42「神の子」③


 三神さん、池脇さんと入れ違いで部屋に入って来た辺見先輩は、僕の前に腰を降ろすなり右を向いてあくびした。

「ごめん、めっちゃ眠い」

 既に時刻は午後十一時を回っている。いつの間にそんなに時間が過ぎ去ったのだろうか。どこを見渡しても明るい長谷部邸にいるせいか、今が夜だという感覚すらない。しかし辺見先輩の言葉通り、体の疲労度に比例して、とにかく眠かった。

「体の具合、どうです?」

 という僕の問いに、辺見先輩は顔を近づけ、

「めっちゃ体触られたー」

 と、耳元で鼻声を出した。僕は反射的に自分の耳たぶをバシっと払いのけ、それを見た辺見先輩が愉快そうに笑った。

「幻子さんがね。もう一度ちゃんと話がしたいって」

 と、辺見先輩は言った。

 僕はすぐに口を開くことをせず、きちんと考え、そして頷いた。




 幻子の待つ部屋へ戻ろうと廊下に出た所で、

「ちょっといいですか」

 岡本さんに呼び止められた。

 彼の後ろには文乃さん、池脇さん、三神さんもいた。僕と辺見先輩は顔を見合わせて頷き、元居た部屋に逆戻りした。すると、

「新開君は、行きな。こちらの話は聞いておくから」

 と辺見先輩が気をつかい、周囲のすすめもあって僕一人だけその場を離れた。この時岡本さんから聞かされたという話は、後述する。




「首になる」

 と、幻子は言った。

 先程話をした時と何一つ変わらぬ様子で、幻子は部屋の真ん中に正座していた。彼女の正面に無言で胡坐をかいて座ると、

「そんな夢を見るんですよ」

 と、そう言ったのだ。

 会社をクビになる、の首ではなく、文字通り頭だけになって飛んでいく、そういう意味らしかった。夜空を散歩でもするようにふわふわ飛んでいると、突然引き寄せられるように急降下し、その先で様々な場面を見るそうだ。

「予知夢の話かい?」

 僕の問いに頷くと、幻子はじっと僕の膝あたりを見据え、そしてまた僕の目を見てこう言った。

「過去を見ることはできません」

「……うん」

「長谷部さんのマンションが建つあの場所で昔何があったのか、私がそれを知る方法は……」

「ごめん、言い過ぎたと思ってる。君が全ての責任を背負う義務はどこにもないよね。君を責めた僕の、お門違いというやつだよ」

 咄嗟にしゃちほこばった謝罪を差し挟む僕の顔を、幻子はまじまじと見つめた。僕の顔に穴でも開けるつもりだろうかと思うくらい、揺るぎない目だった。

「個人的には」

 と、幻子が口を開いた。

「うん?」

「文乃さんにはもう、あの力を使わせたくはありません」

「うん、そうだね」

 幻子は一瞬僕の真意を測るように間を置き、やがて、

「東京中を回りました」

 と言った。

 相変わらず突拍子がないな……そう思いつつも、僕は素直に頷いた。

「それで?」

「とても大きな力に対抗するべく、東京中の道祖神を回ったんです」

「……道祖神?」

「私が、あの病院で皆さんに初めてお会いした日、新開さんが呼び出した幽霊たちを私が鎮めたこと、覚えていますか?」

「もちろん」

 三神さんの大事な仕事道具である数珠を用いて霊体を追い祓う瞬間を、誰よりも間近で見ていたのはこの僕だ。

「あれはでも、先生のお力なんです」

 確かに幻子が手にしていたのは、法具と呼ぶのか、三神さんが肌身離さず持っていたという数珠なのだ。彼の持つ力に因るところが大きかったのかもしれない。

「先程、私は手を遣わずに襖を開けましたね。あれは、文乃さんの力なんです」

「……」

「分かりますか?」

 幻子は何か、とても恐ろしいことを言おうとしている。そんな思いに、僕のこめかみを一筋の汗が垂れた。何かは分からない。だが僕の本能がすでに仰け反っている。何かがくる、そんな気配を直感しているのだ。

「私は」

 幻子は言う。

「この目で見た超自然的な力を借り受ける事ができます」

「……か」

 頭がグラグラと揺れ、眩暈を引き起こす。

 なんだって?

 なんと言ったんだ?

 ……借り受ける?

「まさか道祖神って。いや、そもそも、か、借り受けるってなんだよ。どういうルールだよそれ。そんなこと出来るわけないだろッ」

 幻子が両手を自分の眼前にかざし、少しだけ顔をそむけた。

「あ、ごめん」

 唾が飛んだわけではない。どうやら僕の精神状態の起伏が、幻子の言う『霊穴を開く』という事象に深く関わっているのだと思われた。幻子はすぐに向き直って、

「大丈夫でした。……今じゃありませんでした」

 と微笑んだ。

 今じゃありませんでした?

 幻子の言葉はやはり突如として理解出来ない事があり、時に苛立ちを感じさせる。しかしこの時、彼女の顔に浮かんだ微笑みに、安堵する気持ちもあった。僕は彼女に嫌われているとばかり思っていたが、どうやらそういうわけではなかったようだ。

「……掃除機がゴミを物凄く吸い込むからといって、私が掃除機になれるわけではありません。ですが霊力を内包しているものなら、例え無機物や、御遺体からでも、私は力を借り受ける事が出来るんです。以前にも言いましたが、学のない私が手順を踏まずに先生と同じまじないを施せるのは、本来とてもおかしな事なんです」

「またいきなり何を。学ってまだ君は高校生じゃないか。そこにそんな大した意味はないだろ。それよりも……」

「勉学の話ではありません。『天正堂』本部にいる間、私があの組織で彼らなりの手法というものを学んだ記憶は、何一つないんです。ですが先生曰く、私は誰よりも上手に汚れた土地を鎮め、清めることが出来たそうです」

「……それが?」

「それは、私が『天正堂』において一番位の高い場所にいた先生のお力を、拝借しているからです」

「は、拝借って。だからそれは何なんだよ。三神さんが物凄い人だとして、それを君は学んだんだろ?それは拝借とは言わないよ」

「学んではいません」

「ええ?」

「借りているんです」

「……」

「私はかつて、いくつかある呪われた力を理由に、虐げられてきました」

 幻子が投げつけて来る脈絡のない言葉に、僕は翻弄され続けている。しかし彼女の話す言葉の全ては、どうあがいても無視できるものではなかった。その全てを馬鹿正直に受け止めてしまうからこそ、僕はいちいち腹を立て、いちいち混乱しているのだ。

 冷静になれば良い。そのくらい、自分でも分かっていた。

 だがどうしたって無理なのだ。

 だって彼女は、全てを見てきたのだから。

 僕の反応などすでにお見通しで、分かった上で話をしているのだから。

 もともと僕に、逃げ道はないのだ。

「化け物と、呼ばれたこともあります」

「……うん」

 間抜けな返事だった。

「先生に育てていただき、夜、首だけになって多くの『これから』に立ち会いました。私は夢の中にいる間だけ、自分が『特別』ではないと知っていたように思います。これから巻き起こる未来の事象、それらこそが、人々に訪れる『特別』なんです」

「……そうかもしれないな」

「ある晩、私は夢の中で素敵な人々を見ました」

「なんだい?」

「この先の未来で、私や、新開さんや、文乃さんのような人達が当たり前に存在し、そして大活躍する物語を書き連ねる多くの作家たちが現れます。そしてそれを楽しむ若者達の姿も」

「物語……創作物か」

 苦笑する僕に対し、幻子はとても真面目な顔で微笑んだ。

「その中で、私たちのような人種はこう呼ばれています」

「新人類かい? ……古いなぁ」

「『なろう系チート』」

 ドン、と胸を突かれたような衝撃を受けた。

 動悸と呼ぶにはあまりに強いものが、驚きと共に僕の胸で跳ねた。

「それ……」

「私が文乃さんに教えたんですよ。彼女はただ覚えた言葉をあなたに伝えただけで、なんのことだか分かってはいませんでしたけど」

 僕は不意に怖くなって、心を閉ざすように口を閉じた。

 そして、幻子は言う。

「単刀直入に言います。……まだ試した事はありませんが、私は先程新開さんから、あなただけが持っているお力を拝借しました。これでおそらく私も、

 限界まで目を見開き、それでも何も言い返せない僕に向かって、幻子はこう言った。


 ……私があなたを巻き込んだのは、それが本当の理由です。






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