第17話 カケルの葛藤

 カケルは店の外に出て、姉妹のような二人の後ろ姿を見送った。


 この季節は日が長いため、夕刻とは言え陽射しがきつい。じりじりと頬が焼かれるのを感じながら、やり場のない焦りに駆られていた。


 通りは人通りが多く、二人の姿はすぐに見えなくなる。カケルは濃い影を引きずりながら、店の中へ戻った。


 あの日、楽師団試験の日は、コトリを一目見たさに鳴紡殿の門の前まで足を伸ばした。コトリは、自分にとっての運命である。未だ顔を知らなかったが、見ればそれだと分かる気がしていた。が、そんなものは、ただの思い込みである。数え切れぬ程の女を眺めて過ごしたが、結局それらしき姿を捉えることはできなかった。


 次に同じ場所へ出向いたのは、それから三日後。合否が分かる日のことだった。コトリのシェンシャンの腕は、ソラ国王族のカケルでも太鼓判を押せるものだ。必ず合格すると踏んでいたため、合格者が殿の方へ向かう姿を見ようとやってきたのだった。


 合格者は三名。一人目は、背格好や雰囲気からしてコトリではなかった。二人目は、まさかのサヨだった。つまり、コトリは三人目だと思い、受験者や受験者の家族に混じって人垣の中に潜んでいた。


 そして、ついに、一人の少女が合否の看板の前から殿の方へ走り抜けていくのが見えた。粗末な衣。だが、その背中からは確かに見知った王女の風格が出ていた。何より、その特徴的な紅の髪は、コトリ以外にありえない。


 ようやく、とカケルは感慨深さを噛み締めた。


 カケルは、十年近くもクレナ国に職人、商人として潜伏し、コトリと接触できるきっかけを探してきた。コトリが王宮から出ることはほとんどない。年に数度、慰問のため貧困街を訪れるぐらいだ。その際も、隊をなした衛士の厚壁に守られていて、その姿はほとんど豆粒程度にしか見えない。もちろん、かぶり布もあるので顔も見えない。


 けれど、楽師ともなれば、街に出てくることもあるかもしれない。サヨも受かったとなれば、あわよくば共に店を訪れる可能性もある。すぐにでも面会を申し込みたいぐらいだった。


 だが、下手な動きをすればクレナ国側に正体がバレたり、商売に支障が出ることもある。泣く泣く我慢をしていたのだが、この日、とうとう待ちに待った対面を果たすことができた。


 カケルの言葉を借りるとすれば、幸せ過ぎて死にそうだった。


 布を取り去った素顔のコトリ。それは、想像以上の愛らしさだった。つるりとした透き通るような美しい白肌に、しっかり意思を表す紫がかった輝く瞳が並んでいる。品の良い小ぶりの唇は、庶民として化粧を控えめにしているにも関わらず、それでも赤い。


 やっと、会えた。息をするのも忘れそうになりながらコトリの姿を堪能していると、目まで合わせてくれた。


 それだけではない。カケル自身がコトリを想いながら作った特別のシェンシャンを、コトリが目の前で自分のためだけに弾いてくれたのだ。しかも、その旋律が素晴らしすぎて、感動のあまり鼻の奥がツンっとした。


 さらに、シェンシャンの加工と称して、コトリのすぐ近くまで接近することまでできた。コトリはそれを素直に受け入れて、じっとカケルを見つめていたのも嬉しかった。自分の存在が、少しでも彼女の記憶に刻み込まれたことを祈るばかりだ。


 カケルは、人生の全ての幸運を使い果たしてしまったのではないかと思った。今夜は、興奮しすぎて眠れないのではないかと心配になる程に。


 しかし、舞い上がっていられたのもここまでである。サヨから、コトリの気持ちを聞いたのだった。


 王族には懲り懲り。

 連れ添うならば、王族以外と。


 一瞬、全ての思考が停止した。


 もし、自分と縁を結ぶことになれば、コトリは必然的にソラ国の王族になってしまう。それはコトリの本意ではないだろう。


 ではカケルがソラ国の王族を辞めるのはどうか。否、そんなことはできるはずもない。カケルは次期王として育てられてきた。もちろん、王座は弟たちに任せることもできるだろうが、少なくともソラに貢献するという王族の責務を放棄することは周囲も本人も許すことができないだろう。


――――どうすれば良い。


 ぼんやりしていると、先程コトリを案内していた男がやってきた。


「なんだ、ゴスか」

「なんだとはなんだ? お前、舞い上がったり落ち込んだり、忙しい奴だな」


 ゴスは苦笑いしながら、何度も強く叩いた。


「あの嬢ちゃん、すごいな! 神気との相性が良すぎる。そこいらの神具に宿る神が、こぞって嬢ちゃんの気を引こうとしていたぞ。けど、あのシェンシャンに宿る神に気づいて、結局抜け駆けしたのはいなかったみたいだけどな」


 ゴスは、この店で大親方と呼ばれており、大抵の神具を作ることができる。ソラ国出身で、カケルの師匠でもあった。


 そんな人物に話しかけられているにも関わらず、カケルの反応は鈍い。未だ店の外を眺めたまま。目は虚ろだ。


「あの子なんだ」

「あの子って、前からソウが言ってる……れいの?」


 ゴスは、いかつい顔をくしゃくしゃにして、今度はカケルの背中を叩きまくった。


「水臭いな! それならそうと、もっと早く言ってくれよ。それならもっと引き止めておいてやったのに! ……って、あれ? ソウ?」


 ゴスは、ようやくソウの深刻な面持ちに気づいたらしい。


「サヨ様から、コトリのことを聞いたんだ」


 ゴスは、黙ってソウの話を聞いた。しばらく前から、クレナ国とソラ国の国境付近の関が厳しくなっている話は耳にしていた。近頃は都の衛士も、ソラ国出身の者に敏感になっている上、良い感情を抱いていないのも事実だ。


 いよいよ、対ソラ国の戦が始まるのだろうか。

 ゴスは、舌を噛んで唸った。


 ゴスはソラ国の田舎出身だ。十八で成人してからは都に出て、すぐにソラ国王家に仕え始めた。幼い頃からずっと磨いてきた神具師としての腕が認められたためだ。カケルと出会ったのは、王宮。その後、カケルの職人としての才能に惚れたゴスは、クレナ国までついてきてしまった。カケルにとっては、かなり歳上ではあるが、忠実な部下の一人とも言えようか。


「帝国がコトリ様を欲しがるのは分かる。我が国もかねてより欲しているしな」


 カケルは大きく頷く。

 王子たるカケルが、長く国を離れてコトリ探しを続けられているのも、これに関係しているのだ。


 そもそもソラ国は、神具の職人は多くとも、土地に恵みを与えるシェンシャンの良い奏者はほぼいない。コトリがソラ国に来れば、たちまち富むことは目に見えていた。


 今は、研究に研究を重ねた神具を用いることで、生活を便利にし、産業を維持することで凌いではいるが、やはり詰めはクレナの楽師団派遣頼みなのだ。かつては、少なくとも季節は一度は派遣されていたのに、今では年に一度か二度。神具の改良で誤魔化すのも限界が見えてきていた。


 クレナの動向を探り、良いシェンシャン奏者を王族に迎え入れることはソラ国にとって急務なのだ。


「それにしても、クレナ国は馬鹿だな。あれ程の弾き手を手放すなんて」


 話に割り込んできたのはラピスだった。またもや始終立ち聞きしていたらしい。


「クレナ国王は、神具を軽く見てるよね。ソラはクレナの楽師頼みなところあるけど、クレナはソラの神具ありきで生活してるのにさ」

「王は、自ら神具を使う機会がほとんど無いだろうからな。ありがたみが実感できていないのだろう」


 カケルは、ラピスの登場に驚きもせず、分析を述べる。


「なんでも王は、帝国の希少金属に憧れてるらしいよ。そんな余所見しなくても、ソラとクレナは神々に守られた最強の国なのにな」


 ラピスは情報を集めるのが得意だ。職人と諜報。二足のわらじでも生きていけるだけの人脈と技を持っている。


 すると、ゴスが突然何かを思い出したらしく、肩をピクリと上げた。


「そうだ、一つ聞き忘れていた」


 カケルは、ゴスの視線に一歩後退る。


「ソウ。あのシェンシャン、ルリ神を降ろしてるんだろう? なぁ。あれ、どうやったんだ?」


 同じ神具の職人として、興味を持つのは仕方がない。しかし、ゴスが既にあることを気づいてしまっているのが問題だった。


 しばし、無言で圧をかけ続けるゴス。


 カケルは、降参とばかりに両手を上げると、その掟破りな方法を語り始めた。


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