第423話 お兄ちゃん、遊ぼうよ

 暴動から時が過ぎ、学園祭の中止が決定した。設備が一部破壊され、行事どころか普通の授業もままならない為だ。



 目標も見失ってしまった生徒達。暴挙に走る生徒も少なくなく、その度に嬉々として大人達は鞭を振るう。特に前日のことがあった為か、最近はキャメロットが良くない方向に力を入れている。



 間もなく暦は十一月になろうとしている。吹き抜ける風は無情にも似ていた。








「ああ……」


「うああああ……!」




 エリスはまた船に乗っていた。行き先はグランチェスター。目的は彼。



 数日かけて運航する船に、多大なる憎しみを向ける。それ程までに彼女は求めていた。






「……」




 白けた目で水面を見つめる。



 水面の下を泳ぐ魚も、船を抜き去っていく鳥も、呑気に漂う雲に太陽も。



 全てが憎たらしく、恨めしく思えてくる。






「え~……もうじきグランチェスターに到着致します~……」




 その声が聞こえた途端、船笛が鳴るよりも早くエリスは客室に向かっていた。











『束縛の夜、運命の牢獄は今崩れ去り――』


『新しい朝、誰とも知らぬ大地に、二人は旅立っていった――』






 角帽子を被った詩人が高らかに歌い、彼の持つリュートの音色が後に続く。


 仕事疲れの大人達も、せわしい世界に楽しみを見出す子供も、皆揃って拍手を送る。






「……」


「フェンサリルの姫君、運命の牢獄か」


「実に奥ゆかしい物語だ――」





「そうは思わないかな?」






 振り返って、丁度そこに来ていたエリスに、彼は呼びかける。






「……あ……」

「ふふ、また君が来るような予感がしてね。こうして暇を潰していたんだ」

「……はい……」






 言いたいことがあるのに言葉が出ない。



 出会えたこの瞬間が愛おしいから。






「今丁度結末に入った所だ。飽きを見せている者もいるね」

「……そう、ですね……」

「一組の男女が運命に抗い、結ばれる物語。誰しもが夢見る愛の形だ」




「特に気に入らない評価すべき点は、運命というものの本質について叙述している所だ」






 その言葉に、エリスは素っ頓狂な声を出してしまう。






「それって、どういう……」

「わかるかな? いや、わからなくてもいいさ。君はこの物語を、胸打つ純愛の物語として楽しめばいい」

「……」




 自分の好きな物語。


 彼も好きな物語。


 共通の趣味を見つけた時、人はまた親近感を抱くというものだ。




「あ、あの……わたし、このお話について、色々語りたいです……!」

「そうか、そうか。では……うん。いつも路地裏というのも新鮮味に欠ける。偶には街を散策して、喫茶で軽食でも嗜もうじゃないか」






 そうして彼は手を繋ぐ。



 彼女の左手に、



 自分の右手の指を通す――






「……!」

「ふふ……やはり、照れている君は可愛らしいよ」

「あ、あうぅ……」


「見ての通り街は依然瓦礫が散在している。道も新たに造っている最中だから、迷子になると思ってね」

「そ、それなら……大丈夫、です……あなたが、いれば……」

「ふふっ……」






 握る手に力を籠める。



 彼女の左手の薬指の指輪が輝く。



 彼の左手の薬指の指輪も輝きを増していった。











「……」






 エリスはまたアルブリアの外に出た。自分がやるべきことは、彼女が戻ってきてもいいように平穏を保ち続けることだけ。



 それだけなのだ。それだけでいいのだ。



 彼女が何をしているかなんて考えたらいけない。それは自分の存在意義に関わるのだから。






「お兄さーん、何持ち逃げしようとしてんの。お金お金」

「あ……すみません」



 魔術氷室の中身が少なくなってきたので、今は買い出しに出ていた。


 市場で品物を見繕う人も、心なしか少なくなったように感じる。



「この銀貨一枚余計だよ」

「……店を開いてくれているお礼だと思ってください」

「あんた……よく出来てる子だねえ」



 店主は銀貨をエプロンのポケットに滑らせながら、ぼんやりと店内を見回す。



「……建国祭の一件があってから、どこの店も客足が減ってしまった。そりゃあ仕事が少ないといいなとは思っちゃいたが、こんな形で少なくなってほしくはなかったねえ……」

「……」


「思えばあんた、一年前からずっとここに来てくれてるなあ。もう一端の常連つっても過言じゃないわけだ」




 店主は人参を二本持ってきて、アーサーが持っていた買い物袋に突っ込む。




「そんな、これじゃ銀貨の意味が」

「いいっていいって。お互い様ってことだ。お互い様に……こんな状況だけど、生きていこうな。生きてりゃいいことあるさ……」











 すれ違う人もそんなに多くはない。胸に込み上げる寂しさは、秋風が齎しているものではないのだろう。


 雲がかかった秋空を見上げながら、離れまで歩いて帰ったアーサーは。




 その光景に息を呑むことになる。






「……」




 扉が開いていた。






 エリスが帰ってくるのは、確か数日後だったはず。



 船旅を途中で中断して引き返せるわけがない。



 ならば――






「……カヴァス。出ろ」

「ワン……」



 最悪鞘から剣を抜く体勢を取りながら、中に入る。








「……」




「……」




「……いない?」






 リビングには誰もいなかった。多少人が歩いた形跡こそあるが、それだけであった。




 何もせずに去っていったのだろうと、




 油断してカヴァスを戻したのが間違いだった。








「あー! お兄ちゃん! お帰りなさーい!」






 右側、自分の部屋の方から聞こえた。






「私ね、やっと見つけたの! お兄ちゃんのお家! それでやってきたら、扉の鍵忘れてたんだもん――思わず中に入っちゃった!」






 嘘だ。



 鍵は何度も確認した。



 施錠を確認した上で外出したのだ。






「お兄ちゃんの部屋も見ちゃった! すっごく質素な部屋で……イメージ通りって言うか、お兄ちゃんにぴったりの部屋だった!」






 そうして近付いてくる人間。髪、瞳、声、そして胸。



 記憶の奥底にこびり付いていた情報が明確に開示される。



 ブルーランドで出会ったあの幼女――








「……何の用だ?」


「遊びに来たの!」



 爛漫な笑顔を見せる幼女。



 対照的にアーサーは警戒心を露わにして、睨み付ける。



「遊ぶ……」


「そうそう! 私とお兄ちゃんは今から遊ぶんだ!」




       こんな風にね――











「……!?」




 幼女の目が一瞬光ったと、そう思ったのも束の間。



 次の瞬間、意識が朦朧とし出した。






「ぐっ……うう……」

「へえ~、抵抗するんだ? 抵抗しても苦しいだけなのに」



 幼女が言う通り、全身を締め付けてくる力が、益々強くなっていく。



 比例して、幼女がクスクスと笑う声も。



「ん~、このテーブル邪魔だなあ……



           こうしちゃおう!」






 人差し指を突き出し、くるくる回して伸ばすと、



 ソファーに囲まれていた長机は、窓硝子を突き破っていく。






「なっ……!?」

「お兄ちゃんこっちだよ!」

「……っ!!」




 窓の方を見ようと横を向いた時に、



 幼女が体当たりをかまし、押し倒される。




「あぐっ……!!」

「えへへっ♪ やっぱりこういう環境で遊ぶのが一番いいねっ♪」



 体勢を変えられ、今は仰向けになって天井を見上げている。



 四肢は広がり、大の字を描いたその上に幼女が乗りかかる――






「放せ……放……せっ……! ぐぅ……!!」

「お兄ちゃん、私から逃げようとするんだもん! だからちょっとだけいたずらしちゃった♪」




 床と一体になったかのように、神経が遮断されてしまったかのように、手も足も上がらない。


 首も動かせない状況で、ただ幼女の声だけが明瞭に聞こえる――




「お兄ちゃん……お兄ちゃんっ……」


「上と下……どっちからがいい……?」




 意図の不明な問い。



 理解する前に幼女が動いた。






「上からにするねっ……んっ、カラダがあっつくなってきちゃったよぉ……あぁ……」




 活発な年相応の声が、次第に妖艶な、甘えを求める色に変貌していく。




 次に、幼女の体重以外に感じた感覚は、


 視界が埋め尽くされ柔らかいものが当たる感触








「お兄ちゃん……気持ちいいでしょ……?」


「嫌がってるの……? でも本当は気持ちいい癖に……♪」


「だってお兄ちゃんも……あっつくなってるもん……私達、おんなじだねっ♪」


「こういうの大好きなんでしょ……やっぱり男の子なんだねっ♪」






 うふふ……



 こっちもおっきくなってる……♪



 つんつん、つんつんっ♪



 はぁ……もうだめ……♪






           いただきます……♪





















「……あのさあ、今のタイミングで訊くけど」

「ルシュドもヴィクトールも学園行くだろ。だからきみについていくしかないんだよ」

「……いやまあ一理あるけどさ。ただアーサーの訪問にまでついてくるんだなあって」

「……ふん」

「さぁ~てイザリンの楽しいお宅訪問……リーシャンがいないので寂しいなっと……」






「……あれ?」

「……扉が開けっ放し?」

「んな不用心な……錯乱して鍵閉め忘れたか?」

「おい、入るんなら戦闘の準備しておけよ」

「オマエが風魔法でどうにかしてくれんだろ」

「きみさあ……」




「おっはよぉ~んアーサー! 今日の朝食はオムレツでも……」




「……は?」

「……え?」






「お、おい……? アーサー? アーサー!?」

「窓が破れてる……? 襲われたのか?」

「い、息はある……でも!!! ヤベえぞ、このままじゃ死んじまう……!!!」

「一体何が……こんなに痩せこけて、魔力を吸われたのか!?」

「ええと、こんな時は……サラだ!! 一回応急処置してもらうぞ!!」

「……ぼくが行ってくる。だから死なせるなよ……!!」

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