第三章 3-2


「…驚きましたな。今のは少しばかり本気でやったつもりでしたが」


 柔らかい恒星の光が溢れる朝空の下、庭園の一角に設けられた修練所において、老魔術師は呆れと喜びとねたみが複雑に入り混じった表情で、レイネリアに向けて賛辞を呈した。


「ありがとうございます、師傅しふ


 彼女は貴人らしく洗練された物腰で一礼する。そこには眩いばかりの笑顔が浮かんでおり、つられるように目を細めた老魔術師は頷きを返すとその場を後にした。


 残された彼女は、ほっと一息ついて仰向けに寝転ぶと、邸宅とは違って飾り気のない天井をぼんやりと眺めていた。彼女が老魔術師の指導を受けてから一月が過ぎようとしていた。


 空属性くうぞくせい…魔法を打ち消すという力は驚くほど彼女の手に馴染み、先ほども老魔術師が繰り出した複数の魔法を、ミストリアをして大陸随一と評される人物の猛攻を、帝国の一個中隊さえも壊滅させてしまうほどの脅威を、まるで舞い踊るようにして沈黙させてしまった。それは一重ひとえに空属性の特性だけでなく、彼女が持つ魔法に対する認識能力の賜物たまものでもあった。


 かつてミストリアは、マイナとプラナが内包する魔力の対消滅により、魔法を打ち消すことが出来ると語っていた。この力はそれとよく似た原理をしていたが、唯一にして最大の違いは、対消滅させるのは共に魔法を構成するマイナの魔力であり、端的に言えば相手の魔法を分解して相殺するというものであった。


 しかし、その一連の工程を魔法が発動してから効力が及ぶまでの短時間にせねばならず、それを成すためには類稀な集中力、そして魔法の構成に関する深大な理解が要求された。本来であれば、魔法を使えない彼女には縁遠い筈のものであったが、幼き頃よりミストリアから知識だけは徹底して叩き込まれていたことが功を奏した。


 今の彼女には、若干ではあるがマイナの感知が出来ていた。それは視覚に頼るものではなく、精神における知覚であり、マイナに宿った魔力を対消滅させると同時に、そのいしずえたる因子をも除去することを可能としていた。


 そのためには、先にマイナが貯蔵する魔力を消滅させ、残った因子を露出させる必要があるが、稀に魔力を内包した状態でも露出が知覚できる場合があり、その際には因子を先に除去することで、宿った魔力が霧散する現象も確認できた。


 しかし、魔法自体を消去することは出来ても、既に及ぼされた結果、例えば攻性魔法により受けた傷が無くなることはなかった。実際のところ、修練を始めた頃は消去が追い付かず、身体の彼方此方あちこちで火傷や裂傷が絶えなかった。


 一方、呪いや精神異常などの付与については、魔法とともにその効果が打ち消された。とはいえ、やはり付与中に浴びた負荷までは解消することは出来ず、あくまで影響が及ぶのは消去をした後に限られていた。


 これらの点からも、決して使い勝手の良い力とは言えなかったが、何よりの問題点は自ら攻撃する手段を持たないことである。これでは防戦一方であり、相手のプラナが尽きるまでひたすら耐え凌ぐしか打つ手はない。


 或いは後方支援に徹すれば、攻性魔法への防御手段として役に立てるかも知れないが、加減を誤れば味方の障壁をも消してしまい兼ねない。果たして、今の自分にミストリアは背中を預けてくれるだろうか。いや、かえって邪魔になるのではないかと嘆息してしまう。


「ニー様、そんなところに寝ていては身体に毒ですぞ」


 いつの間にか修練所の扉が開いており、そこから皇女の端麗な尊顔が覗いていた。慌てて身を起こして立ち上がり、不作法を詫びようとする彼女に向けて、皇女はそれには及ばぬと首を振って制すと、いつもの日課となる言葉を告げた。


「あの御方がセイトの都に近付いているそうじゃ」

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