第89話 一発逆転の作戦
カケルは激怒していた。クロガからもたらされた文は握りつぶされて、既に原型を留めていない。目の前に立つラピスは、その恐ろしさに足がすくむ思いだった。
いつも温厚な王子がここまで取り乱すには、もちろん理由がある。
季節を少し遡り、夏の終わり。ソラではクレナからの楽師団を迎えて盛大な儀式が行われた。その際、カケルは楽師団の首席の女に言葉をかけたのだが、それが曲解されてしまったらしい。
クロガによると、クレナのワタリ王子からソラ王宮へ文が届いた。たまたま宰相のアグロを通さずにクロガの手元へやってきたそれには、とんでもないことが書かれてあった。
カケルに、クレナの楽師団の首席の女を妻として娶るよう言ってきたのだ。王族相手に、一楽師との縁談を勧めてくるのは失礼極まりない。しかも、その女を娶らなければ来年は楽師団を派遣しないとまで書かれていた。もはや、これは脅しである。
「軽く見られたものだ!」
カケルは、文だったものを卓の上に叩きつけた。積み重なっていた綴じ本がバサバサと音を立てて崩れ、床下へ落ちる。
「ですが、クロガ様もできるだけのことをしてくれてるらしいじゃないですか?」
たまたま修行を終えて帰国の予定があったラピスが、こんな文を運ぶ役目を与えられてしまったのは、不運でしかないだろう。おそるおそる声をかけるも、カケルは未だに怒気を放っている。
「そうだな。アグロの耳に入らなかっただけでも幸いと思うしかないか」
もしアグロが先にワタリからの文を読んでいれば、問答無用で是という返事を勝手にクレナへ送っていたにちがいない。
最近のクロガの調べによると、アグロは神具には良い印象を持っていないらしい。これは、シェンシャン嫌いのクレナ王と通じ合うところがあるらしく、どうもこの二人は何らかの共謀関係にあるようなのである。それは、ひと目を避けるように両国を行き交っている荷の動きを追い、その中身を暴くことで見えてきたことだ。
おそらく、クレナがソラを攻略した後、ソラを暫定的に管理するのはアグロとなる予定なのだろう。そして、クレナ王の息のかかった娘と婚姻を結んだカケルは、時期を見て妻となる女から命を狙われることになるにちがいない。と、クロガは予想している。
「だいたい、本人の意向というものがあるだろうに!」
「そう、それだよ、親方!」
突然、ラピスが声を張り上げた。
「ここからは文には無い話なので、よく聞いてください」
「何だ?」
そこから始まったのは、一発逆転劇とも言える作戦であった。
まず、妻となる女ともなれば、相性があまりにも悪いのは不味い。そこで、見合いと称して、クレナの楽師団を訪れ、楽師と面会する。そこで、カケルが気に入った楽師を妻としてソラへ連れ帰るという流れだ。
「それは、つまり、俺がコトリを選ぶことができる……!」
「その通り。帝国を含め他国でも、王族同士の縁談は、事前に絵姿の交換や、簡単な見合いをするのが通例だからね。それをクレナ王に直訴すれば、さすがに嫌とは言えないんじゃない?」
ラピスは、一気に有頂天になった師の変り身の速さに、ふっと溜息をついた。
「そんなわけで、放浪中のカケル王子には、ソラからクレナ王宮へ向かってもらう手筈になってるよ」
クロガは、クレナとソラの国境付近の山間から豪華な馬車と護衛からなる一団を出発させているらしい。途中の村で、空の馬車の中にカケル本人が滑り込み、そのままクレナ王宮を目指すという筋書きになることを、ラピスは手早く説明した。
「ワタリ王子からの文にも、その楽師の名の説明はなくて、単に首席と書かれてあったらしいんだ。確か首席って、一番シェンシャンが上手い人ってことだよね? でも、誰が一番かどうかなんて、人によって感じ方は違う。だから、親方はコトリ様を首席として娶ることができると思うんだ」
カケルの機嫌は最高潮だ。
「クロガ、ラピス、よくやった!」
◇
そして数日後、カケルはクレナの田舎で馬車に乗り込み、やがて都へ入っていった。先触れを出していた王宮では、型通りの歓迎を受け、早速クレナ王に謁見する。そして、どの楽師にするかは自分で決めるという要望は、驚くほど簡単に通ったのだが、予定外の事が起きてしまった。
「私が案内させていただきます」
なんと、ワタリがカケルと同行することになってしまったのだ。
「我が国は、各地から腕の良い奏者を集めて楽師団とし、鳴紡殿と呼ばれる屋敷のような所に住まわせてあります。クレナは、日々シェンシャンの音が流れる雅な国なのですよ」
カケルは、それを嫌味だと理解して、ふっと笑う。
「そのシェンシャンの殆どは、ソラ産のものだと思われます。ご活用いただけて何より」
暗に、ソラ無くして今のクレナが無いことを言ったのだ。すると、隣を歩くワタリも、カケルの意図を察したらしい。
「それでは、できるたけ優れた楽師をお選びください。王は気まぐれで、時に傷つきやすいお方です。ソラのために楽師を一人譲るという心遣いをしたにも関わらず、無碍にされれば、本当に来年からの派遣は無くなるでしょう。さすれば、王子の奥方がソラの全ての奉奏をすることになりますからね」
「ご心配痛みいります。私はシェンシャンを上手く弾くことはできませんが、耳は良い方ですから、必ずや良い楽師を引き当てますよ」
カケルが被り布越しに微笑んでみせると、ワタリは相当気を害したらしく、大股で前を進んでいった。
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