第29話 僅かな光明

「ベル、水をもらってもいい?」


 俺の質問を”乙女の秘密”という強引な理由で締め括ったヘクセだが、水は胸元から出せないらしく、ベルに水を注文していた。


「用意してあります」

「ありがと。それと……」


 ベルはヘクセが何をするのかわかっていたようで、すでに用意していた水差しをテーブルに置いた。

 するとヘクセはもう一度胸元に手を入れ、ビーカーのようなガラスのコップと墨を取り出した。

 あえてツッコまないが、その謎現象には興味があるため、後で改めて問い質そうと思う。


「墨がオド、水がマナの代用よ」

「はあ」


 そう言って硯に水を入れたヘクセが、墨を手にしてすずりでスリスリし始めた。


「こうやって、出来上がった墨汁が魔力だと思ってね」

「はあ」


 俺には今一つ意味がわからない。


 ちなみに、この世界では文字を書く選択肢の一つに、なぜか日本の習字のように墨汁と毛筆があるので、墨と硯があっても不思議ではない。


「で、この墨は実験用にわざと緩く作ってあるんだけど、こうして水に沈める」


 ヘクセは水を入れたビーカーに、もう一つの墨を入れた。


「徐々に墨が溶け出して、水が濁ってきたでしょ?」

「そうだね」

「これがルドルフくんの魔力」

「…………」


 確かに入浴剤のごとく、墨が溶け出して水が濁ってきている。

 そしてそれが、俺の魔力を示しているらしい。――よくわからんのだが。


「魔力っていうのは、オドマナを硯でって混ぜ合わせるようなもので、摺る行為が所謂”錬成”ね。で、錬成スリスリすることで墨汁まりょくが出来上がるの」

「ふむふむ」

「でもルドルフくんは、体内に取り込んだマナオドが溶け出して、勝手に墨汁まりょくが”生成”されてるわけ」

「う、う~ん……」


 要するに、意図的に作っているか、それとも勝手にできてしまうかの違いなのだろう……か?


「でも、魔力が作れてるなら問題ないんじゃない?」

「魔力を錬成することは、意図して行う作業なの。だから意図的に魔力を作り出すことで、魔力を操作することも自然と身につくの。そして最終的に、魔術が使えるようになるってわけ」

「ん? もしかして俺は、意図的に魔力を作れないから、その延長線上にある魔力の操作ができない……ってこと?」

「そう。魔力があっても魔力操作ができなければ、魔術を使えないのよ」


 俺はオドの量が尋常ではなく、アホみたいな魔力量があると聞いていたが、その魔力が操れないのであれば、無用の長物極まりない。


「ねえヘクセ、俺に魔力操作を教えてよ」

「それが難しいから問題なのよ」

「でもさ、魔力錬成ができない人が魔力錬成を覚え、魔力操作を覚えて、魔術を使うんでしょ?」


 たぶんだが、自然と魔力錬成ができる人はほぼいないだろう。

 俺が日本人時代に読んできた物語では、魔法や魔術を使えない人が魔力錬成などを教わり、それから使えるようになるのが定石だったのだから。


「ルドルフくんのように無意識に魔力を作ってしまう体質の人は、基本中の基本である魔力錬成ができないの。その基本である魔力錬成ができないということは、基本ができないから次段階の魔力操作ができない。ってのが定説なのよ」


 基本ができないのにアレンジを加えてダークマターを作るメシマズと同じようなものだろうか、などと思ってしまう俺。


「姉様も、魔力操作ができるようになれば体調が良くなるかもしれない、と訓練したことがありましたが、やはり無理でした」


 ベルの言う姉様とは、俺の母を指しているはず。

 母も勝手に魔力を作ってしまう体質で、幼少期からずっと体が弱かったことは聞いている。

 だから母も、魔力を自身で操れるようになれば、体質を改善できると考えたのだろう。だが上手く行かなかった……ということか。


「だったら、俺も魔力操作なんてできないんじゃ……」

「でもルドルフくんは、感情の揺れで魔力が動いてるのよね」

「ん? どゆこと?」


 よくわからないが、俺の魔力が感情に連動してるっぽいいことに、僅かな光明が見えた気がした。


「ルドルフくんは覚えていないと思うけどさ、あたしはベルから頼まれて、ヴォルフスシャンツェでマレーネさんの護衛をしてたのよ。君が生まれてから、マレーネさんが引っ越しするまで」


 ちょっと待て!

 俺は9歳だから、ヘクセは9年前に辺境伯夫人の護衛が務まる腕前だったってことだよね?

 今のヘクセは20歳前後の見た目だから、そのままの年齢だとしたら、当時は11歳前後のはず。

 でもそんな年齢の少女を、辺境伯夫人の護衛にするか普通?


 ヘクセの年齢が気になって仕方ない俺は、この問題をスルーすることができず、勢いで質問してしまう。


「ヘクセって、ぶっちゃけ何歳なの?」

「うふふ、乙女の秘密よ」


 笑みを浮かべたヘクセだったが、細められた猫目の奥で笑っていない紫紺の瞳に恐怖を感じた俺は、口を開くことができなかった。


「そんなことより、あたしは他人の魔力を感じたり、薄っすらだけど見えたりするの」


 何事もなかったかの如く、ヘクセは話を続けていた。


「ルドルフくんは機嫌が悪かったりすると、魔力がボワッと膨れるのよね。それは幼い頃も今も変わらず」

「機嫌が悪いと魔力が膨れる?」

「そう。――さっき魔力巡りをする直前にテーブルを動かしたら、ルドルフくん機嫌が悪くなったでしょ?」

「……なったね」


 そういえば、『ルドルフくん、ご機嫌斜めでしょ?』とヘクセに聞かれた。

 あれは、俺が知らず識らずの内に表情に出してしまったと思っていたけど、もしかして……。


「あれはわざとやったの」

「…………」


 マジか……。


「魔力巡りであたしの魔力を流したときも、不快に感じたんじゃない?」

「……感じた」


 ゾワリとする感覚に、不快だと思ったのは事実だ。


「そのときのルドルフくんから出ていた魔力が、一時的に膨れ上がるのが見えたのよね」

「でもそれって、俺が魔術を使えることと関係あるの?」


 勝手に魔力を作って、悪感情を抱いたら膨れる魔力って、俺が魔術を使える要素がないに等しいことだと思うんだけど。


「感情の変化で魔力が動くのであれば、感情をコントロール……できないまでも、感情による魔力の動きを自分で把握できるようになれば、ルドルフくんが自分で魔力を操作することができるようになる。と思うんだよね」

「なんか凄く難しそう……」


 そもそも俺は、魔力が動いていること自体を認識できておらず、ヘクセのように目で見えていない。


「だから、使えるようになるのは凄く大変で、当分先になるって言ったでしょ?」

「そうだね」

「でもね、ルドルフくんが自覚できるようになれば、魔術が使える可能性は全然あるんだよ」

「そっか。それなら、俺が魔術を使えるようになるまで、ヘクセにはお世話になります」

「魔女っ子ヘクちゃんにお任せあれ」

「いや、魔女っ子はマジないから……」


 年齢不詳ながら、見た目が20歳前後の女性が魔女っ子を名乗るのが痛々しい。

 せめて、魔女っ子を名乗っても違和感のない胸と同様に、身長が低くて童顔なら問題ないと思う。

 しかし、如何せん身長が高くて妙に色っぽいため、誰に聞いても魔女っ子と認めないに違いない。


「む! ルドルフくん、それはちょっと失礼だよ」

「すいません……」

「そういったところは、ベルにもっと躾けてもらわないとだね。それから、その体型もどうにかしよう」


 魔女っ子に並々ならぬ拘りでもあるのだろうか、ご機嫌斜めのヘクセは俺の体型にケチを付けてきた。


 これでも少しは痩せてきてるんだけどなー。


「若様はこれでも多少絞れてきましたが、まだまだ無駄が多いですからね」

「これからは、ベルと一緒にビシビシしごいてあげるね」

「よろしくお願いします……」


 こうして、ベルとヘクセによるハードトレーニングが行われることが決まり、いざ始まるとあっという間に月日は流れ、俺はルドルフとして初めての新年を迎えることとなった。

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