第512話 イザーク・グロスティ
「……」
「……ああ」
「あー……」
何をするまでもなく、何か思うこともなく。
イザークは、路地裏に一つ開いた広場のような場所に、寝っ転がっていた。
「……」
グレイスウィルに行く前はよく来ていた場所。
嫌なことがあった時、一人でいたい時、頭の中を空っぽにしたい時。
とにかく色んな感情を抱くと、この場所にやってきて寝っ転がる。
そして今も。
感情を整理したいと思って、わざわざグレイスウィルから船に乗ってやってきたのである。
「……今日もやってんなあ」
どうしてこの場所が好きなのかと言うと、音がよく聞こえるからである。
商業都市リネス、そこを走る川の音。知らない誰かの足音。子供がはしゃぐ声。叩き売り、商談、喧嘩、水の都で生きる人々の営みの音。
何よりも、魔法音楽の痺れる音色。
そんな音を聞きながら昼寝をするのが楽しみだった――
「……」
また昔のようにする昼寝は。
昔の光景を思い起こさせる――
「……イザーク!!! イザーク!!!」
「貴様!!! この成績は何だ!!!」
父親のイアンが、部屋の扉を開けて怒鳴り込んでくる。
自分はベッドに突っ伏して首も向けやしない。
「あれだけ算術も帝国語も教え込んでいるのに、何故この点数だ!? 百点満点の問題で二十点だ!!!」
持っているのは家庭教師が宿題に出したプリント。丸とチェックがついて、自分の現状というものをこれでもかと言う程証明している。
「話をしろ!!! 私の方を向け!!!」
「やだね」
「貴様……!!!」
「息子に向かって貴様とか言うヤツと話したくねえよ!!!」
目に付いた物を片っ端から投げる。植木鉢、枕、布団。
「父親に向かって物を投げるな……!!!」
「ハッ、実力行使かよ!!! いいぜ、魔法で殺してみろよ!!!」
「二度と減らず口が叩けないようにしてやる――!!!」
「イアンちゃん!!! 何やってんの!!!」
開けっ放しの扉から老婦人が一人、飛び入ってくる。
トパーズ・シスバルド。食料品専門商会シスバルドの会長。
自分から見ると、こうして口煩い説教を止めてくれて、更に自分の気持ちを理解してくれる優しい人であった。
「トパーズ殿っ……!!!」
「イザークちゃんに、実の息子に向かって手を上げるのは止めなさいっていつも言ってるでしょ!!!」
「だが此奴は……!!! 放せ!!!」
「ちょっとここだとあれだから!!! どっか別の場所で話しましょ!!!」
口煩いアイツはこうしていなくなる。
でも投げた物は残る。されたことだって。
「……クソ親父が……!!!」
グロスティ商会。リネス三大商家とか言われ、様々な物を多方面多角的に取引している。薬に強いネルチ、黒い噂が絶えないアルビムと比較すると、何でもできて信頼できる商会と言った所か。
自分はそこの会長の長男として生まれ、必然的に跡取りを期待された。その為の教育を何度も何度も繰り返された。
それが嫌いだった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!!!!!!!!」
今日も部屋に拘束され、宿題の山と向き合う。望んでもない、興味のない学習を延々と強要される。できなかったらまた説教で最悪死ぬ。
最初から詰んでいるのだ、戦うだけ無駄。
けれども戦うのを強制されているので、苛立ちは収まらない。
「クソが、クソが、クソがよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
苛立ちが極まり、文房具の山を窓から放り投げる――
「いたっ!」
「……」
女性の声がした。
これはやっちまったかと、焦りが募り出した所に――
「……貴方ね! これを放り投げてきたのは!」
彼女はひょっこりを顔を出してきた。
ポニーテール姿の小柄な――自分の身長の半分ぐらいの背丈の女性。
「……」
「まーよく見たら元気な少年なのだわー! お名前は!」
「い、イザーク……」
「イザーク! いい名前なのだわ! して今は時間ありますかしら?」
「時間は……あるよ」
咄嗟に言った言葉に彼女は反応して――
「ぎゃあああああ!?」
「なら私達に付き合うといいのだわー!!」
風魔法で飛ばされ流された先。
来たこともないような路地裏に到着した。
「ど、何処だよここ!?」
「第八十住宅街? んー、忘れたのだわ!」
「家に帰れるんだろうな!?」
「それは気分次第!」
「ふざけんなよ!?」
「迸る怒りをパッションに変えて、今はライブをお楽しみくださいましー!!!」
スリー、トゥー、ワン、ゴー!!!
「……え?」
いつの間にか、目の前には、
見たことない物――楽器を扱う女性――
彼女と共に音楽を奏でる、二人の男性が目に入った。
「『ハローミナサマゴキゲンヨウ 今日も今日とで衆愚なよう!』」
白いパーカーを着て、縦長の楽器を慣らす男性。
「『型にハマって流れ作業 安定安寧聞こえはいい?』」
女性は複数の鼓を棒で叩き慣らしている。
「『手足を動かし無表情 童心強心どこいった?』」
もう一人の仮面を被った男性も縦長の楽器を持ち、そして歌を歌っていた。
軽やかに、情熱的に、心に訴えかけるように――
「『皆で拒めば怖くない 疎外論外思考の停止――!』」
地面に這い蹲って、次第に立ち上がってそれを見ていた。
今までに聴いたことのない音楽。教養だとか何とか言って、アイツが聞かせてきたつまらない演奏会とは比較にならない。
大地の鳴動のような音色。激しい音階とメロディ。テンポを重んじた軽やかな歌詞。
自分の世界が造り替えられていく――
「ヒューッ! サンキューッ! なのだわーっ!」
「アイヨー!」
「……ふっ」
三人は演奏を終えて周囲に向けて手を振った。住宅の上階から声が聞こえてきた。
罵声が主であったが、中には賞賛する声も混じっていた。
「どうだったかしらイザーク! 『トゥバキン』のライブを生で見た感想は!」
「え……あ……トゥバキン……?」
「ナンダコイツ! オイラ達のことも知らねえってか!」
「……ふっ」
「が、楽器も、全部見たことなくて……!」
「あらー! 魔法音楽は初めてなの! ふっふっふ、それは丁度良いのだわー!」
女性はイザークを引っ張り、楽器の前に立たせる。
「私が叩いていたこれがドラム! 『ヴァーパウス』が持ってたのがベース! 『フライハルト』がボーカルと兼任してたのがギターなのだわー!」
「……!」
「どう? どうかしら!? カッコイイを突き詰めたスタイリッシュなデザイン! 木の温もりなんてクソ喰らえ! 鉄や鋼をふんだんに使って魔力回路を通しているのだわー!」
「いい……スゴく、いい……!!」
「よっしゃーなのだわー!!!」
「マタ一人沼に落としたナ! てか『リベラ』、コイツどっから連れてきたン?」
「あっちの方でうろちょろしてたら文房具を落としてきたのだわー! 暇だと言うから連れてきたのだわー!」
「……ふっ」
「オイオイ、そんな楽器にベタベタ触るんじゃねーゼ」
「す、すいません!!」
「触るんならコイツにしときナ――」
ヴァーパウスが楽器を一つ投げて寄越す。慌ててそれを地面に落ちる前に受け取った。
「……ふっ」
「ギターね! フライハルトが使ってるのと同じ! 先ずは演奏してみるといいのだわー!」
「えっと……こうですか!」
「そうそう! 弦を抑えて掻き鳴らす! それだけでシビれるような音が出るのだわー!」
「ああ……あああああ……」
鳴らせば鳴らす度、その音色が心に染み込んでくるのを感じる。
「あらまあ、結構センスがあるのだわ! なら早速セッションしてみましょう!」
「……ふっ」
「え、えっと、それならさっきの曲、弾いてみたいっす!!!」
「イイぜえイイぜえノッて行こう!! ホレ楽譜ダ!!」
「ありがとうございます……!!!」
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