ラジオ
その男は名乗らなかった。だから私は男を呼ぶことができない。おい、とか、よう、とか、そこの、とか、そんな風に声を掛ける必要がある。全くもって面倒な話だが、彼は彼でこちらの名前を知らないのだからお互い様だろう。まあ、彼が私に話しかけることはないのだが。
私はラジオである。ラジオが名前である。正確にはもう少し堅苦しい名前を付けられているが、そんな名称で呼ぶものは基本的にはいない。当たり前だ。ラジオはどこに行ってもラジオだ。それ以上でも以下でもない。
さて、この男はどこへ行こうとしているのだろう。もうそろそろ三時間……いや、四時間、砂漠の中を歩き続けている。五時間前に地図を見、ここを抜ければ近道になるとつぶやいていたのは覚えているが、横断するには少なく見積もっても六日は掛かる。こいつはいったい何を根拠に言ったのか。毎回そうだ。確実性のない情報に振り回され、迷い、たどり着けない。答えを見つける努力はしていないとは思わないが、どうにもそれが報われない。不憫な男だ。憐れむべき男だ。かわいそうな男だ。
「おい、さっきからうるせぇぞ」
幻聴だろう。長旅で疲れ果て、いよいよ頭がいかれたようだ。彼には何も聞こえていないはずだ。なぜならそう言っていたから。ノイズ混じりでまともに音も出せないのか、このポンコツと。
「あーあー、ノイズはやめてくれ。アンテナを折ったことは謝る。暑さで参ってたんだ。お前だってそうだろう」
意外に思うかもしれないが、私は執念深いのだ。どこかの国では長い間誰かに使われていたものには神が宿るという。そう、私は神なのだ。もっと敬ってくれても構わない。この男には敬意が足りない。今も昔も、おそらくはこの先も。アンテナを折ったことは許さない。
「おっ! 見ろよあれ! 水辺じゃないか!?」
今度は幻視……いや違う。あれは本物の水ではないか。男の歩みが徐々に早くなっていき、やがて駆け足に変わる。無理もない、人間にとって水分補給は必須なのだ。私が必要としているのは電池だ。彼にとっては食事の足しにもなりはしない。そのせいで毎度のように電池が切れてから交換される。いい加減、学んでほしいものだが仕方がない。私の意志では食事を摂れない。
……仕方がない。飯抜きにされるわけにはいかない。彼が水に飛び込んだら、ちょうど良い音楽でもかけてやろう。単純な男だ。それで気分が上がるに――いやいやいや待て、そのまま飛び込むんじゃない。せめて私を優しく地面に置いてからにしてくれ、うわ、おい! やめろ![了]
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