杜子春異伝

John B. Rabitan

第1章

 俺は長い間眠っていたような気もする。いや、眠っていたのだろう。

 正確には意識を失っていたと言った方がいいかもしれない。

 まだうすぼんやりとした意識で覚醒には至っていないけれど、とりあえず目を開けることにした。

 天井が目に入る。

 ――知らない天井だ……。

 もうあちこちで使い古された戲仿パロディーだけど、今の自分にはそれ以外に状況を表す言葉がない。揚州から都まで旅を続けてきた身としては毎日が知らない天井を見て目覚めたのだが、今日は特別だ。

 何か雰囲気が違うし、また天井を見るだけでもこの建物の建築様式が違うことは分かる。

 ここは西域か、もしくは外国か…しかし自分はついさっきまで大興の都の郊外にある高く険しい山の上の、あの老人の庵にいたのだ。そう、ついさっきまで…いや、ひと眠りする前なのか。ほんの瞬間にここに来たような気もするし、だいぶ長い時間ぐっすり眠っていたような気もする。

 前者の裏付けとして、あの老人とやり取りしたことがついさっきの記憶としてはっきりと頭の中にある。しかし後者の裏付けは、なんといっても自分が今横たわってい寝台と布団だ。

 その時、寝台の脇で俺を呼ぶ声がした。女の声、しかも優しそうなささやきだ。だが、何を言っているのかは聞き取れなかった。

 俺は首をひねって声の方を見た。

 ――かわいい!

 寝台の脇に身をかがめ、心配そうな顔をして覗き込む少女に思わず声を挙げそうになってしまった。でも、声を挙げないでよかった。ここでそう叫ぶかあるいは小声でつぶやいただけだとしても、大変なことになるところだった。

 さっきも言ったけど、あの爺さんとのやり取りはついさっきの記憶としてはっきりと記憶の中にある。


 ※       ※        ※


 俺に、別の世界で烈士として働いてもらうと言ったあの老人は、こう自分に告げたのだった。

「いいかね。別の世界で君は、何があっても絶対に言葉をしゃべってはいけない。声を出してもいけない。これから君が見るものも体験するものも、それが魔王とかモンスターとか武装集団とかであっても、全部仮想現実バーチャル・リアリティーだ。真実リアルではない」

 その時は、老人が何を言っているのか全く分からなかった。

「だからまずは心を落ち着かせ、一言も声を発しないこと。これだけは絶対に守ってくれ。君の命にかかわる」

 とりあえずはうなずくしかなかった。

 故郷で仕事もせずに「寓居衛兵」と称して自室に引きこもっていた俺は親から勘当されて家を追い出され、大興の都へ伯父を頼ってやってきた。だが、叔父からはけんもほろろに悪態をつかれ、挙句の果ては叔父のげ僕たちうから殴る蹴るの暴行を受けてまたもや追い出されて、一文無しで都の市場いちばをさまよっていた俺は、空腹と絶望にあえいでいた。

「どうしてそんな浮かない顔をしているのかね?」

 そんな時に、不思議な白い服を着た頭の禿げた老人が声をかけてきたのだ。だが俺は、なぜか不思議と嫌悪感を覚えなかった。

「君、名前は?」

杜子春トゥオ ツィーチュン

 この世の人ではない…と、俺は実感した。だから、思い切り叫んでいた。

「仙人様っ!」

 老人は仙人でも道士でもなく博士であると名乗った。そして空腹で倒れそうになっていた俺に、なんと三百万両も恵んでくれたのだ。だが俺は、その大金を元手に遊びたおした。再び途方に暮れていた俺とまたあの市場で行きあった老人は笑っていた。

「よろしい。実は、私は協力者を探している。どうかね、あの三百万両の代償として、烈士として私に協力してくれないかね」

 やはりそういう裏があったようだ。でも、あんな大金をもらって、しかもそれをあっというまに使い果たしてしまったのだから断れるはずがない。

 そして俺は万乗の山、千尋せんじんの谷ともいえる高い山の上にある、秋葉博士と名乗る老人の寓居に連れて行かれた。

 部屋の中は異様な光景で、不思議な画法で布に描かれた少女たちの等身大の絵が九枚ほど、壁から下がっている。皆異様に目が大きい。髪の色も赤だったり金色だったり、銀色だったり桃色だったりさまざまで、ほとんどは長い髪をなびかせていた。吹っ飛ぶのはその服で、体の線に沿うような見たこともない服だけれど、困ったことに裳のようなものが異常に短く、太ももまでみんなまる見えなのだ。

「どうだ? なかなか萌えるキャラたちだろう? 全部私の嫁だ」

 時々言っていることが分からない爺さんだ。

 部屋の中には壁に沿って低い棚があって、なんとそこの上には今度は絵と同じような雰囲気の少女がそのまま立体化したような人形が所狭しと並んでいた。人形自体はそれほど大きくなく片手で持てるほどだが、何でできているのかはさっぱり分からない。土でもなく木でもなかった。服までが布ではなくなびく髪すら同じ素材でできているので固いのだが、不思議と現実感があった。

「では、早速行ってきてもらうとするか」

 老人が庭の方に続く扉を開けると、そこには巨大な水甕みずがめが置いてあった、人が一人すっぽり入るほどの大きさだ。甕の上部には水を注ぐような装置もあって、老人に促されてその甕のそばまで行くと中には水がいっぱいに張られていた。

 老人は何かわけのわからない銀色の箱のような薄い板の上を指でなぞったりしていると、甕の上部の装置から甕の内部に光の束が発せられた。

「さあ、その中に入って」

 その中とは、甕の中を示していることはすぐに分かった。

 水が満々と張られている甕に入るのは勇気が必要だったが、今はあらがうことは不可能な状態だったし、もうどうにでもなれっという感じで俺は台に登って甕の中に足を入れた。

 水ではなかった。甕に満々と水がはられていると思っていたのは、実は甕の中にも光が充満していて、それが水のように見えていただけだった。

 一瞬の躊躇の後、俺は意を決して両足もろとも甕の中に飛び込んだ。

 だが、甕には底がなかった。

 光に包まれながらも俺は、ふわりと浮遊している感覚のままゆっくりと光の洞窟の中に身を沈めていった。

 同時に、安らかな眠りという感覚で、意識を失っていった

 ――魔王とかモンスターとか武装集団とかであっても、全部仮想現実バーチャル・リアリティーだ。真実リアルではない……だから、どんなことがあっても……一言も声を発しないこと――

 消え行く意識の中で、この老人の言葉は訳が分からないまでもいつまでも耳に残っていた。


 ※       ※        ※


 俺は、どんなことがあっても決して声を発してはいけないのだ。

 少女は俺よりもちょっと年下くらいかな? ほぼ同じ世代と言ってもいいだろう。肩の向こうに垂れる長い髪は黒くない。明るい銀色だ。

 また、少女は何か言った。今度ははっきりと聞いたが、しかし何を言っているのか分からなかった。聞いたこともない言語だった。

 ところがいつの間にか俺の頭にはあの爺さんがつけていたのと同じ耳当てがついていて、その耳当てから少女の言葉が意味の分かる声になって直接耳の中に入ってくる。

「大丈夫ですか? お気分はいかがですか?」

 もう一度説明すると、少女は口ではわけのわからない言葉をしゃべっているのだけど、それがそのまま分かる言葉になって俺がつけている耳当てから聞こえてくる。この耳当てはそんな魔法の耳当てのようだ。

 だが俺はしゃべれない。だから黙ってうなずいて、微笑んで見せた。

 もっともしゃべったところで、少女には俺の言葉は分からないだろう。少女はこのような耳当てはつけていない。あの老人の耳当てにはさらに口元にも何か黒い腕が伸びて、老人はそれに向かってしゃべっていたが、俺のにはそんなものない。

 耳と言えば、今さらながらに気がついた。この少女の耳は長く上に方に尖っているのだ。

「私、エルフなんです」

 エルフって何だあ――??? 耳を見て驚いているのでそのように言ってくれたのだろうけど、余計に分からなくなる。

 そこで少女は、にっこりと笑う。

 もう反則だよ。食べちゃいたいくらいのかわいい笑顔。しかしそれよりも何よりも、自分に笑顔が向けられたなんて何年振りだろう?

 よく見ると、少女の目の色も黒くなく青っぽいし、鼻も高い。

 やはり人種が違う。そういえばあの爺さんと最初に待ち合わせたのが西域の商人がいるペルシャ商館の前だった。この少女はやはり玉門関の向こうの西域の人? いや、大興の都に来てからかなり顔つきが違う異民族を見たけれども、そのどれとも違う。

「私の家の庭に倒れていましたから、とりあえずこちらに運んでおきましたけれど」

 少女はそう言って立ち上がると…立ち上がると…

 え? えええええーっ! 

 俺は声に出さない叫びをあげていた。なんというはしたない格好。袖はなく両腕はあらわ。そしてふくよかな胸も強調され、胸元が空いているので胸の谷間も顔をのぞかせている。黄色っぽい服の下半身は膝上までしかない。つまり、二本の白い足が丸見えなのだ。

 俺は目のやり場に困り、わざとらしくないように視線をそらした。刺激が強すぎる! 俺が大声を出すのをかろうじて抑えられたのが奇跡だ。

 なんという破廉恥な…そうか、ここは娼館なのか…するとこんなかわいい、清楚な少女が娼婦? いや、分からない。だって俺は、本物の娼館になど行ったことがないから……

「私、ミランダといいます」

 耳覚えのない名前だ。

 ――俺はトゥオ・ツィーチュン……と、名乗りたかった。でも、口をきくわけにはいかないのだ。ああ、もどかしい!

 俺は無言のまま自分をして、上半身を起こして布団の上に指で「杜子春」と文字で書いた。それをミランダはのぞきこむ。うわ! 近い! 顔が近い! そして、いい香りがする。俺の胸のあたりがカーッと熱くなった。

 だが、彼女は首をかしげている。俺の書いた文字が読めないようだ。言葉が違うのだから、文字も違うのかもしれない。

 俺は彼女を指で示してからその指で自分を指し、そして寝台を指さした。

 ――君が俺をここに連れてきたのか?

 それが聞きたかった。最初は首をかしげていたが、何回か同じ動作を繰り返すうちに意図が通じたようだ。

「はい。私が連れてきました。なぜ連れてきたのか、分かりません。でも、そうしなければいけないような気がして。私、これからもずっとあなた様のお世話をしなければならないという気がするのです。なぜなのか…分かりません」

 それからミランダと名乗った少女は、少し首をかしげた。

「お口がきけないのですか?」

 俺は黙って、何度も首を縦に振った。その時……。

「たいへんだ!」

 突然、俺たち二人の会話を遮るかのような叫び声が、ドアを激しく開ける音とともに入ってきた。

「どうしたのですか? お兄様」

 ミランダの実際の声とは別に、翻訳された声が耳元で響く。

「ヒリスが来た」

 入ってきた男は、ミランダの兄だな。がっしりとした体格だ。金色の髪で、長髪だ。その髪を後ろで結ったりもせず、女のように長くなびかせている。そしてミランダと同じように白い皮膚で目は青く、鼻が高い。そしてこれもミランダと同じように、耳は先端が尖っていた。

 でも、今はその顔も十分に引きつっていた。何だか緊急事態のようで、今のひと言を聞いたミランダも顔を引きつらせ、慌ててドアの方に駆け寄ろうとした。

 ――ヒリスって誰?

 俺はすぐにでも聞きたかったが、声を出すわけにはいかない。

 ただならぬ様子に俺も布団をはねのけ、寝台から降りて立ち上がった。ミランダは驚いた表情で俺の方を振り返った。

「大丈夫なんですか? もう、起き上がったりして!」

 俺は手ぶりで大丈夫というふうを示し、兄妹の後に続いて外に出た。

「あ!」

 思わず俺は叫んでいた。そこには見たこともないような光景が展開されていた。果たして今までいた部屋は小さな小屋の一室であり、しかも遠くまで見晴らせる丘の上にある一軒家だった。他の家は少し離れたところに点在している。

 目の前は谷で、谷の向こうはちょっとした山だ。深い谷間のある山の中ということはあの老人の小屋のあった場所と同じだが、明らかに違う光景だ。しかもこの景色は、自分が知っている隋の国ではあり得なかった。揚州から大興の都まで旅してきた範囲にはこのような風景はなかったし、砂漠が続くという西域でもなさそうだ。

 他の家を見て気になったので今までいた小屋を振り返ると、薄い赤い瓦が魚の鱗のように並べられて屋根に乗っていて、家の壁は白い石を積み上げたような感じだった。四角い木の枠の窓と、ドアがある。

 だが、そんな見た目の様子に目を奪われている場合ではないことを、俺はすぐに知った。

 地響きがする。

 よく見ると、目の下の谷からの坂道を駆け上ってくる一団があって、それがとてつもない数であった。先頭の大将のようなのとその左右の四、五人が馬に乗っているほかは、皆足で走っている。

 ミランダもその兄も、たちまち地に膝をついてかしこまった。俺が訳も分からず突っ立っていると、ミランダが慌ててこちらを見て、俺を座らせるような手つきをした。

「あのヒリス様はこの辺一帯を治める領主様です」

 ――領主?

 領主が馬に乗って、しかも走らせてすごい勢いでこの家に向かっているのはどういう訳だ?

 しかも、近づくにつれ、走っている人々の足音だけではなく、その数倍もの音量の金属音が渓間に響き渡って聞こえてきた。

 皆、鉄でできた人形のようだ。馬の上の領主――ヒリスもまた鉄だけでできていた。おまけに角も生えている。

 だが、それは甲冑かっちゅうを着けているにすぎないことが分かった。戦争でもないのに、なんでこんな甲冑で身を固めているのか……。

 そして走っている部下たちは皆、手に長い槍を持っている。

 一団がうずくまるミランダの前で止まると、その中の大将風の男、すなわちヒリスがものすごい金属音とともに馬から飛び降りた。

 馬から降りても見上げるようながっちりとした体格の男で、もはや怪物と呼んでもよさそうだった。

 そして兜をとった。その時初めて分かったのだが、今までは兜の装飾だと思っていた二本の角が、実際に頭から生えているのだ。

 ――牛かよ!

 それはたしかに、水牛の角のようにがっしりとしている。すると、そのほかの者たちの頭の角も、全部本物なのか……

 顔は真っ赤で、巨大な目の眼光も鋭く、荒々しく息をはいている。この異形の怪人が領主だというが、むしろ盗賊の首領ではないのかって感じだった。

「ミランダ!」

 ものすごい音量が谷間にも響く。幸い人名なので翻訳の必要もないからか、俺の耳当てを通してその声が響いてくることはなかった。

 だが、甘かった。

「今日こそは返事を聞かせてもらおう」

 ものすごい音量はやはりものすごい音量で翻訳されて、俺の耳を直撃する。

 俺は「うわっ!」と言いそうになるのを必死で抑え、慌てて耳当てを取ろうとした。だが取れない。もう体の一部のように耳に張り付いている。

 ヒリスはミランダの隣でかしこまる兄にも視線を向けた。

「よいな、ヨス」

 ヨスというのが兄の名らしい。

「おまえが承諾してくれれば、ミランダは俺の嫁となる」

 だがヨスは悔しそうな顔つきで、何も答えずにいた。

 この化け物はミランダをほしがっているらしい。ではミランダに求婚しに来たのか? それならばなぜこんな武装した軍勢をつれて来るのか? 軍勢をつれてきているということは、力づくで奪いに来たのか? もしそうならなぜ懇願ともいえる口調でその兄の承諾を得ようとしているのか……

 状況がよく分からない。

 すると突然、ヒリスは立ったままの俺をじろっと見た。俺は血の気がさっと引くのを感じた。

「おい、おまえ! 変わった顔つきをしているな。このヒリス様の前で突っ立ったままとはいい度胸じゃねえか。おまえ、何者だ。このヒリス様を何だと思ってるんだ!」

 谷間から向こうの山まで響き渡ると思われるくらいの大音声おんじょう! だから、そのまま耳当てから来る音声おんせいも半端ない。我慢の限界を超えている。だから俺は顔をゆがめた。

「なんだ、その顔は。俺をばかにした顔だな」

 ――いや、そういうわけじゃないから。

 そう言いたいけれど、言えない。

「おまえ、名前はなんて言うんだ?」

 俺は無言でいるしかない。

 いつまでも答えずにいるとヒリスは自分の左右にいる同じような大男たちに目配せをした。大男たち四、五人はさっと剣を抜いた。かなりの長さの剣で、一斉にそれを俺に突きつける。

 ――勘弁してよ。

 俺は泣きたい気持ちだったが、泣いている場合ではない。命が危ない。足はもうガクブルで、立っていられないほどだ。

「名前を名乗れ!」

 剣を突き付けた一人が、同じような大声で言ってきた。まだ兜をつけたままだから顔は見えない。でもどうせヒリスと同じような牛に決まっている。

「名前を言えと言っているのだ!」

 いや、名前を言えと言われても、言えない事情がこちらにはある。

「やはりばかにしておるな」

 剣と俺との距離がどんどん縮まる。

 その時、俺は思い出した。あの爺さんが言っていた言葉……

 ――これから起こることはみんな仮想現実バーチャル・リアリティーなのだよ。本当に起こっているわけではない。

 でも、どう見たってこれ、現実でしょ。現実にこんな牛男がいるかって? そういうことは置いておいて…。

 そして老人は言っていた。

 ――すべてが仮想現実バーチャル・リアリティーなのだ。真実リアルではない。だから下手に動かず、そしてどんなことがあっても絶対に声を発してはいけないよ。

 こうして老人はあの時、俺の一切の言葉を封じたのだった。


 実際問題、こんな回想に浸っている場合ではなかった。

 牛男たちの剣が鼻先に突きつけられている状態から、それが頭上にと振り上げられ、俺の脳天めがけて振り下ろされようとしている。

 だがその回想のお蔭で、「全部仮想現実バーチャル・リアリティーだ。真実リアルではない」というあの老人の言葉を思い出したお蔭で、俺は目の前で展開され、そして自分の身に降りかかろうとしている出来事を少し冷めた目で客観的に見ることができるようになっていた。

 そしてその次の瞬間、これまで俺のそばで何やらごもごもと呪文のようなものを唱え続けていたミランダが、牛男たちに向かって両手をかざした。

 たちまちパーッと青く光る模様の入った円形の楯のようなものが空中に広がって、それが牛男たちの剣を弾いた。

 助かった――それと同時に、か弱い少女としか思っていなかったミランダに、そのような力があることにも呆気にとられていた。

 あれは間違いなく魔法だ。

「危ない!」

 ミランダの兄、ヨスが叫ぶ。

 ミランダの魔法は相手の攻撃を防御するだけで、攻撃の力はないようだ。剣をはじかれた牛男たちは、なんら痛手は被っていない。さらに牛男は何十人という軍勢をひきつれている。おそらく全員が牛男なのだろう。

 最初に剣を抜いて襲いかかってきた馬に乗っていた四、五人の牛男だけでなく、後ろに控えていた軍勢たちも一斉に剣を抜いてきた。

「まだ名も名乗らないのか! そこまで我われをばかにしているのなら、もう容赦はしない」

 頭目のヒリスが、ヒステリックに叫ぶ。

「ヨス! ミランダ! おまえたちも邪魔だてをするのか。こうなったらミランダを力づくで連れ去るということはできぬことではあるが、敵として成敗するのは不都合はない!」

 ついにヒリス自らが剣を抜いた。ものすごく長くて太い剣で、あんなのでぶっ叩かれたら体中が粉々になってしまうよ。

 ミランダとヨスはまた何かをぶつぶつ唱えている。それが終わらないと、あの魔法は使えないらしい。だが、間に合わない。

 ヒリスの剣が空中に振りあげられる。

 俺はなすすべもない。叫びたくても叫べない。

 その時、別の角度の上方から別の光の球が飛んできた。

 それが俺らの上空で炸裂すると、さっきミランダが相手の剣を防いだような文様の入った丸い光の楯が今度は俺らの足元の地面に広がった。今度は赤く光っている。俺ら三人は、その中心部に立っている形だ。

 すると、その円形から立体的に立ち上った光の壁が、丸天井のようになって俺らを包む。

 ――なんだ、なんだ、なんだ!?

 そう思っていると、近くの岩の上に別の馬がいた。白い馬だ。馬にも鎧が着せられている。馬の上にはまるで絵に描いたような金髪を風になびかせた女騎士がいた。馬の色に合わせてというわけじゃあないだろうけど、着ている鎧までが白を基調としている。さらには、やはり純白のマント。そして手には長い槍を持っていた。それも、俺が知っている槍の形とはだいぶ違う。

 ――美人!

 こんな状況にありながらも、俺はそっちの方が気になってしまう。

「シャルロッテ!」

 ヨスがそう叫んだ。それがあの美人女騎士の名前らしい。

 その声には答えず、シャルロッテはじっとウェアオックスたちをじっとにらんでいる。

 そしてその馬の脚が立っていた岩を蹴る。そして馬が飛行する――それを下から眺めている俺にはそう見えた。だが、ちょうど俺ら三人を包んでいる丸天井のてっぺんを一度蹴り、馬はウェアウルフのかしらのヒリスの前にひらりと着地した。

 人の頭の上を蹴っていかなくても――と一瞬思ったけど、直接蹴られたわけではないからいいにしよう。

 どうもこの丸天井は、結界となって我われを守ってくれているようだ。

「来たな、金髪女」

 ヒリスが忌々しくつぶやく。シャルロッテは何も言わず、槍を構えて牛男たちの群れに突進した。そのまま槍を振り回して二本足の牛たちをどんどんなぎ倒していく。

 ――かっけーっ!

 今は美人というよりも、その機敏な動きに惚れ直していた。いや、最初から惚れていたのだろうか? 分からないがどうでもいい。シャルロッテの槍にあるいは突き刺され、あるいは首を掻き切られて、さぞや血みどろの修羅場となっているだろうと、俺は目の前で展開されているはずの悲惨な現場のことばかり思っていた。

 ……ん? なんか変だ。

 牛男を倒しても、牛男は倒れない。いや、一応は倒れるのだが、地に着く前にその巨体はパッと光の粉となって散り、一瞬ののちに消えてしまう。

 だが、牛男たちの軍勢は次々にシャルロッテを襲い、槍で突いて倒しても倒してきりがない。

 シャルロッテもいい加減、肩で息をし始めた。

 その時、また大きな火球が牛男たちの頭上で炸裂した。

 シャルロッテからでも、ヨスやミランダからでもない。

 炸裂した火球は炎の渦となってすべての牛男たちを巻き込み、あっという間に消えた。だが、あたりはそのまま黒煙に包まれていた。

 ――やったか

 俺がそう思っていると、黒煙の中からヒリスとその取り巻きの四、五人の牛男だけはよろめきながらも立ち上がった。

 しぶといやつらだ。

 だが黒煙が晴れていくに従い、シャルロッテが最初に現れた岩の上に、また別の馬に乗った騎士が現れた。馬も赤茶色の馬で、シャルロッテの白と対照的に、よろいは赤で統一されている。槍も楯も赤だ。さらに顔面を覆い尽くす赤い兜もかぶっているので、性別すら分からない。

 その姿を見て、我われのそばにいたシャルロッテがちっと舌打ちするのを俺はしっかりと見た。

 我われを覆っていた半円状の結界も、その時に消滅した。

「覚えているがいい」

 お約束の捨て台詞を残して、ヒリスとその部下たちは足音をたてながら谷底へと降りて行った。

 その時、シャルロッテが鬼のような顔つきで、岩の上の赤い騎士をにらんだ。

「また邪魔だてしおって。余計な手出しは無用だ!」

 助けてもらったのに、なんで逆切れしてるんだ? 

 赤い方は兜のせいで表情は見えないが、顔が小刻みに上下に動いていることからどうも笑っているらしい。

「大切な相手にここで死なれたら、張り合いがなくなるからな」

 はじめて声を聞いた。甲高い男の声だった。いや、低めの女性の声とも聞ける。

「降りて来い! 決着をつけよう」

 シャルロッテが叫んでも、赤いのは岩の上から動きそうもなかった。

「今日はそのようなつもりではないし、そんな気分でもない。またあらためて、だ」

 それだけ言うと、すごい速さで赤いのは馬ごと消えた。

 俺が呆気にとられていると、シャルロッテは馬から飛び降りて俺のそばに近づいた。

 ――何なんですか? これまでのは何だったんですか?

 俺は切実に叫びたい。でも、叫べない。

「とにかく中に入ろう。シャルロッテも」

 ヨスに促されて、俺らは小屋に戻った。


 小屋ではテーブルをはさんで、座った。俺の隣にシャルロッテ、向かいの席がヨスとミランダの兄妹だが、ミランダは今は席を立って俺らにお茶を入れてくれている。

 やがてミランダのお茶が来た。茶葉を赤くなるまで発酵させ、砂糖や牛の乳を入れて飲むというから驚きだった。

「ところで、こちらは?」

 シャルロッテが俺を示す。本当ならここで俺は、自己紹介するべきだろう。でも、できない。代わりにミランダが座りながら横眼で俺を見て微笑んだ。

「あ、この方、声を出すことができないみたいなんです。お話はできないようで」

「そうかい。それは気の毒な」

 シャルロッテは近くで見るとまた美しい。金色の髪が光って見える。こんな美しい女性があの強さなのだ。

「そういえばシャルロッテさん、初対面でしたよね」

 ――そう言う自分だって、ついさっき初対面だったじゃないか。

 突っ込みたくても突っ込めないもどかしさ。

 でも、やはりどんな状況でも、俺はこの事態を知りたい。あの牛男は何なのか? こうなったら身振りしかない。

 三人の同席者に向かって、両手であの牛の角を再現して見せた。

 ――あいつらは何者?

 身振りで示してからひたすら目で訴える。

「あのウェアオックスか。やつらは盗賊だ」

 ヨスが口をはさんだ。

 ――え? 盗賊? ミランダは領主と言っていたような気がするけど。

 俺が首をかしげると、ミランダは自分の発言のせいだとすぐに察してくれた。

「私があの人たちを領主様なんて言ってしまったから、不思議に思ってるんですね。ごめんなさい。本当は盗賊なんだけど、自称領主なんで」

「あの頭目のヒリスというやつはミランダを嫁にしたいとずっと申し入れてきていた。今日はその最後の返答の時だった」

 ――盗賊なら力ずくで奪っていくこともできただろうに……

「武力を頼りに略奪結婚をするというのは、たとえ盗賊であろうとそれだけはするべきではないというモラルがこの国にはあるんだよ」

 俺の疑問を察してかあるいは偶然か、ヨスがそう説明してくれた。

 そこで俺は質問を続けた。身振りでミランダがやったように両手を前に突き出すそぶりを再現し、それから両手で空中に円を描いた。あの時できた丸い宙に浮く青い光の楯のことが聞きたかった。その意図はすぐに伝わった。

「あれはね、魔法陣だよ」

 答えたのはヨスだった。

「あれで幾分防御できる。ウェアオックスは魔法は使えないからね。ただ、こちらも詠唱を唱えてからでないとあの魔法陣を出すことはできない」

 だからミランダは、何かをぶつぶつと唱えていたんだ。

 この世界はいったい何なんだ? 魔法をごく当たり前のように使う人がいる。見たこともない奇妙な格好の甲冑を身につけた騎士もいる。

 俺は身振りで、全身の鎧を再現しようとした。

くれないの騎士か」

 シャルロッテがため息交じりで言った。

「いつもいいところで現れて、俺の功績を奪っていってしまう」

 さらにヨスが付け加える。

「そもそも何者なのか、誰も知らない。顔も見たことはないし、敵なのか味方なのかも分からない」

 なんか不思議な存在だな。

 それよりも俺はもう一つ、ひしひしと感じていたことがある。異世界ここでは強くないと生きていけないのではないかという強迫感だ。もっとも、いつまでここにいなければならないのか、ここで何をしなければならないかも全く分からない状態なんですけど……

 とにかくここにいる以上、もっと強くなって生き延びないといけない気がする。

 まだ記憶に生々しいついさっきのことを思うにも、もしシャルロッテやあの紅の騎士が現れなければ、果たして今ここに生存しているかどうか……。

 自分一人ではなく、ヨスやミランダも…。ミランダも…。

 俺の中で何かがはじけた。

 この愛らしいミランダちゃんを、俺は守ることができなかったのだ。もう、今後、そんなことがあったら嫌だ!

 守りたい。そのためには、強くなりたい。自分が生き延びたいと思う以上に…いや、同じくらいに?

 とにかく俺は、身振りで戦っている様子を示して、自分を何度も指差した。 

「君もバトルをしたいということか?」

 シャルロッテが言う。見当外れだ。俺は首を横に振る。そしてまた戦う動作をする。

「バトル……だよな」

 そこで俺は腕を出して、力瘤を作るような動作をし、二の腕を軽くたたいた。

「自分は強いってか?」

 またシャルロッテは言う。また俺は首を横に振った。なかなか分かってもらえない。そこで今度は二の腕をもう一度叩いてから、両手を広げて天を仰ぐようなしぐさをした。

「強くなりたいってことだな」

 やっとヨスが図星を言ってくれた。俺はうれしくて何度も笑顔でうなずいた。

「そうか」

 ヨスは腕を組んで、少し何かを考えてからシャルロッテを見た。

「一度、ギルドに連れて行ってみてはどうかね」

「ですね。言葉がしゃべれないというハンデはあるけれど、そのへんは俺らがフォローするとして……。ま、登録しても最初はろくな仕事は来ないでしょうから草むしりでもして、その間に腕を磨いて強くなっていくしかないでしょう」

 なんだかわけのわからないことを言ってから、シャルロッテは俺を見た。

「それでいい?」

 言いも悪いも、そもそもギルドって何だあ? 俺は少し首をかしげた。

「冒険者になる気はないのか?」

 話について行けない俺は、また首を傾げるしかない。

「強くなりたいっていうのに、ギルドも嫌、冒険者も嫌っていうんじゃ」

「いやいや」

 ヨスがシャルロッテの言葉をさえぎった。

「嫌というわけではなくて、ギルドとか冒険者と言っても、彼は何のことを言っているのか分からないんじゃないかね」

「ギルドも冒険者も知らないって……いったいなんという国から来たんだ? 顔つきも我われとは違うようだけど」

 俺は答えようがない。

「そもそも、名前を聞くこともできないのか。名前が分からないと冒険者としてギルドに登録することもできないけれど」

「お名前は文字で書いてくれましたけれど、全然読めない文字でした」

 ミランダが口をはさむ。

「まあ、ちょっと待って」

 ヨスが手元の空中で何か捜査している。時々ちらりと俺を見る。ちょうどあの老人がやっていたしぐさと同じだ。

「そうか。トゥオ・ツィーチュンというのか。変わった名だなあ。出身はスイという国? これも聞いたことがないなあ」

 もう俺はただただ驚いて、目を見ひらいていた。

「年齢は十七歳。スキルは……なし、か。ランクも……なし」

 最後の方、またわけのわからない言葉が並んだ。これもやはり魔法なのか……。

「とにかく今日はうちに泊まってもらって、明日ギルドに連れて行こう」

 ――ギルドって何だよお? 俺はどこに連れて行かれるんだ? 

 気にはなっていたけれど、どうも善意が満ち溢れている人たちのようだから任せることにした。


 翌日、ヨスとミランダの兄妹、そしてシャルロッテとともに俺は出かけた。

 暖かい日差しと、さわやかな風がほおをなでる。

 昨日はあれからすぐに夜になった。どうもここは俺がいた国とは時間の流れが違うらしい。牛男たちと闘ったのは昼ごろだったような気がしたけれど、夜になるまでが早かった。

 ヨスたちの小屋のあるところから花咲き乱れる坂道を下りていくと、すぐに町が見えてきた。小屋は町からこんなに近かったんだ。

 シャルロッテは今日も白い鎧を着てる。この人にとっては鎧がもう普段着になっているのだろうか? でもさすがに今日は、馬じゃなくて徒歩だ。

 確かに美人だ。ずっと見ていたいと思う。でも、それだけ。

 俺はどちらかというとちょー美人のシャルロッテよりも、どこか愛くるしい感じがするミランダの方だな。美人である女性と、存在が心に刻まれて一緒にいてい楽しいと思う相手は必ずしも一致しないということを俺は学んだ……今頃になってやっと…。

 それにしてもシャルロッテは、いったいどこへ俺を連れて行こうとしているんだろう? まあ、どこでもいけど、そこは俺が強くなれる場所なんだろうな……たぶん。

 愛くるしい、心ひかれるミランダを守るためにも強くなる……それが可能になる場所だろう。いや、そうでないと困る。

 町の城壁が近づいてきた。

 城壁を見る限り、俺が暮らしていた国の町と同じだ。でも、俺の国の町はだいたい上から見たら四角形が多いので、城壁も真っすぐに左右に続いている。それに対して今目の前に見える町の城壁は婉曲してる。たぶん上から見ると丸い町なのだろう。ところどころにある櫓も、俺のいた世界では四角形だったが、ここでは皆円筒形だ。

 門の所に門番がいて、町に入る人を一人一人調べているようだ。門といっても、城壁がくりぬかれて通れるようになっているだけで、城壁の上に楼門などない。

 その門番の顔を見て驚いた。狼のような顔だ。最初はそのようなお面をかぶっているのかとも思ったけど、あの牛男――ウェアオックスのことを考えると、それが本当の顔である可能性もあると思った。

「あの人はウェアウルフだよ」

 ヨスが小声で解説をしてくれる。どうもヨスには何も言わなくても俺が考えていることは伝わってしまうようで、それが不思議でもあるし、ある意味気味が悪い。

 でも、助かることも事実だ。

 近付くと、見事なけものの耳を持つその門番のお尻からは、これまた立派な尻尾しっぽが揺れていた。

 ヨスもミランダもシャルロッテも、小さな硬い紙きれのようなものをその狼男に見せている。

 俺は当然、そんな紙はない。

「この人は私の友人だ。遠いスイという国からはるばるやって来て我が家に泊まっている。これからこのレリンスタルドでギルドに冒険者登録をしに行くんだ」

 ヨスがそう説明すると、狼男は黙ったまま門の中に向かってあごでしゃくった。入れってことらしい。たぶん俺一人だと、この門は入れなかったのだろうな。同じような城壁だけれど、俺の国の都市の門は昼間ならだれでも出入り自由なのに比べたら、ずいぶんと警戒が厳重なようだ。

 中に入ると驚くほどたくさんの人々が行きかっていた。

 服装も色とりどりで、やはり女性は素足を膝まで出して歩いている。男は不思議な上着を着ているものが多い。多くは普通の人間だけれど、髪の色が茶色だったり赤かったり金色だったりで、鼻が高く掘りが深い顔立ちは俺の国の人々とは明らかに違う顔だった。

 そんな人々に交じって狼の耳、猫の耳などどう見ても獣顔の人々が二足歩行で、尻尾を揺らして歩いている。さらには一見普通の人間のようだが耳が異様に尖っている、すなわちヨスやミランダと同じようなエルフという人種も少なくない。

 さらには小人もいる。小人と言っても普通の人の胸くらいの背の高さだけど、男は長めの髪と豊かな長い顎髭あごひげを蓄えている。

「あれはドワーフっていうんだ」

 またヨスが、聞きもしないのに解説してくれる。皆小さいながらも屈強な体つきをしており、一様に斧を担いでいた。

 町がまた異様だ。道は縦横になっているのではなく、町の中心から放射状に延びているようだ。建物がまた色とりどりで、驚いたことにすべて二階建てである。俺の国で二階建てなのは飲食店や旅館などのほかは宮殿や寺院くらいで、民家は都の中でもすべて平屋造りだ。それを見慣れているので、二階建ての民家が並ぶという光景は不思議だった。屋根は実に色とりどりだ。

 道は見事なほどの石が敷き詰められた石畳だった。

「強くなるんなら、武器がいるな」

「そこは騎士である俺におまかせあれ」

 シャルロッテが自信ありげに笑顔で言うと、俺らを先導してにぎやかな街角の中の一軒の店に入っていった。

 壁には大小の剣や弓、楯などが架けられている。武器具屋のようだった。

「おお、シャルロッテ。おまえさんの槍がどうかしたか?」

 カウンター越しに、店番していた男が相好を崩す……いや相好を崩したであろうと推測する。実際にその表情は変わっていない。

 俺はその男を最初に見た時から、ずっと全身が凍りついていた。

 男はどう見ても全身が巨大な大蜥蜴トカゲだった。でも二本足で歩いているし、言葉もしゃべる。実に怖そうで、夜に森の中でばったり会ったとしたら気絶は必至。

「あれはね、リザードマンという種族だよ」

 俺の耳元で、ヨスが小声で説明してくれる。そんな大蜥蜴トカゲ……もとい、リザードマンの前に、シャルロッテは立った。

「今日は俺じゃあなくって、この方が武器を求めたいということなんだ」

 シャルロッテは俺を示す。

「ほう、剣かい? 槍かい? 弓がいいかな?」

 俺は黙って、剣がかかっている壁を指差した。

「おお、ずいぶんクールな方だねえ」

「このかたは言葉がしゃべれない」

 ヨスが説明する。

「それはお気の毒に」

 リザードマンの店員は一度奥に入り、身の丈の半分ほどはある大きな剣を重そうに持ってきた。鞘から抜くと七色の光を発した。

「これは実は封印してきた剣なんだけど、ここはシャルロッテ姉さんの顔を立てて、出すしかねえよな。バスタード剣の中でもレアもので、刀身はヴァイキングの剣のように太くしてある」

 実に見事な剣だ。俺の知っている剣よりもはるかに根本が太い。

 俺は手に取ってみたけれど、重くて持てない。ましてやこんなのを振り回すことなんて到底不可能だ。

「気に入ってくれたかい?」

 気に入ったも何も、持てないのでは…… 本当に言葉がしゃべれないのなら仕方ないけど、自分の場合本当はしゃべれるのだ。しゃべれるのにしゃべることができない――これ、まじ、もどかしい。

 俺は指で空中に輪っかを作り、手のひらを上に挙げて訪ねた。

「値段だな? 値段は?」

 ヨスが俺の代わりに聞いてくれた。

「二十両」

「高い!」

 渋い顔をしたのはヨスだけだった。おそらくはこの国の通貨を言ったのだろうけど、ヘッドセットの翻訳機は「両」で訳してきた。

 ――二十両でなぜ高いのだろう? 

 俺はもうすんなりと支払う準備を始めていた。

 例によって腰あたりの空中に浮かびあがった装置を操作する。二十両に相当するこの国の金貨もすぐに出現した。その様子に驚くでもなく、魔法なのかと騒ぎでもなく、ヨスたちは皆平然と見ていたので逆に俺の方が驚いてしまう。

「お買い上げ、まいど。早速同気シンクロしまっせ」

 リザードマンの店員はそう言うと、俺の手をとって剣を台に置いたままつかを握らせた。

 案の定、たとえ両手でもこの剣は持ち上げることすら無理そうだ。

 だがそのままの形で柄を握る俺の手の上からリザードマンは自分の手をかざし、詠唱を唱え始めた。

 リザードマンは手までが蜥蜴とかげだった。驚くことに黄金の光がその蜥蜴の手のひらから発せられて、剣全体と俺の魂をも包む。剣を持つ手が異様に暖かい。

「さあ、同気シンクロ完了」

 次の瞬間、驚くべきことが起こった。あれほど重たくて持ち上げるのも不可能だった剣が、スーッと持ち上がった。しかも、細い木の棒を持っているかのようにほとんど重みも感じない。

 俺と同気シンクロしたからこそ俺にだけはこんなに軽く持てるが、ほかの人にとっては依然として重い剣のようだ。

 同時にさやも買い求めた。それは背中に装着する仕様のものだった。

 俺はその支払いをも済ますと、蜥蜴の店員の声に見送られて店を出た。

 背中に剣――なんだか一人前になった気分だ。同気シンクロした後は、背中に背負っていても重さは感じなかった。

 ヨスは人混みの中をまだしばらく歩き、ミランダもシャルロッテもそれに従っているので、俺もついていった。やがてヨスは石造りの、ある二階建ての建物に入って行った。

 入ったところは広間のようで開放感があり、いくつものテーブルが並べられていた。

 そこには人が大勢座っていて、食事をする者、昼間から泡の出る茶色い酒を飲んでいるものなどさまざまだ。彼らは皆荒くれという感じで、大声で談笑していた。女もいたが、男と同じような腕っ節の強そうな女ばかりだった。

 ヨスとともに俺らがその中に入ると彼らは愛嬌を作ってヨスにはあいさつしたが、すぐに胡散臭そうに俺を見ていた。

「この人たちは、みんな冒険者なんだ」

 そんな彼らを軽く俺に紹介してから、ヨスは皆が飲食している大部屋のいちばん奥にあった窓口の前に立った。中にはきれいなお姉さんが一人、きれいだけれども無愛想な顔で座っていた。

「ああら、ヨスさん。ここしばらくはモンスターの口は入ってないわよ」

「いや、そうではない」

 ヨスは俺を前に立たせた。

「この人が冒険者として登録したいというのだ」

「あら、そう? じゃ、この申し込み用紙に必要事項を記入して」

 なんか突慳貪つっけんどんな、投げやりな態度のお姉さんだな。

 紙を受け取ったヨスは早速窓口の隣の記帳台で、申し込み用紙に記入を始めた。

「あら? 自分で書かせなさいよ」

「彼は字が書けないんだ。口もきけない」

 お姉さんの顔が少し曇るのを見た。

「そんなんで冒険者が務まるの?」

「大丈夫。こちらが言っていることは理解している」

 ヨスは大丈夫って言うけれど、もしかしたらその冒険者っていうのになるのは、俺にはやっぱり無理なだろうか? もっとも、冒険者って何なのかまだよく分かっていないけどね。

 それにしても、字が書けないっていってもこの国の字が分からないっていうのが正確なところだし、口がきけないわけじゃなくって口をきいてはいけないということになっているだけなんだけどな。何回も言うようだけど、ここが大事。

 そのうちヨスは紙を掲げて、お姉さんに渡した。お姉さんはそれをろくに見もしないで、俺に小さな硬い別の紙をくれた。

「そのカードは冒険者証だから、なくさないように」

 ヨスが何も言わないお姉さんの代わりに言ってくれた。どうやら冒険者というのは面接も試験もなしに、申し込めば無条件で誰でもその場でなれるものらしい。

 これで仕事がもらえる。

 仕事といってもいきなりモンスター退治の仕事など来るはずもない。そのような案件もこの集会室兼食堂のようなこの部屋の掲示板には掲示されるが、冒険者には階級があって仕事ごとに階級が指定され、その階級以下の者は引き受けることが許されていないようだ。

 このことは前にもヨスが少し話してくれていた。

 最初は草むしりやどぶさらい、その他清掃などの仕事しか回してもらえないが、その間に剣の腕を磨いて強くなるようにとも確かヨスは言っていた。

 ヨスは冒険者というわけではないらしい。でも、ここではずいぶん顔が利くんだなと、ふと俺は思った。

「たしかに私は冒険者ではないのだけれどね、このギルドではちょっとした顔利きなんだよ」

 俺は「?」と思ってから「!」と思った。

 なんでヨスは俺が頭の中で思っただけのことに、的確に応じてくれるのだろう?しかも、これが初めてではなく、昨日からもう何度も同じようなっことがあった。

 だがすべての疑問を、俺は発することはできない。

 ヨスは笑っていた。

「そのうち分かるよ」

 それだけをヨスは言ったので、また「え?」という感じだった。

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