第20話 いつもどおり
「あー、昨日はなんだかんだありすぎて疲れたなー」
ルドルフとして初めて領都ガングの街に出た昨日は、馬車での道中でミルヒと距離感が縮まったまでは良かった。
だがしかし、街中でボーナスステージに釣られてしまった以降は、会いたくもないモーリッツに会い、住人には逃げられ、極めつけは不思議な少女ティナと疲れる話し合いをするという、想定の斜め上どころではない出来事が俺を必要以上に疲弊させたのだ。
「さすがに今日はゆっくりしたいんだが?」
ミルヒがまだヴォルフスシャンツェに滞在しているため、顔を合わせないということはないだろう。だからお茶会くらいは覚悟している。
「本日はいつもどおりです」
いつもどり……だと?
ミルヒがいるのにいつもどおりとか考えられんのだが。
うん、きっと聞き間違いに違いない。
「おいカール、お前今なんて言った?」
「本日はいつもどおりです、そう言いましたが何か?」
「何か? じゃーねよ! ミルヒがいるのにいつもどおりとか、そんなのミルヒに失礼だろ」
俺も少しは成長しているのだ、客人を無視していつもどおりの生活をするのが失礼だと知っている。
「そのミルヒお嬢様から、若様が普段どのような生活をしているのか見たい、という申し出がありましたので」
「はぁ~?」
なんでそんなのが見たいんだ?
「ってか、どうして俺の予定は当日にならないと知らされないんだ?」
「若様が仰ったからですよ。『俺は決まったスケジュールどおりに行動するから、予定はそっちで組んでくれ』と」
そういえば、そんなことを言った気がする……。
「そんなこと言ったかなー」
とりあえずスットボケてみた。
「間違いなく、仰っしゃりました」
「そ、そうか……」
普通の人が目を細めて蔑むような視線を送ってくる感じで、糸目の執事見習いはいつも閉じているような目を薄っすらと開け、『文句があるなら自分でスケジュール管理をしろ』というような視線を送ってきた。
日本人の学生時代、決められた時間に沿って行動をするだけだった俺は、それ以外の時間に予定を組んで行動することがなく、前世の侯爵家嫡男時代も自由気ままに生活していたため、スケジュール管理などできない。
だから今は我慢だ。
目的を果たした暁には、俺は信頼できる者たちに囲まれ、日がな一日読書をして、ただ怠惰な日々を過ごし、そして眠るように死ぬ。
そんな生活ができるようになるまで、少しだけ窮屈な思いをしても我慢するしかない。
俺は自分にそう言い聞かせながら、苦い思いを噛みしめるように朝食をとった。
「ここがお兄さまのお部屋なのですね。思ったよりスッキリとしたお部屋です」
朝食を食べ終えると、座学を行なう俺の部屋にミルヒがやってきて、ソワソワしながら室内を見回した。
ミルヒの口調は、昨日の砕けたものから以前と同じ淑女仕様に戻っているのは、日を跨いだことで距離感がリセットされたのかもしれない。
ならばまた距離を縮めなければいけないのだが、腹の肉を揉ませればどうにかなるだろう。
「俺は派手なのがあまり好きじゃないからな、これでも無駄な調度品があると思ってるくらいだし」
「ちょっと意外でした。あ! でも本がたくさんあるのですね」
「読書が趣味だからな」
「本はミルヒからするとお勉強の道具なので、ちょっと苦手です」
ミルヒは俺と婚約させられてから、幼くして様々な教育をされたと言っていた。
そういった経緯から、本が苦手になるのもわかる気がする。
それから少しばかり会話をしていると、妙齢の女性講師講師がやってきた。
彼女はベルという名で、俺が勉強を始めたいと思ったときに、タイミングよくやってきた座学の講師だ。
ヴォルフスシャンツェに従事する他の使用人が、俺を煙たがったり怯えたりするのと違い、顔色一つ変えずに淡々と講義をしてくれるので、とても良い講師だと思っている。
「本日はホルシュタイン伯爵令嬢が見学されると伺っておりますが、若様だけにお教えする、ということでよろしいのでしょうか?」
「俺はどっちでもいいけど、ミルヒも気になることがあったら、質問したり教えてもらってもいいんじゃなかな」
「う~ん、……そうですね。せっかくなので、今日はミルヒもお勉強したいと思います」
勉強が好きではない様子のミルヒだったが、ただ見てるだけでは退屈だろうと思い、あくまで強制ではなく、参加する選択肢もあると示してみた。
するとミルヒは、少しだけ考え込んでいたが”勉強する”ことを選んだ。
「それから、ミルヒのことはホルシュタイン伯爵令嬢ではなく、ミルヒと呼んでください」
「かしこまりましたミルヒ様。私はベルティルデと申します。どうぞよしなに」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
ベルの本名はベルティルデだったのか、などと思っていると、特に会話で盛り上がることもなく本日の講義が始まる。
俺は勉強が好きなわけではないが、知識がないと生き残れないと思っている。
だから今日も、それこそミルヒが望んてるように、いつもどおり講義を受けた。
しかしいつもと違い、今日はミルヒが隣に座っているため、ベルが真正面ではなく左斜め前に見える。
その
今まで意識してベルを見たことはなかったが、後頭部できれいにまとめられた凝ったシニョンが視界に入った所為か、意識が持っていかれてしまう。
そこでよくよく見てみると、全体的にやや暗めな銀髪で、根本が暗く毛先は明るいという珍しい髪色だとわかった。
ん、どこか見覚えのある色味だな。でもどこで見たんだろ?
「質問がございますか?」
俺はベルを凝視しながら意識が思考の中に行っていたらしく、ややもすれば冷たそうな印象を与える切れ長の目に気の強そうな碧い瞳でこちらを見てくるベルと、目がガッツリ合っていた。
「あ、いや、ベルの髪色が珍しいと思ったんだけど、どこか見覚えのある色味でもあるんだ。でもどこで見たのか思い出せなくて……」
俺はその場を取り繕う言葉ではなく、思わず考えていることをそのまま口にしてしまった。
「全体的にはお兄さまの方が色味が暗いですけど、ベルさんの髪の色彩はお兄さまとそっくりです。――そういえば、瞳の色も同じ碧ですね」
なぜか俺の言葉に反応したのは、ベルではなくミルヒだ。
だがその言葉で、どこで見たのかわかった。
俺の髪色は鉛色だけど、根本が黒で毛先が白だから、俺自身の髪と似てるんだ。
「若様は、
「俺は母上も父上もどんなな髪色をしてるか知らないから、それを受け継いだかよくわからない。でもそれを別にして、俺とベルの髪の色彩が似てる意味がわからないんだけど。どーゆーこと?」
両親の髪色がわからないと言うのは良くないと思ったが、それ以上に疑問の方が大きかった俺は、思ったことを口にし、疑問を投げかけた。
すると珍しく、無表情なベルが驚いたような表情を見せる。
「私は奥様の妹で、若様の叔母です。奥様と似た髪や瞳の色をしている私が、若様と似た色味なのも何らおかしくありませんが?」
「え?」
ベルの突然の告白に、俺は間抜けな声を出してしまった。
「もしかして、若様は私のことを覚えていないのですか?」
「は、はい……」
両親のことですら記憶にないのに、叔母のことが記憶にあるわけもない。
「若様が4歳の頃まで、おしめの交換からお世話全般に至るまで、体の弱い
今まで淡々といていたベルが、少しばかり怒りを滲ませた表情で、まくしたてるように思いの丈をぶつけてきた。
だが待ってほしい。
4歳で別れてから5年も経っている。それを9歳の子どもが覚えてるというのは、なかなか難しいのではないだろうか。
だからルドルフの記憶に母の印象が残ってないのは、ルドルフがポンコツだったのではなく、ある意味当然だったのかもしれない。
父の記憶が残ってないのは、やはり5年くらい会ってない可能性があるし……。
「ベルさん……ではなく、ベルティルデ様。お兄さまは落馬事故の影響で、記憶がほとんど残っていないのです」
俺が思案に
ミルヒがベルのことをベルティルデ様と呼んだのは、俺の叔母を軽く呼んではいけないと気づいたからだろう。8歳児らしからぬ臨機応変さが素晴らしい。
それはさておき、ミルヒは俺がほぼ記憶喪失であることを他言してはいけないと思っていたようだが、それは隠し事ではないとすでに伝えていた。
だからだろう、早速とばかりに俺の記憶があやふやであることをベルに伝えてくれたわけだ。
だが――
「ベルで結構です。――それはそうと若様、記憶がほとんど残っていないのですか?」
昨日ティナが興味を示したように、ベルもまた記憶喪失について反応を示した。
その反応から、俺が記憶喪失状態であることを吹聴するのは、もしかしてあまりよろしくないのでは、と思ってしまう。
だからこそ、なんと答えればよいのかわからずに答えあぐねていると、ベルが痺れをきらしたように口を開く。
「ミルヒ様、申し訳ございませんが、本日の講義はここで終了させていただきます。――若様、少しお話しましょう」
「「はい……」」
ベルから放たれた得も言えぬ重圧がキツく、俺とミルヒはただ了承するしかなかった。
ミルヒが退出すると、室内には俺とベルしか残っていない。
ベルは慣れた様子でお茶の用意をしている。
だが室内は、重々しい空気が支配したままだ。
俺の周囲には、俺を恐れてご機嫌伺いをするよな奴らしかいない。
前世でもそうだったことで、むしろそれが当たり前になっていた。
だからこそ、今のベルが全身からみなぎらせている雰囲気を、俺は異世界人になってから感じたことがないのだ。
正直、気が重い。
知らないことに興味を持ち、楽観的にワクワクすることはある。
しかし、場合によっては知らないことを恐怖に思うことがある。
今回は後者だ。
健康的でグラマラスな姿態だが、纏っている空気が非常に重々しい女性が、何度も見たことのある見知った表情で、いつもどおり正面に着席した。
今までとはまったく違う雰囲気で。
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