第12話 奔走する王子と侍女

 そして、夜会を当日に控えた日の午前一時。王子としての最低限の義務である書類決済を行っていたサニーの元に、メテオからの念話が届いた。


『サニー、教会の西口へ今すぐ来てくれ!』


 屋敷の窓から飛び出したサニーは、足裏から魔法で圧縮噴気を放ち、空気を切り裂くような速さで目的地へ向かった。


 三分後。


「メテオ!」


 サニーを待っていたのは全身に疲労を滲ませたメテオ。それでなくても細身の彼は、そのままポキリと折れてしまいそうに見えた。


「詳しい話は後だ! あちらの階段を登れは、教会の中二階に着く。その後は、廊下をまっすぐ東へ向かうと、最上階へ向かう魔導梯子があるから、それで大巫女のところへ向かってくれ!」


 サニーは聞きたいことばかりだったが、夜会まで残された時間は後僅かである。大巫女に会って何の情報も得られない可能性も高いが、一縷の望みに賭けるしかなかった。


「恩に着る!」


 サニーは、先程以上の速度で教会の入口へ突入して行った。







 大巫女がいると思しき場所は、ダンクネス王国では珍しいほどに煌々と灯りが照らし出されている。さらに、サニーが好むタイプの香が焚きしめられていた。至るところにある黒く細長い香の先端からは紫煙が薄く棚引いており、幻想的な景色ですらある。


「こちらぞ」


 サニーは声のした方を振り向いた。遠くには赤い御簾が降りていて、それを持ち上げるようにして華奢な人影が這い出てきた。床に届く程長い黒髪に黒い衣。ただ、その肌は雪のように白かった。


「大巫女」

「いかにも」


 サニーはその場に座り込むと、ダンクネス王国における最敬礼をとった。胡座をかいて両の手指を身体の前に揃え、叩頭する形式である。


「面を上げよ。急いでおるのであろう?」


 サニーはすぐには頭を上げなかった。しばらく、思考の海に深く沈み込む。そして大巫女に向き直った時には、まるで対等であるかのような風体で堂々としていたのである。

 それを見た大巫女は、微かに笑みを浮かべると、自らの懐から一本の小枝を取り出した。


「大体のことは、そなたの配下から聞いておる」


 大巫女は、小枝についた紫の実を指先で弾いた。実はころころと転がって、サニーの足元にまでやってくる。


「キプルの実」


 大巫女は鷹揚に頷いて肯定する。年齢が推し量れない程、作り物めいた動きであった。


「聖樹であるキプルは、この世界と対にあるもう一つの世界へ赴く切符。ひとまずは、百粒を体内に取り込み、己の欲望を強くもつことだ。さすれば、向かうべき所へ行くことができる。少なくとも我はそう信じている」


 サニーは目を見開いて、キプルの実を手に取った。大巫女の言葉が真実かどうかは分からない。だが、その空間に漂う香がキプルの実に由来すると気づいた瞬間、体の奥底から熱いものが滾るのを感じた。


「御免」


 すぐに駆け出そうとするサニーを、大巫女の言葉が追いかけた。


「後は、決して眠らぬことじゃ。眠ったが最後、こちらに戻るのだからな」


 サニーは、素早く頷く。


「シャンデル王国を楽しんでくるが良い」


(え? 大巫女は、向こうの国名まで知っているのか)


 サニーは若干疑問を抱いたが、すぐにその場を辞した。疾風の如く。










 サニーがメテオとアレスの協力を仰いで必死にキプルの実を掻き集め、レアがルーナルーナのドレスの最終仕上げのために奔走していた頃。ルーナルーナは、夜会に参加するミルキーナ王妃の支度に明け暮れていた。


 というのも、コメットは自身の夜会準備があると早くに実家へ帰ってしまい、キュリーは王妃のお遣いで王宮内を走り回っている。王妃付きの侍女はこれら三人の他にも大勢いるのだが、ミルキーナが進んで自らの近くに置きたがるのがルーナルーナのため、必然的に忙しくなるのだ。


 当然ルーナルーナは夜会という大イベントで失敗など許されるはずもなく、いつもであれば鬼のような形相でミルキーナを磨き上げ、飾り立てるのに余念がない。だが今回はどうしても気にかかることがあり、今もふと窓の外を眺めて小さくため息をついていた。


 理由はいくつかある。

 コメットとキュリーがルーナルーナの寮室を突撃して以降、サニーの訪れは一度も無いのだ。ルーナルーナ自身も、ダンクネス王国に行けた試しがない。もう、サニーが自分に愛想を尽かしてしまったのではないかとしか考えられなくなっていた。


 ルーナルーナは気づいている。自身は二十五歳なのに対して、サニーははっきりとは分からないものの、ずっと若いのだ。ルーナルーナはどちらかと言えば童顔とも言われる部類の顔立ちだが、世間的に言うとオバサンに片脚を突っ込んでいる身の上。サニーに何か思うところがあったとしても、決して責められないものがある。


(サニーならば、私なんかではなく、もっとお似合いの方がたくさんいるもの。とても短かったけれど、一生の思い出にできそうなぐらい素晴らしい夢を見させてくれたことにだけでも感謝しなくっちゃ)


 沈痛な面持ちのルーナルーナ。これまで仕事中は一瞬たりとも気を抜くことがなかった侍女が上の空になる。これには王妃も驚くと同時に、温かな眼差しを送っていた。


「ルナ、ここはもういいわ。あちらの侍女に引き継いだら、あなたは自分の支度にかかりなさい」

「でもミルキーナ様……」

「ルナ、あなたの魅力は私だけが独占して良いものではないわ。あなたは主に忠実で、いつも努力を怠らず、不測の事態に直面しても冷静に対処することができる有能な侍女だわ。そして、とても心優しく、強い女の子であることは知っているのよ」


 突然始まった大絶賛。ルーナルーナは涙が出そうなぐらいに感極まっていた。ミルキーナはいつもルーナルーナのことを高く評価していることに気づいていたが、面と向かって言葉にされたこと初めてである。ルーナルーナは、これ以上ない栄誉に思えた。


「ありがとうございます」

「だからね、私はあなたのことを大切にしてくれる方が現れることを心から願っているわ。きっと今夜もたくさんのチャンスが待っている。しっかりと準備していってらっしゃい。これは王妃としての命令よ?」


 ルーナルーナの頬からは、涙が一滴流れ落ちる。


 その時だ。王妃の居室の窓が突然開け放たれて、強い風が吹き込んた。ルーナルーナは咄嗟に目を閉じて腕で顔を覆う。


「ルーナルーナ」


(この声は……)


 ルーナルーナは信じられない気持ちで顔を上げた。


「お待たせ。迎えに来たよ」

「サニー……」


 サニーは、魔法で浮いていた体を窓から中へ滑り込ませると、一直線にルーナルーナの方駆け寄った。王妃は自分に見向きもしないサニーに目を見張る。


「あら、王子様のご登場ね」


 おっとりと構えた王妃は、優雅に扇子を仰ぐ。ルーナルーナは、サニーから受け取った花束の影で、天にも登る幸せを感じるのだった。


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