第8話:御座席でのウェブの使用はご遠慮下さい・2

「あのですね、僕だって虫絡みのブラウですから、虫にはかなり強い方なのですよ。常人だったら発狂しているのですよ、もはや精神攻撃ですよ」


 遊希がハンバーグに勢いよくフォークを突き刺した。こぶし大の肉の塊をそのまま口に運んでかぶりつく。口の周りがソースで盛大に汚れる。

 白花は横からその口元をナプキンで拭いながら謝った。


「ごめんってば」

「むーっ」


 遊希は頬を膨らませる。

 しかし、プリプリ怒りつつ紙エプロンをして口を汚しながらハンバーグセットを食べている姿には年相応の愛らしさしか感じなかった。多少人を殺すとはいえ、可愛い小学生の女の子なのは間違いない。


「今日は椿ちゃんの奢りだから何でも食べていいよ」

「私ですか?」


 白花と遊希と椿の三人は近所のサイゼリヤに来ていた。

 白花の部屋は蛆虫が大量に湧いている上、白骨死体が転がっていてとても落ち着いて話が出来そうもなかったので、早めの昼食を兼ねてとりあえず場所を移したのだ。


「経費で落ちるでしょ。ネゴシエーションも仕事の一貫なんだから」

「落ちるといっても、結局税金ですけどね」


 今の椿は通りがかりの友人ではなく、管理局の代表だ。この食事会も暇人の女子会ではなく、ステークホルダーたちの交渉テーブルである。

 管理局の意志を代行するネゴシエーターの椿、殺害予告された当事者の白花、アンダーグラウンドからのエージェントの遊希の三人が同じ卓を囲み、この事件に関わる利害関係を折衝しようとしているのである。


「まずはファミレスで話し合いって、アンダーグラウンドも意外と穏やかなんだね」

「別に道徳的な理由でそうするわけではないのですよ。単に避けられる戦闘は避けた方が安上がりというだけですから、もしさっきみたいにいきなり襲う素振りが見えたらただちに報復するのです。とにかく舐められないことが交渉テーブルにおける基本なのです」

「こちらも概ね同じ見解です。人件費より安い軍事費なんてそうそうありません。とはいえ、遊希ちゃんよりはいくらか穏健ですよ。一時的とはいえ、ひとまず相手を信用して対話するのが交渉テーブルにおける基本です」

「むっ、僕は椿お姉さんのことは全く信用していないのですよ。結局、あの男が本物の警察官で、椿お姉さんが管理局の手下ってことは、同じ穴の貉の公務員仲間じゃないですか。警官が人を射殺するときは正しい警告手順に従わないといけないのです、権力の濫用は良くないのです」

「そうですね、それについてはいきなり殺そうとしてすいませんでした」


 椿は素直に頭を下げた。アロスティチーニを頬張りながらではあるが。


「あーっ、謝りましたね、認めましたね! 公権力サイドは白花お姉さんを抹消する方針ということなのですね!」

「そう聞かれるとイエスともノーとも言えません。少なくとも、積極的にそういう動きをしたいわけではないからです。今回の件は激情にかられた現場警官の暴走であって、上からの指示ではありません」

「その言い訳が通ると思っていることにビックリするのです。カチコミの直後に椿お姉さんが様子を見に来たのにそう言い張るんですか?」

「あえて止めなかったのは事実ですが、あくまでも現場の独断です。元から組織立ってやるつもりならもっと確実な手段で先輩を暗殺しますよ」

「それは……確かに一理あるのです。あんな雑魚を鉄砲玉にする理由がわかりません」


 やや劣勢になり、トーンダウンした遊希がりんごジュースを飲んで小休止する。

 白花やヴァルタルの前では舐めた態度を取りがちな椿だが、アンダーグラウンドの住人に対しては毅然とした態度でやり込めているのが新鮮だ。力の入れどころと抜きどころを理解している、実は有能なホワイトカラーなのかもしれない。


「まずですね、現場の警官たちはヴァルタルさんがあんな殺され方をしてめちゃめちゃ怒ってるんですよ。ヴァルタルさんってかなり偉い割には自分で動く主義なので、いつも現場で苦労している若い警官からはものすごく慕われていたんですよね。さっき特攻していった彼も高卒で務めて三年目、不良生徒で喧嘩に明け暮れているところをヴァルタルさんに拾われたらしいですよ」

「そういう感動的なバックストーリーがあるのは構わないけど、それが何で私を殺すことになるのかな。ヴァルタルさんを殺したのは黒華なんだから、そっちを探し出して復讐すればいいじゃない」

「それは先輩もヴァルタルさんの仇になってるからです。だって先輩、昨日ヴァルタルさんを殺した黒華ちゃんと普通に仲良く喋ったりしてたじゃないですか。私と違って首輪も付けられてなかったですし。その様子は管理局内の監視カメラで録画されたのち捜査資料として共有されて、実は白花ってやつも妹と共犯なんじゃないのみたいな疑惑が一部で出てきてるんですよ」

「えええ、確かに黒華と仲は良いけど、だからって私までテロリストっていうのはおかしいでしょ」

「世間の人はそうは考えません。久しぶりに会った妹が反社会分子になってたら、ビンタでも一発かまして涙ながらにお説教をするのが模範的な姉です。妹が殺人犯でも気にしないっていう、先輩のスライムみたいな超受け身体質が裏目に出てます。とはいえ、それだけで共犯と解釈する警官なんて思慮の足りない新人くらいなもので、警察の総意とかでは全くないですけどね」

「総意じゃないのに殺しに来るって、管理局の意思決定プロセスはどうなってるのよ」

「彼の特攻については私が提案して受理されました。先輩を殺して速攻で事態を収拾したい過激派の意見にも一理ありますからね。だったらガス抜きを兼ねてとりあえず誰かに鉄砲玉になってもらって、その結果を見てから次のアクションを考えましょうということを私が昨日の夕方頃に提案しました。それを徹夜で議論したのち、未明に受理されました」

「椿ちゃんが黒幕じゃん。裏で糸引いてるじゃん」

「そんな大した地位じゃありませんよ、まだ新卒一年目ですから。私は元々先輩と知り合いですし、自立支援担当でもあったので、今回の件では比較的大きめの発言権を与えられているというだけです。こうして交渉の席に私が来てるのもそういうことですし。あと、私だってモブの雑魚に先輩が殺されたら流石に寝覚めが悪いので、提案する前にちゃんと確認してますよ」


 椿は胸ポケットからスマホを取り出し、LINEの通話画面を見せてきた。トーク相手は「黒華ちゃん」だ。やり取りは以下の通り。


『黒華ちゃん、ちょっと相談なんですが』

『はい、何でも聞いてね(≧▽≦)/』

『先輩って銃で撃たれたら死にますか?』

『わかんない(´·ω·`)けど、そもそも銃弾なんて当たらないよ( ̄▽ ̄)ガーディアン的な友達を二人送るからね(=^^=)』

『完全に暴走して発砲してくる警官を送り込んでも大丈夫ですか?』

『全然オッケー! どんどんやっちゃって(o^^o)♪』

『ところで、昨日の襲撃の感じって若干の園子温っぽさありませんでした?』

『ワカル(*゚∀゚*)』


 白花は指を伸ばして画面をスライドする。その後は映画の話が続いている。本当に友達になっていたらしい。

 しかし、白花が引っかかったのはその部分ではなかった。


「ここに『ガーディアン的なものを二人送った』って書いてあるけど、遊希ちゃんの他にもいるのかな」

「僕と一緒に白花お姉さんの家に来たのがもう一人いたのですよ。紫というのですが、着くなりベッドに潜り込んで寝てしまって、そのままずっと眠っていたようです」

「え、全然気付かなかった。どんな子?」

「僕より一つ年上の眠り姫なのです」

「ひょっとして、その子も虫系のブラウかな」

「虫ではないですが蟲ではあるのです。通称『蛞蝓這わせ』、不愉快さで言えば白花お姉さんとタメを張るくらいなのです」

「遊希ちゃんの蜘蛛も似たようなものでしょ」

「僕は『蜘蛛の子』、正確に言えば蜘蛛ではなく蜘蛛の巣なのです」

「どっちでもいいよ。そもそも蟲関連のブラウなんてかなりレアだと思うけど、やたらたくさん出てくるね。私に黒華、遊希ちゃんにその紫ちゃんに」

「アンダーの間では蟲系のブラウはまあまあ多いのですよ。メジャー属性の一つと言ってもよいくらいなのです。蟲絡みだからアンダーになってしまうのか、それともアンダーになってしまうようなやつだから蟲絡みなのかは諸説ありますが」

「ちょっと待って、さっきからちょいちょい出てくる『アンダー』って何?」

「裏社会の住人のことをざっくりそう呼んでいるのです。ブラウの方が多い気はしますがロットも少なくありません。もちろん登録制度なんてありませんから、自分がアンダーグラウンドにいると思っている人たちのことですね」

「そう聞くとちょっと痛いね」

「先輩、そろそろ本題に戻っていいですか?」


 椿が軽く翼をはためかせた。僅かに起きた風が身体を通り抜け、無意味な方向に温まった会話を冷やす。こうして会話に割り込みたいときに風圧で存在感を示すのは、翼を持っているタイプのブラウがよくやるジェスチャーの一つだ。


「話を戻しますよ。いずれにしても、管理局としては先輩をただちにどうこうするつもりはありません」

「だったら、どうしてスナイパーを配備しているのですか?」


 遊希がフォークで窓の外を指さした。白花には全くわからないが、椿はそれを否定しない。


「安全に交渉するための抑止力に過ぎません。先制攻撃のためではなく、ネゴシエーターの安全を確保するためのものです」

「抑止力も何も、さっき警官の発砲が効かなかったのを見ていなかったのですか? もうこの席にも蜘蛛の巣を張ってますから、撃ったところで銃弾が届くことはないですよ」

「だからこそ、危害を加えるつもりはない証明ってことにしておいてもらえませんかね。今朝の銃撃と同じで、アタッカーもディフェンダーもお互いに効かないことがわかってるアタックなんて攻撃のうちに入りませんよ。そもそも、フィジカルで命を取り合うような殺伐とした抗争はこちらの望むところではありません。なまじ血生臭い仕掛け方をしただけに誤解されるのは仕方ないですが、考えの足りない現場の警官以外は拳銃一丁でアンダーとの戦いがどうにかなるとは全く思っちゃいませんよ。もっとも、そういう管理局とアンダーの力関係については、私も昨日ネゴシエーターに任命されて初めて色々教えてもらったんですけどね」


 椿はシュガースティックを手に取り、遊希が未だ宙に向けているフォークの上に突き刺した。穴が空いて砂糖が流れ出す。空になった皿の上にサラサラと零れていく。


「改めてこちらの立場をはっきりさせておきましょうか。管理局の最終目標は、ブラウに対する市民の皆さんの不安を取り除き、これからも安心して暮らして頂くことです。そのためにはブラウが危険分子ではないと社会に周知し続けることが必要です。インタポレーション以降、ブラウを巡る危機認識は綱渡りを続けています。誰だって口には出さないだけで心のどこかで思ってますよ。角の生えたブラウはいつか頭突きで人を殺すんじゃないか、爪の生えたブラウはいつか引っ掻きで人を殺すんじゃないかってね。だからこそ、ブラウがその個性を悪用して事件を起こしたという騒ぎになれば、ロットを中心とした世論が紛糾することは避けられません。ブラウもロットと何ら変わらない人間であり、全く危険な存在ではないという体面を繕うためには、そういう騒動を起こすわけにはいかないんです。今回の件について言えば、黒華ちゃんのアナウンスから始まる事件を何事もないものとして収拾することが私たちの仕事です。表向きには悪質な悪戯として迷惑防止条例を適用したフリをしましたし、本当に事件が起きてしまっては困るんですよ」

「私は安心して暮らして頂く市民のうちに入らないの?」

「入ってはいますが、多を守るためには犠牲にできる一です。我々が問題にしているのは市民全体であって、特定の個人ではありません。極端な話、市民の皆様の安全を保障するためなら先輩は死んでも一向に構わないわけです。だから我々が先輩を先に殺してしまって殺害依頼自体を無効にするのも検討に値する手段の一つです。とはいえ、警官の襲撃を遊希ちゃんが返り討ちにした今朝の一件は、その手は難しいと判断する材料になりますが」

「そんな判断をするとは俄かには信じがたいのです。さっきも言いましたけど、本当に白花お姉さんを消す気ならもっと本腰を入れた戦力を投入する選択肢もあるはずなのです。我々アンダーと管理局の間で起きた抗争は一度や二度ではありませんし、こちら側の水準に達している武力があることは認識しているのですよ」

「否定はしませんが、本気で先輩を殺しに行くのは本当に最後の手段なんですよ。理由は、そうですね、大きく三つあります。一つ目は、いたずらに騒ぎを大きくして市民を危険に晒すのは本末転倒だからです。そもそも、管理局が先輩を消そうとするのはアンダーの側からすると面白くないんですよね。殺害依頼を遂行するにせよ、先輩のスキルを利用するにせよ、管理局が先に先輩を殺してしまうとそれが出来なくなってしまうわけですから。そうなると、私たちから先輩を守るアンダーが発生してくるというややこしい構図になってしまいます。実際、今だって現に先輩を守ろうとする遊希ちゃんと衝突してますし」

「ファミレスで一緒に昼ご飯食べてるのって衝突?」

「先輩、うるさいです。二つ目はコストの高さです。常識的に考えて、この情報化社会で人の死そのものを完全に揉み消すなんて出来るわけがありません。誰かがいなくなったら周囲にいる人が気付きます。だから私たちにできるのは、存在の抹消というよりは死因の偽造です。つまり、誰かの死に納得できるストーリーを作ることです。自殺なら何を苦にして死んだのか、事件ならどんなトラブルに巻き込まれたのか、無差別殺人でも犯人を仕立てることまでやらないと、SNSや遺族やマスコミからの攻勢に耐えきれません。特に難しいのは、その際にブラウとしての性質は絡んでいないことにすることです。さっきも言った通り、ブラウ全般が危険分子とみなされることは何よりも避けなければならないので、『蛆憑き』としての能力が云々してというのはダメです。最後の三つ目は倫理的な問題です」

「スナイパーまで置いといて今更?」

「重要なことですよ。私たちはショッカー怪人ではなく一介の公務員ですからね。急進的な思想の下に集うテロリスト集団ではなく、公務員試験を突破した道徳的な庶民による組織です。だから私のように清濁を併せ呑める構成員なんてむしろ少数派なんですよ。権力があって可能だからといってあまりにも非道な行いをすれば、それに耐えかねた良心的なメンバーがマスコミやSNSを通じて内部告発してしまいます。彼らにとって、いくら公共の利益のためだったとしても一般市民を一人消すストレスは許容できる範囲を超えています……喋りすぎて喉が渇きました、先輩、ドリンクバーからグレープソーダ取ってきてください! ファンタじゃなくて山ぶどうの方!」

「あ、はい」


 いきなり指示が飛んできて白花は席を立った。席の横で一旦伸びをする。ちょうどいいタイミングだし、長い話を聞いて煮詰まった頭をクールダウンしたい。

 交渉テーブルから離れ、改めて自分の立場を考えることにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る