無垢な天使のカルチャーショック

モグ

第1話 天使、助けを求める

「あの、レオさん!すみませーん!お風呂まで来てくれませんかー?」


 平日の午後、普段は大学にいる時間帯だが急遽休校となったため、レオは2階の寝室でのんびりと読書をしていた。家族はそれぞれ職場や学校に行っているはずで、この家は空っぽなはずだった。

 まさか1階から自分の名前が叫ばれるとも思っていなかったし、自分以外の人間がここにいるとは思わなかったのでレオは心臓が口から飛び出るような思いをした。


「ガブリエル…?」


 声の発信源はレオの家族ではない。数週間前からこの家にホームステイしている留学生だ。

 風呂場から名前を呼ばれるということは緊急事態なのだろうと判断しレオは早足で1階へと向かった。


「ガブリエル?大丈夫か?」

「はいっ!あ、えっと大丈夫……ではないかなぁ、ちょっと手伝ってもらいたいことがあって」

「え?」


 薄っすらと開いた扉の隙間から顔だけを覗かせた少年は限りなく白色に近い髪の毛を揺らした。レオは目の前の髪から水滴が垂れ、ぽつりぽつりと脆そうな首筋から胸元へと落ちる様子を目で辿りゴクリと唾を飲んだ。


「学校の友達に剃るのが当たり前だよって教わったから自分でやってみたんだけどなんかうまくできなくて。絡まっちゃって痛いし、綺麗に剃れなくて不格好だし……できたらレオさんにお手伝いしてもらいたいなって」

「……待って、ちょっと状況が理解できないんだけど、何を剃るって?」

「毛です」

「毛……?どこの?」

「ここのっ」


 パーンっと派手な音を立てて開かれた扉から幼さを残した真っ裸の体が登場した。信じられない光景にレオは後ずさりをすると手で両目を覆った。


「ガブリエル、何してんだ?」

「レオさんにここを剃ってもらいたくてっ!」

「分かった、それはわかったけどいきなり他人に裸を見せちゃだめだ」

「え、なんで?」

「なんでって……っ文化の違いか?天国ではどうか分からないけど、人間界では他人の前で裸になっちゃいけないんだ」


 なるべく風呂場の湯気で赤みを帯びた裸体に目をやらないようにしながら、レオは天国から留学中の天使に説明をした。


 そう、ガブリエルは天使で、現在天国の姉妹街ネヴェアタウンに留学中だ。何百年も前に始まったこの制度を利用し、学生天使たちは一年間人間界に滞在する。人間とともに食を共にし、学校へ通うことで直接人間の性質や行動を学ぶ。この経験をもとに、一人前になった天使たちは人間たちを公平に裁き慈愛を持って接するのである。


 レオの家族は今年初めてホームステイ先となった。なぜいきなりそうなったかは分からないが色々なことに手を出したがる母親が気分的に決めたことだろう。


「でも、レオさんは他人じゃないもん」

「確かに一緒に住んでるけどな、ってそうじゃなくて……」

「むー!人間のルールって難しくて分かりづらいー!そんなことより、手伝ってくれませんか?」

「もう一度聞くが何をだ?」

「ここの毛を剃るのを」


 ガブリエルの細い指が這う位置をじっと見つめレオは左右に首を振った。この天使は何を言っているのだろう。普通は人に頼むようなことではないのに……ああ、そうだ、この子に常識は通じないし、:普通|を求めてもいけないのだ。


「レオさんっ、お願いします」


 こちらを見つめる青い瞳が眩しすぎてレオは頷くことしか出来なかった。天使の魔法にかかってしまったのだろうか。言うことを聞きたくなるような不思議な力のある瞳だ……いや、レオはただガブリエルの瞳に魅せられているだけなのだろう。


「分かった」

「やったぁ!」


 嬉しそうに笑ったガブリエルに腕を引かれレオは風呂場へと入った。ガチャリと音を立てて閉まった扉を背に、レオは今それほど広くない密室で、布一枚纏わない色白の天使のどこに目をやったらいいのか分からず床を見つめた。


「あっ、大変!レオさん脱がないと濡ちゃう」

「いや、俺は大丈夫だ、このままでいい」

「でも、濡れちゃったら大変っ、ほら、脱いでください!」


 引っ張られTシャツを脱いだのはいいが、特にシャワーを流しているわけでもなく、気をつければそれほど濡れるわけでもないのに、なぜ自分まで脱ぐ羽目になったのかレオは理解に苦しんだ。


「っ!」

「レオさんのお腹硬いっ」


 つーっと腹筋に指を這わされレオはびくりと飛び上がった。この天使は何がしたいのだろう。すでに持ってはいけない感情が腹の底でぐつぐつと煮え始めていて、何としてでも消火させないといけないのに、ガブリエルは油を注ぐようなことをしてくる。

 手伝うだけだ。この天使に裏があるわけではない。ただ単にレオに剃ってもらいたくてここに呼び入れたのだからレオは何の期待も、何の感情も持ってはいけない。


「ここを、友達に言われた通りに剃ってみたんだけど上手くできなくて……特にここが……」

「……っ」


 ガブリエルは柔らかい自分の性器を指で包み右へと寄せた。自分で剃ろうとしたが、デリケートな部分に刃を当てるのが怖くてどうしても自分一人では出来なかったのだ。そこで思いついたのが、誰かに手伝ってもらうということだった。たまたま家にいたのがレオだったので、レオを呼んだ。それだけだ。ガブリエルにはまだ人間の言う「性欲」と言うものがはっきり理解出来ていなかったし、経験もなかった。



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