第211話 告白と選択

 アオイの部屋にした。なぜだか、これから起こることは狭い部屋が似合うと二人共確信していた。


 部屋の中は、隅の方に、塗装と細工が施された綺麗な箱が重ねられている。その横には衣桁。アオイが持っている中ではやや派手な部類の衣がかかっている。真ん中には寝台。庭に面した壁には丸い窓があるが、御簾が降りているので月明かりもほとんど届かなかった。


 それにしても、とアオイは歯噛みする。女と二人だというのに、クロガは全くもって落ち着き払っている。日頃、女っ気が無いのだから、こんな時ぐらい初で慌てた顔をしたら可愛らしいのに、何の変化もない。


 いつだって、そうだ。女としてのアオイには、見向きもしない。当初はそれに安堵していたというのに、今となっては腹立たしいを通り越して、若干惨めになってきた。


 娼館で楽師をしていたアオイからすれば、これはどこか歪な事実であり、日に日に女としての自信が削がれていく出来事でもある。


「そういえば」


 溜息混じりに切り出した。


「ナギがあなたの髪を褒めてたわ」

「これですか?」


 彼の髪は、いつも濡れたように艷やかだ。もっぱら、女楽師達の間では、どんな手入れをしたら、あれ程見事な髪になるのだろうと噂になっている。


 クロガは、ようやく照れたように、軽く俯いてみせた。今はれいの赤い簪をつけておらず、青黒い光を放つ髪はたおやかに彼の背中に広がっている。


「触っていいですよ」


 自らの髪を少しだけ掬い上げ、上目遣いでアオイに問う。


「別にそういうわけじゃ」


 髪は特別だ。髪を結うのだって、信頼のおける者にしか頼まないものだ。特に用もないのに触れるなんて、それこそ特別なことになってしまう。


 誘ったのはアオイなのに、完全に怖気づいていた。


「あのね、相変わらず完璧だと思っただけよ。女に化けるからには、髪にも気を遣ってるのでしょう?」

「いえ、特に何もしてませんが。本当に」


 となると、やはり元王族というのは、生まれ持った素質が違うのだろうか。やはりこの男は近くて遠い世界の人間なのだと悟ってしまう。


「何もしてないことはないはずよ。女に身をやつして、不慣れな場所で動き回って。シェンシャンのことも、神具でカバーしているとは言え、冷や冷やしているのではない? ここに来て以来、本当によく働いていると思うの」

「労ってくれるんですか?」

「えぇ」


 そもそも、アオイが首席代行として楽師団を完全に掌握できていれば、クロガはこんな任を負うこともなかった。クロガが、ここで生活しやすく整えて、せめて目の届く範囲では守ってやるのが筋である。


「あなたはもっと、報われるべきだわ」


 すると、クロガが急に真顔になった。アオイは何か不味いこと言ってしまったかと焦ってしまったが、クロガはふと頬を緩めて首を振る。


「すみません、なんだか慣れなくて」


 クロガは、いつも誰かの代理だった。さらには、それを完璧に全うさせることが当たり前とされている。感謝されることはあるが、額面通りに受け取ることはできない。クロガという人間、そのものに期待し、クロガでなければと言っててくれる人はいないのだ。


 本人としても、それでいいかと、納得してしまうことも多い。兄弟を見渡しても、自分はいまいち突き抜けたところが少なく、そういった評価を受けるのも仕方ないことと思えていた。どこか、いつも諦めていた。


「誰かから本気で僕を求められることなんて、ありません。びっくりするほど、ないです。そうしたら、僕自身も意固地になってちゃって、いつの間にか、自分から誰かを求めたり、誰かに期待することはできなくなってしまったんです」


 アオイは、クロガの独白に耳を傾ける。淡々とした語り口が、どこか痛々しい。もしかすると彼は「寂しい」という言葉を知らないのかもしれないと思った。


 元王子らしく敏腕を振るう時は、凛々しい横顔をしている。心底よくできる男だ。それでも、足りないところはあるのだろう。それを見つけられて、どこか安心する。


 無性に、守ってやりたくなってきた。


「あんたは、よくやってるよ」


 今では、秘密を共有する仲間であり、楽師としても弟分だ。年自体も、自分より低い。日頃完璧な男がこうやって弱みを見せてくれるのは、素直に嬉しい。きっと誰にでも話す内容ではないはずだ。相手として選ばれた、と実感する。愛おしさが込み上げてくる。


「あたしは、あんたが凄いと思うし、あたしが今まで出会った中で、あんたが一番信頼の置ける男だよ」


 ちゃんと誰かの代わりとしてではなく、彼自身を見つめている者がいることに、気づいてほしい。


「もっと自信をもったほうが良い」


 育った村も、娼館でも、女は女としか見てもらえなかった。男なんて、皆クズだと思ってた。でも、クロガと同居してからは、男の中にもまともな奴がいることを知った。


「少なくともあたしは、あんたの良さを分かってるし、保証するよ。誰かがあんたを貶めたら、徹底的に反論してやる」


 クロガは、顔をあげた。薄っすらと瞳を潤ませていた。それを見て初めて、アオイは、自分も興奮しすぎていたことに気づき、今になって恥ずかしさが押し寄せてきた。


「では、これからも僕を守ってくれますか?」

「もちろん」

「ここに来た初日、松様、竹様、梅様が乱入してきた際も、見事な手際で守ってくれましたよね。頼もしかったです」

「いや、あれは」


 あの時は、あの噂好きの姦しい三人娘に、部屋に男を囲っていると思われぬよう必死だったのだ。けれど、それは言わぬが吉だろう。言い淀むアオイに、クロガは大丈夫だと言う風に頷いてみせる。


「こんな風に、心を守ってもらえるというのは、なかなか稀有な体験です。王族でしたから、護衛が付くことはあっても、心はいつも無防備でした。たとえ傷ついたとしても、誰も、僕自身すらもそれに気付けなくて、随分後まで後遺症が残ることもありました」


 クロガは、脳裏の端に、幼き日のコトリの顔を思い浮かべる。だが、それも水面に揺れる光のように揺らめいて、すぐに消えた。改めて、目の焦点を真正面にいるアオイへと定めなおす。


「だから、新鮮でした。救われました。こんな気持ちにさせてくれて、本当にありがとうございました」


 突然、クロガの目から一滴が零れ落ちる。


「こんな素敵な時間が、思いが、もうすぐ終わってしまうのかもしれないと思うと、苦しいです。僕は、もっとずっと、一緒にいたかった。あなたの傍は、とても心地良い。こんなに甘やかしてくれる人は、他にいません」


 ここには二人しかいない。アオイは、一瞬遅れて、それが自分のことを指していると自覚して、顔が熱くなる。


「それって、あんた……」


 もう、紛れもなく、愛の告白になっている。


「アオイ様。これからも一緒にいたいって言ったら、迷惑ですか?」


 瞬きすることしかできない。アオイは、顔をどう繕えばよいのか分からなかった。


「でもあたしは、こんなに年上で、シェンシャン以外に脳がなくてさ。元々庶民だし、それに……」


 想像以上の出来事が、今起こっている。クロガも自分を見てくれていたということ、それが分かっただけでも行幸なのに。未練がましく追いすがってしまいそうになる。格好の悪い女だけは、絶対に成り下がりたくなかったのに。


「そんな顔しないでください。ただ、嫌われたくないと思ってます。願わくば、一緒に居た時間をずっと覚えていてほしいです。それ以外にはありません。あなたが、男を信用していないのも、知ってます。境遇のことも、噂でききましたし、仕方ないと思ってます。それであっても」


 クロガは、勇気を出した。


「これからも守ってくれたら、これ以上嬉しいことって、ありません。こんなに、女の人に執着してしまったのは初めてのことなので、自分でも正直どうすればいいのか。とにかく必死で。今日は、初めてカケル兄上の気持ちが分かった気がします」


 クロガは、言い切ったとばかりに、笑顔を見せる。やけに、晴れ晴れしている。アオイは、なぜだか、負けたような気がした。


「あんたは元王子だよ。でも、今から、身の程知らずなことを言わせて?」


 陳腐な悔しさを燃料にして、覚悟を決める。女は度胸だ。


「あたしでよければ、あたしを選んでくれないかい?」


 しかし、返って来た答えは、さらに想像を超えていた。


「僕は、ここの仕事を終えたら、帝国へ行くことになっています。チグサにはエンジュという男がつくことになりましたが、やはり心許ないということで、王の指示が出ています」


 クロガによると、未だ国内では元ソラの王族を担ぎ上げて紫国を転覆させようとする集団がいること、それを鎮静化するためにも、クロガは国外に出した方が国にとっては都合が良いということが語られた。


「それ、全部ミズキの都合じゃないか!」

「そうですね。でも、その勝手な都合のお陰でアオイ様と出会えましたから、あまり責めることもできません」


 アオイは仕方なく口ごもる。

 クロガは、アオイが急に幼く見えた。


「そういう事情があっても、ついてきてくれますか?」


 クロガについていくこと、それすなわち、楽師を辞めるということだ。それも、あの危険な帝国に。


 アオイは、すぐには声を発せなかった。


「意地悪しちゃって、すみません。じゃ、こうしませんか? 無事に僕が帝国から帰ってきたら、真剣に僕とのこと、考えてください。僕は、アオイ様のところへ無事に戻ってくるために、がんばってきます」

「絶対だよ。絶対に無事に帰ってくるんだよ?」

「はい。絶対です」

「それと、あまり待たせるんじゃないよ? あまり遅いともっと老けこんじまう」

「歳を重ねても、きっとアオイ様は美しいままですし、僕の心は変わりません」

「一端に言うじゃないか」


 もう、我慢できなかった。

 二人が、抱き合う。重なり合う。




 それから一月後。クロガは、アオイから特別に旅の無事を祈る奉奏を施してもらい、西へと旅立っていった。


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