【自己愛性パーソナリティ障害】三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実【ボディビル】
アップするの久し振りだな。
三島由紀夫は、自己愛性パーソナリティ障害の一例として、よく引き合いに出される。
テーマと無関係という訳でもないので、映画を観て思ったところを少々書いておこうかと思うのである。
まずは演出について。
ドキュメンタリーとしては、何だかもろにTBSのそれっぽい感じで、あまり面白みのないもっさい印象を受けた。まあ後半は気にならなくなったかな。
海外のドキュメンタリー映画が好きなのだが、演出も編集も格段に進化している。
先日観たピケティの『21世紀の資本』とか、ミュージックビデオっぽい派手な演出で、ドキュメンタリーのお堅いイメージは既にない。
監督さんは元々、フィクション専門の方だそうで。ドキュメンタリーを撮る人材があまりいないのか。
おまけにパンフによると、討論は二時間に及んだというのだが、その討論のシーンが意外と少ない。終始和やかに進み、一触即発とか殴り合いとか、そういった殺伐としたシーンはほぼない。
内容も、それ程高度とも思えないが、わかったようなわからないような……。
名前がなければ認識出来ない(そりゃそうだ)
解放区には時間がない(ごめん、何言ってんだかよくわからない)
天皇の存在とは(学生たちはエセグローバル化の先駆けですな)
内容はともかく、三島由紀夫のスター性とカリスマ性はよくわかった。
三島由紀夫は、終始聴衆を意識して、はっきりと聞き取りやすく話している。
タレントとして完成されている感じ。
対して学生たちの方は、壇上でも何やらうだうだと取り留めなく話してる感じがして、聞き取りづらいし理解出来ない。
この辺が、革命失敗の一因という気がする。『スター』の不在、大衆へのアピール力不足である。
共産主義は、元々『個』の存在というものを認めない。イデオロギーに忠実であれば、当然カリスマ性は否定されることになる。
勿論、例外はたくさんある。
ホーチミン、カストロ、スターリン、毛沢東、金日成、ポル・ポトなどなど。
結局のところ、革命を成就させるには、個人崇拝に頼らなくてはいけないという自己矛盾をはらんでいた訳だ。元々集団主義的で、更にクソ真面目にイデオロギーに忠実となれば、そりゃ革命なんて無理ですわ。結局、日本人であることの限界を超えられなかった訳だ。
差異はまだある。
三島は、自身の思想と信念に殉じてハラを切った。
対して学生たちの方は、地方公務員(???)になったり、大学教授になったりしている。
この覚悟というか気合いの違いが、モロに結果に出ているのではないだろうか。結局は自己愛性PD的気合いがモノをいうということでしょうか。
今後、左翼が取るべき道は一つだ。スターの輩出である。若いイケメン美女をスカウトして養成すればいいのだ。或いは電通にでも頼むか。
個人的には、武力革命路線に戻ってもらいたい。三島も、暴力は否定しないって言ってたしね。その方が楽しそうでしょ。
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