頑張ったね(3)

「どうかな、これ」


 試着室のカーテンを開いて彩斗くんが言う。試着したスキーウェアが合っているかどうか気になるのか、自分の手元や足元の様子をちらちらと眺めながら。


 見た瞬間私は息を呑む。このどこか飄々とした少年がイケメンであることは、最初に会った時からもちろん分かってはいる。


 だけど、黒を基調としたスキーウェアをまとった彩斗くんは、普段とはまるで雰囲気が違っていて。彼の色白の肌と漆黒のウェアとのコントラストがとても美しく、雪の上に今の彩斗くんが立ったら、さぞ幻想的なんだろなとすら思った。


「心葉? どうっすか?」


 彩斗くんの姿に不覚にも見とれてしまっていた私だったが、何も言わない私を彼は不思議に思ったらしい。眉をひそめて尋ねてきたので、私ははっとする。


「えっ。あ、ああ。すごくいいと思う!」

「そう? さっきの迷彩のやつより、こっちの方がいいよな」

「うん! 断然今の黒い方がいい!」


 先ほど試着した迷彩柄のウェアも、彩斗くんはかっこよく着こなしていたとは思う。だけど今の真っ黒のウェアの方が、どこかミステリアスな彼の魅力を存分に引き立てていると思う。


「そっか。じゃあこれ一式と、さっき一緒に選んだ厚手の靴下とスノーグローブを買ってくるわ」

「うん。待ってるね」


 買い物かごにウェアを突っ込んで、レジの方へと向かう彩斗くん。私はそんな姿を遠目に眺めながら、先ほどの黒いスキーウェアをまとった彼を思い起こす。


 あれは、正直かっこいいな。牧野さんがお熱をあげるわけだわ……と、少し彼女の気持ちが分かってしまった。


 そんなことを考えながら苦笑いを浮かべていると、お会計を終えた彩斗くんが戻ってきた。


「お待たせ―。結構高いんだなあスキーウェアって。親からもらってたお金でギリギリ買えてよかったよ」

「そうそう、私たちには手が出ない金額だよね」


 そんな話を彩斗くんとしながらも、買い物が終わってしまったことへの寂しさを密かに抱いている私。もう用事は終わってしまったから、あとは帰るだけ。


 ――もうちょっと、一緒にいたかったな。

 なんてことを考えている自分に気づき、どうしちゃったんだろうと思いなおす。こんなの、まるで彩斗くんのことを好きみたいではないか。


 いやいや、そんなんじゃない。一緒にウェアを選ぶのが楽しかったから、もう少し遊びたかったなって思っただけだ。

 なんて、まるで自分に言い聞かせるように私は無理やり思い込む。一体何に私は言い訳しているのだろう。

 ――すると。


「じゃあ次んとこ、行こうか」

「次のとこ……?」


 彩斗くんがいつものように超然とした笑みを浮かべる。「次んとこ」の場所が分からず、私は首を傾げた。だって今日は、ただスキーウェアを一緒に見に来ただけのはずだ。


「こういうとこに来たら、カフェかなんかで休憩するでしょ。ちょっと小腹もすいたしさ。行こうよ」


 さも当然のように言う。そんなこと全然考えていなかったので一瞬驚いてしまったけれど、彩斗くんと一緒にカフェに行っている光景が頭の中に浮かんで、みるみるうちに嬉しくなっていった。


「うん! 行く!」


 私は嬉々とした声で返事をする。すると彩斗くんは少しだけ笑みを深く刻み、自然な動作で私の手のひらを取って、歩き出した。


 手を繋いでショッピングモールの中を歩くなんて。こんなの本当に、デートみたいだ。それに何で私は、彩斗くんとカフェに行くくらいで、こんなに喜んでいるのだろう。


 何て冷静に自分の感情にツッコミを入れる。だけどやっぱり、嬉しいものは嬉しかった。



 学校からも家からも近いこのショッピングモールには何度も来ていたので、だいだいどんなお店が入っているかを私は把握していた。


 だから彩斗くんと一緒に入るお店は私が選んだ。由梨や圭太とも何回か入店したことがある、ケーキのおいしいカフェにした。


「何がいいんだろ?」


 メニューを眺めながら彩斗くんが言う。私はいつも食べるミルフィーユを指さした。苺がたっぷり乗っている、甘ずっぱくて贅沢なケーキだ


「どれもおいしいけど、私はいつも苺のミルフィーユにするよ! いつも紅茶も頼んで一緒に食べるんだけど、それがよく合ってて本当においしいんだよね~」

「へえ。心葉がそう言うんなら、そうしようかな。飲み物も紅茶にするよ」


 ――心葉がそう言うんなら。


 何故か彩斗くんのそう言った瞬間、嬉しさが込み上げてきた。いつも人に合わせてきた私の言葉を、彼が大切に聞いてくれたように感じて。


「私もそうする! あ、すみませーん!」


 ふたりのメニューが決まったので、私は店員さんを呼んで注文をした。苺のミルフィーユと紅茶のセットを、ふたつ。

 お揃いのメニューをカフェで頼むなんて、やっぱり本当にデートみたいだなあと改めて思ってしまった。


 そんなことを考えながら、ケーキが運ばれてくるのを待っていると。


「なんだか、今日の心葉すごく嬉しそうだね」

「えっ?」


 彩斗くんが優しく見えるような微笑みを浮かべて言ってきたので、私は虚を突かれる。確かに嬉しい気持ちになっていたけれど、そんなに顔に出ていたのかな。少し恥ずかしくなってしまった。


「そ、そうかな」

「うん。ショッピングモールに来てから、全然暗い顔してない。教室ではいつも縮こまっているような感じがあるからさ」

「……うん」


 それはいつも、誰かに触れた瞬間に自分への悪意を聞かないために、都合のいい人間になろうと努めてきたからだ。

 自分自身が嬉しくなることや、楽しくなることをするのは二の次だった。


「今日は一緒に来れてよかった。心葉のかわいいところ、見れてさ」


 からかうように微笑んで言う。


「もう! またすぐそういうこと言うんだから……」


 私は口を尖らせる。本当に慣れてないから、こういうことを言わないでほしいのだ。だけど、全く嫌な気持ちはしなかった。――いや、むしろ。

 今私彩斗くんにかわいいって言われて。心臓がキュンと飛び跳ねなかった?


「あ、彩斗くんってチャラ男なの?」


 そんな自分の内側を誤魔化すように、私は尋ねる。彩斗くんは少しだけ困ったように笑った。


「えー? 心葉にはそう見えんの? 全然そういうつもりはないんだけどなあ」

「だって、中二男子の大半は女の子に『かわいい』って言ったり、いきなり抱き着いてきたりなんてできないでしょ。そんなことできるの、少数の女慣れしてるチャラい人くらいだと思うよ」

「なるほどー。確かにね。……でもさ」


 彩斗くんはそこで言葉を止めると、じっと私を見つめてきた。吸い込まれてしまうような大きく澄んだ瞳。それを真っ向からぶつけられ、私はたじろいでしまう。――また心臓が落ち着かなくなる。


「俺、心葉にしかそういうことしてないけど。他の女の子にそんなことしてる姿、見たことある?」

「え……えっと……」


 迫られるように視線をぶつけられて、息が止まるくらいにドキドキする。戸惑いながらも必死で彩斗くんの普段の姿を思い出してみた。


 そういえば彩斗くん、普段はあまり他の女の子と話をしていないかも。仲のいい男子はできたみたいで、私と話すとき以外はいつもその人たちといる。

 女の子を追いかけるような行動は、一切見たことが無かった。むしろ、男子の中でも人気のある牧野さんのアプローチを、いつもやんわりと断っている。


 あれ、全然チャラくないじゃない。私はなんで彼をチャラいって思っていたんだろう。


 ――俺、心葉にしかそういうことしてないけど。


 私にだけ、かわいいって言ったりからかったりしてくるってこと? え、それって……。


「俺が構っている女の子は、心葉ちゃんだけっすよ」

「え……」


 いまだに私を見つめる彩斗くんにはっきりとそう言われて、私は硬直してしまう。

 どういう意味なの、それ。

 なんで私にだけ、あなたは構うの?

 心臓を激しく鼓動させながら、彼に聞きたい質問が次から次へと湧き出てくる。だけど口の中がカラカラに乾いて、うまく言葉が出てこない。

 ――すると。


「苺のミルフィーユとダージリンティーふたつお持ちいたしました~」


 張りつめた私の緊張を壊すかのように、ケーキと紅茶を乗せたトレイを持った店員さんが明るい声を上げた。

 どうしたらいいかわからなかったので、私はほっとした気分になる。乾いた喉を潤したくて、慌てて紅茶を一口飲んだ。


「あちっ」


 あまりにも急いで飲んだせいで、熱い紅茶が喉の奥に勢いよく入ってきて、私は顔をしかめた。するとそんな私を見て、彩斗くんが噴き出すように笑った。


「あはは、何やってんのー。そんなに急がなくても紅茶もケーキも逃げないよ」

「だ、だって喉が渇いちゃって……」


 おっちょこっちょいな姿を見せてしまい恥ずかしくなった私は、慌てて言い訳する。


「心葉って、なんかほっとけないよなあ。先生の言うことよく聞く優等生だし、見た目も大人っぽいのに、どこか抜けてるって言うか、無防備っていうかさ」

「ほっとけない……」


 彩斗くんの言う通りだと思った。彼はいつもどしっと構えていて、不測の事態が起こっても、慌てないで冷静に対処しているイメージがある。

 それに対して私は何かある度にあわあわしてしまい、人の気持ちにいちいち振り回されてばっかりだし、本当に落ち着きがない。


 彩斗くんが私に構うのは、きっとそんな私を放っておけないからなのかもしれない。いや、きっとそうだ。精神が成熟している彼からしたら、私なんて危なっかしく見ていられないのだろう。うん、そうに違いない。


 ――さっき、一瞬でも「彩斗くんが私にだけちょっかいを出すのは、私に好意を抱いているから」と思ってしまった自分が馬鹿だった。

 そんなわけないじゃない。彩斗くんがこんな不安定な私を好きになる要素なんて、全くないじゃない。


 当然のことなのに。なんで私はこんなにがっかりしているのだろう。


「あ、本当にうまいこの苺のケーキ。心葉の言う通りにしてよかったよ」


 ケーキをおいしそうに頬張りながら、無邪気に微笑んで言う。いつもどこか達観しているくせに、こういう時は子供っぽいかわいい顔をして、なんだかずるい人だなあと思った。


「そ、そう。よかった」


 そう言って、私もミルフィーユをひと口食べる。甘酸っぱい苺とクリームのハーモニーが口内に広がる。

 まるで今の私の心の中みたいだった。甘くて、酸っぱくて。初めて感じる気持ちだった。


「――あ。ねえ、さっき言ったことだけどさ」


 ケーキを食べ終えた彩斗くんが、紅茶をすすりながら言う。


「さっきのこと?」

「うん。心葉が教室ではいつも縮こまっているような感じがあるって言ったこと」

「……ああ。本当にそうだよね。私、学校では……」

「いや、最近はそうじゃない時もあるなあって思うんだけど」


 思いがけない彩斗くんの言葉だった。「学校では人の顔色ばっかりうかがって、気弱な奴だよね」って言おうとしていた私は、虚を突かれたような思いだった。


「そうじゃない時……?」

「うん、自分の意見を頑張って言おうとしてる時がある気がする。特にさっきは、俺も驚いたよ」

「さっきって、もしかして……。牧野さんと話してた時のことかな?」


 私が初めて、クラスメイトに真っ向から逆らった瞬間だった。林間学校のしおり作りを断った後、牧野さんにすごまれて少し怖いとは思ったけれど、後悔は全くない。むしろ、すっきりすらしている。


「そう。牧野さんから林間学校の仕事押し付けられそうになってたの、頑張って断ってたよね。俺、心葉なら引き受けちゃうんじゃないかなって思ったから、びっくりしたよ」

「あ……。だ、だって彩斗くんとショッピングモールに行く約束があったし」


 そう言うと、彩斗くんは目を細めて笑みを深くした。今まで以上にひどく優しいその微笑みは、まるで愛しいものに向けられるような笑みに見えて。

 私の単純な心臓は、また高鳴ってしまうのだった。


「俺との買い物のために断ってくれたの? ありがとう。俺も楽しみにしてたんだけど、心葉も楽しみにしてくれたのかなあ」

「え、あ……。まあまあ、楽しみ、だったかも……しれない、です」


 ここではっきり「うん! すごく楽しみだったよ!」って言った方が素直でかわいらしい女の子なんだろうなあと頭では分かっている。だけど私にそんな高等な話術ができるはずもなく、何が言いたいのかよくわからない感じになってしまった。


「俺、はっきり牧野さんに断ってる心葉を見て、『やるじゃん』って思ったよ。ちょっと声は震えちゃってたけどね」

「聞いてたんだね。私にはあれが精一杯だよ……」

「だよね。牧野さん怒らせたらおっかないし。心葉に迫ってるあの人、マジでこえーって思った」

「うん、本当に怖い顔してた……」


 彩斗くんがあそこに入ってこなかったら、私は牧野さんにどんな目に遭わされていたのだろう。想像したくもない。


「だけどさ」

「え?」

「本当に、よくやったと思った。頑張ったね、心葉」


 彩斗くんはそう言いながら私の方に手を伸ばしてきた。突然のことに固まっていると、なんと彼は私の髪の毛を優しく撫でるように、頭をポンポンと軽く叩いたのだ。私をその透き通るような双眸で、深く見つめながら。


 ――ずるい。なんでずるい人だ。本当に恐ろしい人。


 こんなことされたら、好きになってしまう。恋に落ちてしまうっても、しょうがないじゃないか。


 もう自分の気持ちに嘘は付けなかった。私を包み込むような微笑みを向けてくる彩斗くんをぼんやりと眺めながら、私はこの人を好きになってしまったんだと、思った。


 触った瞬間に、その人の心が読めてしまう私。こんな体質である限り、一生恋愛なんてできないと思っていた。はなから諦めていた。


 そんな私が、人を好きになってしまった。恋をしてしまった。なんて馬鹿なことをしているのだろう。


 ――だけど彩斗くんは、私が唯一心が読めない男の子。


 ねえ、彩斗くん。


 あなたになら私は、恋をしてもいいのかな?


 その後私たちはカフェのお会計をして、ショッピングモールを出て別れた。ひとりでの帰り道、私は初めて自覚した自分の恋心のせいで、浮足立った気持ちになってしまっていた。

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