15.五人目だから、五月。本当の名前は、知らない。

「君等は異分子だ」


 あのおっさんは言った。

 周囲の同業者より若いくせに、その誰よりやり手なのが丸判りな、狡猾な目。

 それでいて、どこか子供の好奇心のようなものをまだ残しているような。

 地位に似つかわしい広い、重厚な家具が置かれた部屋の中。磨き込んだ木材の使われたその椅子ではなく、あたし達と同じ鉄のパイプ椅子を自分でひきずってきて。


「管区制のことは、もうよく判っているだろう?」


 ぐるりと彼を取り囲むように置かれた椅子。

 皆でうなづいた。あたしを含めて十二人の同じ年頃のガキども。おっさんはそのガキどもに、にやりと笑って言った。


「私はその管区制をいつかぶち壊してやろうと思うのだよ」


 あたしはその時、おっさんの言っていることの意味が、うまく判らなかった。

 だって、習ったばかりのこの歴史では、管区制は必要だから成り立ったのだ、と聞かされている。

 必要だったのだ。鎖国と同じように。


 数十年前、異常気象極まりない年、海の向こうの大国が、水没した。

 その国は、それまでの日本がどこよりも頼りにしていたところだった。

 アメリカ合衆国と呼ばれていた、世界はこの国が動かしていると言ってもいい程の大国だった。

 だけどその国でも、自然の――― 天変地異にはひとたまりもなかった。

 北アメリカの大陸だけが、水没したのだ。南に影響はなかった。

 相当な数の人々が、移住先を外に求めた。当然だ。

 元々南アメリカの国々と同じ言葉を使っていた人々は、そちらへ移住した。

 正規の方法で移り住んだ者もあるし、そうでない者もいた。

 けれど、まだ彼らは良かった。陸続きであることから、対応が早かったのだ。

 対応が早かったといえば、その情報をいち早く握ることができた人々も、まだましな方だった。

 海を越えた国々に、自分の手持ちのコネクションを使って、しっかり腰を下ろしている。

 もちろんそんな者は多くはない。その情報をいち早く手に入れることができる権限と、移動できる財力を持った者だった。

 「別荘」に出かけたまま、そこを正式の住まいにしてしまった者も居たらしい。

 ではその他の人々は。


 ヨーロッパでは、決して受け入れに積極的ではないにせよ、拒むことはなかった。

 言葉が通じるところが、と英国を選んだ者も多かった。基本的にこの国は拒まなかった。ただし、その後に住み続けることについては冷淡だった、と言われている。

 大陸の各国も、英国とさほど変わらない対応だったらしい。

 その中で、妙に積極的だったのが、ロシアと中国だったという。

 どんな経歴であっても(たとえそれが嘘であったとしても!)正規の手続きで移住を認め、戸籍を用意した。ただし、居住に関しては、場所を限定した。

 例えは、人口の少ないシベリア地方。例えば、中国の内陸部。

 言葉も通じない、自然が厳しい地方に追いやられたのは、決まってその手に何も持たない人々だった。

 覚悟を決め、その地を開拓していこうと思う者がいる一方、その地を早々に逃げ出した者もいるという。


 またその一方、日本へ移住したい、と思う者も多かった。

 彼らは日本をよく知っていた、というより、それまでの自国と同じくらいに「技術的に」便利な国に移住することを望んだのだ。

 ところが日本はそれを拒んだ。

 ただでさえ狭い国土に多くの人口がひしめいている状態なのに、外部から大量の人々が入ってくるなんて!

 まず政府が恐れた。

 もともとその大国からの食料や資源があっての繁栄だった。世界的な安全も、その国の傘の下にあってこそだった。

 それが失われ、いるところがないから、とすりよってくる。それをこの国は恐れた。

 断ることはできない。

 断ったら、その元大国が未だ所有しているだろう兵器が自分達を襲いかねない。しかし受け入れるのも困る。いつか、彼らによってこの国が乗っ取られてしまうのではないか、という恐怖。

 それがこの国の支配層を襲った。

 そして一般の人々が恐れた。

 確かにこの国は大国の影響を受けている。

 だけど、それと、その国から流れてきた人々を自分達と同じ住民として受け入れることができるか、というのは別問題だ。

 政府と人々の意志が一致し、この国の方針が決まった。

 この国は何も外から受け入れない。たとえそれがどんな結果になったとしてもだ。

 鎖国の始まりだった。

 さすがに元大国の首脳格だった者達は、その対応に激怒した。

 が、この国が、移民だけでなく、全ての資源も農産物もどの国からもシャットアウトしたことから、納得せざるをえなかった。

 元大国の首脳達は、すぐにこの国が音を上げると思っていたのだ。

 しかしこの国は実に強情だった。変に強情だった。

 強情なまま、数十年が経ってしまったのだ。


「この管区制は今ではたやすく覆すことはできない」


 おっさんはさらりと言った。


「それが必要だ、と始まった訳だが、今では皆がそれを当然だと思ってしまっている。管区から動けないのも、外の国と交流を持てないのも、当たり前のことだと思ってしまっている」


 あたし達はうなづいた。


「そんな今の日本において、君達のように、管区を移動して送り込まれる学生というのは異質だ。異分子なのだ」


 異分子。その言葉は好きではない。あたしは軽く眉を寄せる。


「嫌そうだな、君は」


 あたしはその言葉には黙っていた。


「だが事実だ。君等は、異分子なのだ。それだけではない。今の時代においては、昔と違って、中等より上の学生、それがそもそも社会における異分子なのだ」


 鎖国によって、農業中心となり、国民皆労働力が叫ばれる時代において、義務教育以上の勉強をするために学校に行く子供達は異分子なのだ、と。


「ただでさえ、社会における異分子の中に、更に異分子である君たちを放り込んだとき、果たしてその社会にどんな波紋が生まれるのだろうね?」


 そんな、いかにも楽しそうな顔で言わないでよ、と言い返そうと思った。

 のに。


「もちろんそれに対し、君達が同意するかどうかは、自由だ」


 言われたあたし達は詰まった。

 他の選択肢は確かになくもなかった。別にその「仕事」をする必要などないのだ。

 断れば断ったで、おっさんはあたし達に、それなりの管区のそれなりの共同体に居場所を作ってあけようと言った。

 それは悪くない、と皆顔を見合わせた。

 このおっさんが保証するなら、確実だろう、と思った。

 何故ならこのおっさんは。

 だけど、あたし達十二人の誰もが、その良さげな条件ではなく―――

 越境生となることを選んだのだ。

 中央からは見えなくなっている、各管区に波紋を投げるために。

 ほんの少し、見え隠れしているほころびを、大きく引き裂くために。埋まっている爆弾を掘り返すために。

 爆発させて、その管区の頭をすげ替えるために。

 それが、現在の政権を、地方でなく中央に戻すための一歩なのだ、と。

 鎖国を解き、外の世界と交流を持つことができるようになる第一歩なのだ、と。


 おっさんの言葉の全てを信じた訳ではない。それにどうしてそれが「鎖国を解く第一歩」なのか、理解しにくい部分もある。

 それに、あたし達のうちの誰もが。そう思うには、あまりにも、今目の前にある「日本」は固く固く固くその心も体も閉ざしてしまっているような気がする。

 それでも。

 あたし達は動き出した。

 完全におっさんの意志に賛同した訳ではない。だけど。

 全部で十二人。あたしはその五人目。

 五人目だから、さつき―――五月なのだ。

 本当の名前は、知らない。

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