第9話 ファーストコンタクト

「失礼しまーす……」



 恐る恐る教室の扉を開け、中に入る。一足遅れてしまったこともあり、この瞬間の緊張感は一入ひとしおだ。


 既に二人以外の生徒は席に着いており、本を読んだり、机に突っ伏したり、あるいは自分のナイトメアと会話したり遊んだりと、思い思いの方法で暇を潰している。



「ここだね、わたし達の席」

「ああ」



 アーサーの席は扉から一番奥の列の先頭、エリスはその隣だった。割とわかりやすい位置である。



 取り敢えずは着席し、椅子を引っ張って座る。まだ教師は来ていないので、他の生徒同様暇を潰すことになった。






(ふぅ……)



 一旦エリスは静かに目を瞑った。


 そしてここに来る前、ユーリスに言われていたことを思い出す。





「……いいかいエリス? 入学したらやった方がいいことがある」


「多分入学式が終わったらホームルームがあると思うけど……その時に担任の先生が来るまで時間があるはずだ」


「その時に自分の前か後ろの人に話しかけなさい。そうすれば一番最初に話したってことで覚えてもらえるから。相手も自分もね」





(……よし)



 決意を胸に目を開けた。目の前に映るのは教卓と黒板、後はロッカーが二つほどあるだけ。必然的に後ろの生徒に話しかけることになる。



「……こんにちは」

「ひゃあっ!?」



 後ろの生徒はエリスが振り向き、挨拶をすると驚いて椅子から少し飛び跳ねた。




 紫色の瞳で、頬にはそばかすがある。髪は深い緑色の大きい三つ編みが一本背中にかかっていた。そして両腕で何かを抱き締めたまま、じっとエリスを見つめている。




(……)



(……深緑の髪に紫の瞳って、あまり見たことない組み合わせかも?)




 他にも彼女のことをちらちら見てくる生徒がいたので、自分と同じことを考えているのだろうと、エリスは思った。




(……でも、見た目について言われると嫌な人もいるよね)


(まずはつつがない話題からにしよう……)




 エリスが思案している間も、相手はじっと見つめており、どうやら出方を窺っている様子だった。




「あ、あの……何……?」

「あ、ごめんね。えっと……さっきの学園長先生、すごかったね」

「う、うん……凄かったね」



「次はホームルームって言ってたけど、何するんだろうね」

「え、何だろう……自己紹介とか……?」

「わかんないよねー……あはは。あ、課外活動は何にするか決めた?」

「あわっ、ま……まだかな……」



「……あ、またごめん。名前を教えていなかったね。わたしはエリス。エリス・ペンドラゴン。ナイトメアは……恥ずかしがり屋であまり出てこないんだ。あなたは?」

「あ、あたし……あたし、カタリナ。えーと……」



「リグス、でございますよ」

「あ、そうだった……カタリナ、リグス、です」




 カタリナが抱き締めていた何かが、耳打ちをしてきたようだ。名前を名乗った後に、彼女はそれをそっと手放す。


 彼はシルクハットを被ってタキシードに身を包んでいた。そして大きい鉤鼻と長耳。一般的にゴブリンと呼ばれる魔物である。


 手放されたゴブリンはちょこんと机の上に乗り、そのまま数歩前に歩き出してエリスの眼前まで来ると、帽子を取って会釈した。一般的なゴブリンのイメージとは随分とかけ離れた、丁寧な所作だ。




「この子はセバスン。あたしの……ナイトメア」

「よろしくお願いします、エリス様」


「あ、よろしくお願いします……そんな、様なんてつけなくても」

「いえいえ、何分こういう性格なもので。あとわたくしには敬語は使わず、普通に接していただければ大丈夫ですよ」

「えっ、そんな……大丈夫なんですか?」

「わたくしは大丈夫でございます。ああ、ですが……」



 セバスンはカタリナの顔を見上げる。



「お嬢様は如何でしょうか」

「あ、あたし……?」

「わたくしはナイトメア。お嬢様を守る騎士であり、お嬢様の言うことがわたくしの意思でございます。そのため、最終的な判断はお嬢様が下してくださいませ」


「……あ、そっか。確かにナイトメアってそういうものだもんね。カタリナ、それでいい?」

「……うん。大丈夫だよ」

「よし。それじゃあこれからよろしくね、カタリナ、セバスン」

「よ、よろしくお願いしますっ」



 カタリナは少し顔を赤くして返事を返し、頭を深々と下げた。




 エリスはそれを見て笑い返す。頭を上げたカタリナもまた笑い返し、お互いに張られていた氷の壁は破壊されたようだった。






(……)



 アーサーはエリスとカタリナの様子を真横で見ている。丁寧に椅子をエリスの方に向けて、背筋を伸ばしてじっと見ている。



 そんな周囲を気にしない様子の彼は、逆に話しかけられることになるのだった。





「……なあ」



 誰かが肩を叩いてきた。



「……」

「オイオイオイ~? 聞いてんのか?」


「……」

「ここまでしてんだから話しようぜ~?」

「……」


「おらっ椅子引っ張るぞっおらっ」

「……くそっ」




 とうとう耐え兼ねたアーサーが、肩を叩いてきた人物がいる方向――自分から見て右、後ろの席の方を振り向くと、



 少々ぼさついた茶髪、同じような茶色の目の生徒が、にやけながらアーサーを見つめていた。




「やっほー☆」

「……何だあんたは」

「何だあんたはって。何だあんたはって……ねえ? それはこっちのセリフって感じなんだけど」

「……はぁ」



 生徒はにやにやしながら言葉を発する。率直に気持ち悪いと思うアーサーであった。



 彼の隣には人型の何かが黙して立っており、存在感を放っていた。ゆったりとした黒い長袖に密着した黒いズボン、顔は黒い布で覆われている。


 例えるならば、舞台の黒子。そのような雰囲気だった。



「いやだってさあ……さっきからずっと隣の子のこと見ているじゃん。何? 入学早々もうカノジョ狙ってんの? 会話のチャンス探ってる? はっやいねぇ~」

「……そういうことではないんだが」

「でも傍から見るとそうにしか思えないんだけど」

「……」



 アーサーは事実を説明しようとしたが、ハインリヒの警告を思い出して別の言葉に置き換える。



「……オレは色々あって彼女を守ることになっている。それだけだ」

「へぇ~、何かそっちの方がアレだな。現に鞘なんて持って物騒だし。まあいいや、出会ったばっかだし詮索はしないでおくよ」

「何なんださっきから……」



 アーサーが煩わしくしていると、教室の扉が開く音がし、


 ハインリヒが両腕からこぼれそうなほどの書類を持って教室に入ってきた。



 それらを全て教卓に置くと、重たく鈍い音がする。するとクラスにいる全ての生徒は、会話を切り上げるのだった。



「……イザークだ、よろしく。こっちの黒いのがサイリ、ボクのナイトメアだ。オマエは?」

「あんたに名乗る義理はない」

「アーサー、この紙を後ろに回していってください」



 ハインリヒが書類の山をアーサーの机にどんと置く。アーサーはそれを呆然として見つめた後、観念して与えられた仕事を行う。



 改めて後ろを向き書類を送ると、案の定イザークはにやついており、書類を受け取りながら一言。



「……よろしくなぁっ、アーサー♪」

「……くそっ」








「ああ~……つっかれたぁ~……」

「……そうだな」

「ワンワン」



 入学式もホームルームも終わって夜。エリスとアーサーは案内された離れに戻って来ていた。扉を開けて入るとリビングがあり、一人掛けのソファーが二つ、二人掛けのソファーが一つ、そしてテーブルがある。



 エリスは二人掛けのソファーに思い切り腰かけ、そして手すりの部分にもたれて息を吐き出した。アーサーは一人掛けのソファーに座り、マグカップに注がれたココアを眺めている。




 カヴァスはアーサーの足元で大きく伸びをしてくつろいでいた。テーブルには苺が山盛りの籠が置かれ、早く食べろと自己主張している。 




「……苺食べていいんだからね? せっかくお父さんとお母さんが持たせてくれたんだから」

「……」



 アーサーは苺を一つ取り、ヘタごと口に放り込んだ。数回噛んだ後に飲み込む。一連の動作の間、終始真顔であった。



「これからはわたしに許可取らなくても、色んなことやっていいんだからね? 許可出すわたしだって疲れるもん」

「わかった」


「……アーサーっていつも『わかった』とか『そうだな』とかばっかり言ってる感じする。もっと他のことも言ってよ」

「……」



 アーサーはエリスを怪訝な目で見つめる。


 頬を膨らませた赤髪の主君が、一瞬だけにやけ面の茶髪の少年に見えた。見えてしまった。見えてしまったのでアーサーは溜息をついた。



「……それ以上はやめろ。あんたがあいつに見えてくる」

「え、誰のこと?」

「こっちの話だ」

「そっか」



 エリスはそっと瞳を閉じた。暖炉の光と魔法の光球の光。二つの光が部屋いっぱいに広がり幻想的な暖かさで包み込んでいる。





「エリス、アーサーは騎士王だか何だかって言われたけど……それはそれよ。あんなかっこいい男の子で、しかもあなたと近い歳なんだから、仲良くならないと損よ」


「グレイスウィルには色んなものがあるわ。仲良くなるきっかけになるものがたくさんあるだろうし、それを活かして積極的にアプローチ! 相手が無関心ならこっちから攻めていかないと。それが男の子と付き合う時のコツだからね――」





(……アプローチ、かあ)



 エリシアの言伝を思い出してから目を開ける。


 そして苺を手に取って、丁寧にヘタを取って食べた。程良い酸味と深い甘みが口の中に広がる。



(何ができるかわからないけど……少しずつ。少しずつやってみよう)




 そう考えることにしたエリスは、アーサーの方を向いて言葉をかける。




「はぁ、美味しい。明日から学生生活スタートだ……わくわくするね、アーサー」

「そうだな」


「わたしはさ、もう明日が楽しみだよ。早速友達もできたし……カタリナっていうんだよ。アーサーは友達できた?」

「不要な接触をした」

「もう、そんな言い方しないの~」




 学園生活はじめての夜は、こうして穏やかに過ぎていった。

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