第20話 新人の試練
また三日が経った。
鳴紡殿内の入口近くにある大きな広間で、コトリ達新人三名は並んで座している。先輩楽師と同じ若草色の衣に袖を通して、課題曲を披露する時を待っているのだ。ミズキは、新品の衣を着るのは生まれて初めてだと騒いでいた。その横で、コトリとサヨはシェンシャンを鳴らし、あの日カケルがしていたように自分の頭上を眺めては溜息をついているのである。
「神気、見えませんね」
カケルが嘘を言っているようには見えなかった。しかし、どれだけ目を凝らしてみても、見えないものは見えないのだ。
「やはり、訓練不足なのかしら」
「あれから、あまり練習の時間は取れてませんものね」
コトリの言葉に、サヨが苦々しげに返事する。
三日前、ヨロズ屋から戻った二人を待っていたのは、先輩楽師からの叱責だった。なんと楽師団では、新人が厨房から各先輩団員の部屋へ食事を運ぶという慣習があったのだ。それを知らずに、昼だけでなく、夕飯までも給仕しなかったことは、かなりの怒りをかったらしい。その結果、二人は夕飯を与えられなかったので、その日はサヨが菖蒲殿から持ち込んでいた菓子で空腹を凌ぐこととなった。
サヨは、コトリに下女のような真似をさせたくなかったが、郷に入れば郷に従えとも言う。当の本人、コトリが「庶民らしくて好ましい」と乗り気のため、一日三回の給仕を行うことになった。ちなみにミズキは初日から行っていたらしい。それならば、誘ってほしかったとサヨは臍を曲げたとか。
現在、王立楽師団には合計三十名の楽師が在籍し、入団三ヶ月後からは自室に侍女を置くことも認められるため、宿舎に住む人数はさらに増える。それをたった三人で世話するのは骨が折れることだ。必然的にシェンシャンと向き合う時間も削られることとなる。これも初めの三ヶ月さえ乗り越えれば免除されるお役目だというのが、せめてもの救いか。
「確かに忙しかったけれど、とても楽しかったわ」
あくまでコトリは笑顔だ。それをサヨとミズキが残念な子を見るような目を向けているが、それ以上に呆れたり、物を言いたげにしている集まりがあった。先輩団員達である。
楽師団のしきたりは、新人に課される試練でもある。礼儀正しく配膳をするだけでなく、その際に先輩全員の顔と名前、序列を覚え、かつ適切な受け答えや臨機応変な対応ができねばならない。これは、言うは易し行うは難しの見本のようなものだ。
しかし、今年の新人はどうにもおかしい。三人誰をとってもソツなくこなしてしまったのだ。さらに、この場においても、緊張感に欠けている。むしろ緩んで寛いでいる素振りさえある。
そんな三人を遠目に眺める集団の中に、マツ、タケ、ウメという目出度い名前の女達がいた。
「普通、もっとかしこまっているものじゃなくて?」
「馬鹿なのでしょう」
「いえ、馬鹿ではないわ。下手するとこの中で一番教養があるかもしれない」
「そんなの許せないわ」
コトリが入団初日に出くわしたのと同じ三人である。
マツは下位貴族の次女で、タケは都に店を構える商人の四女。ウメは都から歩いて十日以上かかる村出身で、八人兄弟の長女だった。それぞれ全く異なる出自だが、入団時期が近く、かつ年も近いこともあり、行動を共にすることが多い。潜在的な気風も似ているようだ。
この三人は、特に意地が悪いだとか、性根が腐っているというわけではない。楽師団とは、そういう場所なのだ。
その証拠に、マツ、タケ、ウメ以外の楽師達も、それぞれ微妙な表情を浮かべている。
ある者が、小声で言った。
「サヨとかいう女。菖蒲殿の娘だっていうから、どれだけ偉そうにするのかしらと思えば、びっくりする程しおらしいの」
「王宮で長年侍女をしていたらしいわよ」
「だから粗相もしないのね。おもしろくないわ」
「気に入らない子だけれど、私、銀颯堂の茶葉を貰ってしまったわ」
「何、それ、ずるい! 王家御用達の高級茶葉じゃない! 私にも飲ませてよね?」
次第にささやき声は大きくなっていく。三人の噂話は堂の中でさらに広がっていった。
「お茶と言えば、あの子。カナデと言ったかしら? やたら銘柄に詳しいし、淹れ方もすごく上手いの」
「え、あの子、この前まで安っぽい衣を着ていなかった? 絶対に田舎から出てきた無知な子だと思ってたのに」
「どこかの貴族に仕えたことがあるのかもね」
「きっと、そうよ。ありえないぐらい礼儀正しいからね。粗を探しても見つからなくて悔しいわ」
もちろん、ミズキの噂もされている。
「三人の中では一番垢抜けない子だけれど、どことなく可愛いのよね」
「あざとく猫を被っているだけではなくて?」
「それでもいいわ。この前なんて、大きな虫が部屋にいたのを退治してくれたし」
「ここは男手が無いから、確かにそういう役目を果たしてくれる子は貴重ね」
「意外にも、歴史に詳しいところも好ましいわ」
結果的に三人は、たった三日の間に自らの得意とするところを披露していたのだ。意識的に先輩団員達の懐に入ろうとしていたのはサヨぐらいか。
それでも、新人を応援しよう、仲間として認めようという機運が高まらないのは、さすがは楽師団である。
楽師団は、最大人数が決められていないものの、だいたい三十名前後を長年維持してきている。もちろん、結婚が決まるなどで自ら退団する者もいるが、どうして毎年楽師が採用されているのか。
その理由こそが、これから始まる新人の演奏披露である。
これを乗り越えられず、逃げるように鳴紡殿を去っていく女は数知れず。しかしながら、そうでもないと団員の人数はどんどん増えていく。そして、既存の団員は腕の悪い者から順に、仕事斡旋という名の退団勧告を受けてしまうのだ。それも、曰く付き貴族の後妻だとか、王宮の下働きなどで、生活水準や環境が著しく悪くなるものばかり。
例年通り、いかに多くの新人をここで落とすことができるか。これは、団員達の人生がかかっている。
楽師団は、長子以外の貴族や、商人など、実家に戻っても家業を継げない者が多い。結婚するにしても、次女以降は一般的に持参金が多くないため、楽師として稼ぎつつ、良い嫁ぎ先を探すこともある。田舎出身の場合は、仕送りのためにシェンシャンを弾いていることもあるため、楽師団にできるだけ長く居座れないとなると死活問題になるのだ。
だからこそ、これから起こることは必然だったのかもしれない。
一人の楽師が、新人のところへ近づいていった。三人を舐め回すように眺めると、コトリの目の前に仁王立ちする。ナギという女だ。
「あなた、試験で酷かったそうね。それなのに、こんなに余裕なフリをしていて良いの?」
サヨは菖蒲殿という背景がある上、物的な意味で先輩団員に恩恵をもたらす存在である。ミズキは、本来女が忌避する虫退治ができるという使い道がある。しかし、残るコトリは、何をやらせても完璧だが、それが鼻について面白くない。標的にされるのも無理はなかった。
コトリ自身は、もう何度目か分からぬ程聞き飽きた嫌味に、全く動じない。それがまたナギの神経を逆撫でするのだが、コトリは笑顔で応じてしまう。
「ご心配くださり、ありがとう存じます」
ナギは、コトリのシェンシャンを見る。まだ新しい。弾き込んだシェンシャンには、相応の傷や痛みが残っているものだが、それらが無いのだ。つまり、入団に合わせて新調したということになる。ナギは醜く口元を歪ませた。
「きっと入団試験では、そのシェンシャンが良くなかったのでしょうね。私は優しいですから、特別に私のシェンシャンを貸してあげましょう。あなたのシェンシャンは預かってさしあげます」
サヨは、コトリよりも早く反応し、立ち上がって抗議しようとする。コトリはそれを手で諌めた。もちろんコトリも、ナギの提案を快く思ってはいない。しかし、今は庶民出身という設定なのだ。王女の頃のように身分を盾にすることもできない。受け入れるしかないのだ。
「ご配慮恐れ入ります」
コトリの蚊の鳴くような声を聞いて、ナギは勝ち誇ったような顔をした。
その時、にわかに広間の中が騒がしくなる。広間の最奥に居るコトリ達の前に、焦げ茶の御簾が下ろされ始めた。ナギは、素早くコトリからシェンシャンを奪うと、自らが持っていたものをその場に置いて去って行く。
「そのシェンシャン……」
呟いたのはミズキだ。コトリも、ナギが残していったシェンシャンを見る。貴族向けの輝石がいくつかはめ込まれた高級品だ。
しかし、驚いたのはそこではない。
そのシェンシャン、弦が一本切れていたのだ。
すぐに、下りた御簾の向こうが静かになる。女官がやってきてコトリ達三人に告げた。
「公正な審議のため、誰が弾いているか分からぬように御簾を下ろしてあります。どなたからでも構いません。早速、演奏を始めてください」
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