Ep.3 交換条件
「文句があるならかかってらっしゃい、返り討ちにしてやりますわ!!」
その自信に満ちたカナリアの宣言が響いて消えた直後、イグニスは一度ガクリと床に膝をついた。まさか、あれだけ人を一方的に攻撃しておいて反撃されるされることは想定していなかったのだろうかと怒りの治まらぬ頭の片隅で考えるカナリアの前で、イグニスが小さく肩を震わせる。
「ふ、ふふふふ……、5歳で王宮に引き取られて以来、陰口を叩かれることはあれどここまで面と向かって罵倒されたのは初めてだ……。だがカナリア嬢、貴様一体“誰”に手を上げたか判っているんだろうな。覚悟は出来ているな?」
「え……、ーっ!!」
怒りを隠さないイグニスの双眸に捉えられて、ようやくハッと気づいた。そうだ、今しがたカナリアが扇で頬面はっ倒したこの男、こんなのでも一応王子さまなのである。
先程までの怒りがみるみる収まり、代わりに一気に血の気が引いた。
(や、ヤバイ。ここには目撃者も居ないから私が罵倒された下りを聞いてくれてた人も居ないし、これは詰んだかも……!)
破滅フラグ溢れるゲーム開始まであと半年もあるのに、このままじゃ不敬罪で高等科に入学すら叶わぬままバッドエンドである。
どうしようどうしよう。でも、何も悪いことをしていないのに自分の私情だけで暴言を浴びせてきたイグニスに謝るのも癪だ。と保身と矜持の間で葛藤するカナリア。
その向かいで、床に這いつくばったまま怪しく笑っていたイグニスがようやく立ち上がった。
「まぁいい。今、お前は『自分に文句をつけたければかかってこい』と言ったな?良いだろう、その通りにしてやろうじゃないか」
「ーっ!」
先程までの残念さはどこへやら。真剣な顔をしていれば凛々しく格好いいイグニスが、そのままビシッとカナリアを指差す。
「カナリア・バーナード嬢。私と勝負だ!種目は問わんが、貴様が勝ったなら今夜の無礼は不問にしてやろう」
「本当ですか!?」
「もちろんだ、男に二言はない。ただし!私が勝ったらリヒトと『先に申し上げますけど、婚約は破棄致しませんわよ』……っ!」
食いぎみでイグニスの出してきそうな条件を却下したら、案の定彼が押し黙った。やっぱりリヒトを取り返したいんじゃないか、とカナリアは呆れてため息を溢す。
(他ならぬ王太子と公爵令嬢の婚約よ?政治的にも重要なんだし、子供の一存で破棄なんて出来るわけないじゃない。馬っっ鹿じゃないの?)
黙っていれば誰もが一度は見惚れる程の美男子だと言うのに、残念な男。とカナリアは息をつく。今の悔しそうに歯噛みしているイグニスは本当にただのお子様だ。
身体は同い年だが精神的には彼よりずっとお姉さんなカナリアとしては、ちょっと可哀想かなと思ってしまう。
それに、勝負に勝つだけで不敬罪がチャラになるなんて、イグニスの提示してくれた条件はかなり美味しいのだ。ここは是が非でも勝負してもらわなければならない。
何より、言われっぱなしはやっぱり腹立つし。と、カナリアは今にも駄々をこねだしそうなくらい不機嫌オーラ全開のイグニスに他の条件を出すことにした。
「イグニス様がお勝ちになられたら、わたくしからリヒト様にイグニス様ときちんと向き合う時間を取って頂くよう進言致しますわ」
「よし、良いだろう!」
条件としては少々苦しいかと思ったが、食い付いた。こんなことで良いんだ……と思いつつ、どうにか首の皮一枚繋がったことに安堵する。
「では、勝負はおやすみ明けにでも学院で致しましょう。今夜はもう遅いですし、わたくしは失礼いたしますわ。ーっ!?」
これ以上の面倒事が起きる前にさっさとずらかろうとしたが、部屋から出る前に背後から肩を掴まれ引き留められた。
「いいや、明日から長期休暇だろう。休み明けまでなんて待てん!」
「はぁ!?(長期休暇って言ったってテスト後休みの二週間でしょ!?もう中3なんだからそれくらい待てよーっ!!!)」
本当にいい加減にしろ!と叫びたい。でも、さっきから既に大分ボロをだしているしこれ以上言えない……!と嘆くカナリアの内心など気にもせず、イグニスが面白そうに口角を上げる。
なぜだか嫌な予感がした。
「カナリア様ーっ、お帰りのお時間です。どちらですかーっ!?」
その時、廊下から幼い頃から付いていてくれるカナリアの専属侍女の声が微かに耳を掠めた。まさしく天の助けである。
「で、では侍女も迎えに来ておりますし、わたくしはこれで……!」
「あぁ、そうだな。今夜は帰って早く休み英気を養うといい」
散々引き留めておいてあんたがそれを言うのか、と言いたい気持ちをぐっと堪えて今度こそ部屋を出る。
気疲れのせいか、嫌に扉が重たい。
(あーもう、疲れた……。明日はお休みだし、ゆっくり寝よ……)
「気をつけて帰るんだぞ。明日は私が直々にバーナード家に勝負に行くからな!」
「はっ!!?うちに来る!?えっ、イグニス様、ちょっと!!!」
唐突なイグニスの宣言に驚いて振り向いたが、既にイグニスが居る客間の扉は無情にも閉まったあとで。
カナリアは一人、だだっ広い廊下にぽつんと取り残される。
「リヒト様だって滅多にうちには来ないのにイグニス様が来るとか、嘘でしょ……?」
そのカナリアの呟きを、否定してくれる者は居なかった。
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