第17話 グレイスウィルの歴史

 水曜日。また今日も授業が始まる。エリスの目の前には緑のローブに身を包んだ女性が立っていた。




「では、授業を始めるとしようか。私の名前はルドミリア・ロイス・ウィングレー。君達一年生の主任教師だ。まあ入学式で自己紹介したから覚えてはいるだろう」



 その目付きは真剣だが、立ち振る舞いにはどこか気品を感じさせる。



「この授業はグレイスウィル史。今君達が勉学に励んでいる場所の歴史を教える授業だ。折角生活の拠点になっているのだから、歴史ぐらいは知っておけってことだな」


「ちなみに歴史以外にも、地理関連の内容もやるから頭の片隅に置いておくように。さて、今日は初回だから、グレイスウィル史の大まかな流れを説明するぞ」




 そう言ってルドミリアが杖を振ると、


 大気中から羽ペンが現れ、黒板を走り出した。




「ま、魔法だ……凄い」

「何だか物語を読んでいる気分……」





「グレイスウィルはかつて、このイングレンスを統べた大帝国だった。故にグレイスウィルの歴史はイングレンスの歴史と殆ど同一になる」



 羽ペンが大気に溶けて消え、黒板には絵だけが残る。中央に巨大な杯が描かれ、周囲の人間がそれを崇拝している絵だ。



「創世の女神マギアステル。彼女はイングレンスの世界を創り終えた後、その身体から血を流して天上の世界に戻っていった。その血には膨大な魔力が込められていて、一滴だけでも万を超える人々に恵みをもたらすと言われている。故に人々は血を杯に受け止め、その恵みを享受していた。神の血で満たされた杯は聖杯と呼ばれ、そこからちなんでこの時代は聖杯時代と呼ばれている」



 ルドミリアがまた杖を振ると、黒板に描かれていた絵がたちどころに変化する。


 その絵にエリスが息を呑んでいると、ルドミリアに声をかけられた。



「……大丈夫か?」

「はっ!? は、はい、大丈夫です……」

「そうか、それならいいんだが……このクラスはナイトメア学の授業はやったか?」

「えーと、まだです」

「よし、じゃあ軽く説明しておこうか……」




 黒板の中央に描かれた、鎧を着た金髪の騎士。彼の足元には白い毛並みの犬が、周囲には同じように鎧を着た八人の人間、そして騎士の真横にはローブを羽織った銀色の髪を持つ人間が描かれていた。



 そこまで描き終わったのを確認すると、ルドミリアは教壇に戻り話を再開する。




「知っている者もいると思うが、中央に描かれているのは騎士王アーサー。ナイトメアと呼ばれる魔力生命体の歴史の中で、一番最初に造られた存在だ。その周囲にいるのは円卓の騎士と呼ばれる、騎士王の派生のナイトメア。彼等が造られた理由とかは色々あるんだが、それはナイトメア学でやるだろうから省略するぞ」



 ルドミリアは杖の先で銀髪の人間をつつく。



「ここで重要なのは彼だ。アーサーの隣にいる人物。彼は生粋の魔術師で、アーサーに様々な助言をし、時には共に戦った。名をマーリンという」




 話を聞きながら、エリスはアーサーに目を遣る。


 彼は何か言うでもなく、机の上で手を組んで黒板をじっと見つめているだけだった。それを確認すると再び身体を正面に向き直し、ノートを取る作業に戻る。




「そしてここから話はカムランの戦いまで飛ぶ。騎士王が消滅し、聖杯によって栄えた時代に終末を告げた戦いだ。この戦いで騎士王は消滅したが、マーリンと円卓の騎士達は生き残り、騎士王の消滅と聖杯の加護を失った世界を見て甚く悲しんだ。そして彼の死を受け止め、聖杯に頼らない平和を築くと誓った」


「そうして建国されたのがグレイスウィル帝国。マーリンはその初代皇帝というわけだな」




 次にルドミリアが杖を振ると、今度は大陸や島々が描かれる。



 それがイングレンスの地図であることは話の流れから想像がつく。



 黒板の地図を杖で指しながら、ルドミリアは話を進める。




「この地図の西半分を埋めているのがアンディネ大陸、東の三分の二ぐらいを埋めているのがデュペナ大陸だ。北東にあるのがカムラン島だが、この島に関して話すとまた長くなるので今は無視するぞ。そしてほぼ中央にあるのがアルブリア島。この島の解説も後だ」


「そしてこの辺り――アンディネ大陸の北西端にあるのがキャメロット、かつて帝国の帝都だった場所だ。今は孤島になっているがその理由も後回しだ」


「色々後回しにして済まないが、今理解してほしいのは島の位置だ。見てわかる通りキャメロットはアンディネ大陸の隅っこにある。こんな辺鄙な場所からどうやって広大な地域を治めていたかというと――こいつだな」




 言葉に合わせて黒板に杯の絵が八つ現れる。


 生徒達の中には熱心にノートを取る者もいれば、ルドミリアの魔法に魅入られて呆然と黒板を見ているだけの者も見られた。




「マーリンは小聖杯と呼ばれるものを作り、それを用いて魔術を掌握し、帝国中の秩序を安定させていた。この小聖杯は属性の力を抽出し、凝縮させたものであり、大聖杯――聖杯時代で使われていた聖杯ほどではないが、強力な魔力を有していた」


「加えて円卓の騎士という系統に特化した存在がいたから、帝国はこれだけで十分すぎる戦力を保持していた。これが帝国を栄えさせた一番の理由とされている」


「だが、それでも帝国の支配は永遠に続かなかった――」




 するとアンディネ大陸の南、出っ張った半島部分が青く染まった。



 その瞬間、イザークは机から身体を乗り出し、食い入るように黒板を見つめる。




「……何なんだ急に」

「突然興味が沸いた。以上」



 アーサーは溜息をついてから、再度黒板を見る。





「帝国暦七百二十三年。トゥールの乱と呼ばれる暴動が起きた。ある一人の若者が当時の皇帝を暗殺しようとしたという事件だが、これに乗じた薬商人のネルチ家が水の小聖杯を奪い去った」


「そして今青くなっている部分――リネス地方にまで逃走し、当時砂漠地帯だったリネス地方を、小聖杯の力で水の都と呼ばれるまでに変貌させた。そうしてできた都を中心にネルチ家は巨万の富を築き上げたのはまた別の話。二年で取る政経の授業で触れるかもな」



 やがて地図の各地に武器が描かれ、火の手が上がり出す。



「一方の帝国は小聖杯という戦力を失ったことにより、皇帝の信用が揺らいで絶対帝政に陰りが見え始める。領土の各地で反乱や暴動が起き、その対処に追われているうちに次々と小聖杯が奪われ、異種族や平民が国を作り上げ独立していった」


「先程円卓の騎士も戦力に含むと言ったが、この頃の彼等は全員が行方不明になっている。戦闘で行方不明になったり事故に巻き込まれたりな。だがはっきりと死亡したと明記してある歴史書は一切ない……この辺りはまだ調査中だがな」



 そしてアンディネ大陸の北東部分が、一際強く光る。



「そしてまた話は飛んでいって、帝国暦にして丁度千年。ラズウェルの戦い、またの名を帝国最終戦争。領地を失い、最後に帝国が追い詰められたのはアンディネ大陸の北方パルズミール。そこのラズ地域で発生した戦いに敗北し、グレイスウィルは完全に大陸の領土を失った。これは同時に帝国の名を捨てること余儀なくされたことを意味する」




 言葉によって帝国の終焉があっさりと告げられたと同時に、最後に中央の巨大な島が光った。




「残された領土はこのアルブリア島のみ。今我々が住んでいるこの地だ。元々は帝国が別荘地として保有していたが、領土が減っていくにつれて居城をここに移し、帝国末期にはここが実質的に帝都の機能を果たしていた――」


「おっと、キャメロットの説明を後回しにしていたな。キャメロットの都があった周囲は、先のトゥールの乱の際に魔術を使って大陸と切り離された。そして現在あるように孤島となっている」




 最北西にあった、結界らしきものに囲まれた島が一瞬だけ光る。ここまで生徒達は、光に見事導かれて歴史を学んでいた。




「とにかく、最終戦争の結果を受けてグレイスウィルは帝国から王国に格を下げざるを得なくなり、それに伴い首都もアルブリア島に変更された。この処理が完了するまで十年だった」


「そして諸々落ち着いた頃に、新たなる時代を作り上げる有望な者を育てようという意思の元創設されたのが、このグレイスウィル魔法学園というわけだ。ちなみに帝国が崩壊してからの約六十年を新時代とも言ったりするぞ」





 そこまで説明を終えると、ルドミリアは黒板から生徒達に向き直る。歴史が現在に追い付いたというわけだ。





「さて、ざっとではあるがグレイスウィルの歴史を説明したが……どうだったかな?」



 ルドミリアの言葉は生徒達全員に対してだったが、目線はエリスとアーサーに向けられていた。どちらもノートや黒板をぼんやりと眺めている。



(ハインリヒ先生から話は聞いているが……どうだろうな。この話をしても良かったものか……)




 ふと、生徒の一人が恐る恐る手を挙げているのが目に入った。




「先生、あの……」

「ん、どうした。何か質問でも?」

「はい、あの……初代皇帝のマーリンっていつ頃まで皇帝だったんでしょうか。急にいなくなったので……」

「ふーむ……」



 ルドミリアは少し悩んだ後に答えを出す。



「……『帝国建国記』という王家に代々伝わる歴史書があるんだが、そこでは帝国暦六十八年に老衰で死んだことになっている。だが他の歴史書では五十九年、四十三年、さらには百五十七年や五百七十九年なんていうのもあってな……」


「それ以外の絵巻物や説話集といった様々な作品、様々な年代の書物にマーリンの名前が出てきていて、正直正確な年数がわからないんだ」

「……案外今も生きていたりして」




 生徒の一人がぼそっと呟いた。それに反応したルドミリアは笑い声を上げる。




「はっはっは。実は一応それも説として出ているんだ。単なる迷信程度にしか思われていないが。だがマーリンは神の子とまで言われた魔術師……不死身の魔術を作成していたなんてことは十分あり得るかもしれないな――」








 その後授業が終わって休み時間。次の時間は武術と家政学。アーサーとイザークは演習場に向かい、エリスとカタリナは裁縫室への階段を昇っている途中である。



「……はあ。すごかったね、グレイスウィル史の授業」

「うん。何だか壮大だったね。あれでも簡略化しているって、信じられない」

「初代皇帝マーリン……騎士王に仕えた魔術師……」



 カタリナはそこで言葉を切る。何かを思い出したかのように、目を僅かに見開いていた。



「……どうしたの?」

「えっと、騎士王アーサーって……名前同じだなって。いつもエリスが仲良くしている彼と」




「……それは偶然だよ。偶然偶然。偉大なる騎士王なんだから、それにあやかって名前をつけている人なんていっぱいいるよ」

「そ、そうだね……?」

「ほら、もう着いちゃったよ。早く入ろう」



 カタリナがエリスの勢いに押されているうちに、エリスは裁縫室の扉を開ける。生徒はまだ教室の半分ぐらいしか来ていない。





「あっ、あの子……!」

「え、知り合い?」

「うん、ちょっとね!」



 エリスはテーブルに一人で座っていた生徒に声をかける。


 明るい茶色のショートカットで、分厚く大きい眼鏡をかけた生徒だった。




「こんにちは、サラ。で、いいんだよね」



 自分の名前を呼ばれたサラは、読んでいた本からがばっと顔を上げる。



 そして、疑念をぶつけるかのようにエリスを凝視した。



「……どうしてワタシの名前を」

「これ、この前忘れていったでしょ。はい」

「……っ!」



 エリスが栞を取り出すと、サラは無言でそれを奪い取る。



「……礼は言うわ。ありがとう」

「……」




「……何よ。まだ何かあるの」

「んーと……一緒にいた妖精さんがいないなって」

「内部強化で引っ込めてるだけよ。ほら!」



 サラが手を鳴らすと、妖精が出てくる。彼女の身体の中から魔力の奔流となり、それが形状化したのだ。



「用語知らなくても見たことはあるでしょ。ナイトメアを魔力化して身体に引っ込める。そうすることで体内を巡る魔力が強化されて、身体能力向上! あと単純に場所を圧迫しない!」

「……」


「……ナイトメアを発現させてるなら基本中の基本だと思うのだけど?」

「え、あ、それは、知ってますよぉ!?」




 最後の方は誤魔化す為に声が吊り上がった。相手は一刻も早く一人になりたいらしく、それについては気にしなかったのが幸いだ。



 とはいえ一人にするのは惜しいとエリスは思う。




「何よ、まだ何かあるの。早く言いなさいよ」

「んーと……この間はありがとうって思って」

「フン……そんなこと」



「そうだ。次の裁縫の授業、わたし達と一緒に受けない?」

「何でそうなるのよ」

「だってわたし、あなたともっとお話ししたいの。これも何かの縁だし」

「はぁ?」




「たのもー!」



 裁縫室の扉が勢い良く開いた。ガラガラと音を立てて。



 そこからクラリアがずかずかと入ってきて、そしてエリス達を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。




 クラリスは開けっ放しの扉の近くに突っ立ったまま、頭を右手で抱えて溜息をつく。



「クラリア、声が大きい。後その挨拶をして入るのはやめろ」

「そこにいるのはエリスとカタリナ! 元気にしているか!」

「話を聞いてくれないのかお前は」



「こんにちは、クラリア」

「こ……こんにちは」

「なっ、何よこの五月蠅いの……」




 サラは露骨に身体を仰け反らせ、どんどん距離を詰めてくるクラリアから離れようとする。




「誰だこいつは!? 知り合いか!?」

「サラだよ。違うテーブルにいたから、わたし達のテーブルに来ないかって話してたんだけど、二人共いいかな?」

「うん、大丈夫だよ」

「アタシも構わないぜー!」

「……あぁ!」



 サラは唸ってから立ち上がり、荷物を纏める。完全に観念した様子だった。



「わかったわ、行けばいいんでしょ。そうでないとずっと五月蠅そうだしね……!」

「やったあ。よろしくねっ、サラ」

「ああもう……」

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