第3章

 大仕事の後、俺は二、三日の休みをもらった。もらったといっても、毎日ギルドに顔を出すことが義務付けられているわけではなく、休むのも自由だ。だから正確にはもらったのではなく、自分で勝手に休んだのだ。

 だけど、一日中家にいても別に何もすることはない。ただ時間を持て余すだけだ。なので、三日ののちに俺はまたギルドに出向くことにした。

 でも、階級レベルがもう今までとは違う。だから草むしりなどすることはない。ただ、階級レベルにあった仕事の依頼が毎日あるわけではなく、そのへんの情報はとにかくギルドに行ってみないと分からない。

 俺は、食事は家でミランダの手料理を食べられる。だから、ギルドの食堂兼居酒屋兼冒険者たちの待合室に立ち寄ることはほとんどなかった。だが、ギルドの入り口から情報掲示板や受け付けの窓口へは、この広間の中を通らないと行かれない。

 久しぶりにギルドに顔を出したこの日、俺が入り口から入ると、広間の人々は俺の姿を見て歓声を挙げた。

「あ! 一言もしゃべらない謎の一匹オオカミさん!」

 あの、薬剤師さんが何気なく俺をそう呼んだ呼び方が、なんだか定着してしまっているようだ。あれはあの薬剤師さんがかわいらしく言うので悪くはないと思ってしまったけれど、兄ちゃんやおっさんに言われてもなあ……でもみんな親しみをこめて言ってくれているのであって悪気がないようだし、笑顔で迎えてくれているのでいいにして、俺も笑顔で応えた。

「よお、こっちこいよ」

「この席、空いているぞ」

 広間のテーブル席を指して、俺を招いてくれる。行ったところで食事をするわけでもなく、ましてやお酒は飲めない。第一、彼らと話をすることは俺にはできないのだ。

「いってらっしゃいな」

 一緒にいたシャルロッテもが言う。

「情報を見て来るから、それまでの間でも」

 確かに情報掲示板は、文字が読めない俺が一緒に行ってもしょうがない。

 ――なるべく早く帰ってきてくださいよ。

 俺は祈る気持ちで、シャルロッテに対してうなずいて見せた。

 俺が広間のテーブルが並ぶあたりに入ると、そこにいた冒険者たちは歓声を挙げた。男が多いが、女性もいる。シャルロッテのような女騎士も少なくはない。

「まあ、飲めよ」

 俺を囲んだ何人かの若い男が、泡の出る茶褐色の飲み物を勧める。でも、こんな得体のしれないものは飲みたくない。

「葡萄酒もあるよ」

 葡萄酒ならなじみだ。だから一杯もらって、口をつけた。だが、自分の知る葡萄酒のように甘くはなく、薄い味のような気がした。

 あ、俺は十七歳だけど、元いた世界でも酒を飲むのに別に年齢的制限はなかったし、ここでもないようだ。

「グリフォンと闘っているときはどんな気持ちだったたんかい? と、言っても、そっか、口がきけないんだったなあ、気の毒に」

 俺はなんとか身振りで話に加わろうとしたが、やっぱ限界がある。

「じゃあ、話してくれる代わりにどんどん飲めや、食えや」

 人々はまだ朝だというのにすっかり出来上がっている。おそらく今日はもう仕事には出ないつもりなんだろう。あるいは、今日は仕事がなかったんだと思う。モンスターの駆除なんて、毎日そうあるものではない。だからといって、今さら草むしりもできないのだろう。

 もしこんな出来上がった状態で急に仕事が来たらその時は……酔拳しかないか(笑)

「飲めや、飲めや」

 俺がしゃべれないものだから会話が成り立たないので、彼らはひたすら俺に飲ませて、あとは俺を放置して互いにいろんな話をして談笑している。いい加減、俺は苦痛を感じ始めた。でも、みんな人懐っこく親切で、つながりを求めて俺のそばに集まっているのだから邪険にはできない。俺は元いた世界での習慣通りに、両手を拳にして片方の手はそれを包み、顔の前で上下に振る拝拝パイパイという動作をした。それが彼らには珍しかったらしく、どっと受けた。

 その時だ。

 バーン! と激しい音がして、テーブルを叩く男がいた。みんなが一斉にそっち方を見る。

「英雄気取りでいるんじゃねえ!」

 どうも俺のことを言っているらしい。だから俺もそっちを見ると、かなり赤い顔になっている俺と同じくらいの若者が一人、テーブルを叩いて立ちあがり、こっちをにらんでいる。

「なんだかある日突然現れて、毎日草むしりやってただけのレベル1がいきなりレベル4だと? 俺らがレベル3になるまでに四年もかかったんだ! 昨日今日来たばかりの新参者に、そんなおいしいところ持ってかれてたまるもんか!」 

「そうだ、そうだ」

 俺に反感を持っていたのはその叫んだ一人ではないようで、それと同じテーブルの四、五人も一緒になって騒いでいる。

「ヨス兄貴の知り合いかなんかしんねえけど、いい気になってんじゃねえ!」

「いきなりレベル4だなんて、そんな階級レベルはインチキ階級レベルだ!」

「おい」

 俺の周りに集まって来ていた人たちも負けてはいない。

「ギルドが正式に認めた階級レベルをインチキ呼ばわりするってのは、ギルドに対する反抗だぞ」

「どうせ、シャーキーのいつものひがみだ!」

 シャーキーというのが、あのテーブルを叩いた男の名前のようだ。赤茶色い髪は短く、ことごとく逆立っている。

「そもそも何だ、その黄色い顔に真っ黒の髪と真っ黒な目は! 本当はエルフやドワーフとはまた別の亜人種なんじゃねえのか?」

 さすがにこれには俺もムッとした。でも、言い返せない。それが余計に怒りをかきたてる。俺はそのシャーキーという男のいるテーブルまでつかつかと歩み寄ると、テーブルの上にあった茶色い泡の出る酒のグラスを持ち上げ、一気に飲み干した。

 飲んでいるうちにまた怒りがこみ上げてきて、その隣にあったもう一つのグラスをも持ち上げると、今度はその中の酒を思いきりシャーキーにぶちまけた。

「てめえ! 何しやがる!」

 シャーキーをはじめその仲間が一斉に俺につかみかかろうとしたので、俺の周りで盛り上がっていた連中もすぐに俺を守るように乱闘に加わった。

「そこまで!」

 俺らとシャーキーらがもつれ合っているところに、一本の槍がずーっと伸びてきた。ちょうど二つの勢力を引き裂くような感じで、文字通りに「横槍」が入ったのだ。

 見ると、シャルロッテが怖い顔で、争っていた双方をにらみつけている。

「ここはけんかする場所ではない! けんかするんなら冒険者らしく、ダンジョンにでも行ってモンスター相手にけんかして来い!」

 シャーキーは腹いせのつもりかテーブルの上のグラスを思いきり床にたたきつけて割ると、仲間を連れてギルドから出ていった。


 この日はもう帰ろうということになって、シャルロッテと俺はとぼとぼと家に向かって歩いた。家までシャルロッテが送ってくれるらしい。でも、まだ腹の中は煮えくりかえっていたので、ももとも無言の俺だけどこの時は心の声までも無言で、顔を上気させてい歩いていた。

「よくぞ剣を抜いたりしなかったわね」

 少し感心したようにシャルロッテは言った。俺も、そんな気は毛頭なかった。この剣は人を殺すためのものではないことは、重々承知だ。

「亜人種を含めて人間同士で殺し合いなんかしたら、たちまち冒険者の資格剥奪はくだつよ」

 危ない、危ない。それでも、まだ不快な心は続いていた。

「ところで仕事のことだけど、さっきダンジョンでモンスターとけんかしなって言ったのは、実際そういう依頼が来ているからなのよ」

 モンスター相手にけんかか、それも悪くないな。それにしても……、

 ――ダンジョンって何だあ? 

 俺が首をかしげたので、シャルロッテは少し笑った。

「ドワーフたちが地下の鉱脈を探し当てるために城壁のすぐ外で大掛かりな穴を掘っているんだけど、その穴も長いこと掘り継がれているうちにいくつもの階層ができてね。それをダンジョンっていうの。なにしろまるで地下迷宮のようになってしまっているから、それがいつの間にかモンスターたちの住処すみかになってね、ドワーフたちの仕事にも支障をきたしているってわけ」

 なるほど、モンスターがいたら仕事にならないだろう。

「けっこうモンスター駆除の依頼がギルドに来るのよ。ちょうどレベル4で受けられるモンスター駆除の依頼があったわ」

 俺は大きくうなずいて見せた。ぜひやりたいという意思表示だ。

「ただ、ダンジョンでのモンスター駆除は単独では無理。ふつうは冒険者が四、五人くらいでパーティーを組んでいくのね」

 つまりは、その面子メンツがそろわないと出発できないってことだな。俺とシャルロッテですでに二人、あと三人だが、俺はまだこの世界であまり面識のある人、ましてやレベル4以上の冒険者などつながりは全くない。俺はシャルロッテに手刀を切った。

 ――シャルロッテ、お願いします……そんな感じだ。


 それからというのも、またシャルロッテ相手に剣と槍で腕を磨くための特訓の毎日だった。むしゃくしゃする気持ちを発散するにはちょうど良かった。

 もう俺がこの世界に来てからどれくらいたったのか……分からない。ついこの間来たようでもあるし、もう何年のいるような気もする。もっともこの世界と俺が元いた世界では、時間の流れの概念が違うような気がする。体で感じる一日の長さが半分くらいのような気がすることは前にも言った。それだけでなく、何日たったのかもよく分からない。

 あのグリフォンと闘った日以外は同じことの繰り返しの単調な毎日だし、だいいちこの世界には俺がいた世界のような暦というものがないようだ。

 それと、いつまでたっても季節が変わらない。ずっと春のいい陽気の季節が続いている。俺のいた世界でもこのくらいの期間ならそうはっきりと季節の移り変わりを感じないかもしれないけれど、ここにいるといつまでもずっとこのままの季節だっていう感覚になってしまうのだ。

 そして、ダンジョンに出発する日は突然にやってきた。

 家にいたところ、シャルロッテが冒険者を三人ばかり連れてきた。ひとりはちょっと太ったアルヴィンと名乗る男、もう一人は対照的な細身の男のブラム、そしてもう一人は女、日焼けした肌にショートヘアのいかにも戦闘向けって感じで、名前はカルラといった。全員がレベル4とのことだった。それよりも気になったのは、カルラのかなり肌の露出度の高い服からはみ出さんばかりの巨大な胸であった。

 その日は俺の部屋で簡単な自己紹介をした。初対面にもかかわらず時々笑い声が上がるなど和気あいあいとした雰囲気で、みんないい人でよかったと俺は思っていた。その翌日、このメンバーのパーティーで、装備した上でダンジョンへと向かうことになった。

 だが、その入り口に着く直前に、もう一人仲間が加わることになった。

 俺の姿を見て、走り寄って来る女の子――幼女キターーー!――と、思わず叫んでしまいそうになるような子供が俺らの行く手をさえぎった。

「一匹狼のお兄ちゃんだね。おらも連れてってけろ」

 俺は思わずシャルロッテと目を合わせた。いきなりこんなこと言われても、困ってしまう。

「おら、フロリーナ。ここからいちばん近い村の娘だ」

 とにかく事情を聞くしかない。

「なんで、一緒に行きたいのかな?」

 俺の代わりにシャルロッテが相手をしてくれていた。

「兄さんがかっこいいから」

 聞くと、あのギルドで働いている娘で、この間の昇級式で俺を見たのだという。

「あのね、お嬢ちゃん。ボクたちこれから怖い所へ行くんだよ、モンスターを退治に行くんだ」

「知ってる。だから連れてってほしい」

「子供の行く所じゃないの」

 フロリーナは、キッとシャルロッテをにらんだ。

「おら、もう十五歳」

 ――え?

 子供だと思っていたけれど、俺よりほんのちょっと若いだけなの……? シャルロッテも驚いた表情を見せていた。

「でもね、モンスター退治のパーティーに入るには、資格がいるのよ。階級レベルがいるの」

「一緒に行くっていっても、闘うわけじゃねえ。荷物持ちでも何でもいいから」

 俺はシャルロッテの肩に手をおいて、彼女が俺を見てから俺は何度かうなずいて見せた。

 同行を許すって合図で、シャルロッテはすぐに分かった。そこでOKの旨をフロリーナに伝えると、フロリーナは飛び上がって喜んでいた。

 名前だけ聞くと妙齢の髪が長くてきれいな女性を連想しがちだが、目の前のフロリーナはまるで山猿といった感じだ。顔は日焼けしたカルラよりもさらに輪をかけてまっ茶色で、耳が尖っている。髪は銀色だ。エルフのようだが、ミランダのような美形とは程遠かった。

 そんなフロリーナはそれこそ山猿のようにせわしくな飛び跳ねて、あという間に俺らの荷物を一つにまとめて、風呂敷に入れて背中に担いだ。

「この子、ダークエルフね」

 俺だけに聞こえるような小声で、シャルロッテは言った。こうして一人増えたパーティーは、すぐにダンジョンの入り口に達した。


 そこは、歩いてもすぐの場所にあった。

 入り口はあまり目立たない土を盛った塚のような所だった。そこに数人の小人――顔面のほとんどが髭に覆われたドワーフたちがいた。今回の仕事の依頼主たちだ。

「よろしく頼みます」

 ドワーフたちは口数少ない。

「このダンジョンはもともと鉱物資源採掘の穴でしたが、いつの間にかモンスターが住み着いて、今ではもう鉱物採集は不可能となって放置されとります。もし、モンスターがいなくなれば、まだ十分に採掘場として使える穴なんです」

 ドワーフたちの説明は、それだけだった。

 ダンジョンの入り口には、ギルドの係員がいた。冒険者でないものが勝手にダンジョンに入らないよう監視しているとのことだ。とにかくダンジョンの入り口はここだけで他の入り口はないから、ここをしっかり警備しておけば無断侵入は不可能になるとシャルロッテは言った。

 我われはギルドカードを見せるとともに、シャルロッテがギルドからの依頼状を示した。フロリーナに関しては、ただの荷物持ちであることを告げた。

 一歩入ると、空気がひんやりとしていた。すぐに下りの階段が始まる。幅は結構ある。アルヴィンとブラムの男二人が松明たいまつを持って、真っ暗な階段を照らしながら進む。いつ、どこから何が飛び出してくるか分からない闇だ。シャルロッテは槍を構え、俺はいつでも剣を背中から抜けるよう意識を集中させていた。アルヴィンとブラムは背中に矢を背覆っており、カルラに至ってはなんら武器を持っているような様子はなかった。まさかいざという時は素手で戦うのかと不審に思ったが、俺は尋ねることができない。もしかしたら俺が元いた世界の少林拳のような拳法の使い手なのだろうか?

 そんなことを考えながらも確かめるすべもなく、とにかく二つの松明の後について進むしかなかった。

 やがてやっと平らな道となり、道幅も広くなってきた。松明に照らされているのは、洞窟の天井も高いかなり広い空間だ。だいたいこういうところでモンスターが出ると、普通は相場が決まっている。

 俺は立ち止まって周りを見渡した。もうかなり目も暗さに慣れていた。こんな時、たくさんの赤く光る眼がこっちを見ていて、それに気付かないでいると一斉にモンスターは襲いかかってくるものだ。だが、全く何の気配もなかった。

「行きましょう」

 シャルロッテに促され、仕方なく俺は歩きだした。再びいかにも鉱物採集の現場というような感じの狭くて天井の低い洞穴の中の道となった。

 あの入り口は、俺らが住む家からはそんなに遠くはない所だった。だから、このダンジョンの中も家から遠い場所ではないはず。でも、まるでここは別世界のように遠く感じる……って、俺にとっては住んでいる家も城壁に囲まれた町も、すべてが別世界なんだけど……。ま、「近くて遠きはダンジョンの中」ともいうし……あれ? ちょっと違ったかな?

 その時、今度は確実に何かの気配がした。何かが我われめがけて飛んでくる。俺は思わずヒヤッとした。そんなに大きくはないが、我われにぶつかる直前に回避して後ろに飛び去る。今のところ攻撃を仕掛けてくるとか、危害を加えてくることはなさそうだが、こんなに多数の生きものが群れとなってこっちへ飛んでくると、ついに来たかと立ち止まって思わず剣を抜いてしまう。

 だが、シャルロッテは槍を構えるでもなく、松明を持つ二人も普通に歩いて行っている。すぐにシャルロッテが立ち止まっている俺の方を振り向いて、そして笑った。

「これ、ただの蝙蝠こうもりだよ。行くよ」

 さすがに慣れていていると、蝙蝠かモンスターかはすぐに分かるようだ。

 気を取り直してまた歩き始める。

 しばらく行くと、また下りの坂となった。今度は階段などという気の利いたものではない。狭い洞窟の中を下り坂は続き、やがてまた広い空間に出て道は平らとなった。一つ下の階層に来たらしい。

 俺は不思議なことに気がついた。ここも確かに暗い、暗いことは同じだが、この上の階層よりもほんの少しだが明るく感じるのだ。下に行けばいくほど暗いはずなのに変だなと思ったけれど、これも声に出して尋ねるわけにもいかない。

 そしてしばらく行くと……

 今度はまぎれもなく大きな物体が、こっちへ飛びかかってくる。すばしっこい。

 すぐにシャルロッテも槍を構え、その物体を突きさしている。先頭を行くアルヴィンとブラムも松明を地面近くの岩に固定させ、反対の手に持った弓に矢をつがえて黒い物体を射た。俺ももちろん剣を抜いた。でも、周りはすっかり取り囲まれているようだ。それが我われの包囲網を縮めてくると、松明にその姿が映し出された。

 ウルフだった。ウェアウルフなんていう亜人ではなく、正真正銘モンスターのウルフだ。

 また一匹、飛びかかってきた。俺はすかさず剣で払い、瞬間に消滅したウルフから石が落ちる。その意をを素早く回収するのも、あらかじめ取り決めたフロリーナの仕事だ。周りから赤い目だけを暗闇に浮かびあがらせてこっちの様子を窺うなんてお約束を無視して、どうしていきなりとびかかってくるんだ……なんて思いながらも次から次へと飛びかかってくるウルフを剣で払う。シャルロッテも槍で突きまくり、アルヴィンとブラムの矢もどんどんウルフに当たって行く。

 だが、カルラだけは構えているだけで、何もしない。そんなカルラをシャルロッテやほかのメンバーが叱ったりは全くしていない。俺はよく分からなかった。

 襲ってくるウルフは全くいなくなり、物音はというとフロリーナが消えたウルフの体内から出てきた石を拾い集める音だけだった。

「少し休もうか」

 シャルロッテがそう言うと、みんな賛成で、思い思いの所に腰を下ろした。

「まだまだ先は長いですね、姉さん」

 カルラはシャルロッテのことをそのように呼ぶ。姉さんと呼んだからとて、妹だというわけではないようだ。単なる年上の女性への尊称らしい。

「ああ、本格的なモンスターはこんなものじゃないからね」

 そう言っただけで、やはりシャルロッテは先ほどカルラが何もしなかったことをとがめはしないし、話題にして触れるようなこともしない。確かに本格的なモンスターがこんなものじゃないことは、かつてのグリフォンとの戦闘を考えれば俺にも嫌というほど分かる。

 休みながら、俺は洞窟を見渡した。鉱物採集場だったというならば、これらは皆人工的に掘られた穴のはずだ。この長くて巨大なダンジョンを掘り上げたドワーフたちの力というのも、侮れないかもしれない。どうやらこの階層には今のウルフたちしかいそうもないので、俺たちはさらに進み、また下の階層に下る坂道に差しかかった。

 またその坂道を下る。今度はやけに長い。どこまで下るのかと思うほど、どんどん坂道は下へ、下へと続く。

 かなり歩いてから、俺は異変に気がついた。その異変は俺だけが気づくようなものではないはずだが、ほかの誰もがそれを不思議に思っている様子はなかった。

「そろそろ松明もいらねっか」

 松明を持つ太いアルヴィンが、同じく松明を持つ細いブラムに話しかけたりしている。

「んだな」

 ブラムも、なんとも気の抜けた返事をする。確かに俺らが進む坂道の下からはまばゆい光がさしており、もう松明なしでも歩ける。やがて、視界が開けた。俺は驚きに目をむいた。ここは確かに地下のはずだ。それなのに広々とした空間に緑の森が広がり、遠くに湖まで見える。

 さらに驚くべきことに洞窟の天井の部分は紛れもなく空であり、その空全体がぼーっと光って太陽代わりの照明となっている。俺らが下ってきた坂はその新しい世界の山の頂上につながり、そのまま山を降りる形となった。

 平らな地面に着くと、そこは鬱蒼うっそうと木々が茂る森の中の道だった。暗い森の中なんて表現があるけど、この上の階層の闇の中に比べたら暗いなどとは絶対に言えない。でも、この木々と草むらなのだから、暗くはなくてもどこにモンスターが潜んでいるか分からない。

 案の定、だいぶ歩いてから向こうの茂みが揺れる音がした。俺らは全員が一斉に武器を構えた。荷物持ちのフロリーナ以外は、ということになるが、実際にはカルラも例によって除かれる。

 だが、姿を現したのは人間だった。明らかに武器を持つ冒険者の一行。でも、ほっとしている場合ではない。このダンジョンの中に俺ら以外の人間が、しかも冒険者がいるということ自体がおかしな話なのだ。

「何者かっ!」

 シャルロッテが一同を代表して叫ぶ。本当なら俺がそうしなければならないところだけど、そうはいかない。

「ん? クンラート?」

 相手が名乗る前にその顔を見て、シャルロッテはいぶかしげに首をかしげた。

「シャルロッテ、久しぶりだな。変わりはないかね」

 出くわした男ばかり四人のパーティーのチーフらしき男――クンラートの言葉自体は友好的だが、その言い方はいかにも見下したような威圧的な口ぶりだった。

「なぜ、ここにいる? このダンジョンの入り口は我われのギルドの関係者が警備していたはずだ。おまえらのようなよそのギルドのパーティーが入れるはずはない!」

 ――そっか、こいつらは、別のギルドの冒険者たちなのか……そうだとすると、今シャルロッテが言ったように、たしかにここにいるのはおかしい。まさかこのダンジョンに、あそこ以外の別の入り口があるのか……? あり得ない。ここを通らないと入れないと、シャルロッテは言っていた。

「いったい何が目的で……鉱物資源かっ!」

「いやいや、失敬だな。俺らは君らの護衛のつもりなんだがね」

「そんなもの、頼んだ覚えはない」

 クンラートは、うすら笑いさえ浮かべている。

「そうかね? きちんと報酬付きで頼まれたのだが」

 そのとき、クンラートの後ろからひょっこりと顔を出したのは……まぎれもなくあの俺を目のかたきにしていたあのシャーキー、つまり俺のここ数日のイライラと不快感の発信源。

 ――貴様ッ! 

 俺は思わずそう叫びそうになるのを必死で抑えていた。

 クンラートを手引きして、入り口の検問をもクリアさせてこのダンジョンに招き入れたのはシャーキーだったのだ。シャーキーがあの係員をもなんとかうまくまるめこんだのだろう。シャーキーならやりかねない。

「おまえ、よそのギルドの人を招き入れるなんて、なんでこんなことを!」

 シャルロッテが怒鳴っても、シャーキーは笑っている。もちろんやつの目的は、俺には分かっていた。

 怒りがまたムラムラとわきあがる。そこまでして俺に嫌がらせをするのかと、その神経を疑いたくもなる。だから、背中の剣を抜くのをとにかく自分で必死に抑えこんでいた。

 俺が駆除すべきモンスターを、このよそのギルドの人たちに先に駆除してしまってもらおうという魂胆だろう。たしかにそれは、ほかのギルドの冒険者でないとだめだ。シャーキーがそれをやっても同じギルドの所属だから、我われのギルドの功績になる。それでは俺への嫌がらせにならない。

「おまえってやつは!」

 アルヴィンも顔を真っ赤にしてシャーキーをにらんでいる。温厚なブラムも、この時ばかりは怒りで肩で息をしていたし、カルラもまた同様だった。

「おやおや、仲間割れですか? あなた方のギルドは、どうも一枚岩ではないようですね」

 皮肉たっぷりにクンラートが言うので、余計に怒りがこみ上げてくる。さらにクンラートは、腰のあたりで何かを操作するような指の動きをしていた

 その時、シャーキーは短剣を出した。

 ――まさか…

 いくらなんでもシャーキーがそこまで考えているとは思いたくなかった。だが、隣でシャルロッテも顔をひきつらせて息を呑み、アルヴィンたちも唖然とした顔をしていた。

「おい、シャーキー。やめろ!」

 アルヴィンが叫んでも、シャーキーはニタニタ笑っている。でも、笑っているだけで、その短剣を我々に向けようとはしない。やつがその武器を我われに向けた途端に、俺も剣を背中から抜く大義名分はできる。だが、やつがその短剣を持つ手をだらりと下におろしている以上、我われも武器をやつに向けることはできない。あとあと面倒な問題になる。

 やつは俺らを殺そうとはしていないのか……たしかに、容易に人が立ち入ることができないこのダンジョンで俺らを殺せば完全犯罪は成立するだろう。でも、ならばなぜわざわざ他ギルドのクンラートを招き入れたりしたのか……。その必要はないし、逆にクンラートが後で言いふらさないとも限らないからかえって不利になるはずだ。

 では、やつは我われを殺そうとはしていない……ならなぜ、短剣を抜いたのか……。

 疑問は果てしなくループする。

 その時、我われの後ろでわけが分からないという顔をしていたフロリーナが急に荷物を放り出して、両手を前に突き出した。シャーキーをも含む我われを守るように、パーッと丸い魔法陣が広がった。そしてそれが楯となって、何か細長い物の攻撃をはねのけた。

 瞬時の出来事だった。フロリーナは防御魔法が使えるらしい。ダークエルフとはいえ、やはりエルフなのだ。そしてようやく、前方の木々の間の繁みが激しくガサついて、攻撃の主が姿を現した。

 それは巨大なクモだった。人間の背丈の倍くらいはありそうだ。口からどんどん糸をはいて襲ってくる。普通の虫の蜘蛛は尻の先から糸を出すのだが、この巨大クモは口から糸を吹き付ける。そのたびにフロリーナの魔法陣で守られているが、それにも限界があろう。なぜなら、その奥の後ろにまた別の巨大クモ、さらにもう一匹と、四匹の巨大クモがじわじわと我われとの間合いを詰めているからだ。

 俺は剣を抜いた。シャルロッテが槍を構えたのも同時だ。アルヴィンとブラムも矢をつがえた。まずアルヴィンの矢が放たれ、巨大クモの額に命中。でも、それはほんの少しの血を噴いただけだった。クモには少しは痛いようで悲鳴にも似た鳴き声をあげたが、致命傷にはならないようだった。

 そして二人によって次々に矢が射こまれ、それらはクモに突き刺さりはするが、クモは動きが鈍くなるどころか逆に逆上して余計に大量の糸を我われに噴きつける。気がつけば、あたりはクモの糸だらけだった。やけにねばねばする。

 シャルロッテが槍を手に駆けだす。俺も剣を振り回して突進する。

 でも、四匹のクモの口からの糸を交わしながらなので思うように進めないし、ついには均衡バランスを崩して俺は地面に転がった。そこへ一匹のクモがのしかかってこようとするけど、すぐにその脇腹をシャルロッテの槍が突いてくれた。

 クモの血が噴き出る。でも、クモは死なない。体勢を立て直した俺も、思い切り剣でクモに斬りつける。その時もクモは血を噴き出すが、死なない。これは首を切り落とすしかないようだが、クモの糸攻撃をかわしながらもその首を掻き切るというのは至難の技だ。

 シャーキーはここで、じわじわとクンラートのそばに寄ろうとしていた。

 その時俺、不思議な現象に気がついた。

 四匹のクモは次々に我われを襲ってくるし、さらに繁みの中からは大量のクモが次々に現れてきりがなかった。でも、それらのクモの攻撃対象は我われだけであって、同じ場所に居合わせているクンラートとその仲間はガン無視だ。しかも、彼らとて武器を構えて巨大クモと闘おうなどとは全くしておらず、平然と巨大クモが我われを襲うのを見ているだけだ。かなりの至近距離にもかかわらず。

 クンラートは結界を張ったのだろうかとも思うが、そういうわけでもなさそうだ。シャーキーが難なくクンラートの隣に立ったからだ。

 でも次の瞬間、クンラートはシャーキーの背中をドンと押した。不意を突かれてよろめきながら前へと転がるシャーキーに向かい、クモは糸を吹きかける。たちまち糸でぐるぐる巻きになったシャーキーは、また縦横の巧妙な糸の力で空中に高く浮上する。そこで停止した。

 クモは獲物を糸で巻いてから、じわじわと食するのだ。

「うわああああ!」

 シャーキーは思い切りもがいているが、身動きも取れない状態だ。その顔はひきつっている。

「助けてくれっ!」

 その叫びは我われに対してか、クンラートに対してかは分からない。だが、クンラートは冷ややかにそれを見ている。

「なぜだっ! なぜ俺を押した! 裏切り者!」

「裏切り者?」

 クンラートは笑う。

「裏切った覚えなどないけれどね。もともと味方でも仲間でもないのだから」

「そんな……」

 ――いい気味だ。このままクモに食われてしまえ。

 瞬間的にそんなことが俺の頭の片隅を走った。クモの糸は天国への救いどころか、シャーキーをぐるぐる巻きにして地獄へ落とそうとしている。だが、次の瞬間……。

「おまえなどこのままクモに食われてしまえ」

 俺が考えたのと全く同じ言葉がクンラートの口から出た。それを聞いた時、俺の脚は反射的に大地を蹴っており、シャーキーを拘束するクモの糸を切ろうとしていた。

 でもクモの糸は妙に弾力性があって、剣では切れない。それを無理に切ろうとするとどんどん糸が剣に絡まって、剣が使い物にならなくなる恐れがある。

 別にここでシャーキーを見殺しにしてもいいのだが、次にクモは我われをも本格的に襲ってくるにきまっている。今のシャーキーの姿が我われの姿となる番が回ってくるのは必至だ。この杜子春が「蜘蛛の糸」にやられるなんて洒落にもならない。あの「羅生門」の異能を持つあのポートマフィア最強の異能力者にとっても想定外のことだろう。だから、このクモをなんとかやっつけなければならない。

 矢で射ても、剣で切っても、槍で突いてもクモは死なない。フロリーナはヨスやミランダと同様、防御魔法しかできないようだ。カルラは相変わらず何もしない……

 いや、そのカルラが巨大クモの群れの前に立った。もちろん、武器は全く持っていない。やはり思った通り、これから拳法の技を見せてくれるのか……でも、剣でさえ死なないクモを拳法でやっつけられるのか……

 俺がそんなことを思っているうちに、カルラは両腕を巨大な胸の前で交差させた。

「【天駆ける時の狭間に、漂える空間そらよ。今ぞ輝きて、我に力を放てよ】」

 そんなことを大声で叫ぶと、カルラの体からまばゆい光が発せられて目も開けられなくなった。そしていったん宙に浮かんだカルラはそのまま前へ一回転し、次の瞬間には全く違う姿をしていた。

 いつの間にか金色輝く長い髪となり、銀のヘアバンドには光る星の彫刻。肩がむき出しの白い服が胸を強調しているのは相変わらずだが、下もフリルのついたような短い白いスカート。そして金の装飾のあるブーツと腕輪。手には長いバトンのような杖を持っている。

 何匹ものクモから一斉に糸がカルラに向けて噴き出されるが、カルラの身の回りはいくつもの黄色い円形の魔法陣が出ては糸を防ぎ、地面のひときわ大きい緑に輝く魔法陣の中央にカルラは立つ形になって、そのまま魔法陣ごとすごい速さで空中に浮遊した。完全にクモを上から見下ろす形だ、そしてカルラは、クモにまるく膨らんだ杖の先端を向けた。

「イェッファイヤー!」

 その叫びとともに杖の先端からものすごい勢いで火炎が噴き出し、それが炎の束となってクモに向かう。まずシャーキーを糸巻きにしたクモがその火炎をもろに浴びて黒こげになった後パッと光の粉となって消滅し、シャーキーは地面に落下した。

 そしてそこにいたおびただしいクモにカルラは次々に火炎放射を浴びせ、すべての蜘蛛が焼きつくされた後に消滅していった。すかさずフロリーナがクモの消滅とともに現れて地面に落下する石を集めて回る。

 カルラにこんな力があったなんて驚きだ。だから、武器なんか何も持ってなかったはずだ。魔法攻撃が彼女の武器だったのだ。

 その時俺は、クンラートがその仲間をつれてこそこそ逃げ出そうとしているのを見た。だから慌ててシャルロッテの腕を引き、クンラートたちを示した。

 シャルロッテは俺の慌てぶりに何かあると思ったのだろう、すぐにクンラートを捕まえてくれた。そして俺は、さっき目撃したことを基に、考えついたある結論を必死に身振りでシャルロッテに伝えようとした。

 まずはクンラートを指差す。そしてすぐに両手を上に挙げてクモをかたどるように両手を左右に下ろした。

「モンスター? あの巨大クモ?」

 俺は大きく二度うなずいた。そして、腰のところのいつもいろいろな指令や所持金が浮かび上がる空中に浮かぶ板のあたりで、その板を操作する指先のまねをした。そしてもう一度、クンラートを指差す。そして人差し指で、自分の目を示した。

「あなたが見たってことね?」

 また俺はうなずいた。はっというような顔をシャルロットは見せ、すぐにクンラートを見た。

「あんた魔物調教師モンスターテイラーでしょ。さっきの巨大クモも、皆あなたが操っていたのね」

「なんだって?」

 アルヴィンたちも一斉にクンラートを取り囲む、カルラはもう元の姿に戻っていた。

 ――あんなモンスターをけしかけて、俺たちを倒そうとしたのか……。最初からそれが目的で、こいつらはダンジョンここへ来たんだな……

 そう思うとまた怒りがこみ上げてくる。

 その思いは皆同じようで、シャルロッテが槍先をクンラートの鼻に突きつけた。

「白状なさいな。さもないと、この槍があなたの顔を突き破るわよ」

「そうだそうだ。ここは俺たちのギルドの管轄するダンジョンなんだから、ここでお前を消しても誰にも発見されない」

 ブラムもいつとなくきつい口調だ。クンラートの顔に汗がにじんできた。

「わ、分かった。私が悪かった。もう抵抗はしないから、ここから帰らせてくれ」

 シャルロッテが俺を見る。俺はうなずいた。

 ――まあ、もういんじゃないか……そんな意味合いだった。

「後ろを見ずにとっとと帰れ!」

 シャルロッテが叫ぶ。俺の怒りも収まらなかったが、そんな怒りで顔が真っ赤になっている時でさえ俺は声を発するのを抑えた。声だけじゃなく、怒りも抑えなければ……俺はそう思った。

 その時、またこの間と同じように、俺の腰のあたりの空中の透明の板で赤い光が点滅した。

 この間の赤いカードに並べて、今度は青いカードが出現していた。やはり見たこともない文字で「ANGER」とこんなふうに書かれていた。七枚集めるカードのうち、これが二枚目だった。

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