第188話 王の悩み

 ミズキは苛ついていた。なさねばならぬことが、考えねばならぬことが、あまりにも多すぎた。日夜、武官、文官、以前からミズキ個人に付き従っている旧紫の者達が代わる代わる彼の元を訪れ、無理難題を突きつけたり、時に民からの嘆願書が山のように届いたりするのだ。


 王とは――――。その在り方について、改めて考え、見つめ直す時間すらない。ましてや、妻のサヨを労る時間など、ほとんど残されてはいなかった。


 建国から半年あまり。いつまでこの目まぐるしい日々が続くのかと思うと、時々気が遠くなって倒れてしまいそうになる。だがミズキには、この国を変えたいという使命があった。


 変えるということは、古い国を倒すだけに留まらない。むしろ、そこからが全ての始まりなのだ。つまり今は、夢にまで見た立場で、あらゆることが決められる力を持ち、後はたくさんの声に耳を傾けて励むだけ。


 と言うのは易し、行うは難しだ。


 ミズキは、周りの人間もよくやっていると思っている。初めは煙たかった義理の父親となるザクロも、旧クレナの貴族達をよく取り押さえてくれているし、ハトは、相変わらずミズキの隣で敏腕を振るっている。


 特に、ユカリの活躍はめざましい。宮中で仕える女達を採用、再教育するところから手を付けはじめて、今では誰もが頭の上がらぬ存在だ。何せ、元王女という肩書がありながらも庶民生活の経験も長く、単身ソラで一大組織を作り上げ、旧ソラ王家とも通じている。あらゆる身分の者共の懐に滑り込み、気づけば彼女の手のひらで転がされているという。


 最後はコトリとカケル。この夫婦は正式な婚姻後は、見る者が胸焼けしそうな仲の睦まじさで、今は地方を巡っているところだ。もちろん物見遊山ではなく、新たな国王、ミズキから派遣された琴姫と神具師として、行く先々の村へ様々な恵みや知識を与え、国の威信を高める役目を負っている。今は、旧クレナの田舎にいるようだ。


 そうなると、未だミズキが手薄にしているところと言えば、旧ソラがあげられる。しかし、貴族は旧ソラ王家の力が強く働き続けているのと、庶民も想像以上に新国へ従順な姿勢なのである。


 というのは、ミズキが旧ソラ国王であるカケルと師弟関係にあるからだと言われている。ソラでは、神具師の師弟関係が絶対的だ。日頃ざっくばらんな会話をしたり、時に敬語がなかったりする間柄もよく見られるが、弟子が根本的に師匠を裏切ることはない。


 そういった不文律があるので、ミズキはソラをないがしろにしてカケルを悲しませるようなことはしないはずだと、民は確信しているのである。


 こう振り返れば、ミズキの近辺はそれ程酷い有様ではないように見受けられそうだが、二つ、未だ解決できていないことがあった。


 一つは、アダマンタイトの姫、アイラ。できるだけ避けるようにはしているが、よくミズキを待ち伏せしては様々な手管で迫ってくる。もうしばらくもすれば、紫国の文化にも馴染めず、母国も恋しくなって帰るのではないかと考えていたが、なかなか手強い相手のようだ。


 そして、もう一つ。それはミズキの古巣とも呼べる場所、王立楽師団である。


 いつもの執務部屋で天井を仰いだミズキは、おもむろに立ち上がった。


「出かける」

「どちらへ?」

 

 近くにいた文官からの問いに、王宮の外だと答えると、早速支度が始まった。衣や馬車、道中の護衛の手配。何よりこの後の予定の調整があり、一気に慌ただしくなる。それを面倒臭そうに横目で見ながら、ミズキは気配を消して庭へ降りた。まだ、誰もミズキがいなくなったことに気づいていない。


「王という肩書もなかなかに肩がこるな。たまには自由に行動させてもらおう」


 そう言うと、ミズキは近くの岩陰に身を潜め、懐から出した赤い簪を使って簡単に髪を結い上げた。たちまち愛らしい少女の見目に変わってしまう。


 着ていた豪奢な上衣もその場に脱ぎ捨てて、さっと宮の裏手へ回った。以前から女官の衣を密かに用意していたのである。手早く着替えると、悠然と廊下へ舞い戻った。


 女官は手に大きな扇で顔を隠すのが通例。すれ違う者に疑われることなく王宮を無事に抜け出して、向かった先は新しき鳴紡殿である。


 敷地内には、旧クレナの都にあるものと似せた造りの建物が、三つも並んで建っている。楽師団の団員が増えたためだ。


 クレナの楽師団は、王と密通して琴姫コトリを陥れた女達が消えたことで、半分に数を減らしていた。しかし、カケルの助言で、ソラから戻ったミロク達、男衆、そして間諜としてコトリに仕えていたイチカ達率いる流民や旅芸人の女達も合流している。いつの間にか人数は、元の三倍という大所帯にはなってしまった。


 シェンシャンが爪弾き出す神の声は、帝国との戦でも有効であったし、今も土地や民を潤すのに役立っている。国土も広がった。よって、良い弾き手が多いことは喜ばしいはずなのだが、団の内情は酷いものになっている。


 これまでは、主に貴族を中心とした教養も作法もある女達では組織されていた楽師団。しかし今は、シェンシャン以外はからきしの女もいれば、ましてや男すら所属している。


 ミズキは、一人ひとりの楽師が悪い者達でないことをよく知っているが、こうも派閥に別れて仲違いしているのを放置しておくのは、あまりに危険だ。何せ楽師団は、国防においても、国土の豊かさを保つためにも、要の存在なのだから。


 ミズキは、鳴紡殿付きの女官に王宮からの使いだと名乗り、一人の女を呼び出した。


「また、そのような格好をなさってるんですか」


 顔を合わせるなり苦言が返ってくる。


「この方が気軽なんです。アオイ様こそ、この格好の方が見慣れていて話しやすいでしょう?」

 

 アオイは、やれやれと肩をすくめただけ。すぐに見抜かれたのは想定内だが、いつも程の威勢が無いのが気にかかる。その原因は分かっているが、いろいろと気を配っている時間は残されていなかった。


「首席代行は、手こずってるみたいですね」


 早速、傷を抉るような物言いになってしまう。すぐに王付きの者達が押しかけてきて、ミズキを回収してしまうだろうから、すぐにでも本題に入りたかったのだ。

 

 アオイも、今のミズキの立場や考えはよく分かっている。険しい顔つきのまま、声色を落として続けた。


「えぇ。コトリ様がいらっしゃれば、もっと上手く采配されるのかもしれませんが、私にはもう」


 内心、アオイの言葉に疑問を抱いたミズキは、一瞬真顔になる。コトリが楽師団で賢く立ち回れていたのはサヨのお陰であった。しかし、今おらぬ者を前提に話をしても埒が明かない。


「首席代行は、アオイ様にしか頼めないことだ。どうか、ここで辞めるなんて言わないでくれ」

「ですが、わざわざ叱責なさりにいらっしゃるということは」

「そういうわけではない。実は助っ人を送り込もうと思ってるんだ」


 アオイは、伏せていた顔を上げた。


「どなたですか?」


 ミズキは、その日一番の笑顔を浮かべた。それは明らかに、悪巧みを思わせるものだった。


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