第32話 絵画
ルーナルーナは、神殿の入口で封書の中身を見せていた。
「はい、確かに。ではあちらへ」
祈祷受付にいた巫女は、ルーナルーナに封書を返却する。辺りはがらんとしていて、少し肌寒い。シャンデル王国の神殿は、寂れているのだ。神殿へただ祈りを捧げに来る者の数も、先日ダンクネス王国で行った教会と比べると雲泥の差である。
ルーナルーナは、巫女に案内されて神殿内部を進んでいく。女神像がある祈りの間しか入ったことのない彼女にとって、それは大変興味深い体験だった。
(神殿入口のレリーフは、やっぱりダンクネス王国で見たものと同じだったわ。ここの巫女もキプルの実を食べているのならば、きっと何かが分かるはず)
ルーナルーナは怪しまれない程度に辺りをキョロキョロしながら歩いた。そして着いたところは、高い天井が半球状のドームになっている場所。女神像は見上げる程高いところに祀られていた。部屋は基本的に薄暗く、壁際の蝋燭の灯りだけが仄かに揺れている。その時だ。
(この香り、まさか!)
世の中、甘酸っぱい香りの種類はたくさんあるが、ルーナルーナにははっきり分かる。この芳醇で濃厚なものは、アレしかない。どこかでキプルの実を材料にしたお香が炊かれているのだ。
もうすぐ大巫女が来ると言って巫女が立ち去ったので、ルーナルーナは一人になった。何となく天井を見上げる。するとそこには、さらに驚きのものが広がっていた。
(あぁ……やっぱり女神様は、シャニーとダクー、その両方をお守りくださっていたのね)
天井には秀麗な絵画が広がっていた。
中央で両腕を広げて立つのが女神。その両脇にも人はいて、昼を示す背景を背負っているのは色黒の女性。そして夜をバックに女性と向き合っているのは色白の男性。その男女の表情には切なさが宿り、互いに手を伸ばして求めあっている。ルーナルーナは、まるで自分とサニーのようだと思った。
「その絵画を見るのは初めてか?」
はっとしたルーナルーナが視線を地上に戻すと、その部屋の入口には小柄な黒髪色白の女性が佇んでいた。こうしてみると、白い巫女服はシャンデル王国とダンクネス王国両方の文化を取り入れたものに見えてくる。ルーナルーナは、ついつい侍女らしい丁寧な礼を返してしまった。
「はい、大巫女様」
今のルーナルーナの身なりは良いが、元々子どもを牛馬のように働かせることが普通の辺境の村の出身だ。後宮に入ってからは多くのことを頭に叩き込まれたが、あいにく宗教絡みのことは詳しくまで教え込まれていない。そのため、教会における作法も分からなければ、宗教画に関する知識も持っていないのだ。
大巫女は小さく頷くと、天を仰いだ。
「あれは古い古い壁画。誰しもに見えるわけではない」
ルーナルーナは、てっきり自分に学がないから知らないだけだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。大巫女は、目をパチクリさせるルーナルーナを愛しげに見つめた。
「今日は、まだ若い娘の祈祷だからと言われて私が出てくることになったが、そなたとは気が合いそうだな。少し、この世界の創造神話を聞かせてやろう」
昔、この世界には数多の種類の外見をした人間がいた。しかし、次第に黒を愛する者と白を愛する者の二つに分断されてしまう。あまりの激しい争いに多くの血が流れ、それに見かねた女神が世界を二つに分けてしまったのだ。白を愛する者は、夜の世界へ。黒を愛する者は、昼の世界へ。そして双方はそれぞれ国を建国し、栄えていった。だが、これによって引き裂かれた恋人達も多くいた。彼らは、互いの世界を行き来できるように女神に祈りを捧げる。すると女神は世界にキプルの木をもたらし、いつか二つの世界が再び交わっても無用な闘いが起きない状態になれば、世界を一つに纒めることを約束したと言う。
「この壁画は、女神が描いた傑作だと言われている。二つの世界を超えて愛し合うことができた者だけに見えるのだ。私も初めは見えなかった」
少し恥ずかしそうに笑う大巫女は、少女のように見えた。
(愛し合う……もしかして、サニーも私のことを?! それよりも……)
「もしかして、シャンデル王国は元々私のような肌の色の人ばかりだったのですか?」
「その通り。もちろん、白い者とも血を分けているので、今では両方の肌の色が存在するがな。そなたは、まるで我らの始祖のように美しい」
間接的であれ、ここまでルーナルーナの色黒の肌を肯定してくれたのはサニーを覗いては初めてのことだ。瞳が潤む。
「昔、この国に英雄と呼ばれる人物がいた。その者は、こことはもう一つの世界、ダクーという所からやってきたのだ。当時、国内では様々な問題を抱えていたが、全て彼が解決してしまった。この国で白い肌をもてはやすようになったのは、それからのことだな。彼の肌や髪は、透き通るような白さだったから」
大巫女は懐かしむように、天井よりもどこか遠くを見つめる。
「そなたからもキプルの香りがする。我もずっと嗜んでいる。これは老化を抑える効果もあり、ずるずると長生きをしてしまった。でも、きっとまもなく彼に会える」
(もしかして大巫女様は、その英雄に恋を……?)
ルーナルーナの気付きに応えるように、大巫女は大きく頷く。
「かの英雄は、シャンデル王国で名を挙げたにも関わらず、我を置いてダンクネス王国に戻ってしまった。それも、この国の色黒の姫を連れて」
「お二人は愛し合っていたのでは……」
「もちろん。だが、当時の国王は彼に感謝すると同時に、その存在を脅威だと感じていた。そこで、自らの娘を押し付けて国の外へ排除することで、王家の立場を保ったのだ。引き裂かれた我は一人になり、やがて大巫女の地位を得て今日にいたる」
「そんな……」
それは、これまでルーナルーナが読んできたどんな恋物語よりも残酷に感じられた。憂いを帯びた大巫女の瞳の深さの理由が痛い程に伝わってくる。
「もし、この世界が一つであればこんな思いをせずに済んだものを。そう思ったのは一度や二度でない。そなた、名を何と言う?」
「ルーナルーナと申します」
「我の知る限り、私の代であの絵画を見ることができたのは、そなたが十四人目。その中で、肌の色か黒いのはそなたが初めてだ」
大巫女は、ルーナルーナにゆっくりと歩み寄る。そして衣の懐から何かを取り出した。
「ルーナルーナ。老い先の短い我に変わって、このダンクネス王国の秘宝を持っていてはくれぬか。これの半身が、この地のどこかにある。我は長年探し続けているが、見つけられそうにもない。これが一つになる時、そなたの恋も成就することだろう」
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