第2話
一章
僕はこの依頼人を、薄い金髪ショートで色白なこの女を知っている。
雨嶋佳那(あめしまかな)。僕が通っていた高校の二個下の後輩であり高校時代に関わりがあった数少ない生徒の一人だ。
「数少ないとか言って言葉濁していますけど私以外に関わりがある人いましたっけ?」
「人の心の声に入ってくるな」
エスパーか。
「エスパーです」
とウインクしながら言ってきた。ああそうですか。
「そんなことよりストーカー被害にあって大変なんだろ?とりあえず上がれ」
「あっ、はい」
そう言って雨嶋はソファーに腰掛け僕はお茶を出す。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
何だ?さっきから随分とよそよそしいじゃないか。高校の頃は明るくて誰とでも仲が良く友人のいないえらく陰気な僕にでもずけずけと話しかけてくる奴だったのだが。確かこいつと出会ったのは……、あれ、どこだったか?記憶があやふやだ。まあ十四年も前のことだし仕方がないか。
「どうした?」
「何がです?」
「何がってお前さっきから何でそんなよそよそしい感じなんだ?あれか。心のバリアか?ATフィールドか?」
「私、昔の先輩みたいな感じになっていましたか?」
僕って昔こんな感じだったのか?何か台詞を言う度に「あっ」と言っていたのか?納得いかん。
「だってあの先輩が、大した力もないくせにプライドだけは高いあの先輩が、目が死んでいて心が汚いあの先輩が、こんなまともな人間になっていたんですよ。そりゃあ感動で言葉を失いますよ」
酷い言われようだ。いや褒めているのか?どちらにせよ雨嶋は僕の知っている雨嶋だった。
「けどやっぱりその死んだ目だけは変わりませんね」
今のが褒めているわけではないことを判断するのに時間はかからなかった。というか判断するまでもなかった。同時に何かこいつに嫌われることしたかな、と考えた。
「目が死んだ奴は心が綺麗なんだよ」
「ほんとですか?それ」
嘘だ。まあ目が死んでいる人間の中にはもしかすると心が綺麗な奴もいるかもしれないので一丸にそうは言えないが少なくとも僕は性格がいいとはいえない。自分で言うのだから間違えない。
「どこ情報ですか?」
「ソースは僕だ」
「それはないです」
ガチなトーンで言われた。そんな声音で言わなくてもいいんじゃないか?
「いやまあ、それは冗談としていいものだろう。昔の知り合いが昔と変わらず元気でやっているのは」
「いえ。先輩にはむしろ変わって欲しかったです。心配だったんですよ。この人こんな性格でどうやって生きていくんだろうなって、何で整形しないんだろうなって」
同感だ。僕もそのことは不安だった。雨嶋はとても酷いことを言っているように思えるが全部本当のことなのだ。否定のしようがない。こいつの言葉よりも僕の性格の方がよっぽど酷い。だが整形のことにいたっては心外である。
「けど私はそんな先輩が嫌いでなかったんですけどね」
と言って彼女は小悪魔のように可愛らしく笑った。我が後輩ながら厄介な相手である。依頼人にも色々いる。不倫調査に当てはめるのであればヒストリーに浸る者、相手を殺すと殺気だっている者、他にも様々だ。そういう依頼人たちに対して気を付けていることは一つ、話の主導権を握られないようにすることだ。これがとても重要になる。そうしないと報酬の話だとか今後の方針だとかでこっちの思い通りにいかないことが多々ある。このまま雨嶋に口先の戦いで負けてしまうと主導権を握られてしまうだろう。もっとも知人相手に報酬を請求しようとは思わないがこちらとしてはやりづらい。
「僕もそうやって最後には僕を肯定してくれる後輩が嫌いではなかったよ」
目には目を歯には歯を口先には口先を、だ。
「え?べっ、別に肯定なんてしていませんよ。むしろ否定しています。否定。そんなのだから彼女ができないんですよ」
どうやら効果抜群だったらしい。だが彼女がいないと決めつけられるのは不愉快だ。
「彼女がいるかいないかは関係ないだろう?」
「ありますよ。大ありです。それに彼女とかいないでしょ?」
とかって何だ。僕に彼氏がいたらどうするつもりだ?
「失礼なこと言うな」
「じゃあいるんですか?」
「ああ。いるね」
「嘘ですよね」
嘘だ。これまでにいたかいなかったかは想像に任せるが少なくとも今はいない。ただ後輩相手に見栄を張りたくなっただけだ。
僕は長々と存在しない彼女の自慢話を雨嶋に聞かせた。雨嶋は終始呆れ果てていたが僕は自分の噓をつき通した。
「どうだ。なかなかいい女だろう?」
「はい。で、嘘ですよね」
「……」
これ以上噓をついても惨めなだけだろう。そう思い降参の意を込めて黙ることにした。
「そのリアクションはいないってことですよね。あー。惨め、惨め。その歳にもなって彼女がいないなんて。そしてこれからもできないなんて」
降参したはずだがそれが伝わらなかったのかそれとも始めからオーバーキルが狙いだったのか雨嶋は更なる攻撃に出た。このままこの話題が続くのは好ましくないな。というか嫌だ。
「あー分かった。分かった。降参だ。降参。それはさておきお前は何しに来たんだ?僕の心を痛めつけに来たのか?」
「そうでした。私依頼の話をしに来たんでしたね。ではその話をしましょう」
話題を変えることに成功。無駄話が長くなってしまったがようやく仕事の話だ。
「あれは一、二週間ぐらい前の仕事帰りのことです。後ろから嫌な視線を感じて振り返ってみると後ろに男の人がいてその日は家に着くまでずっと後ろをつけられました」
一、二週間ぐらい前とはずいぶんとざっくりしているな、と少しだけ違和感を感じたがそれよりも驚いたことがあった。
「お前働いていたのか?」
「そうですけど」
「お前みたいな馬鹿でも立派に働いているんだな。感動で涙出てきたよ」
高校時代の雨嶋は人付き合いこそ上手かったがその知能は絶望的なものだった。一年始めのテストから卒業を危ぶまれていたレベルだ。そんな彼女がちゃんと働いていることに感動した。
「やめてください。先輩に感動の涙を流されるぐらいだったら死んだ方がましです」
どうやら僕に感動されたことがお気に召さなかったらしい。それにしてもいちいち暴言の絶えない女だ。
「最初はたまたま道が同じだけなんだろうと思って特に気にはしなかったんですけど」
「女子がたまたまとか言うな。はしたない」
「黙って聞いてください。セクハラで訴えますよ」
僕が口をはさむのは先ほども述べた通り相手に話の主導権を握られないようにするためだ。今のはその一環で冗談のつもりだったが彼女にはそれが通じなかったらしく冷ややかな侮蔑に満ちた目をこちらに向ける。
「冗談だ。悪かった」
とりあえず謝る。こういう時はすぐに謝っておいた方がいいだろう。雨嶋は納得いかないようだったが「はあー」とため息をつくと続きを話し始める。
「けどそれが次の日もその次の日も続いたんですよ。それで怖くなったのでここに来たんです」
「成程。話は大体分かった。だがいくつか訊きたいことがある。質問いいか?」
雨嶋の説明だけだと不明瞭な点がいくつかあったためそれらを訊くことにした。あとくれぐれも失言は避けようと誓った。
「はい。どんなことでも」
「本当にどんなことでもいいのか?」
「それでは先輩。さようなら。次は法廷で会いましょう」
そう言って雨嶋は事務所を出ようとする。待て待て。まったく僕は何を言っているんだ。今さっき失言は避けようと誓ったところではないか。先ほど雨嶋に何か嫌われることしたかと考えたがもしかしたらこういうところが要因になったのかもしれない。
「ワンモア、ワンモアプリーズ?」
「どうぞ」
満面の笑みで返してきた。その笑顔には愛嬌というものが一ミリたりとも込められてなく恐怖だけがにじみ出ていた。
「警察には相談したか?」
「していません。でも今はどこぞの変質者を突き出してやりたいです」
ん?変質者?誰のことだ?ストーカーのことか?
「弁護士とか他の探偵とかには?」
「いえ。ここが初めてです」
「じゃあまずは警察に行くところからだな」
「先輩を突き出しにですか?」
変質者とは僕のことだったらしい。恐らく僕をからかってやろうと思ったのだろうがそんな考えは見え見えなのであえて無視することにした。
「探偵に相談したのは間違ってはいない。だが探偵ができるのはせいぜいストーカーの正体を暴くことぐらいで逮捕するのは警察だ。僕に誰かを逮捕する権限はない。つまりこの件を解決するためには警察の力が必要になる」
嘘だ。本当は私人逮捕権という権利があり一応一般人でも逮捕権はある。だがそれをすると色々と面倒くさい。この依頼に時間がかかりすぎて他の依頼に手がまわらない可能性がある。それだけは避けたい。だから噓をついた。いつものような意味のない嘘ではなく意味のある噓だ。
「なるほど」
日本の法律に関わる噓をついたがこいつはそんなこと知らないらしくすんなりと騙されてくれるのだった。あほだな。
「警察にはこれから行くとして質問に戻るぞ」
「何でもはなしですよ」
今度は最初から釘を刺された。これまでのやり取りを考慮した妥当な判断だ。
「そのストーカーに後をつける以外のことをされたことはないか?」
「今のところはありませんね」
「なら、つけられる時間帯とかはどうだ?例えば仕事帰りだけ決まってつけてくるだとか。そういう行動パターンが知りたい」
先ほど述べた通り探偵にできるのはストーカーの正体を暴くことだけと言ったためそれだけは全うしなければならない。その上で相手の行動パターンを知ることは重要なことだ。そういうちょっとした情報が必要になってきたりする。
「毎日、ずっとです」
「ずっとってずっとか?」
「はい」
「それって休みの日とかもか?」
「はい。最近は休みの日とかは怖くて外に出ていません」
僕は男なので分からないが女性は休みの日とかはショッピングに行くものだと聞く。それがストレス発散になったりするのだと前に依頼人が言っていたのを耳にした。だとしたら休みの日にショッピングにも行けず家で一人、ストーカーに怯え続けなければならないのがどれほどの苦痛か。僕には関係のないことだがかわいそうだなと思った。
「ということはここに来るときもか?」
「はい」
今から警察に行け、と言いたかったがストーカー側に警察に行ったとこを知られて変に警戒されても面倒だ。まあここに入るのを見られた時点で警戒されるのは変わらないだろうが幸い僕の顔は見られてない。自由に動けそうだ。それを利用して隙を作りストーカーのことを警察に相談出来たら上々か。
「じゃあ最近告白されてその相手を振ったり、街中でナンパされてそれを拒絶したり、後は彼氏と別れたりしたことはないか?」
「ありませんけど。そもそも彼氏なんていませんけど」
ん?
「お前彼氏いないのか?」
「はい」
「さっき彼女がいない僕のことを散々卑下していたのにか?」
「何です?何か文句ありますか?」
とてもイラついている様子だった。どうやら彼氏いるいないの話は地雷だったらしい。
「それとも」
と言って一呼吸おき
「先輩が私の彼氏になってくれるんですか?」
とこちらを見ず視線を泳がせ頬を朱色に染めながらそう言った。
「お前がもう少し大人になったらな」
「大人になったらって私もう二十歳後半ですよ」
「歳じゃない胸の方だ」
雨嶋の胸は大きくはないな。大きくは。そしてもう大きくなることはないだろう。
「どこ見ているんですか。死んでください。頼むから死んでください」
「分かった。分かった。いつか死ぬから。それよりお前今日も仕事か?」
「そうですけどそれが?」
「今日一緒に帰らないか?」
僕は嘘つきだ。大噓つきだ。噓つきが息をするかのように噓をつくように大噓つきは皮膚呼吸をするかのように大噓をつく。正直、僕以上に信用してはいけない人間はいないと思っている。だがそんな僕を信用してくれたのだ。少しは助けになってやろうと思った。もちろんこれも嘘かもしれないけどな。
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