第425話 拠り所を探して

「いや……いやだよ……!」


「もう誰にも傷付いてほしくないのに……!!」




 泣き叫びながら、憚ることもせず、離れに戻る。


 すぐにベッドに入り込み布団を被った。




「わたしなんて、わたしなんて、死んでしまえばいいんだ……」


「不幸を与えてしまうぐらいなら、わたしなんて……」


「あ……あ……」






    いたい



               いたいよ




      せなか いたい






「う……いや……!!」


「やめて、やめて……!!」








 それは突然やってきた。


 背中が燃えるように熱いのだ。




 あまりにも熱いものだから、何処が熱いのかすらもわからない。背中の全てが火で焼き尽くされているように熱いのだ。






「あぐぅ……ああああああっ……!!」



 シャワーを浴びようにも、痛みが酷くて起き上がれない。


 掛け布団も、枕も、敷き布団も腕の中に入れて、ひたすらそれに耐えるのだ。






      どうして



      どうして



      どうしてなの






      また    いたいの    どうして








 ……指輪が

 全部その指輪が悪いの

 指輪が……あいつが……

 わたし、何も……できて……











 一体どれぐらいの間そうしていたのだろう。






 物を掴む力が失われ、合わせて背中の痛みも引いていた。




 ベッドに横たわり、薄目を開いて壁と布団を交互に見遣る。






「……」



「……ベルの音……」




 誰かが訪問しに来たらしい。



 間を空けて、急かすように何回も鳴る。




「……」




 何とか身体を奮い立たせて、玄関に向かう。











「……あ……」




「おっと。誰もいないと思って帰ろうとしたのに、やっぱりいたんじゃないか」






 玄関にいたのは、料理部行きつけの食料品店の店主。ゼラであった。






「……どうして……」

「散歩だよ、只の散歩。最近生徒達はどうしているかと思ってねえ。特にお前さんは去年のことがあったから、特別心配になったのさ」

「でも……この場所は……」

「ビアンカに訊いたんだよ。あの子も色々あって参ってたんだろうねえ、他の誰よりも明るくて、そして疲労が溜まっていたよ……」



 靴を脱がないまま、首だけを覗かせて、見える範囲だけを眺める。



「アーサーはいないのかい? 部屋かい?」

「……」



 首を横に振り、顔を俯けるだけで、彼女は大体察してくれる。



「……この状況で壊れちまわない方が珍しいのかもねえ。あんなことがあったら、誰だって学園に行けなくなる。結構そういう生徒は多くて、あのクソ共も手をこまねいているようだ」



 考えてみれば、帰還報告も忘れていたのに、学園の関係者は一人も訪ねてきていない。



「それにしても、一体連中は何を目的に来たんだが。こう……本来の目的とはズレてしまって、如何に生徒達を自分の勢力に引き込むか。そういった争いにしか見えない。愚かだねえ……」






 ふとエリスは、ゼラがぶら下げていた袋に目が向く。今にも地面につきそうで、ずっしりとしていた。






「ああこれかい? 久々に地上、高級店が並ぶ城下に来たんだ。だから買い物してきたんだよ」

「……重そうです」

「そう思うんなら手伝ってくれんか。あんた、その様子じゃずっと部屋にいたんだろう」


「……どうして」

「髪がボロボロだ。女としてそれは如何なものかねえ。まあそのぐらい、追い込まれていたのかもしれないがね……」

「……」


「そういう時は外の空気を吸うんだ。第二階層まで行けば気分も落ち着くかもしれない……だからおいで。店に着いたら甘い物でも食べよう」

「……うぅ……」






 予想だにしない優しさに涙が零れる。











 人は優しさ、自分に向けられる好意に甘えてしまう生き物だ。



 どれだけ自分を追い込んで、言い聞かせようとも、救いがあるならそれに縋る。



 あるいはその行為自体、救いを向けられるようにする為の手段なのかもしれない。











「ふぅ……うっ」

「大丈夫かい?」

「いえ、これぐら……いっ」



 袋を二つに分け、半分ずつ持つ。お互いに合わせて速度はゆっくりだ。



「そっちには銅鑼焼きっていう菓子が入ってる。あたしの流行りさ」

「そうなんですか?」

「ホットケーキと違って、優しい甘さが特徴だ。あと小豆っていう豆を使ったクリームを挟んでいる」

「ど、どんなのか想像できません……」

「それなら存分に驚くといいさ」




 ほれ、もうすぐ第二階層だ、



 あと少し頑張れ――と言う前に。






 焦った様子の孫が来た。








「ばばばばばーちゃん!!! やっと戻ってきたか!!!」

「……何だい。その様子だと、あたしを迎えに来てくれたってわけじゃなさそうだね」

「迎えに来たのは事実だよ!!! いいから早く来てくれ、店が大変なんだ!!!」



 シャゼムはエリスからも袋をぶん取り、早々に走っていく。



「……言われてみれば、何だか商店街の方が騒がしいねえ。まさか……遂にこちらにも……」

「……」
















「テメエ――」



「これが許されると思うなよ!!!」






 カーセラムの食堂が入っているビル。その四階と五階は、丸々自分達の居住スペースとなっている。



 普段はそこに置いてある両手剣を、今日はわざわざ取り出してきた。



 ラニキは粗暴に、豪快に、獲物を振り回して文字通り刃を向けている。






「ふんっ!!!」




「ぐっ……!!!」

「……低俗な店の従僕如きが。神聖なる我々に逆らうとは!!!」






 カーセラムを始めとして、この一帯には学生たちが行きつけている店が業種問わず数多く集結している。



 そこに目をつけた聖教会とキャメロット――



 学生たちの不良を促しているとして、一斉検問に入ったのだ。








「ぐう……!! 何だ、腕が熱く……!!」

「呪術魔法だ!! ラニキ、ちょっと治療するから!!」




 店からガゼルが出てきて、なおも立とうとするラニキを抑える。


 右腕にかけて赤い線が、火傷の跡として広がっている。




「お前……おやっさんは!!」

「ラニキを助けて来いって言われた!! くそっ、強いなこれ――!!」

「なら――いい」




 ガゼルを振りほどき、無理矢理立ち上がるラニキ。




「無茶だ!! さっきからずーっと戦ってるじゃないか!! このままじゃどうなることか……!!」

「俺は――俺は!! この町で、好き放題されるのが!! 気に食わねえんだ!!」






 敢えて連中の耳に聞こえるように。宣戦布告を叩き付けて、男はまた暴動の渦中に突き進む。



 一斉検問と言う名の理不尽な暴力。気に食わないというだけで、気に食わないのを正当な理由だと言い付けて。



 連中が言う低俗、住まう者、訪れる者にすれば至高である町を、ただ破壊していく。






「そんな……無茶だって……」

「ガゼル!!」

「あんた何倒れてるんだい」




 シャゼムとゼラがガゼルの元に駆け付け、そして暴徒が跋扈する道を見遣る。




「……この数分間で酷くなってやがる……!!」

「ラニキ以外にも……ケーキ屋のおっさんとか、手芸屋のおばさんとか、抵抗してるけど……歯が立たない……」

「……」






 身体に入れていたハワードを呼び出す。直ちに状況を理解して、彼は狼よりも恐ろしく唸る。




 そして、若造の前に立って老婆は言う。






「シャゼム、店の損害は?」

「あ、ああ! 窓硝子が割れて、品物も半分駄目になったけど、父ちゃんと母ちゃんが大急ぎで割って入ってくれて、何とかしてくれてる――」

「そうかい。現状維持できるってんなら、そこに怪我人を運んでおきな。抵抗の拠点にするんだ」


「わかったよばあちゃん!! で、ばあちゃんは何でそっちに進んでんだ!?」

「決まってんだろ。灸を据えてやるのさ。グレイスウィルには、アルブリアには本来誰が住んでいるのか、誰のものであるのか、思い知らせてやる」




 その行動に移るゼラを見て、ガゼルは大慌てで立ち上がろうとする。上手くできずに血を吐いた。




「……やめろババア!!! やめろよ……!!! あんたまでいなくなっちまったら、この先誰を頼りに生きていきゃいいんだよ!!!」


「ガゼル、無駄だぜ……こうなったばあちゃんは、俺でも止められないんだ……!」

「……くそが……!!! くそおおおおおおおおお!!」











 ふと後ろを振り返る。



 力の無さを嘆く孫とその友人はいたが、



 先程までいたエリスの姿がない。






「……戻っちまったかい」

「ヴァン!!」

「そうだね……こんな状況じゃ、どうせ引き返せと言ったろうさ」




 気付くと周囲に瓦礫が溢れていた。


 瓦礫を量産していた人間共は、全員ぎろりとゼラを睨む。






「ふん――」




 腰から紅に燃える懐中時計を取り出す。



 力を籠めると、周囲に炎が展開される――触媒だ。




「まさか、こいつに頼ることになるとは思わんかったねえ」


「ヘンゼル先生――」





 繊細に魔力を操作し、連中以外の者には影響が出ないように。連中の温度は上がっていき、服に火が付いた奴もいる。



 ハワードも炎を纏い、全身が包まれた所で気高く吠える。その姿は、フェンサリルの姫君の終盤に出てくる、炎を具現化したあの怪物を彷彿とさせた。





「刮目しな悪ガキ共。ゼラ・マームグレン、六十年前の最終戦争を生き残った、元宮廷魔術師の本気を見せてやろう――」

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