第47話 目覚め

 気がつけば、辺り一面が真っ白な空間だった。ルーナルーナは、大きな瞳を何度も瞬かせる。


(ここはどこかしら。まさか私、死んじゃった?!)


 不思議な浮遊感と、時の流れを感じさせない広大な場所での孤独。ルーナルーナはあまりの心細さに体を縮めて、途方に暮れていた。


 そこへ、一つの光の玉が現れて、仄かに白い尾を引きながらルーナルーナの元へ近づいてくる。そして、彼女の前に辿り着いた時、パッと弾けて一人の女性が現れた。


《ルーナルーナ、ようこそ世界の狭間へ》


 女性はありえない美しさを誇っていた。ルーナルーナと同じ真っ黒な髪。そして雪のように白い肌。纏っているのはボリュームたっぷりの白い布で、それはドレスではなく、神話に出てくる女神の装いとよく似ていた。


「女神……様……?」

《私は闇の女神、ルナ。そなた、よくも要の神具を……!》


 女神ルナの声は、ルーナルーナの頭に直接届けられている。ルーナルーナは、女神の怒りを直に受けることになってしまった。


「申し訳ございません! ただ、今はまだ、世界を一つにする時ではないのです」

《せっかくユピテががんばっておったというのに。神具は一度使うと、もう二度とその役目は果たさないのだぞ》


 これには、ルーナルーナも安堵して良いのか、悲しんで良いのか分からなかった。


《まぁ、良い。代わりにそなた、二つの世界を繋ぐ姫巫女となるが良い》

「姫巫女?」

《そうだ。もはや、二つの世界が一つになる可能性が無くなった今、架け橋となる人間が必要となる。今からそなたには、特別の力を与える故、心して任を全うせよ》


 女神ルナは、己の右手の上にほおっと光る白い光の玉を新たに創り出すと、それをルーナルーナに投げつけた。ルーナルーナは小さな悲鳴を上げて、その光を全身で受け止める。


「あの、力とは、何なのでじょうか?」

《それを知る必要は無い。私はそなたが本来もつ性質をさらに伸びしたに過ぎぬからな。後は、己の信じるがままに進んで行けば良い》


 女神ルナが、ほほ笑む。それは先程までの狂気を含んだものではなく、全ての人間を温かく見守る慈愛に溢れた笑顔だった。


《胸元を見るが良い。私から任を受けた証が刻まれておる。それで姫巫女の地位を勝ち取るのだ。良いな?》

「え?!」


 次の瞬間、ルーナルーナは大きく頭を揺さぶられたような目眩に襲われた。視界がホワイトアウトして霞んでいく。














「ルナ! ルナ!」


 次にルーナルーナが目を開けた時には、眼前にコメットのどアップが迫っていた。


「コメットさん……? どうしたの……?」

「どうしたのじゃないわよ! 私やミルキーナ様、そしてキュリーもどれだけ心配したと思ってるの?!」

「えっと、私……」


 実はルーナルーナ、女神ルナとの邂逅の後、シャンデル王国の下町に戻っていたのだった。しかし、疲労困憊、さらには魔力切れでなかなか意識が戻らなかったのだ。


 ダンクネスから真っ青になって戻ってきたリングが、配下を使って王都内を捜索し、本屋の主人に介抱されていたルーナルーナを発見したのが三日前。それからずっと王城内の貴賓室にある豪華な寝台で眠り続けていた。


「目が醒めたか?!」


 ルーナルーナは、近づいてきた慌ただしい足音の方を見た。


「エアロス様」

「お前は本当に次から次へと問題を起こして……どれだけ私を振り回したら気が済むんだ!?」


(あなたがそれを言いますか?)


 ルーナルーナはぼんやりとした頭で内心ツッコミを入れた。


「あの、世界は元通りになったのでしょうか?」

「馬鹿か。見れば分かるだろう? 神具は二つに割れて、もはやこの国でダンクネス王国が見えることは無い」

「よろしゅうございました。あの、リング様は?」


 噂をすれば何とやら。そこへリングもやってきた。


「ルーナルーナ、体の具合はどうだ? 命に別状は無いと医師から聞いていたが、さすがに三日ともなると、俺がどこかの王子に殺されるところだった」


 必死に言い募るリングの言葉からは、それが半ば冗談ではないことが良く伝わってくる。ルーナルーナは、どうにか力を振りしぼって、寝台から体を起こした。


「ご心配おかけしました。他の皆様もご無事なのでしょうか?」

「あぁ、皆咄嗟に自身へ結界を張ったらしく、かすり傷一つないよ」

「良かった……」

「それにしても、世界が元通りにになったのが五日前。そしてお前が下町で発見されたのが三日前。空白の二日間、どこで何をしていた?」

「実は……」


 ルーナルーナは、ここにいるのが自分の味方ばかりであることを確認した後、不思議な体験について語り始めた。


 闇の女神ルナに会ったこと。神具の秘密。そして、何らかの力を与えられて、姫巫女になれと言われたこと。


 話を聞き終えたコメットは、大興奮だった。


「何それ。物語のリアル主人公じゃない! 素敵すぎるわ!!」


 エアロスはすぐに事態が飲み込めないらしく、口をパクパクしている。リングは、腕を組んで考え込んでいた。


「その肩書き、養女となるにはちょうどいいな。」

「どういう意味ですか?」


 ルーナルーナはリングに尋ねる。


「実は今、ダンクネス王国と我が国の間で講和条約を結ぶための話し合いがなされているのだ。今回、世界を混乱に貶めた責任は両国にあるが、やはり殿下が決定的な行為を行ったことは確か。そのため、我が国がダンクネスに賠償、もしくはそれに代わる何かを差し出す必要が出てきている」


 ルーナルーナは話の続きを促すように頷き返す。


「そこでだ。向こう側から出された希望というのが……」


 リングはルーナルーナへ一枚の書類を手渡す。ルーナルーナはすぐに目を通し始めたが、顔は赤くなったり青くなったりを繰り返している。エアロスはルーナルーナの手から書類を取り上げると、わざとらしくため息をついた。


「和平の印として、シャンデル王国の姫をダンクネス王国第一王子サニウェルの正室として迎え入れる、だとよ」

「それだけではありません。これには続きがあります」


 リングは、書類上の一文を指差した。


『姫は、シャンデル王家の覚えがめでたく、闇の女神に愛されていて、侍女仕事も完璧で、王子サニウェルを心から愛する世にも美しい娘に限る。』


「これ、どこからどう見てもお前のことだろうが!!」


 エアロスとリングの声がハモった。


「これは、ルーナルーナをちゃんと姫扱いしてから嫁入りさせろという脅しだな」

「この国には王女もいるが、まだ幼い上、よく分からぬ国にいきなり嫁入りさせるなんて王が許さないだろう。となると、お前は王の養女となって嫁ぐしかない」

「つまり、姫になるということだ。どうだ? 成り上がった気分は?! お前を向こうにやるだけで、シャンデル王国での私の立場は保証され、さらにはダンクネスからもこれ以上の無茶な要求をされずに済む。と、素直に私が喜ぶとでも思ってるのか?!」


 次々に畳み掛けてくる王子とその側近。とても、三日臥せていた人間に対する扱いとは言えないが、彼らにも言い分や思いがあるのだ。


「まぁ、いい。他の細かな条件を詰めるのには、もうしばらく時間がかかるだろう。だから、せめてこの国にいるうちは、私の……」


 ここでエアロスの声は途切れる。


「殿下の……?」


 エアロスはルーナルーナに近づくと、彼女を再び寝台へ横たえた。つぶらな黒い瞳が不安げに揺れる。それを見つめるエアロスの心も揺れていた。エアロスは無意識にルーナルーナの髪へ手を伸ばす。


「そうだな。私の良き相談相手、もしくは友人でいてほしい」

「えぇ、殿下」


 ルーナルーナは花が咲いたようにほほ笑んだ。リングは、そんなエアロスを目を細めて見守っている。


(殿下にしては、よく踏みとどまったものだな。これまでは、欲しいものは何でも手に入れる人だったのに)


 しかし、そのまま黙っていられる彼ではない。


「殿下、そこは兄弟として、と言うべきでは?」

「兄弟?」

「はい。ルーナルーナが養女になるのならば、そういう関係になるはずです。お姉様とでもお呼びしては?」

「絶対に嫌だ!」


 エアロスはあからさまに不機嫌になると、「また来るからな! 待ってろよ!」と意味不明な捨て台詞を置土産に、部屋を足早に去っていったのだった。



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