第2話 世界を魅せたなら

 翌週末の日曜日、煮物屋さんを休みにした佳鳴かなる千隼ちはやは、電車で某地に出て来ていた。高橋さんの小劇団の公演がある小劇場のある街だ。


 休日なのでかなりの人出である。佳鳴たちは劇場に行く前に軽く腹ごしらえをしておこうと、老舗しにせの喫茶店に入る。


 かなり歴史を感じさせる内装だ。木製の柱やテーブルはすっかり飴色に変化している。しかし清潔にされており、居心地の良さを感じさせる。


 今は都会であればあるほどこういう店は貴重であると思う。佳鳴たちは店員さんにホットケーキのセットを注文し、おしぼりを広げてほっとひと心地吐いた。


「うーん、うちの店も少し照明暗くした方が居心地良くなるかな」


 この店は程良く照明が落とされ、とても落ち着くたたずまいなのである。


「どうだろ。うちはカフェとかじゃ無いしなぁ。むしろ回転率上げる工夫をした方が良いかも知れないぜ」


 佳鳴の提案に千隼は難色を示す。休みにしても店が気になってしまうのは、もう職業病なのだろう。


「定食のお客さまはそんな長居されないし、今のバランスで良くない?」


「それそれ。酒の客は少し暗くするのが良いかもだろうけど、定食の客にとっちゃあ、そんな雰囲気出されてもってとこじゃ無いか?」


「ん〜それもそうか。じゃあ結局今のままが良いってことなのかなぁ」


 煮物屋さんの照明は普通の明るさだ。定食も提供しているからだ。落ち着ける空間も大切だが、提供する料理が美味しそうに見える明るさも必要だ。なかなか難しいところである。


 そんな話をしているうちに、ホットケーキとドリンクが運ばれて来た。佳鳴たちが小さな時から食べ慣れているベーシックなホットケーキだ。両面がきつね色に綺麗に焼かれている。


 ドリンクは佳鳴はストレートティ、千隼はコーヒー、両方ホットである。


 ホットケーキの上でとろりと溶け掛けているバターを全体に塗り、別添えの蜂蜜をたっぷりと掛ける。これがメイプルシロップでは無いところが、この店の老舗感が出ている気がする。


 ナイフを入れると、表面はさっくりと、中はしっとりと焼かれている。佳鳴たちはそれを大いに堪能たんのうした。




 カップも空になるころ、店内の壁掛け時計を見ると、そろそろ良い時間になろうとしていた。


 佳鳴たちは喫茶店を出て、小劇場に向かう。


「楽しみだな。観劇とか久しぶりだ」


「そうだね。お店始めてから休みが月曜だから、行けるタイミングそう無かったもんねぇ。こういうのって週末が多いから。私も楽しみだよ」


「おう。特に知ってる人が出てるって言うのもな。高橋さんは主役じゃ無いけど、重要な役どころなんだよな」


「そうそう。ミステリーでしょ、それで重要な役回りって、犯人とかワトソンとか」


「だったらすごいよな」


 途中で花屋に入る。高橋さんにお祝いの品を用意するのだ。あまり大きいと荷物になるので、気持ちだけになってしまうが、小さなブーケをしつらえてもらった。


 赤と黄色のスプレーマムをメインに、緑色のかすみ草をあしらったブーケ。持ちやすい様にナイロン袋に入れてもらった。


 そして到着する。1階部分が小劇場になっている、そう高くは無いビルだ。2階から上は飲食店や雑貨店などが入っている。


 佳鳴たちは高橋さんから直接買ったチケットを出しながら、劇場の出入り口に向かう。すでに入場は始まっていたので、チケットをもぎってもらい、パンフレット代わりのちらしを受け取って中へ。


 そこには小さいながらもロビーがあり、さっと見渡してみると、常連さんの姿を見つけた。門又かどまたさんとさかきさん、赤森あかもりさんだ。円を囲む様に談笑している。


 そこで赤森さんが佳鳴たちに気付いてくれ、「あ、店長さん、ハヤさん!」と軽く手を上げた。


「こんにちは」


「こんにちは」


 佳鳴たちはぺこりと挨拶をしながら、赤森さんたちの元へ。赤森さんたちは少し輪を広げて佳鳴たちを迎えてくれた。


「こんちは。今日は楽しみだな」


 そうわくわくした様な表情で言う赤森さん。佳鳴は「はい、本当に」と笑顔で頷いた。


「店長さんたちお店あるから、観劇なんて久しぶりなんじゃ無い?」


「そうよねぇ。と言ってもぉ、私も久々なんだけどねぇ」


 門又さんと榊さんのせりふに、赤森さんは「うんうん」と頷く。


「店長さんたちで無くても、観劇の機会なんてなかなか無いよなぁ」


 そんな話をしていると、後ろから「こんにちは」と声が掛かる。振り向くと、こちらも常連の岩永いわながさんがふらりと近付いて来た。


「皆さんお揃いですねぇ」


「岩永さんこんにちは」


「こんにちは」


 佳鳴たちは口々に挨拶を返す。すると岩永さんの後ろで、岩永さんとそう歳の変わらないであろう女性が、佳鳴たちにぺこりと頭を下げた。


「あ、彼女ね、僕の幼なじみの渡部わたべ。普段は仕事でここ離れてるんだけど、出張でこっちに戻って来たから飲もうかって話になってね、じゃあ知り合いが小劇場に出るからその前に一緒にどう? って。渡部、結構観劇してるんだよ」


「あら、ご趣味なんですか?」


 門又さんが聞くと、渡部さんは「ええまぁ、そんな感じです」と曖昧に、しかしにこやかに応えた。


「ああでも皆さん、そろそろ中に入らないと」


 岩永さんが腕時計を見ながら言う。


「あらぁ、もうそんな時間なのねぇ」


 門又さんと榊さん、そして赤森さん、続いて岩永さんと渡部さん、最後に佳鳴と千隼が中へ。


 入ると、高橋さんから聞いた通り、座席は座布団敷きだった。適度に間隔が取られて置かれている。そしてそこからほんの少し高いステージの奥には、黒い布が垂れ下がっていた。間も無く始まるのだから、それが舞台の完成形なのだろう。


 狭い客席だが、そこそこ埋まっていて、佳鳴たちは後方の空いている席に適当に腰を下ろす。門又さんと榊さんなどはぐいぐいと前へと進んで行っていた。


 まだ客席も明るいので、あちらこちらから小さな話し声が聞こえる。佳鳴と千隼は並んでちらしに目を走らせ、「へぇ」と佳鳴が小さく声をもらす。そして数分後、女声のアナウンスが響いた。


「皆さま、本日はお越しくださり誠にありがとうございます。間も無く開演でございます。どうぞごゆっくりとお楽しみください」


 すると客席の照明がふっと落とされ、そう派手では無いライトが舞台を照らす。


 ほんの少しの間を置いて、袖からベージュのグレンチェックのスーツ姿の男性役者がゆったりと舞台の中央へ。男性はゆっくりと口を開くと、高らかに告げた。


「皆さま、今からご覧いただきますのは、名探偵である私が体験し、そして解決した、世にも奇怪な事件の記録でございます!」




 およそ1時間30分の舞台が終わり、客席が再び明るくなったその時、佳鳴と千隼は揃って溜め息を吐いた。


「おもしろかった! 高橋さんご謙遜けんそんされてたけど、私はすごく楽しかった!」


 佳鳴が興奮の面持ちで言うと、千隼も「だな」と頷く。


「高橋さんも他の役者さんも良かったと俺も思う。俺らそんな詳しい訳でも目がえてる訳でも無いから、基準が判らないけど」


「基準なんてどうでも良いよ。見た人がおもしろいと思ったのが1番だよ」


「そうだな」


 周りがちらほらと立ち上がり、佳鳴たちもゆっくりと腰を上げる。


「高橋さんにお会いできるかな。ブーケもお渡ししたいし」


「会えなかったらスタッフとか捕まえたら良いと思うんだけど」


 すると客席の前の方から、こちらもまた満足げな門又さんと榊さん、にこにこと笑顔の赤森さん、なぜかほっとした様な岩永さんと渡部さんが合流した。


「おもしろかったね。去年より上手になってたと思う」


 門又さんは昨年の公演も観に来ていたのだ。


「そうねぇ〜。来て良かったわぁ。私は去年来れなかったからぁ」


「ああ。良かったと思うぜ」


 赤森さんもそう言って頷いた。


 その時、舞台袖からばらばらと役者たちが舞台衣装のまま姿を現した。佳鳴はその中に高橋さんの姿を見付け、「あ、高橋さん」と呟く。


 そのタイミングで高橋さんも佳鳴たちを見付け、衣装のありさまと打って変わって元気な笑顔で、ちょこちょこと座布団を避けながら駆け寄って来た。


「こんばんは! 来てくださってありがとうございます!」


 公演の間にすっかりと陽は落ちていた。


「こちらこそ、本当に楽しませていただきました。すごかったです。まさか被害者役だったなんて」


 佳鳴たちが次々に賞賛を表すと、高橋さんは嬉しそうに、照れた様な笑みを浮かべた。


 被害者役の高橋さんが着ているチュニックには、血痕に見立てた赤いインクが散っていた。途中生きていた時の回想があるので、その時は綺麗なチュニックを着ていたのだが、今はインク付きの服である。


「そう言っていただけて嬉しいです。今の精一杯でがんばりました!」


 高橋さんはにこにこと笑顔だ。手応えがあったのだろう、満足げだ。


 そこで、用意していたブーケを渡す。「あらためて、おめでとうございます」と佳鳴が言うと、高橋さんは「わ、ありがとうございます!」と嬉しそうな表情で受け取ってくれた。


「うわぁ、可愛いブーケですね! 店長さんとハヤさん、センス良いんですねぇ。すごいです!」


 高橋さんはそう言って、ふわりと笑みを浮かべる。


 すると、それまで静かに佳鳴たちの様子を眺めていた渡部さんが、ぐいと前に出て来て、高橋さんに両手を差し出す。その手には名刺があった。


「高橋さん、私、こう言う者です。渡部と申します」


 高橋さんは渡部さんに引っ張られる様に名刺を受け取ると、それに目を落とす。


「芸能事務所の、マネージャー……?」


 大きな目をさらに見開き呟く高橋さんに、渡部さんは言った。


「あなた、芸人か歌手になる気は無い?」


 そのせりふに、その場にいた全員が「は?」と間抜けな声を上げた。

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