第6話 「あ、お帰りなさい」
予想通りの声がした。靴を脱ぎながら、ぴょこんと顔を出す彼女にコノエはひらひら、と手を振る。
「ただいま。誰も来ませんでしたかね」
「うん誰も。七匹のこやぎのように来ても黙ってるよ」
「あれは食べられてしまうでしょ」
そうくすくすと笑いながら、奴は出迎えるタキノを抱き寄せる。最初に会った時のようだ。そうしてやっとタキノは俺に気付くんだ。あ、居たの、と言いたげな調子で。
「タキノも、来てたの?」
結構広い板張りの部屋に落ち着くと、俺は彼女に問いかける。すると彼女は不思議そうに首を振った。何でそんなこと聞くのか、というように。
「ねえ、言ってないの?」
「ああ…… そう言えば、言ってなかったですねえ」
何をだ。何となくこの二人の会話というのは、時々言葉を省略しているようなところがあって、聞いてる俺には要領を得ない時がある。
「あたしは、ここに住んでるの」
「お前ら同棲してんのかよ?」
反射的に言った俺に、彼女はあはは、と笑いを飛ばす。大きなクッションの上にちょこんと座った姿は、何やら可愛らしい。
「違う違う。一緒に住んでるけど、同棲とは言わないじゃない。きょうだいだったら」
「そう言えば言わなかったですかね。名前だけ紹介すればそうゆうものかなあと思ったんですがね」
「……だってお前ら」
立て続けに言う奴らに、俺は言葉を失う。だってお前ら、何となく……
「あ、別に血はつながってないですからね、そうゆうことはそうゆうことで」
コノエは俺の言いたいことをさっさと先取りしてくれる。
「いろーんなお家があるの。だからあたしはこのひとの妹だけど違うの。それだけ」
タキノはタキノで、にこにことそんなことを言ってくれる。その他愛なさと、当たり前のような口調が、それ以上の質問を俺の口から封じ込める。
「ま、でもそれはキミにはあまり関係の無いことだしあまり関係あっても危なくなりそうだからきっとワタシも忘れたんでしょうな」
そしてコノエはコノエで。
何やら、物騒な単語か耳に入ったような気も、するが―――
「ま、てきとーにその辺のものでも見てて下さいや」
奴は立って、キッチンへ向かった。タキノはクッションにちょこんと座ったまま、奴が途中で買ってきた雑誌の袋をがさがさと開けている。
そういえば、何やら奴が読むとは思えないような製作系ファッション誌だと思ったら、彼女のためだったのか。何やら部屋の隅にはミシンのケースもある。
この部屋は一人で住むには確かに広かった。六畳を三つくらいつなげたようなワンルームに、キッチンルームとバスルーム、それにロフトがついている。天井も結構高い。
基本的に床は板張りで、普通のシングルの倍くらいありそうなマットレスが、一つは使われた様子で、もう一つは畳まれて壁と仲良くなっていた。使われた方のマットレスには、掛け布団が掛かったままだが、その下のシーツの乱れが、妙に生々しく感じられる。
と、ぴた、と頬に当たる冷たい、濡れた感触に俺は声を上げて飛び上がった。顔を上げると、真っ赤なアルミの缶。その上に奴の整った顔が、あった。
「ほい、コーラでいいですかね?」
「……サンキュ」
「あたしにも」
「もちろん。ほら」
コノエは彼女の頬にもぴた、と缶を当てる。気持ちよさそうに彼女は目を細める。そのまま頬に当てた缶は、くるくると回りながら彼女の鎖骨まで降りた。俺は思わず見入ってしまった自分に気付いて、赤面してしまう。
転がされた缶は、すとん、と彼女の手の中に入った。そして奴はその彼女の横に腰を下ろした。ぷし、といい音がして、缶が開く。
「そういえばカナイ君や、こないだワタシ、例の彼氏見たんですがね」
「例の彼氏?」
「ピアノの。我らがクラスメートのマキノ君」
「そりゃ見ることくらいあるだろ」
クラスメートなんだから。
「いやそうじゃなくてですね、キミ知ってましたかね。中町にACID-JAMってライヴハウスがあるんですけどね」
「あしっどじゃむ」
何やら奇妙な響き。音面は綺麗なのに、どうも内容は物騒なような。
「そこで?」
「彼氏を見かけた、と。ちょうどあれは何のバンドの日でしたかね、タキノ? 14日の」
「14日?ああ、ベルファだよ」
「べるふぁ?」
タキノは即座に答えを返す。俺は聞き覚えの無い名前に、繰り返す。
「BELL-FIRSTってバンドがあるんですがね。結構これが上手いんですよ。テクニックが確か。ワタシは結構好きですねえ…… おや何か不服そうな顔」
悪いか。眉を寄せ、俺はコーラを一口含む。
「お前ら一体一ヶ月に何本行ってるんだよ?」
二人は顔を見合わせる。
「一ヶ月に何本ってねー……」
「まあ行けるものは行ってますよ、ワタシらは。アンテナに引っかかったものは」
「そうそう。そうゆうものは見られるうちに見て置かなくちゃ損損」
そういう問題ではなくて。高校生がそんなに遊び歩いていてよく余裕があるな、と言いたかっただけなんだが。
だが確かに、奴らにはそういう問題は無さそうだった。この住まいを見ても判る。この広さに、こんな暮らしを(血がつながっていないという奴の主張を信じたとして)都心できょうだいだけでやっているというのは、……結構な実家なんだろう。
「で、そのベルファのライヴに行った時でしたか。カウンタのとこで、何やら見覚えのある可愛い少年が居るなあと思ってましたらね、それが何と、我らがクラスメートの、ピアノ弾きのマキノ君だった訳で」
「じゃあこっち側の音楽も好きだったんだろーなあ」
「でしょうな。結構見た目には似合わず。それと、どーもあのバンド自体とも結構仲がいいみたいで」
は、と俺は目を丸くした。そんなことまで。奴はふっと缶を揺らすと、視線を宙に飛ばした。
「なぁんかですね、終わった後我々は、動いた後の美味しい食事を求めて中町のあたりをさまよってたんですが、その時にたまたまベルファのメンツと同じ店にたどり着いてしまったんですな」
……偶然かよ。眉唾だ。だが奴はそんな俺の考えには気付いてか気付かずか、続ける。
「そしたら居ましたね。メンバーと、カウンタ美人の方と、それとマキノ君が」
「へえ」
カウンターのおねーさんにまで気付くあたりがさすがというか。
「で、お前、あいさつの一つでもしたの?」
「誰が?」
「お前が」
「まさか。確かにあのバンドは結構好きですがね、そういうプライヴェイトを壊す程ワタシは無粋ではないですわ。それに当のマキノ君、賭けてもいいですけど、絶対ワタシのことなんか覚えちゃないですよ」
「嘘」
「だから賭けますかね?」
俺は顔をしかめた。こいつがこんな風に言うのなら、勝算があるのだろう。そういう奴だ。四月から一ヶ月半ほどつきあってきたが、さすがに判ってくるもんだ。
「彼氏、どーも今居る場所にキョーミも関心も持ってませんねえ、どうやら。もったいないことで。花も実もある人生なのに」
「お前時々えらくじじいになるのね」
「いやん。まだ枯れてなんかないもーん」
すりすり、と彼女はコノエに抱きつき、俺は脱力した。
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