第21話 侍女の休日

 今日はルーナルーナが休みの日だ。王妃の意向で、侍女達には定期的に休暇が与えられることになっている。ルーナルーナはひそかにこの日を楽しみにしていたので、うっかり早く目覚めてしまったことも気にならなかった。


(まずは本屋さんに行って、それからレイナス様に魔法書をお返ししなくては!)


 ルーナルーナは紺色の質素なワンピースに袖を通し、髪に櫛を通す。忘れ物がないかを確認すると、廊下に誰もいないことを確認してからそそくさと寮室を後にした。





 王都は朝から賑わっていた。露天商は仕事へ向かう者達へ威勢の良い声を張り上げて、朝食や弁当を売っている。ルーナルーナも、後宮の食堂ではめったに食べられない白いパンを買い、そのふんわりとした甘さと柔らかさを楽しみながら石畳の道を歩いていった。


 ルーナルーナ行きつけの本屋は、王城の東にある商業区域にある。小麦色の屋根に白い壁。入口には神話に出てくる大きな翼を広げた女神と二本の蔓草が絡まりあったような紋章のレリーフが施されていて、店主が神殿の敬虔な信者であることを示している。


 店内に入ると、ふわっとインクの香りがルーナルーナを包み込んだ。


「いらっしゃい。あ、ルナか」


 白髪の店主が、店の奥から顔を出した。教会の経典に『肌の黒い人間は迫害して良い』という教えは書かれていない。店主はルーナルーナのことを嫌悪しない貴重な人物の一人で、常連の名前ぐらいは覚えている。


「おはようございます。本を見せていただきますね」

「立ち読みはほどほどにして、ちゃんと買ってってくれよ?」

「もちろんです」


 ルーナルーナは返事をすると、新刊を揃えている戸棚へ足を向けた。端から本の背表紙の文字を追っていくと、すぐに初心者向けの魔導書を一冊だけ見つけることができた。魔導書の流通は少ない。魔法に適正のある者が少ないということもあるが、その知識や力は貴族を中心とする特権階級が独占しがちなのだ。


 ルーナルーナはこの後レイナスへ魔導書を返してしまうため、自身も手元に一冊ぐらい持っておきたいと考えていた。早速ページをパラパラと開いて、簡単に目を通し始める。


(あら、本当に簡単なことしか載っていないのね。これぐらいならば、本がなくても自分でできるわ)


 かれこれ三年にも及ぶレイナスの英才教育は、ルーナルーナが気づかぬうちにかなり高いレベルにまで及んでいる。自己評価の低い彼女が気づかないだけで、とっくの昔に初心者どころか上級魔法使いの域に入っていた。


(自分の魔法書が手に入らなかったのは仕方ないわ。じゃぁ、せめてレイナス様にお借りした魔導書のことを忘れないように、時々訓練しないとね)


 その後もルーナルーナの本漁りは続く。恋愛小説を好む彼女は、数冊を選ぶと店主の元へ向かった。本は高い。これで彼女の月給の半分は無くなってしまうのだが、これだけが生き甲斐なのだから仕方がない。


「まいどあり! また来てくれよ」


 店主は、小動物のような愛らしい仕草でお辞儀する常連に目を細めた。


 白がここまで高貴で神聖な色として崇められるようになったのはここ百数十年程のことだ。その頃、国の危機を救った英雄が白を纏っていた故の流行が未だに続いているだけで、以前はルーナルーナ程でなくても肌が浅黒い者はたくさんいた。いつの間にか白に相対する色、黒が迫害の対象となり今日に至るわけだが、店主からすれば馬鹿馬鹿しいの一言でしかない。今は、そういった者がほとんど家から出てこなくなり、上流階級では肌の黒い人間が生まれると殺されるとも言われている。


(見た目が白くても、行いが真っ黒だな)


 店主は、胸元に手を当てると、ルーナルーナの行く末に幸多からんことを女神へ祈るのだった。






 ルーナルーナは、レイナスから指示されていた店へ向かっていた。貴族街に近い、大通りから一本逸れた道に入ると、そこは隠れ家的な可愛らしい店が所狭しと並んでいる。ルーナルーナは、通り沿いに並ぶ雑貨屋の品々に目を輝かせながら、青い屋根の店を探した。


 レイナスはいつも、魔導書の返却の場を城外に設定する。たいていルーナルーナが好みそうなお洒落な店で、ティータイムを共にしながら魔法の上達具合を確認するのだ。


 ステンドグラスがはめ込まれた白い扉を開けると、ドアベルが大きな音を鳴らす。それに驚きながら店に入ったルーナルーナは、すぐに出迎えてくれた店員に名を告げた。


「お連れ様はこちらでございます」


 狭い廊下を進んでいく。そして個室に入っていくと。


「キュリーさん……」

「遅かったわね。私を待たせるなんてどういうつもりかしら?」


 キュリーは数日見ないうちに、すっかり様子が変わってしまった。悪い変化ではない。腹に何かを抱えているかのようなしかめっ面はなくなり、憑き物が落ちてどこか吹っ切れたかのような。水色のドレスがよく似合っている。


「申し訳ございません」

「まぁ、いいわ。席を同じくするのがレイナス様でないのは不服ですけれど、そこに座りなさい。あなたへ朗報があるのよ」


 ルーナルーナは、キュリーの笑みが深まったのを見て、胃がキリキリと痛みそうだった。


 ギュリーは今、レイナスの屋敷に身を寄せている。その理由を王妃から知らされることはなかったが、彼女が美しい貴族令嬢だからレイナスの目に留まったのだとルーナルーナは思い込んでいた。


「レイナス様はもうあなたと会わないわ。あのお方にご用があるのならば、あなたの友人である私が聞いてさしあげます。宰相ともあろうお方と二人で会うなんて、平民のあなたには荷が重いでしょう?」


 キュリーは、さもルーナルーナのことを思っているという顔をするが、ルーナルーナは内心残念でならなかった。せめてもう一度会って、これまで良くしてもらったお礼ぐらいしたかったのだが、それすら許されそうにもない。


(やっぱりレイナス様は、神様のように私から遠いところにいらっしゃるべき方なのだわ。私の身には不相応だったのは分かっていたことなのに、どうしてこんなに悲しいのかしら)


 ルーナルーナにとってレイナスは、本屋の店主と同じく彼女を差別しない数少ない人物。いつもこうして個人的に会うときには彼女をこれでもかというほど肯定してくれた。それがなくなってしまうのは、やはり寂しく感じてしまうのだが、それを顔に出すことはできない。


「ご配慮ありがとうございます」

「いえ、当然のことをしたまでよ。それから、もう一つあるの」


 ルーナルーナは、さっさと魔導書をキュリーへ押し付けて帰りたい気分になっていた。


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