恋の伝説(1)

 少し前方に、ほんのり茶色がかった彩斗くんの頭が見える。時々動く様子から察すると、隣に座る友達と談笑しているらしかった。

 自分の気持ちを自覚してからというもの、彼のことをついつい密かに目で追ってしまう。


 とうとう林間学校の当日になった。二年生の全員が、クラスごとにバスに乗り込んで、学校からスキー場が併設されている旅館へと向かう。


「七瀬さん、これ食べる?」

「うん、ありがとう」


 私の隣に座る中村さんが、棒状のチョコレート菓子を一本渡してきたので、私は笑顔でこれを受け取った。クラスメイトに特定の仲のいい人はいないけれど、中村さんは気さくで話しやすいので、隣の席になってくれて本当によかった。


 よく考えてみると、最近中村さんと話す機会が増えた気がする。彼女は移動教室に行くのを誘ってくれたり、体育の授業でふたり組を作らなければいけない時に、よく声を掛けてくれたりした。


 常に明るくお喋りな中村さんとはあまり気張らずに話をすることができた。よく話しかけてくれる彼女の方も、もしかしたら私と話しやすいと思ってくれているのかもしれない。そうだったらいいな。


 お菓子を小さく齧りながら、私は窓の外を見る。段々と家屋の数が少なくなり、山々が連なっている景色になってきている。遠くの山の標高の高いところは、雪で白く覆われていた。きっとこれからあんなところに向かうのだろう。


「おいしいね、このお菓子」

「でしょ? 新発売だってー。林間学校が楽しみすぎて、お菓子たくさん買ってきたんだー! いろいろ一緒に食べよっ」

「やったー! だけど、いっぱい食べたら太っちゃいそうだね」

「やだなー、こういうイベントの時はそういうことを考えちゃだめだよ。それにスキーで体をたくさん動かせばカロリーゼロだよ」


 悪戯っぽく笑う中村さんの言い分が面白くて、私は笑ってしまった。すると彼女は、しおりのスケジュール表を見ながら、わくわくした様子でこう言った。


「まあでも、一番楽しみなのは二日目の夜のキャンプファイヤーだよね」

「ああ、そういえばそんなイベントもあったね」


 二日目の夕食後、旅館の中庭に集まってキャンプファイヤーを行う予定があった。先生たちが用意した打ち上げ花火も上がるらしい。


「ねえ、七瀬さんは誰と一緒に見るの? 私は残念ながら、見ての通り男っ気がないんで、バレー部のみんなと一緒に見るけどさ」

「え……?」


 誰かと約束をして一緒に見るほどの、大それたイベントとは思っていなくて私は首を傾げた。それに男っ気ってどういうことだろう。

 私のそんなぼんやりとした反応に、中村さんは驚いたようだった。


「え? もしかして知らないの⁉ 林間学校のキャンプファイヤーにまつわる伝説!」

「伝説……?」


 急に大袈裟な単語が出てきて、ますます私は困惑する。


「わー、この様子じゃマジで知らないのか。あのね、林間学校のキャンプファイヤーの花火が打ち上げられる瞬間に、手を繋ぎあってそれを眺めていた男女は、将来添い遂げることになるって伝説があるんだよ! 学校内では結構有名な話だよ。あ、でも先輩から聞いていない人は知らないのかな」

「……へえ、そんなのあるんだ」


 私は苦笑を浮かべた。そんな一昔前の少女漫画みたいな話が、私の学校に実在していたとは。


「あ! 今ちょっと馬鹿にしたでしょ」

「い、いやしてないよ」

「私だってそういうの馬鹿馬鹿しいと思うけどさ。バレー部の先輩のお姉さんが、その時に一緒に見た男の子と結婚したんだよ。卒業した先輩達には、他にもずっとお付き合いが続いているカップルが何組もいるらしくてっさ。花火の効果、マジみたい」

「ええ、それはすごいね」


 実際にそういった男女が何組もいるとなると、確かに信ぴょう性はある。恋を叶えたい人たちが、この伝説を頼って意中の人と約束をしようとするのも頷ける。


「だからすでに付き合ってる人たちはもちろん一緒に見る約束はしてるみたいだし、好きな人がいる人達はなんとか相手に約束を取り付けようって、何日か前から頑張っているんだよ」

「全然知らなかった……」


 そんなことが学校内で繰り広げられていたなんて。最近は彩斗くんと一緒にいてばっかりで周りのことをあまり気にしていなかったせいか、全く気付いていなかった。


「知らなかったんなら、七瀬さんはまだ誰とも約束してないんだね」

「うん。まあ知ったところで誰ともそんな予定はないよ」


 言いながら、彩斗くんの頭をちらりと眺めた。彼は誰かと花火を一緒に見る約束をしているのだろうか。気になって仕方がなかったけど、この恋を自分の中だけにとどめておくことに決めた私には、伝説なんて気にしたって意味のないことだった。


「七瀬さん結構かわいいのにもったいない! 男子から誘われてないの?」

「いやー……。残念ながら今のところはないなあ」


 自分がかわいいとは決して思わないけれど、否定するのも野暮な気がしてそこはスルーする。すると中村さんはにんまりと笑った。


「じゃあこれから誘われるかもね! 好みの男子じゃないならきっぱり断らなきゃだめだよ? 七瀬さん、優しいから人の頼み断れなそうだし」


 人のお願いを拒絶できないのは、優しいのではなくて嫌われたくないからだ。少し前の私なら、男子に誘われたら断れずにずるずる流されてしまったと思う。

 だけど今なら、ちゃんと拒否できる……と、思う。彩斗くんが「少しくらい誰かに嫌われたって、本当に気を許せる人が傍に居ればいいんだよ」って教えてくれたから。


 まだきっぱりと断るのは難しそうだけど、自分の意思をすべて捨ててまで人に合わせようとは、もう思わない。


 中村さんとそんな話をしていたら、旅館の駐車場に到着した。部屋に荷物を置いたら、すぐにスキーウェアに着替えることになっていたはずだ。この後は、早速ゲレンデでスキーを滑る予定なのだった。

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