第20話:蛞蝓より粘着質な貴女・3

 サークロがいる研究所には、ガトリング砲が掃射した地獄から十五分ほどで着いた。

 型抜きしたコンクリート塊をそのままドカンと置いたような、屋根も窓もない直方体の異様な建物。周囲の草木は建物を中心にきっかり十メートル幅で刈り取られ、深い山の中でそこだけ世界がバグったかのようだ。何気なく通りがかれば、老練な芸術家が作ったモダンオブジェと勘違いすることだろう。

 入口も壁に刻まれた切れ目から辛うじて判別できる程度のものだ。ジュリエットが再びどこかに電話をかけると、ロックが解除されて小さな通路が開いた。


 内部も白を基調とした硬質な空間だ。外から見た印象と何も変わらない。

 受付も待合室もなく、ひたすらまっすぐ続く廊下の左右に四角い扉がいくつも取り付いているだけ。見渡す限りあらゆるものが直角によって設計され、照明までもが天井に埋め込まれて平坦に均されている。

 物音一つしない屋内をジュリエットが先導して奥に進んでいき、迷いなくその中の扉の一つを開けた。


「や~や~、さっきは大変だったねえ~ジュリエット氏~」

「お久しぶりで御座います、サークロ様」


 能天気な声が四人を出迎える。

 サークロは車椅子に乗った白衣の女性だった。茶色に緑が混ざった髪は長くぼさぼさで、目の下には深いクマが出来ている。白衣には色々な溶液が付着しては乾燥したあとがそのまま残っている。

 部屋の中央には巨大なデスクが一つだけあり、書類や紙束、USBメモリ、ペンや何かの部品が大量に散らばって層を成していた。デスクというよりは、雑多なアイテムを置いておくための台と言った方が近いかもしれない。

 白い壁には黒いペンで文章や式が目いっぱい書き込まれている。場所によっては黒い字で埋め尽くされた場所の上を更に白いペンで何かを上書きしている。


「あなたが白花氏だね。話は聞いてるよ、宜しくね~」

「どうも」


 白花は伸ばされたサークロの手を握った。手が荒れてガサガサとしているが、筋肉はついていないので握る感触は柔らかい。

 握手をしている間、サークロは意味もなくにへらにへらとしていた。全く仮面を被らない無防備さというか、ある種の学者に特有の対人関係に対してナイーブな雰囲気を纏った女性研究者だ。


 そして近くで見るとはっきりわかる。サークロが履いているロングスカートの下から生えていたのは、人間の足では無く植物の根だった。

 髪の毛と同じく緑色と茶色で作られた太い幹が足の代わりになっているらしい。幹には細かい枝や突起が無数に付いている。足の根は幾つもの層が重なってできており、ところどころ削れて剥離していた。

 恐らく、サークロは植物系のブラウなのだろう。動物系のブラウよりも数は少ないが、一日街を歩けば何人かは目にする程度にはありふれている。少なくとも蟲系のブラウよりも遥かに多いことは間違いない。

 とはいえ、白花自身もそうだが、黒華も遊希も紫もパッと見ただけではロットと見分けが付かないタイプのブラウだ。誰も触覚や羽が生えたりはしていない。それは蟲系のブラウの中では珍しい方なのか、それともこちらの方が一般的なのか、現状ではサンプル数が少なすぎて何とも言えない。


「サークロさんがさっきの軍用ヘリ飛ばしてくれたんだよね。助かったけど、ちょっとやりすぎ」

「いやいや白花氏、私はただグランド・セフト・オート5のMODを改造して作ったヘリコプターフライトシミュレーターで研究の息抜きをしていただけなのだ~。そしたらたまたまそれと動きが連動しているかのような自衛隊のオートパイロットヘリが近くに一機あって、軍事演習中に暴走したみたいだね。ほら、この家ってたまたま自衛隊が近いからさ、そういうこともよくあるんだよ~」

「近くっていうか完全に敷地内じゃない?」

「法的には敷地外だよ~。ここを中心に半径五十メートルがまる~い飛び地になってるから、あくまでも普通の民間の住宅街なのだ~」

「成田空港の東峰神社みたいなものかな」

「ま、表向きはそういうことになってるのさ~。何故か私の家は自衛隊の近くにあって身の安全が保障されてるし、何故か毎月誤って振り込まれるお金で研究ができるし、何故か私が研究成果を保存してるオンラインストレージがたまたま自衛隊の権限下にあって、しかも向こうがそれを覗いていることに私は不注意で気付いてないなんて……世の中不思議だらけだね~」


 それが本当に面白いことであるかのように笑いながら喋る様子に、白花は少しイラッとする。そういう建前があるのはわかったが、実際にはどういう事情があるのかが気になるのだ。

 サークロの話をジュリエットが継いだ。


「要するに、自衛隊とサークロ様は実質的に手を組んでおられるのですが……」

「組んでないよ~、組んでないよ~」

「……これはわたくしが趣味で書いている小説の話で現実とは全く関係のない独り言ですが、要するに、自衛隊とサークロ様は実質的に手を組んでおられるのです。しかし、もちろん表向きにはそれを認めるわけにはいきません。国際条約に基づいて制定されたブラウ保護法により、ブラウに関する研究活動は包括的に禁じられているからです。とはいえ、対外的な主権を持つ国家としては、その禁止を真面目に遵守するわけにもいきません。もちろん国益のためということもありますが、国防のためという切実な理由もあるのです。他国にはインタポレーションを軍事的に利用する国家があるのは間違いありません。いざ彼らが攻め込んできたとき、日本だけ真面目に人権を守っていたために情報がなく対抗できないというわけにもいきません」


 白花はジュリエットの説明に違和感を持つ。

 表向きには保護法を遵守するため市民向けのポーズを取る必要があるという理屈は管理局と同じだが、役所と研究機関では隠蔽の手間も必要性も全く異なるはずだ。

 というのは、役所は市民との接点が必須であるのに対して、研究機関ではそうではないからだ。大衆向けに中途半端な理論武装をするためにこんな飛び地に住まわせるくらいなら、もっと徹底的に囲い込んで隠蔽した方が安全で確実なように感じる。


「それって自衛隊施設内の地下に研究所を作るとかじゃダメなのかな。自衛隊がその気になればそのくらい完全に隠せるでしょ」

「おっ、白花氏鋭いね~。でも勘違いしてるね~。ここに研究所があるのは、市民向けじゃなくてアンダー向けのポーズなのだ~。ブラウの研究って、隔離された研究室では出来ないんだよ。管理局が公認したがらない異様な性質を持ったせいで通常の社会からドロップしたブラウ、つまりアンダーとの接触が不可欠だからさ。そもそも、インタポレーションを研究するって具体的にはどういうことだと思う?」

「それは……ブラウの角や翼を顕微鏡とかMRIとかで分析する?」

「うんうん、そう思うよね~。実際、当初はそういう方向で研究がすすめられたんだ。でも、奇形化自体は全然大したことない現象だってことがわりとすぐにわかってしまったんだよ。はっきり言ってぜんぜん新規性が無いんだよね。例えば、私の足は別にインタポレーションの産物じゃない。それより前から木の根っこだったよ」


 サークロは自分の足を手の平で叩いた。部屋に乾いた音が響く。


「え、それって大発見じゃない? そもそもインタポレーションが同時無差別現象っていう前提が崩れるってことだよね」

「残念だけど、それも間違いなのだ。私は元々ツリーマン・シンドロームという病気だったのだよ。極々稀ではあるけど、遺伝子異常によって発現する普通の病気。インタポレーションの前からあったし、私以外にも世界に何人かいたさ」

「つまり、ただの病気であって、植物系のブラウではないってことかな」

「その質問は真偽以前のナンセンスだね。昔は病気として扱われたけど、今は植物系のブラウとして扱われるっていうだけだよ。何が病気で何が病気でないかなんて人間が決めた基準に過ぎないからさ。極端な話、今この瞬間から全人類の体温が40度になって皆が常に咳と鼻水を出すようになったら、この世から風邪は消滅するのだ。むしろ体温36度で咳をしない人の方が病気扱いになるはずだよね。私の身体もそれと同じで、世界の変動によって相対的に病気じゃなくなったってことだよ。私以外にも、インタポレーションが起きる前から角とか翼みたいなものが生えてる人間もやっぱりいなかったわけじゃないよ、ネットニュースなんかでたくさん取り上げられてたさ。疣とか角質とか表皮の変形でトポロジックな変化はいくらでも起きうるわけで、管理局が公認しているような外見の変化なんて基本的にはその程度のものでしかないのよね。皆インタポレーションを奇跡みたいに思ってるけども、実際のところ、人体の奇形化自体は大して新しい現象じゃないってことさ。もちろん生命化学的に注目すべき新しいメカニズムは無数にあるけどさ、それってなんか些細なバリエーションなのよね。角はまあだいたい変形して硬化した皮膚だし、どうせ大元にあるのは腫瘍みたいなものか、頑張って遡ったところでせいぜい遺伝子異常が関の山。だから本当に問題なのってさ、WhatじゃなくてWhyとかHowでしょ。今がどういう状態なのかじゃなくて、どうしてどうやってそういう状態になったのか。つまりさ、遺伝学的か進化論的な生成系の議論のはずなんだよ。でも、そっちは逆にもう全部が欠落してて何もわからないのだ。なにせある日突然変化したわけだから、完全なミッシングリンクになってて研究のやりようがないのよ」


 話が長い。

 第一印象ではサークロはおっとりした性格かと思ったが、喋っている間に徐々に加速して今では当初の二倍速以上の早口になっている。もっとも、この量をスローペースで聞かされるよりは高速な方がありがたいが。

 白花は話の後ろ半分はもうあまり聞いていなかったため、応答が少し巻き戻ってしまう。


「でも、遺伝子異常とかちょっとした奇形では説明できないブラウも結構いないかな。黒華なんて身体が蚊柱になって移動するし、私だって蛆を湧かせて傷を治したりするし」

「そう、本当に興味深いのはそれなのだ! 私はそれを研究したいんだ。奇形とそれ以外は全く別の現象として分類するべきだよ。もっとも、管理局が公認するかどうかで実質的な区分はもう出来ているようにも思えるけどね」

「じゃあ、昨日黒華が言ってたのは、サークロさんは私みたいなタイプのブラウを研究してて、そのサンプル集めに苦労してるってことかな」

「大まかに言えばそう。でも、たぶんこれってサンプルを百個集めれば何かがわかるっていうタイプの科学研究でもないんだよ。最大の問題は、君らが科学の範疇を超えてるってことだ。ああ、魔法だとか超能力だとかいう意味じゃないよ。ハリー・ポッターだろうがスター・ウォーズだろうが、科学的な手法で分析できる現象ならそれは科学のバリエーションだ。君らはそういうものですらない、科学の要件すら満たしてないんだよ。さて、それは何でしょうか?」


 白花はそれに答えるべきか迷う。

 白花は恐らく正解であろうアンサーを持っているが、この受け答えで会話が無駄に寄り道しても面倒だし、一方的に話し続けてもらった方が直線距離を進める気がする。確かに会話にキャッチボールは大切だが、既に会話内容が決まっている場合はその限りではないのだ。

 正直に言って白花はもうサークロとの会話に辟易しつつある。サークロの研究者トークにはそれほど興味が無い。早く終わりたい。

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