第209話 鈍緑の騎士ベルシラック

<試合経過一時間二十分 残り一時間四十分>




「――たった今三十個目のフラッグライトが点灯されたぞ! 色は赤色、グレイスウィルが死に物狂いで一個制圧したな!」

「とはいえ依然戦況は辛いねぇ。三十個全てが点灯した現時点で、イズエルトが十一、エレナージュが十三、グレイスウィルが六と来たぁ。思っていた以上に二つの勢力が攻め込んできたのが予想外だったんだろうねえっ」



「確かに双方とも、まだ五個程度しか点灯させてない段階で既に他勢力のフラッグライトを奪還に走っていたな。余程制圧欲が強いと見た!」

「早く他の軍と交戦したいとか、きっとそんなんだろうねぇ――んでもまあ、対抗戦はフラッグライトが全部点灯してからが本番だよぉ!」

「その通り! ここからは如何にして敵の領土を奪うかの陣取り合戦! 果たしてどんな戦いを見せてくれるんだろうか――!?」







「きゃーきゃーきゃーきゃー!! 皆様頑張りなさいましー!!」

「……」



 最前列で試合を観戦するエリス達。エリスの膝ではベロアがぴょんぴょん飛び跳ねて応援よりは興奮していた。



「あら? お嬢様? 貴女は応援をなさらないんですのー!?」

「その……ベロアさんを支えるだけで精一杯ですぅ……」

「まっ!! それは申し訳ありませんでしたわ!!」




 ベロアはひょいと飛び降り、そして投影映像に更に近付く。   




   <きゃーきゃーきゃーきゃー!!!!




「エリス、お疲れ様……」

「ああ~膝があっついですぅ……」

「ほらマジショ食べて?」

「マジショよりもお水が欲しいですぅ……」

「ふぁいよー」



 マチルダから渡された水を、ごくごく飲み干したエリス。



 直後に隣に視線を向けた。



「……」




「ふふっ。アーサー、見入ってるね」

「む……」

「やっぱりダレン先輩のこと気になる?」

「……ああ」




「……ダレン先輩でも勝てない人はいるんだなあって、何だか思っちゃったよね」




 対抗戦の訓練が始まってから、関わる機会はそれ程なかったが、武術部での姿やアザーリアの話からたゆまぬ努力を積んできたことは知っている。




「ここからが本番だって言ってたけど、どうなるのかなあ……」

「そんなの――」



 投影映像の場面が切り替わり、続いて観戦している生徒達が沸き上がる。



「何だ!?」

「この人……! アストレアって人じゃない!?」







<試合経過一時間三十分 残り一時間半>




「ふんっ!」

「こちらにっ!!」

「おっとと……!!」



 アザーリアの先導の下、弓矢を避けながら走る生徒達。殿にはユージオがつき、槍を片手に追手を牽制している。



「まさか兵糧攻めをしてくるなんてなぁ……!! あと一部隊だったのによぉ!!」

「ダレン・ロイドに体力を回復させられてはな。状況が覆る可能性が高くなる。悪いが攻め込ませてもらったよ」

「くっ……!!」



 足がもつれてペースが落ちる。直ぐに持ち直せたが、次はそうとも――



「……そろそろ遊びは終えよう。くたばれっ!!」

「っ――!!」





祝歌を共に、クェンダム・――




  ――奔放たる風の神よエルフォードッ!!!





「なっ!?」


        「うおっ!?」




 周囲一面に暴風が吹き上がる。エレナージュの生徒達はまるで足が絡め取られたように動きが鈍くなり、



 一方のグレイスウィルの生徒達は、本拠地のある方角に背中を押されていく。




「くっ……!」

「何でだ!? さっきから魔法で打ち消してるのに、何故収まらない!?」

「魔法で収まらない……? ということは、本当の風が……?」




 向かい風に抗うアストレアの頭上を、


 アザーリアとルサールカが優雅に舞う。




「エルフは風と共に生きる種族。故に風詠みの能力には長けていますのよ?」



 穏風のように淑やかな声で言った後、



 アストレアを含めたエレナージュの生徒達と、それからここにいない観客達に向けての、




 投げキッス。






「アーサー!!! 今の!!! 今の観た!?!? ねえ!?!?」

「……ああ」



「武術戦だから見せ所ないかと思ったけど、あいつやるなあ……」

「あんなの見せられたらも~~~マイケルっちょ。あたしも魔術戦では投げキッスしないといけないのかなー?」

「そしたら僕もしないといけなくなるからやめようマチルダ嬢???」




 客席の生徒達の大半が、性別に関係なしに悩殺されている。その中でも一際大柄な男性が、真っ黄色の声を上げている。




「……あの人、リアン様かな」

「んー? カタリナの知り合いー?」

「アザーリア先輩のお父さんだよ。リネスの町でお茶をご馳走になったんだ」

「へー、そんなことがあ」




「……そういえばリーシャ、リネス観光の時何をしてたの? そのお茶会、誘おうと思ったのにいなかったんだもん」

「えーまあそれは……」



 黄色い声からがらりと変わり、血気盛んな歓声が会話を中断させる。



「……ダレン先輩だ」

「ああ、もっとアザーリア先輩を映してぇ……」

「先輩が交戦している。ほら、観るんだエリス」

「はぁい……」






<試合経過一時間五十分 残り一時間十分>




 ダレン達の部隊は西に進軍し、黄土色の地面と岩が転がる荒野の領域に到着していた。北西の方に目を細めると、ティンタジェル遺跡が目に入る。



「しかし補給ができなかったのは痛いな……」

「一応場所は教えておいて、ここで待ちます?」

「ああ……少しでも休憩を挟まないと、きつい頃合い――」




「……くっ」



 迫りくる足音。その数約十。





「飛んで火に入る何とやら……まさかそちらの方からやってくるとは……」



 足元が水色に輝いていることに気が付いたのは、マッカーソン達がのらりくらりと姿を見せてからだった。





「……皆はここにいてくれ」

「やるのか……!?」

「……」



 水色に淡く輝くフラッグライトを挟み、ダレンとマッカーソンは向かい合う。






「……」




「『――よくぞ参った。この寂寥とした、鈍緑の礼拝堂に――』」




 その口上はダレンにだけ聞こえた。



 いや、ダレンにだけ聞こえるように言ったのだ。




「ふっ――」




 その意味を理解し、剣を抜いて大きく構える。



 それはまさしく、観劇の主役のように。




「『ああ、何と素晴らしいことだ。貴君とこうして剣を交え、鋼が打ち出す音が、私の心臓を脈動させる――ガウェイン!』」






 一瞬だけ、マッカーソンの動きが止まる。


 しかしそれも束の間、またすぐに剣を振り下ろし――




「『――ベルシラックよ、惨烈たる姿に廉潔なる心を宿した、勇猛たる騎士よ! 貴君と剣を交えた喜び、かの騎士王に忠誠を誓ったあの時にも勝るようだ――!』」




 旋風が巻き上がり、


 間合いが一気に詰められ、


 小気味良い金属のかち合う音が響く。





「『見ることすら憚られるこの姿にあっても、私の目は蝕まれずに輝いていたようだ。貴君は勇ましく、そして豪壮なる心を有している。一度鮮空を旅した花びらが、大地に芽吹いて旅を行うのと同じぐらいの時間、私は貴君のような勇士と出会えてこれなかった!』」



「『――創世の女神よ。貴女様は実に苛虐な仕打ちをなさる。どちらかが力尽きてしまったその時、この心地良い昂ぶりも終焉を迎える! 故に私は願うのだ、イングレンスの大地に恩恵を齎したかの偉大なる聖杯にさえも――かの聖地キャメロットにて、共に騎士王に尽くし、永遠に剣を奮い合いたいのだと――!』」




 太陽の光が最も降り注ぐ時間。大地の熱気と観客の熱気が合わさり、汗が流れる。




「『懇篤たるガウェインよ、貴君の言葉が我が身に染みていくようだ。この身にかけられた呪いを解いていくようだが、それも錯覚なのだろう。私の姿は一生元に戻ることはなく、それは他者とも分かり合えることはないことを意味する。貴君や騎士王が私を受け入れてくれても、国を成す民は私を拒むのだから――』」



「『――嘆かわしい。ああ、この身が嘆かわしい! 先程から眩暈が止まらぬ! 手も足も震えてきた! 貴君の剣が幾重にも増えて見え、どれが本物か判断することすら成し難い!』」




 それが滴り落ちる度、彼らの視線が合う度、



 剣が交わり間合いが遠のく度、気の緩みから思わず切り傷が増えた時ですらも。



 肉体は疲労を忘れ、一時の快楽に躍る。




「『――それは私も同様だ。もうすぐこの心地良い時が別れを告げようとしているのを、身体がひしひしと感じているのだ。だからどうか、貴君の手で終わらせてくれないか。剣で始まった戦いは、剣で終わらせるのが礼儀というものであろう?』」



「『いや――それには及ばぬ。私は約束を果たしに来たのだ。故にそのように取り計らってほしい。私の首に――仕返しの一撃を』」




 互いに笑顔を浮かべていたが、それはどこか物寂しそうで。




「『――ああ、そうか。そうか、そうか。そのような、約束、であったな――』」


「『悦喜が我を潤していく。この妬ましい姿になってから、勇士はおろかこの姿を恐れぬ者とも交われてこなかったのだ――』」





 その言葉を最後にマッカーソンは剣を振るうのを止め、そのまま納めて片膝をつく。


 それを受けてダレンも剣を納め、彼の眼前で同じくしゃがむ。




 どちらも顔が赤くなっていたが、マッカーソンの方がより汗を流し、傷を追っていた。膝をついているこの状況下でも、深く息をして苦しそうだ。





「……さっきカルスヘジンの詩を引用していただろ。それで思ったんだ。お前はあんな言い方をしてしまう、捻くれた奴なんだって。つまり分かり合えるいい奴だ」


「……それだけ? それだけで確信したの?」

「ああ、それだけだ。演劇と古代文学、そして筋肉を嗜む奴に悪い奴はいない」




「――僕と同じぐらいの実力って聞いて、辟易してたんだけど。お前、面白い奴だな」



 マッカーソンは翡翠色の髪を掻き上げ、首筋を露わにしたまま動かない。



「……魔法学園が同じなら、僕らは友人になれたのかなあ?」

「そんなの、今からなればいい話だろ?」


「……僕には呪いがかかっている。大寒波――あの凄惨な内乱を引き起こした、キャルヴン家の血が流れている。そんな僕とも、友人になりたいと言うのかい?」

「ははは――お前は貴族って聞いたから、主役の方が好いていると思ったが。まさか立場が反対だったなんてな」




 ダレンは腰の剣ではなく――その辺りに転がっていた丸石を拾って、


 彼の美しい首元に、切り傷を付けた。




 それを受けたマッカーソンは満足そうに立ち上がり、後ろを振り向く。




「……行くぞ。ここは撤退だ。それとここのフラッグライトは二度と侵攻するな。僕と彼の――戦いの跡だから」

「……はいはい。貴方の言うことなら従いますよ、お坊ちゃま」



 マッカーソンと共に撤退していくイズエルトの生徒達。グレイスウィルの生徒達も、それを見届けた後、物陰から出ていく。






「……」




「――楽しかった、な!」




 清々しい歓声と共に、水色のフラッグライトが赤く灯される。







 次に観戦席を埋めたのは声ではなかった。物静かで、しかし沸き立つような賞賛の拍手である。



 投影映像の場面が切り替わっても、その残響が続いていた。




「うーん、やっぱりあいつはすげーわ。一年の時無理矢理勧誘した甲斐があったってもんだぜ」

「懐かしいなあ。確か演習場の道を歩いていた時に、通りすがったダレンを講堂までずるずる引っ張っていったんだっけ」

「え、そんな流れで入部してたんですか!?」


「そん時やろうとしていた劇の主役のさー、イメージにぴったりだったんだよ! こぉれはやばいってビビッと来たねえ」

「はへぇ……何があるのかわからないものですねえ。ねえアーサー?」




「……アーサー?」



 返答はない。代わりに返ってきたのは、



「……凄いな」



 満足そうな笑みと、感嘆から来る絞り出すような言葉。





「いや……凄い? のか?」

「……え?」



 手を動かしたり、頭を揺すったりしている様子のアーサー。エリスが戸惑っていると、助け舟が向こうからやってくる。



「何だぁアーサー? さっきからぶつぶつ言いやがって?」

「……イザーク」

「言ってみ? ボクはバカにはしねえからよ?」


「……じゃあ言うぞ」

「おう早く言え言え。早く言わないと置いてかれるぞ? 戦況は目まぐるしく変化しているぞ?」

「……ああ。その……」




 生唾をごくりと飲んでから、




「……オレはさっきから、心が収まらないんだ」

「……詳しく言って?」



「こう……何だ? 先輩の戦いを見てからだ。先輩が剣を振るう度、口上を言う度……興奮が収まらなくて……」

「……それでそれで?」





「それでって……わからないんだよ。興奮は興奮なんだよ……でも……」


「なんて言うのか、きらきら輝く感じで……今まで、感じたことのない……」





 アーサーの茫然と、しかしどこか心酔するような表情を見て、


 にやりと口角を上げて笑ってから。



「……ははーん。オマエもようやくわかってきたか……」

「何がだ?」


「男の感じるカッコイイ、『ロマン』だよ!」




 豪快に笑いながら、アーサーの肩を勢い良く叩くイザーク。




「……ロマン」

「『好きだと思ったもの、素敵だと思ったもの、こうありたいと思うもの』のことだ!」

「……」



「オマエの場合はダレン先輩がそうだったんだろ? わかるぜ~、先輩かっこよかったもんな! 劇の台詞言いながらタイマン張れるって、まるで劇を観てるみたいだったもんな! 実践でそれやっちゃうんだから、本当にすげえや! カリスマって感じ! オマエもそれを感じたんだろ?」



「……そう、かな」

「そうだよ! ぜってーそうだ!」




 もう一度肩を叩いて、そのまま正面の投影映像に彼の身体を向けさせる。 




「だったら試合が終わったらいっぱい声かけようぜ! 今は応援だ!」

「……ああ!」

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