけがない。
警護の騎士たちが認識したうえでノエルを放置しているということは、ここにいて問題ない人物なのだろうし、自分たちと一緒に剣を振る仲間にはなりそうもない。
というわけで、ハリーたち年長組も正体不明のノエルに対し詮索はしなかった。
王宮の庭園は広く、池や温室ばかりではなく、ちょっとした塔もある。
ハリーたちが平けた場所で手合わせをしている間、フロリアーナとノエルはそんなあちこちを散歩して遊んでいた。
――声にならない悲鳴が聞こえてハリーが振り向くと、時計台を登っていたはずのフロリアーナの体が宙に舞っていた。
ノエルの手から発せられた風の塊がフロリアーナを包み込み、落下の衝撃とスピードが抑えられたために、ハリーが駆けつけるのが間に合ったのだという。
受け止めた瞬間に魔法が消え、ハリーは尻餅をついてしまったが、ノエルの魔法がなければフロリアーナは重傷を負ったはずだ。
はっと気づいて見上げた時はもう、ノエルの姿は時計台から消えていた。
(はあぁ、助かってよかった! けど、やっぱり魔法は不思議……)
杏奈がやってきたこの異世界は、剣と魔法の世界である。
だがその実、魔法はこちらでも特別なものだ。
魔法を使えるかどうかは、魔力を持って生まれたかどうかで決まる。
魔力のある子どもが生まれる確率は数百人に一人程度と、少なくはないが多くもない。
そのうえ、魔法として発動させるためには一定量以上の魔力が必要になるため、保持する魔力が実際に使える域にある者はさらに減る。多くは、軽いものを動かしたりできる程度だ。
この世界に来てしばらく経つが、今も杏奈に魔法関連の知識が少ないのは、そもそも接する機会がないからだ。
(実際、魔法を使える人に会ったのって、トリップしてきた最初の頃にいろいろ調べた時の一回だけなのよね)
杏奈が異世界からやってきたということを確認するため、王都から内密に遣わされた魔術師は高齢の男性だった。
赤いローブを着た、真っ白く長い髪と顎髭の小太りおじいちゃんだったおかげで、会っている間中クリスマスソングメドレーが脳内に流れっぱなしだった。
いくつかお決まりの質問のあとは、お茶を飲んだり散歩をしたりしながら雑談をしただけ。
特にそうと分かる魔法を使いはしなかったと思う。
そのおじいちゃんを含め、魔法が使える者は殆ど全員、魔塔という国の組織に属している。
魔塔は、ヒューゴが率いる王国軍と同等の働きをする魔術師団も兼ねているが、少数精鋭で裏方に徹しており、普段に親しくお目に掛かることがない。
実は、心和む姿のあのおじいちゃんこそが、王国きっての実力者である魔術師団長であったが、その事実を杏奈はまだ知らない。
この世界のほとんどの一般人にとって、魔法とは、知っているが身近ではないもの。加えて、少なからず畏怖の対象でもある。
(私が知っている魔術師さんはおじいちゃんだけだし、怖いって思わないけど…… 普通の人には無い特殊な力だものね)
銃や刀剣に対しての感覚に近いだろうか、と思っていたが、それだけではなく強い魔力を持つ者は身体に特徴が出るのだとヒューゴは言う。
分かりやすいのは肌に現れる紋様、そして魔力の動きにより変化する髪と瞳の色だ。
「髪や瞳の色が変わるのですか?」
「ああ。成長に応じても変わるそうだが、一番は魔力が影響する」
「そんなことが……」
「姿が一定ではないことを、気味が悪いと感じる者もいるな」
魔力は遺伝ではなく、身分も関係ない。
髪や目の色が親と違って生まれた子は、魔力の有無を確かめるより先に不貞を疑われて育児放棄をされてしまう場合も多い。
そういうケースの子どもは見つけ次第、魔塔で保護をしている。
だが、強い魔力持ちの子はもともと身体が弱く、育ちにくい。無事に成人を迎えるのは半数程度だ。
捜査や演習で魔術師団と連携を取ることがあるため、ヒューゴは魔塔にも出入りする。
これまでも、引き取ったものの亡くなってしまった子を何人か見送った、とヒューゴの口も重い。
「魔術師団長などは恐ろしいほどに強いが、そうなれるのはごく少数ということだ」
「そうなのですね……では、ノエルちゃんはもしかして」
「ああ。幼いうちから魔法を使えるとなれば、生まれながらの魔力が相当強いはずだ。きっと魔塔で面倒を見ているのだろう。交流会にいたのなら、どこかの貴族の子かもしれない」
魔塔の施設も王城の敷地内にある。警護の騎士が了承している理由も納得だ。
あとでお礼に行かないと、と言う杏奈にヒューゴも頷く。
と、もぞ、と毛布が動き、フロリアーナが目を開いた。
「……のえる?」
「フロリアーナ!」
「アンナおかあさま?」
「よかった、目が覚めた……!」
きょろ、と周囲を見回したフロリアーナは杏奈に驚き、にこりと笑顔になる。
寝たままぎゅうと抱きしめられたフロリアーナが、嬉しそうに杏奈に抱きつく。
「痛いところはない? 頭がくらくらしていたりは?」
「ううん、いたくない。どうして?」
「フロリアーナは時計台の階段から落ちたんだ。覚えてない?」
「おにいさま……かいだん……」
ハリーに言われて少し考えたフロリアーナが、ハッと顔を青くして身を起こした。
「ノエル? ノエルはどこ? わたし、ノエルにあやまらなくちゃ!」
「謝る?」
「おこってるかもしれない……どうしよう」
フロリアーナはそう言って、ぽろぽろと涙をこぼし始める。
「フロリアーナ、なにがあったの? ゆっくり話してみて」
「う……っく、ぐす、あのね、……ノエルはね、さわるといたいの」
「怪我とか傷とかがあって、痛いっていうこと?」
「ちがうの。ノエルじゃなくて、わたしがいたいの」
「ああ、魔力が漏れているんだな」
聞いたことのない現象だ。
杏奈とハリーに不思議そうに見上げられ、ヒューゴが説明をする。
「魔力のない普通の人間には、他人の魔力が刺激として感じられる。たぶん、そのノエルという子は常時魔力が発動しているタイプだ。制御が甘いか、制御できないほど魔力が強いかのどちらかだろう」
「いたいから、ノエルにさわっちゃダメっていわれてて……」
えぐえぐと泣きながら、フロリアーナがたどたどしく説明をする。
――時計台の外階段を登っている途中で、遠くの空に虹が見えた。
フードが邪魔して気づいていないノエルに教えようと、忠告を忘れてつい腕に触れてしまった。
ばちん、と痛みと衝撃に襲われて体がよろめき、階段から足を滑らせた――というわけだった。
「じゃあ、フロリアーナが気を失ったのも?」
「魔力に弾かれた衝撃だな」
驚きの原因に杏奈は目を丸くするが、ヒューゴは強面をさらに渋くして「あれはやっかいだ」などと呟いている。
きっと戦場や演習で、魔法による攻撃も経験があるのだろう。
「ふえぇ……ノエル、お、おこってる、きっと……!」
「ああ、泣かないでフロリアーナ。私も一緒に行くわ、ノエルちゃんに会いに行きましょう」
だが、その必要はなかった。
フロリアーナがベッドから足を下ろしたちょうどその時、客室の扉が叩かれる。
「ノエル!」
「……フロー」
慌ててベッドから降りて駆け寄るフロリアーナにたじろぎながらも、ノエルはその場を去らなかった。
そのノエルの後ろに立つ金髪の美しい淑女を見て、ヒューゴが目を見張り、さっと礼を取る。
誰だかわからずも、慌てて自分も礼を取ろうとした杏奈だが、その女性に手で制せられ、黙礼にとどめた。
「ごめんね、ノエル。さわっちゃダメっていわれたのに、わたし――」
「フロー、ちがう。ぼくが悪い」
「ノエルは、わるくないの!」
涙目で首を振るフロリアーナにノエルが意を決したように、顔を隠すフードに手を掛ける。
ぱさりとフードが落とされ、黒髪に漆黒の瞳が露わになった。
幼いながらも整った容姿だが、まるで映画などで見る魔法陣に似た紋様がアザのように顔半分を覆っている。
いっそ禍々しいと言える容貌に、さしものハリーも視線を揺らしたが――
「男の子……!?」
杏奈は、ノエルが男の子だったほうが衝撃である。
「アンナ。“ノエル”は男女どちらにも使える名前だ」
「はっ、そういえば!」
名前以上の情報がなく、人見知りのフロリアーナが仲良くしているなら同性の女の子だろうとすっかり思い込んでいた。
(だって、よく二人で花を摘んで遊んでいたし、花言葉もたくさん知っていて……きっと、フロリアーナに合わせてくれていたのね!)
杏奈の中で、ノエルの印象がさらに上方修正された。
いつもフロリアーナそっちのけで、ハリーと手合わせばかりしたがるアルフォンス王子は少し見習うといい。
ぱちくりと目を大きく開いたフロリアーナは、ここ、とノエルの顔にある紋様と同じ場所の自分の頬を指さす。
「ノエル、いたい?」
「……ううん。でも、フローはこれ、怖い……よね」
「いたくないなら、いいの。ノエルのかお、はじめて見た!」
ぱあっと嬉しそうな笑みを浮かべるフロリアーナに、ノエルは泣きそうに唇を震わせた。
(ああっ、フロリアーナもいい子!)
子どもたちが一段落ついたところで、ヒューゴが改めてノエルの背後の女性に頭を下げる。
「第二王妃殿下に拝謁申し上げます」
「えっ!?」
(おうひ……王妃!?)
目の前の子ども二人のやり取りに杏奈同様、感動の眼差しを送っていた第二王妃が、はっと我に返ってノエルに手のひらを向ける。
「あっ、セ、セレンディア将軍、どうか楽に! あの、息子が迷惑をおかけして……!」
「む、むすこ?」
「はい。ディーン・ノエル・フォルテリア。わたくしと陛下の子です」
「第一王子殿下!?」
第二王妃が、意外すぎる言葉をさらりと発する。
簡単なはずの単語なのに、杏奈の頭はなかなか意味を受け入れない。
さらりと開示されてしまったが、本来、王族のミドルネームは成人まで公表されないしきたりだ。
ノエルと聞いてピンとこなかった杏奈たちも仕方ないし、アルフォンスが「知らない」と言ったのも当然である。
(で、でも、ディーン王子は十歳のはずよね?)
目の前のノエルは、七歳のフロリアーナよりも明らかに小柄なのだ。
動揺する杏奈と黙するヒューゴに向かって、王妃は思い詰めた様子で息を吐いた。
「……セレンディア将軍。内密に話があります」
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