第三章 狂月の魔術師

一節 「オープニング」

第396話 邂逅

 桜は旅する噂好き。風の噂と言うそれを、風に乗りつつ耳にする。


 ログレスの空を行くこの花びらも、例に漏れずある噂を聞いていた。






 曰く、「何やらよくわからない魔法を放ち、全てを元の状態に戻した少女がいる」




 その少女は今、グランチェスターの町にいるということまでは、流石に知りようもなかったが。











「エリスー、船の手配が終わったよー。あと一時間で着くってさー」

「ん……そうなんだ。となると午後一時の十分になるのかな。えっと、ありがと」

「いいっていいってこれぐらい」




 発着場から出てきたユーリスとジョージに、さり気なく笑顔を見せるエリス。釣られてアーサーも笑った。




「……何か心配だなあ。家にいる時もずーっと寂しそうな雰囲気だったじゃん。アーサー含めてさ」

「……」

「ワン……」


「いやさ? 吟遊詩人が何て言っているか僕も知ってるよ? でもそんなの伝聞! 所詮は! 事実じゃないことも混じってるんだから、気にするこたーねー!」

「そうだね……確かにそうだ」




 そこにエリシアとクロも、空の袋を持ってせかせかやってきた。




「ねえあなた、今日はお魚が安いみたいなの。買っていかない?」

「おおそれはいいなあ! まあ村まで鮮度持たないだろうから、即席で魚料理になるけど……十分だね!」

「んじゃあ……二人はどうするんだ? 行くか?」


「オレは行きます。船が来るまでやることないので」

「わたしは……散歩してていいかな?」

「ああー十分構わないよ。でも一時間後にはちゃんと来てね」

「わかってるよ」











 春の波止場に風が吹き込む。




 桜の花びらが舞い踊って活気付く街に彩りを与える。






 そんな風景に心を踊らせようとしながら、エリスは街並みを歩く。お気に入りのヘッドドレスの上で、花びらが旅の傍ら休息を取っていく。






「……お野菜も安いなあ」


「わたしも料理……料理すれば、気分発散になるかな……」




 歩いているとふと、路地裏に差しかかったので、その先を見遣る。




「……」






 人々の生活環境。それがぎゅっと凝縮された、スープのような場所が路地裏。


 それはそれで味があるものだ。




 ――等と、一応の理由付けをしてみるが。






「……」



 そんなことは関係なしに、何故か路地裏の先に進んでみたくなったのだ――











「……おや」




 行き止まりだったその先に、




「こんな所まで来るとは、珍しい人もいたものだ」




 彼はいた。








「……こんにちは……」






 声をかけられた時点で、逃げるという選択肢もあったが――



        何で



 それは取らずに挨拶をした。



       ねえ何で






「……ふふっ、こんにちは。先に話しかけてしまって済まなかったね」

「い、いえ。別に気を悪くしていません」

「そうか、そうか……」




 彼は少し脇に移動し、申し訳程度に置いてあったベンチに誘導する。




「少し話をしようじゃないか。立ったままだと疲れるから、座ってね」








 白い髪と黒い瞳を持つ、顔の整った美しい男であった。




 それはずっと澄んでいて、触った者が全て浄化されるような、不思議な感覚を覚えた。








     どうしておまえがいるんだ








「……おや。私の顔をじっと見つめてどうしたんだい?」

「……えっ、えっと」

「気にすることはないよ。私も悪い気はしないからね」




 そうして彼は、さり気なくエリスとの距離を詰めた。顔から下は黒いローブに身を包んでいるが、かなりの高身長だ。体格もかなりがっしりしているのが想像つく。




「……素敵な瞳だなって」

「君には敵わないよ」

「……!」

「率直に思ったことを言ったまでさ」




 思わず顔を背けてしまう。




 顔を見上げていると、呼吸が苦しくなる感覚に襲われる――






「ところで君は、どうしてこんな行き止まりに来たのかな」

「え、えっと……お散歩です」

「散歩か。実にいい趣味をしているね」

「……ありがとです……」




 彼はそのままに肩を抱く。




「……!」

「照れる仕草も可愛いね」

「……っ」

「ふふふ……」






 頬を指でなぞる。華のように赤らめ、心地良い柔らかさが伝わってきた。


 そして彼は、そっとを取る。






「えっ……?」

「君と私の出会いの証だ」






 そう言って彼は、見るも麗しい金剛石が埋め込まれた指輪を懐から取り出し、


 の奥に通した。






「……きれい」

「そうだろう。何せこの世で最も美しい宝石だからね」

「でも、こんなもの貰って……」

「いいんだ。私にとっては些細な物だからね。君との出会いに比べれば……」




 左手に自分の右手を、続けて左手を重ねる。


 それを通して彼の温もりが伝わってきた。思わず安心してしまうような。




「それに、他からは見えないように魔術もかけてある。君が言いふらさない限りばれてしまう心配はないよ」

「……そうですか。その……改めて、ありがとうございます……」




 顔を合わせられなくて下を見る。


 そこで彼の指にも、指輪が嵌められていることに気が付いた。




「……あの、それ……」

「ああ、見たのかい。お揃いなんだよ――私が着けているのとね」

「……」




 鼓動が止まらない。


 どんどん強く鳴動していき、血を送り出して枯れ果てそうになる。











 遠くから聞こえてきた鐘の音が、そのような心境から引き戻してくれた。


 今の時刻なら、恐らく午後一時の鐘。




「……あっ、大変! わたしそろそろ行かなきゃ……!」

「用事を思い出したのかい?」

「あと十分後に出る船に乗らないといけなくて……!」

「それは大変だ」



 取り敢えずここは、指を鳴らして脚を強化してやる。



「これで間に合うだろう。どうか再び君に出会えますように」

「はい! ありがとうございました!」



 丁寧に彼女はお辞儀をしてから、そのまま走り去っていく。








    彼はそれを見送っていった。




    惜しむような表情から、




    満足そうな表情に変えつつ。











 それから船に無事乗船し、三年目の学園生活に向けて海原を行く。






「エリス」

「なあに?」

「機嫌が良さそうに見える」


「そっか……うん。ちょっと肩の荷が下りたっていうか、いいことがあったの」

「……そうなのか」

「そうだよ?」

「……」




「なあに? どうしたの?」

「えっ……いや、何でもない」

「そっかー」






 このタイミングでアーサーは、エリスから距離を取る。お気に入りのブレスレットが光を受けて輝いた。






「ワンワン……」

「……言えないよな」

「クゥン……」

「言ったら……あいつは……」






『騎士王アーサーは暗獄の魔女ギネヴィアが造り出した、破壊と殺戮の兵器である』




 あの時見かけた、見つけてしまった、調査書の内容が頭から離れてくれないのだ。






「破壊と殺戮……」


「……あいつが手に入れられなかったもの」


「オレは……何者なんだ……」





 様々な人の、様々な言葉が、深層心理を掻き乱すように蠢く。

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