第14話:人生美味礼讃・2
ゆっくりと漬物を堪能してからジュリエットは再び口を開いた。
「これから取引までの間、白花様の心臓と身柄を防衛する必要があるからです」
「それって、もう心臓を摘出しているのを知らない他のアンダーが私を狙ってくるってこと?」
「そうではありません。何故なら、既にわたくしのDwitterアカウントで白花様の殺害依頼が完了した旨を画像付きでドゥイートしており、その周知は完了しているからです」
「ドゥイッター?」
「Darkweb版TwitterだからDwitterなのです。アンダーの連中はこういうカウンターカルチャー的というか、バカみたいなナンセンスギャグを好む傾向にあるのです」
遊希がタブレットでDwitterとやらの画面を見せてきた。紫を基調としたホーム画面、青い鳥が口から吹き出しの代わりに毒霧を噴出している。
ジュリエットのアカウントに飛ぶと、名前の横に公式マークが付いていた。確かに白花の心臓の画像と並んで、「皇黒華様の殺害依頼に基づき、皇白花様に対してプロトコル八番を執行致しました」と呟いている。人の臓器をインターネットに勝手に掲載するのはネットマナー的にはどうなんだろうか。
「しかし、これは依頼自体の完了報告ではありません。依頼が完了するのはプロトコルを遂行した時点ではなく、あくまでも黒華様との取引を終えた時点だからです。よって、このドゥイートも状況を整理するための参考情報程度のものです。信用に値するかどうかは各人が判断するレベルの情報ですので、わたくしのドゥイートを確認していなかったり、嘘だと考えたりするアンダーが白花様の心臓を狙ってくることがあり得ます。ただ、はっきり言って、その程度の情報網や判断力で行動するアンダーはまともに取り合う必要のない水準で御座います。わたくしならばもちろん、遊希様でも容易に対処できるでしょう」
隣にいる遊希の膝が僅かに動いたのを白花は見逃さなかった。暗に格下と言われて反応せずにはいられないあたり、やはりまだまだ嘴が黄色い。ジュリエットは机の向こう側からでもそれを見透かしていることだろう。
「より問題なのは、わたくしから心臓を奪おうとするアンダーで御座います。慣例上、殺害依頼の報酬を受け取る権利があるのは、殺害そのものの履行者ではなく、プロトコルで定められた殺害証明品を持つ者です。黒華様の取引相手はあくまでも白花様の心臓を持つ者であり、その入手手段は問われません。すなわち、わたくしから心臓を強奪することが取引を横取りするためには有効なのです」
「じゃあ最初からそのツイ……ドゥイートをしないで黙ってた方が良かったっていうことはないかな」
「確かに心臓を強奪されるリスクは生じますが、それ以上に大抵のアンダーを諦めさせるリターンの方が大きいと考えます。驕りなく客観的に言って、わたくしジュリエットと敵対することはほとんどのアンダーにとって避けるべき重大なリスクです」
「そうなの?」
白花が隣を見ると遊希は素直に頷いた。
「それは事実なのです。こう見えてジュリエットはアンダーグラウンドでも一目置かれる存在、アベンジャーズで言うとホークアイくらいの実力者なのです」
「それはかなり微妙なのでは?」
「彼女よりも明確に高い水準にいるアンダーは伝説級の有名人ばかりということですよ。悔しいですが、僕くらいでは歯が立たないのは認めざるを得ません。それにジュリエットは戦闘能力と同じくらい人脈も厄介なタイプの殺し屋です。堅実な仕事ぶりに定評があって顔も広いので、ジュリエットを敵に回すことは芋づる式に面倒を引き込みかねません」
「説明ありがとうございます、遊希様。ですから問題にすべきは、わたくしに挑む覚悟がある者ということになります。もっとも、それは必ずしも襲撃者が卓越していることを意味しませんが、腹を括った相手は総じて厄介であることは間違いありません」
「あれ? でもそうなると、ジュリエットが守らないといけないのって私じゃなくてその心臓だよね。心臓はもう私の身体を離れてるわけだから、私はもう安全だしジュリエットがここにいる必要もないことにならないかな」
「ところが、そうもいかないので御座います。と申しますのは、白花様が存命である以上、心臓が再生していることに賭けて白花様を襲撃するアンダーが現れる可能性が残るからです。白花様の心臓が現状でどういった状態になっているのかはわたくしにもわかりませんが、白花様が心臓を複製できるタイプのブラウであり、かつ、もしその状態で心臓をもう一度抜かれた場合、殺害プロトコル遂行者はわたくしを含めて二人いることになってしまいます」
「その場合は取引ってどうなるの?」
「慣例では早い者勝ちとなりますが、それはわたくしにとって避けるべき状況です。単に対応が面倒というのもありますし、この手の些末な混乱を取引に持ち込むことはわたくしの殺し屋としてのプライドが許しません」
「メイドのプライドは無いのに?」
「メイドとは私的な生き方、殺し屋とは公的な職業ですので。殺し屋としては、顧客である依頼主に対してスムーズに依頼を完了させることが至上命題で御座います。依頼主から見て、証拠品が複数あってどちらから受け取れば良いのかわからないというトラブルは全くスマートではありません。よって、心臓が再生しているケースを想定して白花様の身柄を守ることはわたくしが今回の依頼を完璧にこなすことに繋がるので御座います」
「うーん、状況を悪化させて申し訳ないけど、私の体感的には心臓は再生してるような気がするんだよね。手を当てれば鼓動を感じるし、脈もちゃんとあるよ。色白なのは元からだけど、ゾンビって感じでもないよね」
白花は前髪をかき上げ、自分の額を遊希の額に付き合わせた。額から感じる温度はほとんど同じだ。正確には幼い遊希の方が僅かに体温が高いが、白花は標準的な体温を保っているのがわかる。土気色の身体で動くゾンビなどではない。
「わたくしも、心臓は再生している可能性の方が高いとは考えています。しかし、ブラウの多様性は本当に度し難いですから、確かめるまではっきりしたことは言えません。検査できる場所の心当たりはいくつかありますので、可能ならどこかで調べておきたいところです」
「殺害後のアフターサービスが手厚いね」
「これも仕事のうちで御座います。更に付け加えるならば、白花様がこれからの身の振り方を決める上でも重要なことで御座います。これからアンダーグラウンドに生活圏を移すにあたり、自らの武器を把握しておくことは決して無駄にはなりません」
意外な行動計画が当たり前の前提として提示され、白花はその意図を掴みかねる。アンダーグラウンドに生活圏を移すといきなり言われても、そんな予定は特に無いのだが。
「私はちょっと巻き込まれただけで、ジュリエットと黒華との取引が終わったあとは前みたいにネトフリとアマプラをフル活用してゴロゴロする生活に戻るつもりなんだけど」
「率直に言わせて頂くならば、既に手遅れで御座います。もはや元の生活には戻れません。DarkTubeやDwitterを通じてアンダーグラウンドに存在が周知されてしまいましたし、わたくしたちとも深く関わり過ぎています」
「じゃあ、これからずっと逃亡生活しないといけないのかな」
「そういうわけでもありません。確かに白花様を捕らえて利用しようとする方もいるでしょうが、逆に友好関係を結びたい方も多いと思われます。アンダーグラウンドは実力主義ですが、決して無法地帯ではありません。遊希様とわたくしが交渉次第で協力関係を結べるように、各人の利得を最大化する手段が協調であることは全く珍しくないのです。そのあたりは表社会と同じように考えて頂いて問題ありません。わたくしの見立てでは、白花様の市場価値は引く手あまたの大型新人というところで御座います」
「就活ではボロボロだったけどね」
「また、アンダーグラウンドが白花様を歓迎しているのと同じくらい、管理局も白花様を厄介に思っているはずです。『ブラウとロットに大きな違いはない』という基本姿勢を貫きたい管理局にとって、白花様のように極めて特異な特徴を持つブラウは頭の痛い存在です。それがアンダーと繋がった以上、ただちに逮捕や指名手配というわけではないにせよ、色々と煙たがられて十分なパブリックサービスを受けられなくなる可能性は高いです。例えばブラウ保護法はブラウに関する個人情報の収集を禁じておりますが、運用上、その制限は戸籍制度上の登録事項にまで及んでおり、不都合なブラウをそれとなく排斥するシステムが組み込まれております。実際、そうやって表で迫害されてアンダーグラウンドに潜らざるをえなくなるのは、アンダーグラウンドへの典型的な参入パターンの一つで御座います。白花様がそうなる可能性も高いですから、早いうちにアンダーグラウンドにライフラインを構築しておくことをお勧め致します。乗りかかった舟ということもありますし、わたくしも可能な限り協力させて頂きます」
「それってその、私が美しいから?」
そう言った瞬間、横から短く息を吸い込むヒュッという音がした。
隣の遊希が目を丸くして眉をひそめ、口を小さく開けている。人が絶句している表情を初めて見た。大声で笑われた方がまだマシかもしれない。ジュリエットに合わせただけで、白花自身は全くナルシストではないつもりだが。
「それも大いにありますが、もはや白花様はわたくしにとって潜在的な顧客だからで御座います。白花様は黒華様の御身内ですし、希少なスキルを持つ貴重な人材です。こうして恩を売られる程度には、白花様は既にアンダーグラウンドの住人であることを御理解下さいませ。実際、そうした白花様のレアリティを明らかにすることも遊希様たちの目的に含まれていたのではないですか? 死なないように守るが死守はしないというスタンスは、要するに、アンダーたちに揉まれる中で『蛆憑き』としての才能を開花させてほしいということではないでしょうか」
話を振られた遊希がハッと我に返る。
「そうですね。それはジュリエットの言う通りで、心臓が抜かれても生きているとわかったのは大きな進展なのです。僕が生死の境界を歩くと言った意味がわかってきたでしょう。そろそろもう少し突っ込んで喋ってもいいかもしれません」
「相変わらずNPCみたいに情報を小出しにしてくるんだね」
「現在、アンダーグラウンドで探求されているのはブラウの新たな生命の可能性なのです。例えば個体としての生命を逃れて……」
そこでタイミング悪く仲居が襖を開け、遊希の言葉は中断される。
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