第112話 めくるめく曲芸体操の世界

 赤茶色の幕が垂れ、木製の温かみ感じる舞台。


 床との高さは数メートル。そこに並ぶは絢爛華麗のカルテット。


 バイオリン、ピアノ、チェロ、ハープ。揺蕩う音色がホール内を満たし、観客を夢幻の世界に誘う。




「はへぇ……」

「わぁ……」

「あぁ……」




 白をベースにし、スカートや装飾に青系統の色を織り込んだチュチュ。


 特に惹かれるのは足。氷が覆い被さり、さながらハイヒールのように音を鳴らす。


 美しき舞姫は、喜びを体現するように四肢を大きく揺さぶる。




「ふひぃ……」

「はぁ……」

「ううーん……」




 舞い散る雪は切なき想い。息衝く萌芽は純なる想い。


 されど運命の刻は近付く。遠く聞こえるさざなみの音。


 けれどもこの時は。愛する人と共にいられるこの時だけは。




 どうか、この身に余る幸せを堪能させて――






「『トリスタンとイゾルデ』、かあ……」



 観劇終了後。まだ余韻が残るホールの中で、エリスは手渡されたパンフレットに目を通す。



「そうだよー、円卓の騎士トリスタン。吟遊詩人としても活躍した彼と、イソルデという美しいウェンディゴとの恋のお話だよー」

「旅先で出会った領主の命を受け、ギョッル島に住まうウェンディゴ、その族長の娘イソルデを連れてきたトリスタン。二人は帰りの船の中で、揃って愛の妙薬を口にしてしまう……」


「互いに深く愛し合う二人。けれども悲しきかな、主従関係は薬でも覆せない。その恋は叶うことなく、イソルデは領主に嫁ぐことになる……」

「式は挙げても心はずっとあの人のまま……遠く離れても思い合う二人……」




 エリスとリーシャは二人同時に悩ましそうな溜息をついた。



 彼女達が座っていた場所はホールの最前列。突然の訪問のために空けられている、来賓用の座席である。




「あの……さっきの演者さん、足が凍ってましたね」

「彼女の名はミズリナ。雪華楽舞団キルティウムの中でもトップクラスの演者で、あの美しい見た目でなんと三十二歳。勿論子供もいるぞ、一人娘だ」

「えっ! 全然そんな風には……」

「魅せる職業というものは人一倍見た目に気を使わないといけないからな。化粧の仕方とか肌の作り方とか、大分苦労しているって聞いたぞ」

「凄いなあ……」



 カタリナとイリーナの会話にリーシャとエリスも混ざる。



「ちなみにねー、この『トリスタンとイソルデ』。これウェンディゴ以外は踊っちゃいけないって決まりなんだー」

「そうなの?」

「正確には王侯貴族の祝宴などの厳正な場では、だな。学園祭で発表する程度なら許されている。パンフレットにも書いてある通り、これはウェンディゴが主役の物語だから、それに沿った方が良いという考えだそうだ」



 イリーナは三人に身体を向ける。



「何にせよ、君達は運が良かったな。曲芸体操の中でも屈指の知名度を誇る演舞を、一番美しい演者のもので観ることができた。これは誇れることだぞ」

「そうねそうね! カルシクル様に感謝しないと!」

「ふふっ……ではそろそろ移動しようか。もう私達しか残っていないぞ?」

「あっ……マジですか!? やっばあ!?」






 四人が訪れていたのは、王城より徒歩十分の距離にある、アルーイン大劇場という名の建物。曲芸体操の道を歩む者にとっての聖地であり、そして目標でもある場所。



 王家お抱えの演舞団、雪華楽舞団キルティウムの演舞が鑑賞できるのは元より、曲芸体操の歴史が綴られた展示があったり、有名な演者のグッズが買える売店があったりと、ここに立ち寄れば曲芸体操という世界のことが丸わかりなのである。






「ねーねー、曲芸体操って何で曲芸ってついてるか知ってるー?」

「元々は人がとっても柔らかかったり変な動きをするのを楽しむ、見世物から始まったんだよね。そしてだんだん人体の美しさや音楽との協調性を求めるようになって、現在のスタイルになっていった」

「正解! すごいねエリス! どこで知ったの?」

「いや、後ろに書いてあるし。わかってて訊いたでしょリーシャ」




 ここは歴史の展示区画。エリスはリーシャの後ろ側にある、絵とパネルの展示にまで足を進めた。先程エリスが述べた内容がパネルには記載されてある。


 そして絵の方はというと、肌の一部が凍った人間が火の輪をくぐり、円形の観客席から人々に喝采を受けている場面であった。




「んへえ、人が動物みたいな扱いを受けてるなんて」

「帝国時代ではよく見られていた光景さ。人間の治めるグレイスウィルが絶対で、異種族は肩身が狭いどころか存在すらしていなかった」


「とはいえまちまちだったみたいだけどねー。エルフはさっさと自治領獲得してたし、ヴァンパイアは滅亡してたし。竜族は力が強い上に凶暴、妖精は家事仕事の使役の方が需要があったみたいよ」

「魚人は美しいのもいるがごく僅か、ドワーフは小さいから映えない。トールマンも……どうやら褐色肌は人気がなかったようで。故にこの曲芸に用いられるのは、ウェンディゴが殆どだったんだ」



 この国の歴史は曲芸体操の歴史だ、とイリーナは呟く。


 そしてある女性の銅像に向かって歩き出す。



「あの人は?」

「イズライル・フリズ……えーと、レインズグラス・イズエルト。この国の初代女王様」




 リーシャが説明したその女性は、背中全体を覆うように氷が飛び出していた。美しく模様を作り上げているようで、さながら一つの芸術とも言えよう。


 銅像でありながら顔は凛々しく、視線は空を見上げるようにして動かない。初代女王であることを踏まえると、恒久なる平和を祈っているようにも見えた。




「つまる所私のご先祖様だな。かつて彼女も曲芸体操で見世物にされていた一人だったそうだ」

「それである日突然嫌気が差して、このままではいけないと思って、一念発起して一団を抜け出したらしいよ。使役していた人間を皆殺しにして」

「うっわ、何それ!? こっわ~……ってかそんなこと本当にできたの?」

「一応歴史書でそうなってるんだよね~。何かこう、あるじゃん。絶対零度ってやつ。全ての生命が活動を止めるって温度。それを我が物にして氷漬けにしたらしいよ」



 イリーナは黙ってリーシャが話すのを見つめている。



「す、凄い人なんだね……じゃあ、この人が今の曲芸体操を広めたってことなんだ」

「そうそう、国家事業としてね。軍事的な諸々より文化的な諸々の方が、人の心を掴むのにはいいんだってさ」



 微かにイリーナの顔が侘しげになっていた気がしたが、彼女達の知る由ではない。三人の視線は銅像の台座に向けられていた。



「足元にプレートが刻まれて……『春は巡る、前を向く君に』だって」

「イズライル様が提唱した、この国のコンセプトっていうか基本方針っていうか。全国民はこの言葉を胸に刻んで生きていきましょーって感じ。この一文だけが広く知られているけど、実際は詩の形態を取ってるんだよ」

「何だか風流だなあ。全国民ってことは、リーシャも知ってるの?」

「もちろんもちろん! 『花は咲く、寂しく静かに泣く君に』――」




「「『鳥は歌う、未知なる世界に行く君に』」」


「「『空は続く、好奇心に満ちた君に』」」


「「『春は巡る、前を向く君に』」」




 いつの間にかイリーナも混ざって、その詩を唄っていた。




「わっ、すっご~い。イリーナ様も知っている詩なんですね」

「折角だから覚えて帰るといい。イズエルトの文化に触れた記念にな」

「そうさせてもらいま……カタリナ?」



 エリスが隣で突っ立っていた彼女の顔の前で手を振ってみると、やはり反応はしなかった。



「……ああ。エリス、ごめん」

「いやいいんだけどさ。この詩に何か思う所でもあったの?」

「うん……いい詩だなって、しみじみしてた」

「な~んだしみじみしてただけか~」




(……古今東西、そこに住まう人々に伝わる言葉がある)


(北国だろうが……森の奥深くだろうが。考えることは皆一緒)


(自分達を取り巻く環境を……言葉で慰めようとしている)




「他何かないの~。これだけは見とけ! って展示」

「じゃああれに限るね、雪灰灯ライムライト! これをなくして曲芸体操は語れない!」



 リーシャは小走りで別の区画に向かう。こちらは曲芸体操で用いられている、道具や設備についての説明がされていた。



「待ってよリーシャ、早すぎるよ~」

「それだけ楽しいってことなんだろう。さて……」





 向かった先に展示されていたのは硝子の筒。その中には雪と氷とが押し込められていて、一切の猶予を与えずに筒の中を飛び回っている。割ったら今すぐにでも漏れて大気に溶けてしまいそうだ。





「わーっといずでぃーっす、リーシャァー」

「でぃーっすいず、雪灰灯ライムライト~。曲芸体操の演舞を披露する時は、必ず照明はこれなんだよ」

「何だか神秘的な照明だね……」



 イズエルト諸島で採取された雪や氷を、ウェンディゴ族の職人が丹精込めて仕上げる。非常に不安定な素材を元に作っていく為、一本完成させるのに数十年も要することもあるのだとか。



「一応ランク付けがされていてね、これは三番目ぐらいかな。一般的に流布していて、扱いも楽なやつ。これよりも雑に扱えるのもあるけど、その分照明としてのクオリティは落ちる。逆に専用の道具を用いて管理しないといけないのもあるけど、その分だけ演者を引き立たせるんだよ」

「もっともランクが上がれば数も減るがな。一番上の物は数十本しか現存していないから、本当に優れた演者にしか持ち出されない」

雪華楽舞団キルティウムに入れただけじゃ認められない。その頂点に立つ者、人を魅了させるプリンシパルにこそ相応しい照明」




「それになることが貴女の夢なのよね、リーシャ?」

「そう! 私が感動したこの世界で、今度は私が感動させる側に……」




「……ん?」




「……みぎゃあー!?!?!?」






 後ろを振り向いた後、そこにいた人物に驚き腰を抜かすリーシャ。イリーナも目を見開き冷静に驚愕しており、エリスとカタリナは唖然とするしかなかった。



 豪華な水色のロングドレスの女性。特に目を引く頭頂部は、王冠のように凍っていた。




「母上、お仕事の方はよろしいのですか? 今日は公務が多忙を極めていると……」

「確かに忙しいけれど、休憩も必要よ。それに貴女がお友達を連れてきたのだから、挨拶はしておかないと……ね?」

「お忙しい中ご会いしてくださり感謝いたします女王陛下っ!!!」



 リーシャがやけにへりくだるのを見て、この方がそうなのかと、イズエルト女王ヘカテなのかと確信するエリスとカタリナ。



「もう、前から言っているじゃない。私に対してそこまで気を遣わなくてもいいのよ?」

「ですが……やっぱりできません。私が魔法学園に行けたのは、そしてこうして友人を連れてこられたのは、女王陛下のお陰でありますから」



 そうなの、とエリスが訊く前にヘカテが話しかけてきた。氷のように冷たく、それでいて淑やかな優しい声だった。



「いつもリーシャがお世話になっているわね。もう知っているとは思うけど、リーシャは友達思いの優しい子よ。これからもよろしくね」

「えっと……お世話になっているのはこちらもです。これからもよろしくお願いします!」

「よ、よろしくお願いします……!」



 一生懸命の誠意を見せる女子達を前にして、口元に手を当て笑う姿も美しい。



「さて、私はそろそろ戻らなくっちゃ。イリーナ、この子達をよろしくね」

「承知いたしました」





 悠然と出ていく姿にまで若者たちは見惚れてしまう。





「あれが……大人の女性の気品……!!」

「女王とかそういうの差し置いて美しい人だね……」

「ねーすごいでしょー。私そういう点においてもあの人には一生敵わないと思ってるんだよねー」



 茫然としていた三人の少女は、同じタイミングで頭を振る。



「さて……と! そろそろいい塩梅の時間だと思うんですけど!」

「ああ、確かにな。午後三時ともなると、合流してもいいだろう」

「よーし! じゃあお土産だ! 売店にゴーして何か買おう!」

「賛成っ。行くぞーカタリナァー!」

「う、うんー!」

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