第64話 父と子
ニシミズホ村を出立してすぐのチヒロは、百面相をしていた。畏まってみたり、敬語ができないと困ってみたり。はたまた、村に残してきた神官の老人のことを気に病んだりと煩くしていたが、ゴスが見繕ってきた高価な衣に身を包むと、さすがに腹が決まったらしい。
「せっかくソラまで来れたんだ。あたしはあたしのできることをやり遂げるよ」
そうして、王宮が見えてきた頃には、すっかりカケルの配下としての自覚も持てるようになっていたのである。
「カケル様、あの建物はやけに黒いんだね」
チヒロは、初めて乗る馬車の窓にへばりつくようにして、外を眺めていた。王子らしい衣と装飾品を身に着けたカケルは、被り布ごしに応える。
「昔はクレナの王宮と同じように、青い屋根に白い壁、赤い柱だったらしいけれど、何代か前の王が防御力を高めたり、建物の痛みを軽減させるために特別の塗料を用意して塗ってしまったらしいんだ」
そこへ、カケルの隣に座るゴスも話に加わってきた。彼もまた、職人の衣から上等な文官の衣に着替えてある。
「屋根の瓦は、その一つ一つが神具になっているらしいぞ。耐久性も高めているのだろうが、中を行き来する人間の監視をするのが本命って噂だ」
「ソラって、すごいんだな」
チヒロは率直な感想を述べた。
何しろ、カケル達と共にソラへ入ってからは、クレナ程貧しくて死にそうな人間など見た試しはない。皆、ちゃんとした家があり、学もありそうだ。クレナでは田畑を耕したり、荷の運搬に使われている牛も、ここでは食用が多い。チヒロは一度だけ豚を食べたことはあるが、牛の肉はそれよりも力強い旨味がある気がした。
もちろん、それだけではない。ソラでは、あらゆるところで神具が使われていて、暮らしが楽になっている。洗濯物を乾かすのは風の神の神具。湯を出すのは火の神具と水の神具を合わせたもの。夏の日差しに火照った体を冷やすのは、冬の神と水の神の力を借りた氷の神具、といった具合だ。
カケルは、目をキラキラさせてるチヒロを見て思う。いつか、コトリもソラへ連れてきてやりたいと。たくさん驚かせて、たくさん喜ばせて、心からの笑顔をたくさん見たい。
◇
王宮につくと、カケルはチヒロを侍従に任せ、自らは父王の元へと向かった。儀式は明日。間に合うには間に合ったが、あまりにもぎりぎりの到着になったので、多少のお叱りは覚悟せねばなるまい。そう思いながら出向いたのに、寝台から起き上がることもできない父の姿には、拍子抜けしたというよりも、腹に矢を受けたような衝撃を感じてしまった。
「父上、只今戻りました」
「カケルか」
ソラ国の色である青が差し色に使われた、清潔感のある白壁の部屋。奥にある薄手の御簾に囲まれた場所には、薄く盛り上がった寝台がある。
カケルが枕元に侍ると、ソラ国王は侍従に支えられながら身を起こした。最後に会った時よりも、かなり痩せている。
「お身体は」
「問題ない。と言いたいところだが、老体に鞭打ちたくとも、腕さえ効かなくなってきてな」
見たところ、腕だけではない。体全てが弱り果てているように見えた。確かに歳には抗えないものだが、未だ四十を超えたばかり。下々の民であれば、そろそろ生涯を閉じる者も多いかもしれないが、この王は若い頃から体を鍛えてきたばかりか、王族らしく良い生活を続けてきた。それ故、なぜこんなにも命の灯火が消えかけた状態になっているのか、見当もつかない。
カケルにとって父親は、ゴスに弟子入りする前に神具師としての基本を仕込んでくれた一番目の師匠でもある。まだ読み書きも覚束ない幼子相手に、それはそれは厳しかったものだ。
カケルに手がかからなくなってからも、ソラが富むために数々の施策を打ち出し、父として、王としての背中を見せ続けてきた人物。カケルの母が、神具製作の最中に失敗して工房を爆発させ、その巻き添えで急逝した時でさえも、息子の前では涙を見せなかった強い男だ。
それが、こうもやつれて、かつての威厳も陰りを見せるとなれば、カケルも動揺すると同時に悲しみを感じてしまう。
言葉を発せずにいるカケルに、ソラ国王は手だけを彼に差し出した。カケルは慌ててそれを握り返す。今は、そうすべき時だと思った。
国王の瞳が、しっかりとカケルを捉える。
「明日は、お前が儀式を取り仕切ってくれ。できるな?」
クレナから楽師団を招いて行う国を上げての豊穣祭は、ソラで最重要儀式の一つだ。それに王が顔を出せないというのは、それだけ具合が悪い証拠である。
王の姿が見えないと、ここぞとばかりに己の権力を拡大しようと暗躍する貴族も出てくるかもしれない。何より、祭りに集まる民が王からの言葉を受けられないことで、不安になるかもしれない。そういったことはソラ国王も重々承知しているであろうに、カケルへ任せると言っているのだ。
「はい」
カケルはしっかりと頷いて返事した。
神具馬鹿の放浪王子は一時休業。せねばならぬことは、やらねばなるまい。カケルとて、今の身分、今のソラが何を礎に成り立っているのかは理解している。全ては神の加護があってのことだ。シェンシャンの音色に乗せて神の声を全土へ行き渡らせ、恵みをもたらすことは、支配者たる王家の義務であり、責任なのである。
「父上、ちゃんと医師には見せているのですよね?」
「あぁ、もちろん。宰相が良い御仁を紹介してくれてな。下町上がりの医師だが、信頼はおける。薬も飲んでいる」
宰相は、国王が床に伏せることが増えてから、急遽設けられた役職だった。ソラに古くからある貴族の一人で、神具師はほとんど輩出していないため目立った功績はないが、政をする上ではなかなか良い目の付け所をもつ人物である。
「もし私が、父上の病を治せるような神具を作れたら良かったのですが」
「馬鹿を言うでない。神具は新たな命を芽吹かせる手助けはできても、枯れた草を再び青くすることはできぬ。神にも限界があるのだ」
国王の言葉は最もだが、カケルは歯痒くて仕方がなかった。
「それは分かっているのですが」
「心配はいらぬ。私も、すぐには死なぬだろう。お前は、のびのびと過ごせ。そして、早く、あの奇跡の奏での少女を迎えて、孫を見せてくれ」
以前ならば、王子らしくすることなく自由にする許可を貰えたら、嬉しさのあまり舞い上がっていたかもしれない。けれど、今は素直には喜べなかった。
いつまで他国に行ってフラフラしているのだ。好いた女一人落とせぬのか、しっかりしろ。別の男に盗られるぞ。もっと役に立つ神具を作れ。
そういった叱りを受けたかったのに。
「カケル、顔を上げるんだ」
王の手が、カケルの手を握り返してきた。その手が、少し震えている。もう、ほとんど力が入らないのだろう。
「明日、儀式が終われば、すぐにクレナへ帰れ」
「ですが」
「無理を言って呼びつけて悪かったな」
「父上」
「カケル、幸せになれよ」
「……はい」
いつからクレナは、行く場所ではなく、帰る場所になったのか。どうして父親は、急に性格が丸くなってしまったのか。
王の手は、カケルから離れていった。すぐに瞼を閉じて眠りに落ちてしまう。静かな寝息。カケルはしばらくその場に佇んでいたが、侍従に促されて部屋を出た。
後ろ髪を引かれるように、何度も父のいる場所を返り見る。悪い予感が止まらない。
結局これは、カケルにとって父親と話す最後の機会となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます