第84話 妻問い

「そういうことか」


 ミズキは何度か瞬きすると、途端に笑い始めた。


 ずっと黙っていたことに怒るかと思いきや、恐れていた事態にはならなかったようである。ゴス達は、ふっと安堵の溜息をついた。


「あなた方が暁と合併すると、ソラとの繋がりが深まる。いずれどこかで知ることになるでしょうから、この際と思いまして」


 カケルは、思いつきで明かした訳ではないことを説明する。


「確かに、後々人伝に聞くよりかは、本人から知らされる方が気持ちいい」

「ただし、一つお願いがあります」


 ミズキは、すぐに察しがついたらしい。


「サヨと、コトリ様のことか?」

「はい。コトリには、あなたにもしたように、いずれ私からきちんと自分で正体を明かしたいのです。ですから、サヨ様にも……」

「心配するな。黙っている。いずれ知った時には、どんな顔をするだろうな。それを見る方が面白そうだ」


 ミズキは悪趣味だと知りながらも、サヨを驚かせたり、慌てさせるのが好きなのだ。


「いやぁ、やっと合点がいったよ。これまでの店主さん……いや、王子さんの行動が」

「これまで通り、店主でいいですよ」


 ミズキは、空になった器をカケルに向かって指しだした。カケルは、そこへ酒を追加する。相手が王子だと分かっても、ミズキに萎縮したところは全く無かった。さすがは、一組織をまとめてきただけの器なのかもしれない。


「じゃ、遠慮なく。それにしても店主さんは、よく我慢してるな」

「時々我慢がきかなくて、サヨ様に叱られていますけどね。ミズキ様も、近くにいるのに女性のフリを続けなければなりませんし、苦労されているのでは?」

「いや、全く。悪いが俺は、もう半分手を出しちまった」


 酒が回り始めたのか、ミズキは下品な笑い方をする。それを見ながらハトは、呆れ顔を隠すこともなく、飯を口に運ぶのであった。


 元貴族の感覚としては、既にミズキは犯してはならない過ちをしてしまっている。菖蒲殿には悟られないよう、多少立ち回っておくべきかと思案せねばなるまい。女を落とす前に落ちたら首を切れとは言われていたが、今は菖蒲殿の多大な支援なしでは、組織は立ち行かないところまできてしまった。サヨもまんざらではない様子が確認できているだけに、いつかの約束は、下手に実行することもできなさそうだ。





 そして卓の上の食べ物をほとんど平らげ、酒瓶もいくつか床の上を転がるようになった頃。いよいよ宴もたけなわになったが、一人静かに飲んでいたハトが、こんなことを言い出した。


「ユカリ殿」

「何でしょう?」


 ユカリは、照れたように少したけ顔をそむけた。ハトも、カケルとはまた方向性が異なるが、女受けする顔なのである。日頃、いかにも職人気質といった厳しい顔の者か、平凡な顔の者ばかりを相手にすることが多いため、少々目に毒なのだ。


「折り入って願いがあります。私と住んでくださいませんか?」


 ユカリは、予想だにしなかった言葉に、うっかり飯を咽に詰まらせそうになる。


「どういう意味でしょうか?」


 それこそ、婚姻を結ぶ時の言葉に聞こえてしまったのだ。通常貴族であれば、男が女の元を訪う通い婚となるが、庶民は一つ屋根の下に住まうことになるのは、ソラでも一般的な事である。

 取り乱すユカリをよそに、ハトは冷静なままだった。


「そのままの意味です。このままソラへ帰らずに、クレナの都にいてください。あなた方はおそらく信頼して良い人物だ。けれど、念の為の保証がほしい」

「あぁ、そうですね。我々はソラ王家と深い縁がある者。単純にあなた方を通して、クレナを手に入れようとしていると誤解されても仕方ありません」

「はい。属国となり、今以上に民が酷い扱いを受けることになるのは、断じて御免こうむりたい」


 今でさえクレナの民は相当に貧しく、いつも死と隣り合わせだ。生きたい、という動物本能的純粋な欲望から組織を立ち上げることになったハトとしては、決して譲れないところなのである。

 ユカリはハトの言わんとする事が分かって、ようやく落ち着いた。


「分かりました。私が人質になりましょう」


 ユカリがソラから連れてきた者に目配せをすると、渋々といった風に了承された。このような誘われ方をするとは思いもよらなかったが、クレナに長期滞在する可能性は考えていたので、事前の段取りは済ませてある。後は、ソラの暁の本部へ文を出すだけだ。


 そこへ、ハトから爆弾が落とされる。


「いえ、人質だなんてとんでもない。私の妻として大切にさせていただきます」

「え?」


 素っ頓狂な声を出したのは、ユカリだけではなかった。ハトは楽しそうに言う。


「ミズキ、羨ましいでしょう? 早くサヨ様を落として、もっと菖蒲殿の力をこちらへ引き込んでください。それとカケル様。あなた様も早く、コトリ様に名を明かして想いを通わせあってください。ご本人にも、遠からず紫の正式な一員となっていただき、名実ともに旗頭として働いてもらわねばなりませんから」


 ミズキもカケルも、まさかの展開に驚いて、何も言い返すことができない。しかしユカリだけは、かろうじて言い募った。


「ハト様ならば、もっと美しい女子が相応しいでしょうに」


 ユカリは、出立前から太り始めていたが、旅の途中の飲み食いでさらに体を大きく膨らませていた。貴族感覚では、女は痩せすぎていても子が産めぬと見下されるものの、程々に細い方が儚げで、庇護欲がそそられる美しさがあるとされている。つまり、自分は明らかに当てはまらないのを分かっているのだ。


 しかし、ハトは全く動じなかった。


「ユカリ様は十分にお美しいですよ。ご存知ないのかもしれませんが、クレナの地方では、多少ふくよかなのは豊かさと健康の象徴なので、大変美人とされています」


 ユカリは、耳元で澄んだ鈴の音が聞こえたような気がした。慌てて、胸元にしまっていた曲玉を取り出して手に握る。


 少し考えた後、蚊の泣くような声を絞り出した。


「ありがとうございます。どうぞよしなに」


 その後は、気を利かせた屋敷の下女が餅を用意し、奥の部屋に床の準備まで行ってしまった。カケルとミズキが不貞腐れたのは言うまでもない。


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