14「子ども」


 いくつもの視線が玄関に注がれる。そして誰もが微動だにしないまま三十秒が経過し、やがてしびれを切らした池脇さんが立ち上がって玄関へと向かった。

「竜二くん、まだ」

 文乃さんの制止の声にも池脇さんの歩みは止まらず、ほんの数歩で鉄製の玄関扉に手をかけた。辺見先輩が僕の背後に回ってしゃがみ込む。僕は扉をじっと睨んで、目を凝らした。

 肌色に塗られた鉄製の玄関扉の向こうに、おそらく子供のような背格好の何かが立っている。

「池脇さんいけない」

 僕が声を上げると、彼はドアノブを握ったまま動きを止めた。しかし逡巡した後、ぐっと顎に力を込めて扉を外側に開いた。突風が舞い込み、悪臭がそれに乗って侵入してくる。

「誰だ!」

 池脇さんが物凄い声で叫んだ、と同時に風が止み、匂いも消えた。

 僕は見た。今まさにもろ手を挙げて駆け込んで来ようとした男の子の霊が、池脇さんが叫んだ瞬間背後に飛んで、消えた。ゆっくりと、文乃さんを見やる。彼女は鎖骨の間にある何か(ブローチかペンダント)を服の上から握り締め、玄関に向かって目を閉じていた。

「なんだよ、何を見たってんだ?」

 池脇さんは鼻腔に残る悪臭を手で拭い落としながら、玄関から一歩外に出て辺りを見回している。おそらく周囲には誰もいないだろう。そもそも人間ではなかったのだ。何も痕跡は見つからないはずである。

 池脇さんが扉を閉めた所で、

「男の子でした」

 と僕は答えた。池脇さんはぎょっとして文乃さんを見やる。文乃さんは唇を真一文字に結び、否定も肯定もしない。

「まじかよ……」

 池脇さんが呟くとほぼ同時、

「なんか、ちょっと臭くありませんか? こっちは掃除が行き届いてないのかな」

 岡本さんが鼻の下を指で押さえながらぼやいた。心配そうな顔の長谷部さんは、おどおどしながら周囲の様子を伺っている。だがリベラメンテで味わった臭気はこの程度の残り香とは比べ物にならない。それでもやはり、恐怖はあとから追いかけて来た。

「新開さん。はっきりと見えましたか?」

 と、文乃さんが僕を見つめる。

「扉の向こうに立っていた段階で、シルエットのようなものが見えていました。池脇さんが扉を開けた時、部屋の中へ侵入してこようとする状態でした」

 岡本さんの喉が、ヒ、と鳴る。

「顔や、服装まで?」

「服装は分かりませんでしたが……こう」

 僕は両手を上にあげて、片方ずつ前後に振る。

「手を頭上で振っていました。小さな子供が逃げ惑うような、そんな風に見えました」

 やめてくれよ……。祈るような声を出し、岡本さんが頭を抱えた。

 管理人として業務するリベラメンテでは、不可解な出来事に直面しようと仕事だと割り切り正気を保っていられた。しかしプライベートな空間を怪異に侵されたとあって、恐怖が段違いに増しているのだろう。

「すまん」

 扉を開けた事を後悔し、池脇さんが素直に頭を下げた。

「大丈夫だよ、ありゃ。なんてこたぁない」

 と三神さんが言った。岡本さんが顔を上げ、三神さんににじり寄った。その背中に取り付くように、長谷部さんも同じく移動した。

「もともとここいらに漂ってるだけの可哀想な魂だ。害はない。それより」

 三神さんは僕を見て、ニッコリと笑みを浮かべた。

「ワシよりはっきり見えるんだなあ。いや、たまげた。見直したよ、若者」

「はあ」

 ありがとうございます、そう頭を下げるべき場面なのだろうが、特にありがたいとは思わなかった。

「ただよ……」

 三神さんは目を細めて宙を見据え、「なーんでここへ来たかなぁ」と言った。どういう意味です? 尋ねる岡本さんを見ずに、三神さんはまた僕に視線を向けた。

「ありゃあ、子供のナリをしとったが中身はそうじゃない。あれはなんというか、追い立られた末に変化した、あるいはそう、あんたが言ったように逃げまどっているうちに子供の姿になったんじゃないかと、ワシにはそういう具合に感じられたなぁ。お前さんはどう思うね?」

「僕は単純に見えるだけですから、その実体がなんなのかはわかりません。だけど、逃げるというのは、何からでしょう。既に亡くなっている幽体が今また、何から逃げるというんです?」

「それは分からん。おそらくここにおる、ワシか、お嬢か、はっきりと認識できるお前さんらに縋りたかったのじゃなかろうかねえ。いや、分からんよ。こればっかりは、死んだ人間とお話し出来る程、ワシも万能じゃないもんでな」

 引き寄せた、ということだろうか。

 昔からよく怪談話のオチに使われるアレだろう。

 怖い話をすると、怖いものが寄って来る。

 ほら、こうしている間にも、君の後ろに……。

 そういう事だろうか。

 果たして、本当にそうなのだろうか……。



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