第167話 新入部員・後編

「ぐひひ……ここが曲芸体操部……」


「ああ……大変素敵なお姉様方の香りを感じる! 感じるぞぉぉぉ……!」




 講堂の入り口で、曲がり角の壁を掴むようにして中を見つめる少年が一人。


 まるでホイップクリームの角が立ったかのような髪型で、一本の棒を持ちながら気色の悪い笑みを浮かべている。




「もう少しだけ匂いを嗅いで……いやいや流石にどうだろうか……?」


「ああでも……抑えきれないっ! そうだね、もう少しだけなら許してくれるよ……!」




 あと少しだけ、少しだけと意思の弱い者特有の自己暗示を繰り返しているうちに、とうとう時間が来てしまった。




「……ねえ貴方、大丈夫?」

「ぎゃいんっ!?」



 肩を叩かれた少年は、身体をびくっと反応させて後ろを振り向く。





「……」



    (……)



「一年生……で、いいのかな? こんな所で屯してて、入部希望なの?」



    (ああ……)



「あ、あの……話聞いてる?」



    (勿論……

     貴女の美しいお声が

     美しい姿と共に

     僕を満たしていく……)



「リーシャ、早く来てよー。もう集会始まっちゃうよー」

「はーい。でもちょっと待っててねー」



    (この麗しき方は……

     リーシャさんというのか……)





「えっとそれじゃあ「僕は決心した!!! しましたよもう!!!」



「……はへ?」




 少年は体育館に入り、そのまま部室に向かって駆け出していく。


 すぐさま曲芸体操部顧問のハンナに叱られ、その直後に風のような速さで靴を脱いでから、もう一度部室に向かった。




「な、何なのです……?」

「……とりあえず追いかけよう。目的地は同じな気がする」






「――慎ましきご令嬢方、いかがお過ごしでしょうか。僕はネヴィル・ターレロと申します。単刀直入に申し上げます、マネージャーでいいので曲芸体操部に入れてくださいお願いします」




 リーシャが部室に入ると、先程声をかけた生徒が正座をして、部室の床にぐりぐりと頭を打ち付けていた所だった。当たり前だが部長は困惑している。




「えーあーうー……ど、どうすればいいかな……」

「あの……差し支えなければ、一つご質問いいかな」

「ははーっ、何なりとお申し付けくださいせーっ」


「ターレロって今言ったよね。それってあのターレロさん……?」

「あ、もしかして父のこと知ってる感じですか。そりゃあそうですよね、音楽界では有名人なんですもの。僕も息子として恥ずかしくないぐらいの感性は身に着けていますよ?」

「え、この変な髪型の子が……?」

「ふっふっふ、これは作曲の道に生きる者の正装というものですよ」



 そう言ってネヴィルが髪をかき上げた瞬間、適当な席に座って唖然としているリーシャと目が合った。



「……あ、えっと、こんにちは」

「がっ……! リ、リーシャさん! お目にかかれて光栄です!」

「え、私自己紹介なんて……あ、さっき名前呼ばれてたか」

「僕はこの度曲芸体操部に入部することに決心いたしましたのでよろしくお願いします。入部しても大丈夫ですよね!?」

「……」



 部長は一通り部員の顔色を窺ってから、答えを告げる。



「……まあ、ターレロさんの息子さんなら……いいかな。ただしさっき宣言した通り、マネージャーとしての活動になるけど、いい?」

「ははーっ、有難き幸せ! このネヴィル、皆様のお力になれるように努力致します所存です!」

「うん……じゃあ空いてる所に座ってね」

「はっ!!」




 ネヴィルが軽やかに座った所で部長が切り出す。




「では早速――」

「その前に一ついいですか、部長さん」

「……え?」



 リーシャの隣に座っていた生徒がすっと立ち上がり、一歩踏み出してから言う。



「先程こちらの先輩方がポールを振り回して遊んでいるのを見かけたんですよ」

「え……そう、でしたか」



 濃い目の垂れ眉で、薄い黄緑色のボブカット。目の形も逆半円形で、非常にシャープな印象を受ける。



「曲芸体操にとって道具は命です。それを粗末に扱うだなんて、活動をしている自覚がないんじゃないですか?」

「……」




「……あなたぁ、一年生よねぇ……よくもそんな口聞けたわよねぇ……?」



 生徒が指差していたのはカトリーヌとその取り巻き達。しかしカトリーヌが立ち上がって詰め寄ってきても、一切動じることはない。



「学年も性別も関係なく、カルシクル神の前では全て平等な演者です」

「あらそう……なら教えて差し上げますわ。ここでは学年とそれから身分が絶対的正義。あなたは先輩且つディアス家の令嬢たるわたくし達に忠誠を誓わないといけないのですのよ?」

「私が守るのは生徒手帳に書かれてあるルールだけです。課外活動ごとに決められたルールなんて踏み倒しますからね?」




 瞬間、フレイアの風閃を、両腕が凍ったパンダが白刃取る。




「お嬢さん、怪我はございませんかい?」

「貴様っ……!」

「シンシン、ありがとうございます。そして恐らく、ここにおられる皆様は私に喧嘩を売られたとお思いでしょうが、私はそのスタイルで行きますので」



 そう言って生徒は後ろを振り向き、元の席に座る。シンシンと呼ばれたパンダも彼女の隣について仁王立ちしている。



「……はぁ、もうやんなっちゃう。それでは今から集会始めま~す」




 部長が気だるげに言う隣で、リーシャは彼女に話しかける。




「……よくあそこまで思い切ったこと言えるよね」

「まあ経験の差ですかね。練習に比べれば人間関係なんて、大したことないですよ」

「……え?」

「ミズリナっているじゃないですか、雪華楽舞団キルティウムに。私あの人の娘なんですよ」

「……!」



「あの人の影響なんですけど、小さい頃から曲芸体操に興味あって。それでビシバシしごかれていたんですよね」



 先程の鋭い視線が、リーシャに対して向けられる。



「私はミーナと申します。貴女は私に向ける視線が違う……きっと境遇が似ているとか、そんな感じでしょうか?」

「……私も目の敵にされてるから、ちょっとね」

「成程……ならば似た者同士、高め合っていきますとしますか」

「うん、よろしくね」



 二人は視線を交わし合い、そのまま集会に臨んだのだった。





(……何だかミーナさんのお陰で僕が空気になってしまった気がする!?)






 所変わって温室。ここでも園芸部の集会が行われており、部員は中央のスペースを中心に適当に集まっていた。




 他の部員が和気藹々と話を続ける中、サラは一歩引いた所からそれを見つめている。


 時々リーンが気にして彼女のことを見るが、それに応じる気配は一切ない。




「……」

「……あのう」

「……」



「ちょっと、いいですかあ?」

「……何? ワタシに用なの?」

「そうです、この中で一番話聞いてくれそうなアナタです」




 サラが後ろを振り向くと、そこには横長の眼鏡をかけた亜麻色の髪の生徒。長い髪を三つ編みに整え、それを更に後頭部で団子状に。俗に言う所のクラウンヘアーだ。


 そして健康そうな褐色肌で、更に頬にはいくつかのタトゥーを貼っていた。トールマン族の特徴を殆ど満たしている。




「……何の用」

「もう集会って始まってますよね。私さっきまで文芸部の集会に参加していて、遅れちゃって……」

「ああそう……まあ、挨拶ぐらいはしてきたら」

「そうさせてもらいますっ!」





 生徒は爆速で中央に行き、そして、



「えー皆さんこんにちはー!!」

「……こんにちは?」

「私はサネット・メイと申しまーす!! ナイトメアは羽根ペンのフェニーでーす!! 趣味は読書と園芸でーす!! 特に薔薇が大好きです二重の意味で!! よろしくお願いしまっす!!」



 挨拶をして頭を下げ、爆速でサラの場所まで戻ってきた。





「……何で?」

「え、だって先輩、ここに来て初めて会った人ですもの。興味沸くのは当然でしょう?」

「……集会に参加しなくていいのかしら」

「いやもぉ、私一年生ですよぉ? 勝手もわかんねーんですし、後で知れればいいんですって。というかそれ言っちゃったら、先輩も参加しなくていいのかってなりますけど」


「……いいわ。それともう一つ訊いてもいいかしら」

「何ですか?」

「アナタの自己紹介……二重の意味って、何よ」

「アッ!!!!! ソレキイチャイマスカ!!!!!」

「は?」




 サネットは視線をサラから離さないまま、肩からかけていた鞄を漁る。そうして一冊の本を取り出した。




「これも何かの縁ですからどっぷり沼に沈めちゃいますよぉ!!!!!」

「……何これ。サンブリカ神とエクスバート神……?」


「そうです!!!!! 偉大なる八の神々の二柱です!!!!! この本はですねえ!!!!! そんな二柱の神々が繰り広げるハートフルストーリーなんですよ!!!!! あらすじはですねえ!!!!!」

「……」



 サラはサネットから徐々に視線を逸らし、彼女の後ろでおろおろしている男子生徒に目を向ける。



「……ねえ、アナタ」

「はえ!?!?!?!?」

「アナタじゃないわ、後ろにいる彼に呼びかけたの」

「……あ、もしかして僕ですか」




 サラの言葉にようやく気付いたのか、黄緑色の髪を軽く結んだ男子生徒が近付いてくる。




「……アナタも新入生なのかしら?」

「いえ、僕は三年生です。先程まで生徒会室にいたんですけど、抜けてきたのでこの時間に」

「三年生! よろしくお願いします先輩! 私は新一年生のサネットです!」

「わわっ、よろしくお願いします。僕はジャミル・ロウと申します……」

「……」



 サラは頭も下げず声もかけずに、ジャミルが右手で抱えていた本を見つめていた。



「……『ラース砂漠の現状から考える自然学の重要性』」

「ん? この本、知っているんですか?」

「……ええ」

「ふふ。有名な人ですよね、サリア・マクシムス。数年前にぱたりと姿を消したらしいんですけど、今は何処で何をしているんでしょうね……」

「……」



 するとサラは立ち上がり、ジャミルの前に立つ。



「……ワタシはサラ、二年生。こっちはナイトメアのサリア」

「二年生! じゃあジャミル先輩が一番上ですね! それにサリアって、今言ってた人ともがぁ!?」

「それ以上言ったら首を絞めるわよ」

「あひぃぃぃぃぃ!! わ゛だじまだじにだぐなああああい!!」


「……扱いはかなり容易な方ね、理解」

「え、えっと……もう、そこまでにしておいた方が……」

「そうねえ……」



 サラは中央の集会の方を見遣る。他の部員達の話し合いはかなり盛り上がっているようだった。



「……まあ連中が勝手に決めてくれるでしょ。それよりも、ここに来るのが始めてなら、温室でも歩いて見て回りましょう」

「おお~っ! 先輩自らのご案内! 楽しみですねジャミル先輩!」

「あ、実は……僕は一年生の時から園芸部だったので、大体はわかっているんですよね」


「……その割には去年一度も姿を見なかったのだけれど」

「恥ずかしい話なんですけど、僕身体が丈夫じゃなくって。それで去年は発作が酷くって、王国の療養所で治療してたんです」

「それが一年近くだったと。ふうん……」


「サラ先輩~! ジャミル先輩はサラ先輩の先輩でもあるんですよ!? そんなタメ口でいいんですか!?」

「僕は気にしないから大丈夫だよ。サネットさんも、気軽に接してくれると嬉しいな」

「……じゃあ行きましょうか」




 こうして三人は、集会から離れて温室を歩く。

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