第25話:私は悪魔の羽根を踏まない・2

「あんたが白花ってやつね。あたしサミー」


 先に声をかけてきたのはギターを持った女性だ。

 意志の強そうな鋭い目線が白花を捉える。服装は露出の多い藍色のレザー生地だ。髪は短くざっくばらんに切られており、肩にもかからないくらいしかない。

 教会に似つかわしくない挑戦的な外見に反し、不満げに結んだ口からは少し気まぐれであどけない印象も受ける。黒華よりは年上だろうが、白花よりは年下のような気がする。


「ごきげんよう。レイスと申します」


 もう一人の方は、両手を膝の上で礼儀正しく揃えたままゆっくりと頭を下げた。

 髪は緩くウェーブのかかった金髪で、身体のラインが出ない緩やかな厚手の服を着ている。サミーとは対照的に、まるで教会のシスターのように柔和な笑顔で語りかけてくる。

 ジュリエットの微笑みが優位を誇示する余裕の体現であるのに対して、レイスの微笑みには相手を包み込む暖かさがある。純粋に良い人っぽい相手に会ったのは本当に久しぶりな気がする。


「白花です、よろしくね。黒華から衣装を着るように言われて来たんだけど、あなたたちがスタイリストさん?」

「は? あんた、あたしたちのこと知らないわけ? そこそこ有名なアイドルなんだけど」


 サミーは露骨に不機嫌そうな声を上げ、弦をピックで無造作に引っ掻いた。狭いスペースに不協和音が響く。


「ごめんね。テレビはあんまり見ないんだ」

「いまどきテレビなんかに映っても意味ないっての。現代のアイドルはTwitterとYoutubeとインスタが基本なワケ。そんくらい見てない?」

「いや、あんまり。ネットはネトフリで映画見るくらいだから」

「ふーん、勿体ない。あんた、見る側じゃなくて見せる側でもいいくらいなのに。顔は悪くないし、なんか変なオーラあるし、まあまあいいとこ行けそう。あんたの場合、たぶん手広くやるよりはターゲットを絞り込んでいく方がいいわ。まずは『俺だけはこいつの良さをわかってる』みたいな気持ち悪いこと考える非モテ層を狙うのが簡単よ。とりあえずライブ系のアプリでキャラを掴むところから始めて、リスナーの反応を見ながら、ライバルの少ない隙間産業を目指していくのが良さそう。映画で勝負するならデヴィッド・リンチとかヤン・シュヴァンクマイエルあたりをレビューするようなポジションかしらね」


 サミーは芸能事務所のマネージャーのようなことを捲し立てる。

 しかし、白花にその気は全くないので反応に困る。ジュリエットも他人の外見を批評することに躊躇が無いが、白花は自分自身がそうされることにも他人にそれをすることにも全く慣れていない。


「私にはよくわからないけど、人を見る目があるんだね」

「アイドルだもの、顔の整ってる人間は好きよ。外見が全てとは言わないけど、それは必要な前提なの。ほら、着付けとメイクやってあげるからそこに座りなさい。あたしはスタイリストじゃないのに人手が足りないとかいうふざけた理由でそれも任されてるのよ。もしブサイクだったら断るつもりだったけど、あんたならやってあげてもいいわ」


 サミーはパイプ椅子に白花を座らせ、目の前の台の上に三面鏡を広げた。

 使い古された木箱を開けると、化粧道具が立体的に展開して飛び出し絵本のように無数の筆やファンデーションやコットンが広がる。

 サミーは白花の顔を十センチも離れていない至近距離でじっと見る。そして鼻筋やまぶたに遠慮なく指先を滑らせていく。これは肌質を確認するとか、凹凸を調べるとかそういう目的なのだろうか。白花は普段化粧をしないのでよくわからない。


「なるほど、だいたいわかったわ。まずは服からやりましょう。早く脱いで」


 言われるがままに服を脱いで下着姿になった。人前で脱衣するのはいつ以来だろうかと一瞬思ったが、昨日は紫と一緒に風呂に入ったので一日ぶりでしかない。

 サミーは白花の身体の周りを回って全体のボディラインをゆっくり品定めする。その目線は真剣そのものだ。きっと仕事に対しては真摯な性格なのだろうが、それはそれとしてこの距離で観察されるのはかなり恥ずかしい。

 照れ隠しで適当な会話が口をつく。


「アイドルってことは、二人はユニットなのかな」

「サミー&レイス。ファンにはスイミーって呼ばれてるわ」

「ギターを持ってるってことは、演奏とかも自分たちでやる本格派って感じ?」

「ええそうよ、わかってるじゃない。あたしたちのコンセプトは『にわか本格派』。ロックもポップも韓流も民謡もとにかく何でも広く浅くやる。でも色物には走らずにリスペクトを持って、それぞれのジャンルで私たちが面白いと思ったポイントを徹底的に強調した短い曲を演奏するの。そういうコンセプト重視の試みってテレビでは伝わりにくいけど、SNSではニッチなファンが拾って評価してくれるわ。今のアイドルは専門技能の時代なのよ。ひな壇でバカみたいなクイズに答えるアイドルも、水着でアホみたいな企画をこなすアイドルももう時代遅れ」


 サミーはドレスを着せる前に体型を調整するコルセットを白花の身体にテキパキと巻き付けていく。文句を言っていた割には手際がよく、作業をしている間にも一度喋り出したサミーの口は止まらない。


「インタポレーションでアイドル界もだいぶ変わったのよ。例えば、昔流行った会いに行けるアイドルなんてもう廃れたわ。一歩足を出ればどこにでも変な見た目の人たちが転がっているのに、ちょっと可愛いだけのアイドルにわざわざ会いに行く必要なんてないのよ。皆が違っているのはもう前提。外見だけで特別さを演出できる時代は終わったの」

「そもそも、容姿を含む外見を批評すること自体への風当たりがかなり強くなってるしね」


 さっきの一方的な品定めに対するちょっとした抵抗のつもりだったのだが、サミーはあっさりと首を縦に振った。


「そうね。角とか翼に魅力を見出すフェチズム路線は地下アイドルの世界なんかではめちゃめちゃ流行ってるけど、地上波に出るときはあくまでも外見じゃなくてパフォーマンスとかが評価されてることになるし。外見の細かいパーツにこだわるのはマジョリティじゃなくて一部のマニアっていうのは否めないわね」


 ドレスの着付けが終わり、再び椅子に座らされる。

 髪を軽く梳かしたあと、サミーは筆を左手の指の股に挟んでいくつもセットした。それらを右手で素早く入れ替えながら白花の顔に化粧を乗せていく。


「いずれにせよ、あたしはアイドルであって評論家じゃないから、世間のニーズに答えていくだけ。今は外見プラス中身の時代なのよね。外見は前提。インタポレーションで確かに外見の比重は下がったけど、それは醜くても許されるようになったっていう意味じゃないわ。誰でも当たり前に要求される空気みたいなものに近づいてるの。空気は澄んでいる限り誰も気にしないのに、濁ったり曇ったりした途端に全てが台無しになってしまう。外見は当たり前に維持しつつ、皆が面白いと思う中身を上手く作っていかないといけないのよね。あんたは知らないでしょうけど、自撮り写真に文字を入れたり簡単に編集したりして、ミニアルバムみたいなものを作って公開するSNSが今すごく流行ってるわ。自撮りっていう外見の上に、自分の中身を重ねていくってこと。あたしたちがアーティストとか演奏家じゃなくてアイドルを名乗るのも、いつだって優れた外見を維持するべきだと思っているからよ。さ、できた」


 サミーは手鏡を白花の頭の周りに一周させた。

 それはサミーが出来栄えを確認するためというよりは白花に確認させるための行為だと気付いたが、こういうときに自分の外見についてどうコメントすればいいのかもやはりよくわからない。


「あんた、やっぱり元がいいから少し色のバランスだけ弄って目や唇を軽く強調しただけで済むのね。ほら、さっさと会場に戻りなさい」


 サミーは化粧道具を片付けながら手をシッシッと振った。白花は小さな姿見の前で一回転して自分の服装を確かめる。

 あまり見たことのない衣装だが、和服のテイストを取り入れた漆黒のドレスとでも言うべきだろうか。

 滑らかな肌触りと光沢のサテン生地に桜の花模様がいくつも縫い込まれている。下半身はレースのスカートになっている一方、上半身は着物のように袖が妙に大きく、左右から身頃を合わせるスタイルになっている。合わせが左前になっているのは間違えたのではなく、葬式の死者役だからだろう。

 顔の方は何が変わっているのかよくわからなかった。口紅や頬紅が差されているのはわかるが、ちょっと走ればこのくらい紅潮するような気もするし、全体的に誤差の範囲としか思えない。ナチュラルメイクというのはこんなものなのだろうか。


「ありがとう、サミー」

「どういたしまして。どうせあんたはよくわかってないでしょうけど、本当ならこれだけでお金取れる仕事してあげたんだから」

「サミーたちはこれからどうするのかな」

「あんた、何も聞いてないのね。あんたのスタイリングをしてあげたのがサービスで、葬式が始まってからBGMを演奏するのが本来の仕事。良いパーティーには良い音楽が付き物だからね。あたしは葬式が始まるまではレイスと打ち合わせしてるから、ほら出てった出てった」

「演奏楽しみにしてる。じゃあ、またあとで」

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