第9話 新たな日々の始まり 2
「おはよう、リーンちゃん」
「あ。おはようございます、おば様。今ちょうど出来上がったので用意しますね」
スープがいい具合に煮詰まってきたところでこの『プルダ薬店』の主人である夫婦──ステラとトムが降りてくる。カトリーンは二人に笑顔であいさつすると、すぐにそのスープをよそってテーブルに並べた。
木の器からは白い湯気が上がり、それに合わせて涎が出そうな香りが広がる。
「いつもありがとうね」
「いえ、いいんです。とてもお世話になっていますから」
「朝早くから大変でしょう? たまにはゆっくりしてくれていいのよ」
「大丈夫ですよ」
ステラとトムは心配そうに眉を寄せるけれど、本当に気にすることなどないのだ。起きる時間だって以前より一時間も寝坊して平気だし、ハイランダ帝国の人達は魔法を使えないから様々な知恵を絞った生活の工夫があって、カトリーンが暮らすのにはとても具合がいい。
例えば、井戸には力を入れずに水を汲める滑車がついているし、火種は火種箱がある。カトリーンは心配いらないと明るく二人に笑いかけた。
あの日、目的の宮殿のワイバーンお世話係りの職を断られたカトリーンは町で仕事を探そうとした。けれど、多くの店舗がひしめく様子を見て「すぐに仕事は見つかるだろう」と甘く考えて思っていた彼女の出鼻は見事に挫かれた。
カトリーンの髪は薄い金髪、瞳は淡いピンク色をしている。
故郷のサジャール国では時々見かける色合いなのだけれど、ここハイランダ帝国では異色だった。悪い方向に目立ってしまい、外国人であることを警戒されてなかなか雇ってもらえなかったのだ。
夕方になっても行先が決まらず、これはもう野宿しかないと覚悟し始めたときに声を掛けてくれたのがここプルダ薬店の女主人であるステラだった。
夕闇に包まれる町に佇むカトリーンは、迷子の子供のように心細げで儚く見えたという。まあ、実際心細かったのだけれど。
そして、カトリーンから事情を聞いたステラは、ここで住み込みで働けばよいと申し出てくれたのだ。
「リーンちゃんがこの前調合してくれたお薬、とってもよく効くって評判だったわ」
「本当ですか? よかった!」
カトリーンは、表情を綻ばせる。
元々魔法薬の調合が得意だったカトリーンは、お世話になったこの年配のご夫婦が営んでいるのが薬屋だと知ると、すぐに薬の調合を申し出た。故郷から持ってきた少ない荷物の中に、材料も詰めていたのが功を奏したのだ。
カトリーンは一階の店舗に在庫状況を確認しに行った。古ぼけた木製の棚にいくつも並べられた同じような瓶を順番に覗いて行くと、痛み止めの効力を持つ湿布薬と咳を止める効果がある飲み薬がそろそろなくなりそうだ。
「材料がそろそろなくなりそうなのよね。採りに行かないと」
以前の屋敷では様々な薬草が庭に自生していたので取り放題だったけれど、ここではそういうわけにはいかない。カトリーンは薬屋の店先に立つステラとトムに声を掛ける。
「私、ちょっとお薬に使う薬草を探しに行ってきます」
「一人で大丈夫? 迷子にならないかい?」
「大丈夫です」
心配そうにこちらを見つめるステラに、カトリーンは心配いらないと笑いかける。まだここら辺の地理に詳しくないカトリーンを心配してのことだろうけれど、カトリーンは一人でいかなければならない理由があった。それは──。
「テテ!」
プルダ薬局から三〇分ほど西に歩くと、辺りに建物はなくなり林が広がり始める。カトリーンは周囲を見渡して人影がないことを確認すると、大空に向かって呼び掛けた。
白い雲が所々に浮かぶ青空に黒い点が現れ、その点はみるみる間に大きくなる。そして、あっという間に近づいてきた。
「テテ!」
カトリーンは一週間ぶりに会う友人の首にぎゅっと抱きつくと、優しく手で撫でた。
「変わりなく元気にしていた?」
テテはつぶらな瞳でカトリーンを見返し、「ギャ」っと返事をするように鳴いた。何も問題なさそうだとカトリーンは表情を緩める。
「あのね、薬草を採りに行きたいの。オーギの葉と、マエラダケ。また、連れて行ってくれる?」
問いかけに答えるように、テテはカトリーンが背中に乗りやすいようにしゃがみ込んだ。
「ありがとう!」
カトリーンは笑顔でお礼をいうと、その背によじ登る。
そう。カトリーンが一人で行動しようとした理由はこれだった。
事前に噂では耳にしていたけれど、ハイランダ帝国では馬が移動の主流であり、ワイバーンは殆どいなかった。ここに来ておよそ一ヶ月が経つが、見かけることはほぼなく、見かけたとしてもまれに一匹飛んでいるのを見かけるか、王宮付近の上空に数匹旋回しているのを見るだけ。きっと、軍の幹部が使っているものなのだろうとカトリーンは判断した。
だから、いくら亜種とはいえカトリーンがワイバーンのテテを呼び寄せたりしたら周りの人がびっくりして大騒ぎになってしまうかもしれないと思ったのだ。
「乗れたからいいよ」
声を掛けるとふわりと体が揺れ、地面が遠く離れる。一瞬で遠くなった眼下には林が広がり、今日歩いてきた方向にある小高い丘の頂きにはハイランダ帝国の宮殿が見えた。四角いブロックを積み上げたような形をした宮殿はまるで要塞のようで、祖国のサジャール国のものとは全く違っている。
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