第157話 皇帝からの叱責

 軽業師のように神具を操って城を抜け出し、カケルとコトリがどうにかアダマンタイトの都から逃避行を続けている間。セラフィナイトは父親である皇帝に呼び出されて、急遽帝都に身を寄せていた。


「貴様の不始末は、手の者からの電信で全て把握している」


 皇帝の厳しく冷たい視線は、とても実の息子に向けられているものとは思えない。しかしセラフィナイトには、咎められるだけのことをした証拠と心当たりがあった。


 まず、ソラへ送った軍隊の惨敗。死傷者数は、並の戦よりも多く、運良く生き延びた者でも精神がおかしくなってしまっている場合も多い。何より、どうしてそんなことになってしまったのか、未だにはっきりとした原因が究明できていないのも問題だった。


 次に、アダマンタイトの辺境にある帝国軍直轄の砦での暴動。紫の実質的な頭であるミズキを捕えるところまでは予定通りだったが、逃げ場のないはずの牢を破壊して逃げられたばかりか、砦をことごとく破壊し、食糧は焼かれ、武器は奪われる始末。


 ここでも死傷者は多かった。帝国圏では全く見られない武器が使われたらしいが、その詳細も不明なままで、次に同じ襲撃を受けても防ぎきれる確証は無い。今はほぼ廃墟の状態となっているが、これが極東の蛮族がたった一人で成したものとは、誰も信じられないような有様なのである。


 さらには、皇帝の妃となるはずだったコトリ姫に逃げられてしまった。姫を帝国の言いなりにするため、脅しに使おうと侍女も拘束していたが、これも何者かに奪われてしまっている。そもそも、本物の琴姫と呼ばれる女はまだクレナにいるとも言われており、何が真実なのか、帝国側には分からなくなっていた。


「王子という肩書を賭けての遠征だったにも関わらず、無様だな」


 皇帝は、足元に跪くセラフィナイトの頭に足を乗せ、思いっきり踏み抜いた。セラフィナイトの頭が床にめり込む勢いで打ち付けられる。それでも彼は申し開きをしない。皇帝が話すことは事実であるからだ。


 しかし、悔しくないかと問われれば否である。


 彼も、好きで出来損ないの不良王子という名を背負ってきたわけではない。むしろ、真面目で自身の名誉を顧みなかったからこそ、こうなってしまったのだ。


 元はといえば、帝都にいる腐りきった貴族共の掃討がきっかけだった。私服を肥やして民を顧みない貴族達は、人を人だとは思っていない。同時に日陰者とも言える民の人口は増すばかりだった。特に薬を使って人を洗脳することで、簡単に使い潰したり、殺したりする貴族が多かった。ついにそれは、セラフィナイトの世話をする侍従や侍女の身内にも及んでいった。


 皇帝は、足元のことなど全く気づかないふりをする。領土の広さのみが国の強さだと信じて疑わない。セラフィナイトは、それが許せなかったし、自分の中途半端な身分では、それを諫めるような立場になれないことも理解していた。


 それ故だ。セラフィナイトは、進んで帝都の裏社会へ進んで入っていった。金だけは持っていたので、次々と悪徳業者を買収し、薬の流通を押さえていく。そういった仕事の拠点は娼館においた。皇帝の目の届きにくい場所だ。そこで、日夜裏社会の大物や悪徳貴族と相対しては、時に薬を盛って殺し、時に薬を飲ませて助ける。そうやって帝都を少しずつ浄化できるよう、自らが悪党の親玉として地位を築いていったのだった。


 けれど、これを事情の知らない者が見ると、皇帝の望む仕事に見向きもしない奔放王子ということになるらしい。ついに、王族という特権剥奪の淵に立たされてしまう。


 セラフィナイトは、それも一興だと思っていた。王子としてではなく、裏社会の元締めとして動いていた時間は長く、その間にたくんの人々を見てきた。大勢の人民の命を預かる責任が無い代わりに、貧しく、そして日々代わり映えのしない事を繰り返すだけの暮らしの良さも知っている。


 けれど、彼の周囲はそれを許さなかった。セラフィナイトこそが、成人王子の中では最もまともで、最も優れており、国にも貢献していると言い張る者まで現れたのである。セラフィナイトはこう見えて、女と身内には優しいところがある。結局流されるままに、極東と呼ばれる大陸辺境の国、ソラへやってきてしまった。


 周囲の期待には応えたい。いつか、父である皇帝にも認められたい。しかし、どこか虚しさを感じながら潜伏し、ようやく皇帝の号令を受けて進撃することになった。


 彼とて、いっそ戦をするなら、やはり勝ちたい。そこで、敵を知るところから始めることにした。まずはソラの文化を学び、できるだけ理解しようと努める。衣を現地のものに改め、言葉も覚えた。しかし、どうしても理解に苦しむものがある。神と神具の存在だ。


 帝国にも宗教があるが、それは特産の稀少鉱物をこの世にもたらしたと言われている女神を崇めるというもので、その権威は微小。絶対的な崇拝対象は、圧倒的に皇帝となるのだ。その感覚からすると、そこかしこの物にたくさんの神が宿っているだとか、先祖は皆、神になっていつも子孫を守っているだとか、意味が分からない。


 さらには、その神の力を使った道具なんて、帝国の進んだ科学技術を鑑みると、子供の読むお伽噺のようなものなのである。けれど、セラフィナイトに分からなくとも、極東の地では確かに実在する力なのだ。


 セラフィナイトは、事あるごとに「決して侮ってはならない」と皇帝に奏上し続けてきた。対策を練るために、特殊部隊が欲しいだとか、神具を作る職人集団に手の者を送りたいなどと話しても、全て暖簾に腕押し。与えられたのは、練度の低い低階級の小さな軍隊だけだった。


 その結果が、これである。


 皇帝はずっと憤っていた。


「何とか言ったらどうだ。悔しくないのか?! お前のせいで、私の計画がふりだしに戻ってしまった。極東への遠征で、どれだけの時間と金を無駄にしたと思っている?!」


 さすがにここまで煽られると、まだ若いセラフィナイトは黙ってなんかいられない。見上げたその顔は額から流れる血以上に、怒りで赤く染まっている。


「なぜ、私の話を聞いてくださらなかったのですか」


 落ち着いた声で問うた。


 気が狂いそうな程の無力感と腹立たしさで、心の中は沸え繰りかえっているが、セラフィナイトも数多くの修羅場を抜けてきた男である。こういった場面でやみくもに言い返しても、相手の思うツボになることは心得ていた。


「何がだ?」

「神具です。全てを、狂わせたのは、あの両国にある神と呼ばれる存在。そして、その力を引き出す道具、神具なのです」


 皇帝は馬鹿にしたように鼻で笑った。


「神具? ただの手の込んだ工芸品ではないか。貴族共で高く売れる故、国庫を潤す金の雌鳥としか思えぬが、オリハルコンやミスリルの剣で叩けば簡単に砕けるような軟な代物だぞ。あれのどこにそんな脅威がある? いよいよ本当の阿呆になったのか?」


 セラフィナイトは、頬を伝う血を指で拭いながら、本当の阿呆はどちらだ?と内心悪態をついた。


 皇帝の手の者は、セラフィナイトに張り付いて、戦況や敵の分析結果を勝手に報告しているらしいが、原因不明とされているものは全て神具がなしたことだ。


 人間誰しも、未知の物を認めることは恐ろしく、時に自身を否定するような気持ちになることもある。けれど、国の頂に立つ者がこれでは、広い国土に存在する数多の民、文化、慣習、心、祈り、希望を全て飲み込んで、それぞれを生かし、太平の世に導くことは無理だろう。


 それは、この父親が歳のせいなのか、元々そこまでの素養、器しかない人物なのか。それはセラフィナイトにも図りかねるが、もはやこれ以上理解を求めても無駄だということだけは、はっきりした。


 ならば、別の苦情を伝えておくしかない。


「しかし、アダマンタイトはあまりにもお粗末な国でした。砦の手入れが行き届いていないどころか、たった一人の男に破壊される脆さです。城の警備も甘く、兵の帝国に対する意識も低く、あれでは全く使えません。あそこを管轄する第九王子のご子息には、改めて帝国への忠誠を示してもらいたく」

「お前からそんな言葉が聞けるなんてな」


 皇帝は薄く笑って、布張りの豪奢な椅子にどっかりと腰掛けた。


「せっかくお膳立てしてやったにも関わらず、失敗の原因を兄に押し付けるとは、相変わらず神経の図太い奴め。大勢死んだのに、のこのこと生き残る面の皮の厚さと言い、もはや怒るどころか呆れて物も言えぬわ」


 確かに、死なずに済んだのは運の良さもあるだろう。セラフィナイトは、暫し黙ってしまった皇帝の様子を伺う。皇帝は、注いだワインに指を突っ込むと、机の上に広げた地図の右端にぐりぐりと押し付けた。クレナとソラの部分が紫に染まる。


「やはり、欲しいな。生きているうちに、欲しい」


 皇帝は、大きく溜息をついた後、舌打ちをした。セラフィナイトは、ただただ沙汰を待っている。


「よし! 仕方ない。もう一度行ってこい。他の者は、なかなかあちらには行きたがらないからな。分かっているだろうが、次は無いぞ? 今度こそ、かの地で帝国の旗を翻し、蛮族共を我が国の権威に跪かせるのだ!」


 その後、セラフィナイトは帝都にある自らの宮へ戻り、手の者を呼び寄せた。


「それで、手引をしたラピスとかいう神具師は、今どうしている?」

「一応、琴姫とソラ王を取り逃がしたことを反省させています」

「身体に傷をつけてはいないだろうな?」

「何をそんな。娼館に売る女でもあるまいし」

「馬鹿か。身体が不自由になれば、神具を作らせられないではないか」

「なるほど。ただ、慌ててこちらへ逃げてきたようで、手持ちの工具が無く、神具を作れないとか」

「そんなもの、帝都で調達できるだろう?」

「いえ、工具も特別なものでないと、神具というものは作れないそうです」

「全く厄介なものだ。だが、これで道は見えてきた。こちらにも神具があれば、きっとソラに勝てる。しかもその者は、ソラ王の弟子というではないか。なかなか面白い逆転劇になりそうだな」


 そしてセラフィナイトは、ラピスが工具を取り戻すために、一時クレナへ帰国することを許したのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る