第36話 監視対象なハンス

(……くそがよ)



 ハンスはベッドに横になり、天井を凝視している。服装は学生服から病衣になっており、所々包帯が巻かれている部分があった。


 治っている真っ最中なのだろう、痒いし痒いし痒い。しかし痒いのは皮膚だけでない。



(何で……ぼくがあいつに。たかが使い魔なんかに……)



 ハンスは戦いの記憶を少しずつ呼び覚ましていく。



 沸々と憎悪が沸き上がり、少しずつ目が開かれる。



 掻きむしりたい。飢えている。





「あら。やっとお目覚めかしら、ハンス」



 彼の隣にいた人物が声をかけてきた。分厚い眼鏡をかけた女生徒で、彼女はベッドの隣の丸椅子に座っている。



 ハンスはすぐさま目を細め、声のトーンを明るくして彼女に応えた。普段教師や他の生徒にしているように、演技に入る。



「えっと……どちら様でしょうか……?」

「サラよ。サラ・マクシムス」

「マクシムス……?」

「エレナージュにマクシムスっていう魔術師がいるんだけど、ソイツの娘。知ってる?」

「……すみません、わからないです」

「あっそ。まあいいわ。別に覚えてなくてもいいし」



 サラはそっぽを向く。この時点でハンスからの心証は悪い。



「でも、わざわざお見舞いに来てくれるなんて……お優しいんですね。ぼくのこと知っているんですか?」

「いい子面するのウザいから止めてくれる?」




 二人の横では、サリアとシルフィが本を挟んで互いの様子を観察し合っている。どちらも感情を表に出さないタイプのナイトメアである為、主君であってもその心境は図れない。



 一方で突き放ったようなサラの言葉に、ハンスは皮を被る必要はないと判断した。薄目が開かれ目玉が彼女を睨む。




「……猿如きが何の用だ」

「ふーん、それがアナタの本性ねえ……リーン先生がアナタのこと愚痴っているのを聞いて、興味が湧いたから視察しに来たのよ」

「……」

「あらあら、随分と怖い目するのね?」




 険悪な雰囲気漂う二人の耳に、どたどたと駆け回る騒音が入ってきた。




 警戒するハンスに対して、サラは露骨に嫌悪感を顔に浮かべる。




「うおおおおお! ハンス元気にしているかー!」

「クラリア! 保健室では静かにしろ! 走り回るな!」

「はぁ……」



 カーテンを開けてクラリアとクラリス、そしてヴィクトールが顔を出してきた。



 ヴィクトールの手には鮮やかな花束が握られており、彼はそれをベッド脇の花瓶に差す。誠意が一切感じられない程乱雑に。



「先生から聞いたぜ! 怪我は殆ど治ったんだってな! 本当におめでたいぜ! ってサラもいるじゃねーか!」

「……何でアナタここにいるのよ」

「そりゃー席が前後だからなー! ちなみにヴィクトールは隣の席だぜ!」

「ああ……そういう」



 クラリアと目を合わせながら、サラはヴィクトールをベッドから引き離す。




 そしてクラリアの興味がハンスに向いた瞬間、ヴィクトールにこそこそ尋ねる。



「ねえ……クラリアは今回の騒動のこと、どこまで知ってるの」

「ハンスが大怪我をした……という所までだな、あの様子だと。誰とやったのか、何故決闘を仕掛けたのか、どちらから先に来たのかまでは知らないと思うぞ」

「……あー」



 脳裏にある日の授業の光景が浮かぶ。



「エリスが巻き込まれたってこともわからない感じ?」

「エリス……? 誰だそれは」


「一組の女生徒よ。赤髪で緑目。いつもアーサーっていう金髪の生徒と一緒にいる」

「……思い出した。一回だけ会ったことがある」

「あっそ。それで今回決闘したのはハンスとアーサーで、エリスはそれに巻き込まれてしまったらしいわ。血が流れる様を間近で見てしまったわけね」

「そう……だったのか」



 ヴィクトールは悔しそうに唇を噛む。



「え? アナタも知らなかったの?」

「正直俺も把握できていなくてな……生徒会でもあるのに、情けない」

「まあ一年生ならそんなもんじゃないの? 知らないけど」

「で、そのエリスとクラリアに何の関係が?」


「二人は裁縫の授業で一緒なの。恥ずかしながらワタシもなんだけど。それでこの間エリスが元気なくて、クラリアがそれに突っかかろうとしていたから、ナイトメアがそれを止めてた」

「……奴なら普通に有り得そうだな」

「まあそうね。そんなことがあったけど、その理由がわかったわーって納得した、それだけ」

「ふむ……」




 丁度話の切れ目のタイミングで、クラリアが二人目がけて突進してきた。




「おおーい! 何話してんだ二人共ー!」

「アナタって鳥頭よねって話をしていたわ」

「鳥だと!? アタシは狼だぞ!」

「はいはい、脳筋馬鹿は置いといて。ヴィクトール、アナタ何か言うことないの」

「ん、ああ。そうだな……」



 ヴィクトールがハンスの隣に立とうとしたので、クラリアが慌てて横にはける。




 そして隣に立った眼鏡の彼は、極限まで顔をハンスに近付けて話す。



「先生から聞いたぞ。もう怪我は完治しているんだろ?」

「……」


「ということは学園に来ることもできるということだな」

「……行く価値がない」



「許さん。貴様のような奴がいると風紀が乱れる。何よりクラスの一人、学園の一人という自覚を持ってもらうために、意地でも来てもらうぞ」

「はっ、そんなこと」


「朝起きたら貴様の部屋まで迎えに行ってやる。そこから一日が終わるまでずっと一緒に行動だ。自由が与えられるのは寮に帰ってから……としたいが、貴様の行動次第ではどうなるかわからんぞ」

「……やってみろよ。絶対にてめえを欺いて逃げてやる」

「果たして上手くいくかな」




 ヴィクトールが指を鳴らすと、彼と瓜二つの人間が地面から這い出てきた。眼鏡はかけていない所が唯一の違いだ。




「俺のナイトメアだ。名をシャドウと言う。此奴は人の影の中に潜むことができてな――逃げようものなら追跡させるぞ」


「付け加えておくが、俺がここまでして貴様を監視するのは、先生方を超越した上からの命令だ。ジョン・エルフィン・メティア殿……貴様の父上が直々に、俺を監視役に指名されたのだ」






「……」


「……くそが」




 父親の名前を出されて、苦虫を食い潰したような顔は、醜さすら感じさせる。




「でもよー、授業サボることばっか言ってっけどよー。授業も楽しいのいっぱいあるぞー! 魔法の話聞くの面白いし、文字がわかるのも楽しいし! 何より皆で受ければ楽しいこと間違いなしだぜー!」

「ふっ……それもそうだな。とにかく貴様には授業に出てもらう。この前はまだ転入してきたばかりで目が甘かったが、次はこうはいかんぞ」

「逃げ道潰されちゃったわね。はんっ、まあ頑張って」



 引き笑いと共に、サラは鞄に本をぶち込み始める。



「ん? もう帰んのか?」

「同じクラスの連中が来ちゃったから、ワタシはもういいわ。思う存分話しなさいな。じゃあね、次があるかはわからないけど」


「アタシは裁縫の授業で会うぜ!」

「……ああ。考えないようにしていたのにこの狼は……!!」

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