第15話 葛藤

「そうか。シャンデル王国における踊りとは、男女が組になってするものなのだな」


 サニーは、群衆の隙間から見える第一王子とどこぞの令嬢のファーストダンスに気づいて呟いた。


「じゃ、今から覚える。ちょっと待ってて」


 そう言うと、サニーは王子の姿を穴が開く程凝視し始めた。


(え、覚えるって、ダンスを?! 筋の良い貴族の令息でも、厳しい家庭教師について丸一週間はかかるものなのよ?!)


 あまりにも無謀な話に、ルーナルーナはサニーを壁際に引っ張っていこうとするが、サニーの手がそれを優しく引き留める。しばらくすると、音楽が一曲の終わりを迎えた。次の曲からは、一般の招待客も踊ることが許される。サニーは大きく頷いた。


「よし、基本的なパターンならば覚えた。あの程度ならば、我が国の茶会の作法に比べると遊びのようなものだな」


 周囲の着飾った貴族達が、次の曲に備えてパートナーへダンスの申込みを始める。サニーはそれを見ると、ルーナルーナの前で膝をつき、その細い手を取った。


「ルーナルーナ、私のファーストダンスの相手になってくれないか」


 サニーは、下の方からルーナルーナの黒曜石のような瞳を真っ直ぐに捉える。その真剣すぎる眼差しに、ルーナルーナは見事にハートを射抜かれた。


(サニーが『私』っていうなんて、どうしちゃったのかしら。それなら私も)


「えぇ、よろしくてよ?」


 茶目っ気たっぷりの返事に気を良くしたサニーは、ここぞとばかりにルーナルーナの指先へキスをする。再び周りからは悲鳴が上がるが、この時にはもう二人の世界ができあがっていた。


「踊ろう」


 サニーが立ち上がると、タイミングを見計らったかのように次のワルツが流れ始める。

 ダンクネス王国第一王子サニウェルの正真正銘ファーストダンスが、ここに始まる。


「サニー、本当にこの短期間で覚えたのね」


 ダンスが始まってすぐ、ルーナルーナが驚いたのはサニーの軽やかな足運びだった。ルーナルーナは、王妃が新たな曲のダンスを覚えようとする度に、練習相手として男性役を任じられていたので、実は男女どちらのダンスも得意である。そんな彼女でも、これが初めてとは思えない身のこなしをサニーはして見せるのだった。ダンスは、リズム感や運動神経は元より、相手と歩調や息遣いを合わせる心配りが大切。まるで熟練のダンサーと踊っているかのような錯覚を起こしながらも、ルーナルーナは艶やかに舞う蝶になるのだった。


「サニー、本当にあなたはすごいわ」

「ルーナルーナのためだったら、これぐらい簡単だよ」

「もう一曲踊ってみない?」

「そうだね」


 そう言って、二人が次の曲の旋律に身を委ねようとした時だ。


「そこの者。ここは貴族でもない貴様らが踊って良い場所ではない。失せろ」


 突然声をかけてきたのは、白と金で統一された豪華な衣装のまだ年若い男。胸にある勲章は数が多い。この場で剣を所持しているということは、王族を警護する近衛兵か側近に他ならなかった。すぐに状況を理解したルーナルーナは、半ば強引にサニーの服の裾を引っ張る。


「行きましょう。元々私は、隣の独身向けのホールで踊る予定だったのを思い出したわ」


 実際は、どの身分の者がどこで踊るなどといった明確な決まりはない。あるとすれば、出会いを求める者は王族が揃っているメインのホールではなく、隣接した若干築年数が新しいホールを選ぶということぐらいだ。


 ルーナルーナは下を向いたまま、サニーと連れ立って隣のホールへ向かった。しかし、中に入る気持ちにはなれず、2階へあがる階段を目指す。幅の広い赤絨毯の階段を上り詰めると、そこには月影に照らし出された真っ白なバルコニーがあった。まだ夜会が始まってすぐだからか、先客はいない。


「ルーナルーナ、気を落とさないで」

「大丈夫よ。いつものことだもの。今日はこんなにおめかしして、隣にはサニーがいて、ちょっと舞い上がっていたの。よく考えると、いろいろ上手くいきすぎていたわ」

「ルーナルーナ」


 ルーナルーナは、バルコニーの縁に持たれながら、サニーを見上げた。サニーの髪は、夜の闇を受けて、青みがかった銀色に見える。


「サニー」

「なぁに?」

「今夜は本当にありがとう。たぶん私、一生分の幸運を使い切ってしまったと思うわ」

「え?」

「あなたとの約束は、夜会にエスコートしてもらうところまでだった。それなのに、ドレスをいただいたばかりか、ダンスの相手までしてもらった」

「当然だよ」


 ルーナルーナは、おもむろにサニーへ向き直り、しっかりと視線を合わせる。


「改めてお礼を言うわ。どうもありがとう。あなたはきっと、大商人の息子か貴族の方なのでしょう? 私、ちゃんと分かっているの。今回は、たまたまあなたのご慈悲をいただくことができだけだってこと」


 サニーは、ルーナルーナのような平民にも対等に接するばかりか、花のように愛でてくれる。ルーナルーナは、これが当たり前だと思う程、頭は悪くない。会う度に、視線を重ねる度に、そして身を引き寄せられる度に募る、この感情の名を知っていようとも、あまりに恐れ多くて勢いに任せることはできなかった。


 ルーナルーナは身の程をわきまえた女だ。このままずるずると追い縋って、遠からず酷い別れ方をするのであれば、素敵な思い出ができたこのタイミングで身を引くのが無難。もちろん、別れはサニーから切り出されるのではなく、自身でその瞬間を作り出す。どうせ離れてしまうのならば、もう会えなくなってしまうのならば、せめて綺麗な存在としてサニーの前から消えたいと望んでいた。


 己の気持ちに背く言葉を紡ぐのは、辛い。だが、今のルーナルーナにとって、これしか方法が思いつかなかった。


「だからサニー、私……」


 次の言葉は続かなかった。


「ん……」

「お願い、もう一回」


 サニーがルーナルーナの唇に自らのものを合わせる。ルーナルーナは、あまりの気持ちの良さと生まれて初めての刺激に、意識を飛ばしそうになっていた。サニーの温かな腕と、脳を溶かすような甘い匂いが、ルーナルーナを包み込む。


「ルーナルーナ、俺は君のことが……」


 その刹那、サニーの瞼はすっと閉じられた。


(サニー……)


 サニーは消えた。

 次の約束もしないまま。

 互いの気持ちも伝えないままに。



 ルーナルーナは誰もいないバルコニーで、しばらく一人ぽつねんと立ち尽くしていた。


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