季節の幕間3 福と愛のおすそわけ

ほんの小さな厚意と好意

 大人になると、忘れがちになってしまう行事も多い。商魂たくましい各種商店がこれでもかと打ち出すことで思い出すことも多いのだが、じゃあそれにならいましょうかとなることはそう多くない。


 ところで今日は節分である。一般的には邪気を払う日とされている。そのために福豆をき、健康を祈願して歳の数だけ福豆を食べる。


 さて、今日の煮物屋さんのお献立。小鉢のひとつはいわしの甘露煮である。頭を落として内臓を取ったいわしは、食べやすい様に手開きして骨を外し、食べやすい大きさに切って霜降りで臭み抜きをしてから、しょうがや調味料で煮詰めた。


 節分にいわしを食べる文化がある地域があり、それにちなんだものだ。その代わりにメインの煮物は優しい味で野菜をたっぷり使った。


 そして節分の日限定のおまけを用意する。煮物屋さんの食器棚の片隅には、佳鳴かなる千隼ちはやが少しずつ買い集めた熱燗あつかん用のおちょこがたくさん入れられている。赤いものや青いものなど色も形も様々だ。


 それを手前からふたつ取り出し、それぞれにスプーン1杯分の福豆をからからと入れた。福豆は海苔のりをまぶしてあるものである。


「はいどうぞ。節分の福豆です」


 田淵たぶちさんご夫妻の前にそれぞれお出しすると、おふたりは「ありがとう」と笑みを浮かべる。


「そうですよね。今日は節分ですもんねぇ。大人だけの家族だと、太巻きはともかく豆まで買うこともなかなかありませんから」


「そうだね。特別好きなものでも無いしねぇ。子どもでもいたら豆撒きとかするんでしょうけど」


「そうかも知れませんね。よろしければここで食べて行ってくださいね。少しなので歳の数は無いかも知れませんが」


「はは。ありがとうございます」


「ふふ。ありがとうございます」


 沙苗さなえさんはさっそく福豆をつまんで口に放り込んだ。


「あ、美味しい。海苔が付いてるの良いですねぇ」


 そう嬉しそうに言ってまた一粒ぱくり。


「いわしも節分ぽいですよね。生姜しょうがが効いてて甘辛くて美味しいです」


 田淵さんが嬉しそうに口をもぐもぐと動かすと、沙苗さんも「うんうん」と口角を上げて頷く。


「柔らかくて骨も無くて食べやすいしね。凄っごく好きな味付けです」


「ありがとうございます」


 田淵さんご夫妻の賞賛に、佳鳴はにっこりと微笑んだ。




 そのおよそ2週間後、またイベントはやって来る。バレンタインディである。元はカップルが愛を祝う日とされている様だが、日本では主に女性が意中の相手に愛や恋を告白する日とされている。


 しかしここ数年は様変わりし、今では友チョコや逆チョコなどもある。そしてひとつの文化になったとも言える社内義理チョコは廃れつつあると聞いた。


 皆が皆本命チョコや友チョコがもらえるわけでは無いので、もしかしたら義理チョコが生命線の男性もいるかも知れない。その方たちにとったら命取りだ。


 中には「お返しが面倒」などという理由でいらない派もおられるだろうが、もらって嬉しい方も一定数はおられるだろう。


 だからと言うわけでは無いが。


「よいしょっと。じゃあ作るかぁー」


 佳鳴は鍋に牛乳と砂糖を入れ、弱めの中火に掛ける。温めている間に千隼と並んで板チョコレートを割る。


 沸騰寸前になり砂糖も溶けた牛乳に水でふやかしたゼラチンを入れ、泡立て器でしっかりと溶かしてやる。


 鍋を火から下ろして板チョコレートを入れ、ゆっくり混ぜながら溶かして行く。じわじわと溶けるチョコレートが牛乳を茶色く染めて行く。


 ここでまたおちょこの登場である。できたチョコレート液を小さなレードルを使って流し入れて行き、軽くとんとんと底を打ち付けて空気を抜きながら表面を平らにする。表面に気泡ができていたら竹串で潰してやる。


 粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やし、彩りも兼ねたピスタチオを乗せたらチョコレートプリンのできあがりだ。


「姉ちゃんひとりで作った方が、男連中は喜ぶだろうに」


 千隼は呆れた様に言うか、佳鳴は「何言ってんの〜」と笑う。


「女性のお客さまにもお出しするんだから。昨今流行りの友チョコ感覚だよ」


 千隼は小さく溜め息を吐きながら「そんなもんかねぇ」とらした。




 さて煮物屋さんの営業が始まった途端とたん、駆け込んで来たのは独身の男性のお客さまが数名である。


 お客さまはおしぼりで手を拭きながらごちる。


「うち、社内義理チョコ廃止になったんですよ。結構楽しみにしてたんですけどねぇ」


「あら、それは残念ですねぇ」


「うちも無しになったんですよ。女性にばっかり負担が掛かるからって。いやいやいや、ホワイトディがっつり返してるじゃんって思いますけど」


 少しねる様なお客さま。佳鳴は「ふふ」と小さく笑う。千隼は少し身につまされる思いである。


 千隼も会社員時代には社内で地理チョコが飛び交っていた。もう数年前の話である。義理だと分かっていても笑顔で渡されるのは少し嬉しいものだった。


 幸いにも千隼は女性社員とも交流があったので、嫌がられていなかった、と思いたい。もちろんお返しはきちんとしていた。デパートなどで適当なものを見繕っていた。


「俺は義理チョコ面倒っすね〜。お返し考えるの大変じゃ無いっすか。下手なもん選んじまったら株も下がるしでさんざんっすよ」


 そう吐き捨てる様におっしゃるお客さまもいる。


「何、お前んところは義理チョコまだやってるのか?」


「あるっすよ。今年は3つでした」


「結構もらってるじゃん。いいなぁ」


 心底羨ましそうなお客さま。ご本人さんは「いやぁ」と顔をしかめる。


「ひとつで数人分ですよ。お返しいくら掛かるんだろ。憂鬱っす〜」


「あー、3倍返しってやつな」


「え、何、今の時代でもそういうのあるのか?」


「判らないっすけど、でも下まわれないっすよ。それにひとりひとつ買わないといけないっすもん。センスもいるっすし」


「あ〜まぁなぁ」


 羨ましがっていたお客さまもやや眉をひそめる。


「ねぇ店長さん、女性ってどんなお返しもらったら嬉しいっすかねぇ」


 少しすがる様なお客さまだった。


「そうですねぇ、いただけるのでしたら嬉しいですけど、若い女性でしたら、やっぱりデパ地下とかでいわゆる映えるものが嬉しいんでしょうかねぇ。味は悪いわけが無いですし」


「あー映えかぁ」


「それかぁ〜」


「それなぁ〜」


 お客さま方はそれぞれに言って一様に天を仰いだ。


「うわー、それで選んだら諭吉とか普通に飛んで行きそうっす〜」


 お客さまはすっかりと嘆いてしまう。


「でもそんなにこだわられなくても大丈夫だと思いますよ。確実に美味しい有名店の小箱を送られたら、間違いは無いかと」


「そ、そうっすかね?」


「はい。その頃にはデパートでもおすすめとか出されると思いますし、3月に入ったら行ってみられたらいかがですか?」


「そ、そうするっす。ありがとうっす」


 お客さまは救われた様に顔を綻ばす。佳鳴は「いいえぇ」と微笑んだ。


「さ、ではチョコレートプリンをどうぞ」


 料理の皿が空き始めたころを見計らって、佳鳴がチョコレートプリンをお出しする。滑らかなチョコレートプリンの上にピスタチオが一粒ちょこんと浅く埋まっている。小さな使い捨てのプラスチックスプーンを添えて。


 ちなみに女性のお客さまには千隼がお出しする。


「あ〜これこれ。毎年楽しみなんですよ〜」


「小さくて恐縮なんですが」


「いえいえ、大事に食べなきゃって気になります」


「いただきます」


 お客さま方はスプーンを手にし、プリンにすっと入れる。小振りな一口をそっと口に運んだ。


「あ〜旨い。優しい甘さが良いですね〜」


「本当だ。なんだか沁みるなぁ〜」


「はい。美味しいっす。店長さん、お返しは期待しててくださいっす」


「なんだお前、さっきはお返し買うの面倒って言ってたくせに」


「店長さんは別っす」


 そう言い切るお客さま。本当にとてもありがたいことだ。


「嬉しいですけども、あまりお気を使わないでくださいね。それに千隼と一緒に作らせていただきましたし」


「あ〜そうだったっすね! でも気は使いたいっす!」


 そうきっぱりと言ったお客さまに、周りは「なんだそれ」とおかしそうに突っ込んだ。




 独身男性のお客さま方と入れ違う様に訪れたのは、門又かどまたさんとさかきさん、山形やまがたさんである。煮物屋さんでは最近すっかりとご一緒だ。


 山形さんは門又さんに想いを寄せている様だが、それはまだまだ報われていない。このバレンタインディに榊さんも交えて煮物屋さんに来られていることで、それが伺えてしまう。


 佳鳴も千隼も心の中で応援するしか無い。いつか想いが届けば良いと思う。


 お食事を終えたころの門又さんたちにも、チョコレートプリンをお出しした。


「この量がちょうど良いよねぇ。お酒も飲んでるし、ひとり分だとちょっと多いもん」


「しっかりチョコレートなのに、さっぱり食べられるのも良いわよねぇ〜」


「僕は初めてなので楽しみです」


 そうして並んでほぼ同時に口に運んで行く。そしてほっこりと表情を緩めた。


「ふふ、冷たくて美味しい」


「本当よねぇ〜。これ手作りよねぇ〜? おちょこ可愛いわねぇ〜」


「はい。ふたりで作らせていただきました。さっぱりに感じられるのは、卵と生クリームを使っていないからだと思います。牛乳とお砂糖とチョコレートだけでシンプルに作っているんですよ。お酒とお食事の後にあまり濃厚なのは食べにくいかと思いまして」


「そうなのよねぇ。それが嬉しいわぁ〜」


「僕も嬉しいです。甘さ控えめで。僕、これが今年ふたつ目のチョコレートになりました」


「あら、誰かからもらったの〜?」


 門又さんが少しからかう様に言うと、山形さんは「い、いえ」と焦る。


「うちの工房、3時にティタイムがあっておやつが出るんです。バレンタインだからって、いつもよりちょっと良いチョコレート菓子をいただいたんで、それも一応カウントで」


「へぇ、職場の心遣いなのね」


「はい。ブラウニーでした。美味しかったです」


「あ、そうだ」


 門又さんは思い出したと言う様に、カウンタ下の棚に手を入れる。


「はい、山形くん、これ」


 そう言って山形さんに差し出したのは、某有名高級ブランドのショッパーだった。


「チョコレート。クリスマスにはディナーごちそうになったし、前はネックレスだったもらっちゃったしね。全然足りないけど、お礼」


 山形さんの驚いた顔が門又さんと菓子箱を何度も往復する。


「え、僕にですか? もらえるんですか?」


「うん。もらってくれたら嬉しい。いつもありがとうね」


 門又さんはそう言ってにっこりと笑った。そんな門又さんの後ろでは、榊さんが山形さんに向かってぐっと両の親指を立てる。山形さんは驚きの表情のままおずおずと手を出して、チョコレートを受け取った。


「ありがとう、ございます」


 少し目が潤み、声もかすかに震えている。山形さんはチョコレートをそっと胸元に抱いた。相当感激したのだろう。


「あの、とっても嬉しいです」


 山形さんの頬がわずかに紅潮する。口元はふんわりと緩んでいた。


「喜んでもらえたんなら良かったわ」


 門又さんも満足げである。


 件のチョコレートは高級品なので、そのお値段はクリスマスに門又さんにご馳走した金額に相当しそうだ。


 と言うことは、やはりまだまだ脈無しということでもある。門又さんの中ではお礼の域を超えないのだろう。


 それでもこれは門又さんの心である。それもまたひとつの好意なのだと、佳鳴は思う。


 義理であっても山形さんは門又さんの気持ちを受け取ることができたのだ。それは小さくとも進展では無いだろうか。


 佳鳴も千隼も嬉しくなってしまい、顔を見合わせて「ふふ」と微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る